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18 兄と三人
王都まで半日の町で宿を確保して空を見たとき、イヴィクは王都方面全体を覆う嫌な空気に眉を潜めた。例えて言うなら、毒ではないが果物を酒にしたような違和感。
途中に寄った神殿で念のためにと、強奪するように貰ってきた聖水を馬にまで与えた。
護衛の騎士団長が、戸惑ったように支給された聖水の瓶を目線の高さに掲げて揺らす。
サリージャも、説明を求める顔をしている。
「イヴィク様、これはどのように使えば良いでしょうか」
「自分が自分でないような気分になったら一口、聖水が足りなくなりそうになったら郊外へ逃げろ。王都の神殿は駄目だ。とくに大神殿には近づくな」
「かしこまりました」
「五日前に入ると伝えてあったが、結婚式当日に王都入りをする。私の機嫌が悪いとでも言っておけ」
貴族は王都に家を持っているものだが、グロリア公爵家の邸宅は主不在のまま維持されている。
「イヴィク様、どうなさったのですか」
妊娠中のサリージャの様子に変わりないことを確認し、イヴィクはため息を吐いた。神聖力がなければ異変にも気付かないだろうことがもどかしい。王都の神官の質も落ちていることがわかる。
たった五年で。いや、徐々にああなったのなら、中にいる者は気付かないかもしれない。
「嫌な空気だ。毒ではないが、長くいたら必ず影響を受けるだろう。神聖力で多少は抵抗できるようだが、近づかないほうがいい。式を終えたら、グロリア領に戻り街道を閉じる」
あの空気に神聖力を使うのは、酒を飲んで酩酊しても水を飲めば酒の成分が薄まってマシになるようなものだ。
イヴィクに見えているものは、ほかの誰にも見えない。しかし、騎士団長やサリージャは彼が神聖力を持っていることを知っているから、緊張した面持ちで王都の方向を見ていた。
そんな彼らの緊迫した雰囲気を知らない明るい声が響いた。
「おお、貴族の隊列だ。騎士団もいる」
「どれどれ、うわすご。強そう」
「ふっ、我ら流星チート傭兵団よりも強いものなど存在しない」
「また名前が違う。もっといい名前考えろよ、ジョー」
「ふっ、おれさまの語彙は大して多くないんだ」
「開き直るなよ」
のんびりしたやりとりののち、皆で声を上げて笑っている。なんとも緊張感のない三人だった。
さすがのイヴィクも騎士団長に尋ねる。
「なんだあれは」
「ああ、流れの傭兵ですね。黒髪の三人……傭兵といっても、平和な依頼をなんでもやるような者たちです。黒髪黒目が多いから依頼こそ目立つものがないが、優秀だと聞いたことがあります」
騎士団長は辺境を回る傭兵団の噂を知っていた。
「ほう。少し話をしてみようか。いまフリーなら王都の探りをやらせてみてもいい」
すぐに騎士が三人のもとに行くと、話しかけられた中くらいの身長の者がぴょんと飛び上がって驚いた。見ていてなんとも和む動きである。
「あ、どうも。お邪魔します……」
「失礼いたします」
「我ら……えっ!」
「ジョー、静かに……ええ!?」
「なんだよ二人とも……フェっと」
連れてこられて顔をあげた三人の反応が明らかに尋常ではない。
イヴィクの顔を見て驚いたことに気付いて、彼は騎士団長以外の者を部屋から追い出した。
簡素な椅子で腕組みをしたイヴィクが、にやりと笑った。
「初めて会うはずだが、どうもこの顔に見覚えがあるようだ」
「い、いえ。知りません!」
「おれたちはなにも!」
「フェアリー……」
必死で誤魔化そうとするマサルとコージの努力を無駄にするジョー。
「フェアリー、妖精か。どこかで会ったのか?」
「五年前、森で出会った。それっきりだ」
「ほう。何か言葉を交わしたのか」
「……聖女が狂った、近づくなと言っていた。神のお告げだと」
「お、おい、ジョー」
彼らが五年前に逃げ出したアイシャールを助けた人間の可能性が高くなり、さらに危険を避ける能力も持っていることがわかる。イヴィクはもう、アイシャールが生きていることを確信した。
「神託……そういう能力もあったか。ならば生きているのか。そうか」
「あのーあれっきりだから、ぜんぜんわからないんですが」
「うんうん、あれっきりだよな!」
あまりにもあからさまな嘘に笑みが漏れた。容姿が似ていることは事実だが、性別も年齢も違うのに似ていると言える理由を。
「良い報せだ。感謝する。聖女について他に知っていることは?」
「やばいってことしか知りません。おれたちは、一応一回ぐらい見ておこうかなと、王都に向かっていました」
「お前たち、なにか護符のようなものを持っているな。私に似た……男に貰ったのか」
「え、なんのことですかね。あっ、通りすがりの行商人とちょっと同行したときに貰ったこれですかね!?」
懐かしい作りの護符だった。幼い手で作られたものの完成版。カナン王子に会ったら渡そうと持ってきていたアイシャールが幼い頃に手紙に添えてきたお守りを出して見せる。
「これは、私の弟が幼い頃に作ったものだ。よく似ている」
「あ、あははははー!」
護符には動揺するのに、男や弟の言葉にはなんの反応も見せない。間違いなく、彼らは男性としてのアイシャールに出会っている。
神託を告げたり、護符を渡すほど親しくしているということは、ずいぶん世話になったのだろう。彼らがアイシャールの恩人だということが確定した。
「私たちも王都に向かう最中だ。王太子の結婚式に出席する予定でね。せっかくだから一緒に王都に入ろう。あそこは今、長居するには向かない場所だ」
恩人たちを危険に晒すのは良くないという判断だったが、次期公爵という立場が彼らに断る選択を奪ったことには気付かなかった。
「フェリとそっくりなのにぜんぜん違った。怖かった……」
「お兄さん、フェリのこと嫌ってない感じだったな。良かったなぁフェリ……いつか再会できるといいのに」
「甘い。フェアリー兄が権力者だろうと聖女に近付いて取り込まれたらおしまいだ。俺たちのミッションはフェアリー兄を無事に家に帰すこと。妊娠中の奥さんもだ」
「ジョーがまともなこと言ってる」
「それだけ深刻な事態なんだろう。しかしおれたちはなんのためにこの世界に来たんだろうな。魔王を倒すとかでもなさそうだし、普通なら回復チートの聖女は狂ってるみたいだし」
「おれたちは死んでいる。この世界の人生はボーナスタイムみたいなもんだ。聖女がそれを理解しているかどうかは知らん」
「あの子にも信頼できる相手がいたら良かったんかな」
「王太子はどうなんだろう。愛があるんじゃないのか?」
「婚約破棄騒ぎが起きたそうだから、少なくとも掠奪だろうな」
三人同時に長いため息をつく。
そして、三人が合流した翌日には、小さな町に別の貴族がやってきた。
「カナン王子だ」
途中に寄った神殿で念のためにと、強奪するように貰ってきた聖水を馬にまで与えた。
護衛の騎士団長が、戸惑ったように支給された聖水の瓶を目線の高さに掲げて揺らす。
サリージャも、説明を求める顔をしている。
「イヴィク様、これはどのように使えば良いでしょうか」
「自分が自分でないような気分になったら一口、聖水が足りなくなりそうになったら郊外へ逃げろ。王都の神殿は駄目だ。とくに大神殿には近づくな」
「かしこまりました」
「五日前に入ると伝えてあったが、結婚式当日に王都入りをする。私の機嫌が悪いとでも言っておけ」
貴族は王都に家を持っているものだが、グロリア公爵家の邸宅は主不在のまま維持されている。
「イヴィク様、どうなさったのですか」
妊娠中のサリージャの様子に変わりないことを確認し、イヴィクはため息を吐いた。神聖力がなければ異変にも気付かないだろうことがもどかしい。王都の神官の質も落ちていることがわかる。
たった五年で。いや、徐々にああなったのなら、中にいる者は気付かないかもしれない。
「嫌な空気だ。毒ではないが、長くいたら必ず影響を受けるだろう。神聖力で多少は抵抗できるようだが、近づかないほうがいい。式を終えたら、グロリア領に戻り街道を閉じる」
あの空気に神聖力を使うのは、酒を飲んで酩酊しても水を飲めば酒の成分が薄まってマシになるようなものだ。
イヴィクに見えているものは、ほかの誰にも見えない。しかし、騎士団長やサリージャは彼が神聖力を持っていることを知っているから、緊張した面持ちで王都の方向を見ていた。
そんな彼らの緊迫した雰囲気を知らない明るい声が響いた。
「おお、貴族の隊列だ。騎士団もいる」
「どれどれ、うわすご。強そう」
「ふっ、我ら流星チート傭兵団よりも強いものなど存在しない」
「また名前が違う。もっといい名前考えろよ、ジョー」
「ふっ、おれさまの語彙は大して多くないんだ」
「開き直るなよ」
のんびりしたやりとりののち、皆で声を上げて笑っている。なんとも緊張感のない三人だった。
さすがのイヴィクも騎士団長に尋ねる。
「なんだあれは」
「ああ、流れの傭兵ですね。黒髪の三人……傭兵といっても、平和な依頼をなんでもやるような者たちです。黒髪黒目が多いから依頼こそ目立つものがないが、優秀だと聞いたことがあります」
騎士団長は辺境を回る傭兵団の噂を知っていた。
「ほう。少し話をしてみようか。いまフリーなら王都の探りをやらせてみてもいい」
すぐに騎士が三人のもとに行くと、話しかけられた中くらいの身長の者がぴょんと飛び上がって驚いた。見ていてなんとも和む動きである。
「あ、どうも。お邪魔します……」
「失礼いたします」
「我ら……えっ!」
「ジョー、静かに……ええ!?」
「なんだよ二人とも……フェっと」
連れてこられて顔をあげた三人の反応が明らかに尋常ではない。
イヴィクの顔を見て驚いたことに気付いて、彼は騎士団長以外の者を部屋から追い出した。
簡素な椅子で腕組みをしたイヴィクが、にやりと笑った。
「初めて会うはずだが、どうもこの顔に見覚えがあるようだ」
「い、いえ。知りません!」
「おれたちはなにも!」
「フェアリー……」
必死で誤魔化そうとするマサルとコージの努力を無駄にするジョー。
「フェアリー、妖精か。どこかで会ったのか?」
「五年前、森で出会った。それっきりだ」
「ほう。何か言葉を交わしたのか」
「……聖女が狂った、近づくなと言っていた。神のお告げだと」
「お、おい、ジョー」
彼らが五年前に逃げ出したアイシャールを助けた人間の可能性が高くなり、さらに危険を避ける能力も持っていることがわかる。イヴィクはもう、アイシャールが生きていることを確信した。
「神託……そういう能力もあったか。ならば生きているのか。そうか」
「あのーあれっきりだから、ぜんぜんわからないんですが」
「うんうん、あれっきりだよな!」
あまりにもあからさまな嘘に笑みが漏れた。容姿が似ていることは事実だが、性別も年齢も違うのに似ていると言える理由を。
「良い報せだ。感謝する。聖女について他に知っていることは?」
「やばいってことしか知りません。おれたちは、一応一回ぐらい見ておこうかなと、王都に向かっていました」
「お前たち、なにか護符のようなものを持っているな。私に似た……男に貰ったのか」
「え、なんのことですかね。あっ、通りすがりの行商人とちょっと同行したときに貰ったこれですかね!?」
懐かしい作りの護符だった。幼い手で作られたものの完成版。カナン王子に会ったら渡そうと持ってきていたアイシャールが幼い頃に手紙に添えてきたお守りを出して見せる。
「これは、私の弟が幼い頃に作ったものだ。よく似ている」
「あ、あははははー!」
護符には動揺するのに、男や弟の言葉にはなんの反応も見せない。間違いなく、彼らは男性としてのアイシャールに出会っている。
神託を告げたり、護符を渡すほど親しくしているということは、ずいぶん世話になったのだろう。彼らがアイシャールの恩人だということが確定した。
「私たちも王都に向かう最中だ。王太子の結婚式に出席する予定でね。せっかくだから一緒に王都に入ろう。あそこは今、長居するには向かない場所だ」
恩人たちを危険に晒すのは良くないという判断だったが、次期公爵という立場が彼らに断る選択を奪ったことには気付かなかった。
「フェリとそっくりなのにぜんぜん違った。怖かった……」
「お兄さん、フェリのこと嫌ってない感じだったな。良かったなぁフェリ……いつか再会できるといいのに」
「甘い。フェアリー兄が権力者だろうと聖女に近付いて取り込まれたらおしまいだ。俺たちのミッションはフェアリー兄を無事に家に帰すこと。妊娠中の奥さんもだ」
「ジョーがまともなこと言ってる」
「それだけ深刻な事態なんだろう。しかしおれたちはなんのためにこの世界に来たんだろうな。魔王を倒すとかでもなさそうだし、普通なら回復チートの聖女は狂ってるみたいだし」
「おれたちは死んでいる。この世界の人生はボーナスタイムみたいなもんだ。聖女がそれを理解しているかどうかは知らん」
「あの子にも信頼できる相手がいたら良かったんかな」
「王太子はどうなんだろう。愛があるんじゃないのか?」
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