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始まりの村

虐殺 2

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「や、奴らに・・・やられ、ました」

 彼方を指し示した指先は、いつか誰かが去っていった方を示している。
 そうして振り絞った声は、自らの命のために他の誰かのそれを売り渡していた。

「まぁ!まぁまぁまぁ!!そうでございましたか!!やはり、そうでございましたか!!えぇ、えぇ!私には分かっておりましたとも!!」

 クルスの言葉に嬉しげな歓声を上げては驚いて見せたルナは、すぐさま彼の身体を放している。
 地面へと墜落する彼の身体はそれでも、それへと衝突することはなく、優しく地面へと降り立っていた。
 その優しさに流した涙は、誰に向けたものか。
 蹲ったクルスは、地面を抉っては土を握る。

「あぁ、ところで救世主様。そのやられたというのは、誘拐されたという事でよろしいのでしょうか?」
「・・・は、い。その・・・通りです」

 忘れてはならない確認に、ルナはその身体を不自然なほどに折り曲げて、横からクルスの顔を覗き込み訪ねてくる。
 その狂気に濡れた瞳に、恐怖を。
 呑んだ息に、応えた返事は詰まった音を返していた。

「そうでございましたか・・・お労しゅうございます、救世主様。これも私共が至らぬばかりに・・・その責めについては後日またお伺いすると致しまして、今はそのような悪行を企てた悪漢共を駆逐いたしませんと」

 クルスの言葉に身体を折り曲げたまま頷いたルナは、心の底から悲しそうに彼の境遇に涙すると、彼をそんな状況へと追いやった者達への怒りへと燃える。
 その矛先は、クルスが先ほど指し示した先だろう。
 ざわざわと、得体の知れない者達が騒ぎ始めている。

「さぁ、坊やたち。食事の時―――」
「―――これは、協定違反ではないですかな。ルナ・ダークネス殿?」

 掲げた腕に、号令を下そうとしていたルナは、その最後を遮られてしまう。
 それを遮ったのは、どこかで見たことのある老人であった。

「あらあら、これはこれは・・・まだ生きておられたのですね、私驚きましたわ。あら、これは失礼。ふふふっ、しかし協定違反ですか?一体、何の話でしょう?」
「いわずもがな、かの千年樹の前にて交わしたあの盟約の事よ。同じ森に暮らすものどうし、互いに手を出すことを禁じると約定した筈であったが・・・わしの記憶違いであったか?」
「あら?私の記憶が正しければ・・・あなた方の村から毎年何人かが、私共の神殿にちょっかいを掛けてきていると思ったのだけど?」
「それはあくまで、個人の話よ。わしは村同士、宗教同士の話をしとるのよ」
「・・・変ね、私も一人で来ているのだけど?これを個人と呼ぶのではなくて?」
「お主が一人じゃと?『狂い巫女』のルナ・ダークネスがか?本気で言っておるのか?」
「あら、勿論冗談よ?ふふふっ」

 突然現れた老人とルナの間に漂う、険悪な空気の訳をクルスは知らない。
 しかしそれが、一色触発な危険を孕んでいることは確かに伝わっていた。

「別に、私も盟約を破る気なんてないのよ?ここに来る前に、ちゃんと千年樹様に事情は説明してきたわ。『私共の救世主様と仰ぐお方が攫われてしまったので、それを奪還するご許可を』とね」
「馬鹿な!?その小僧が救世主だと!!?そんな筈が―――」
「―――あるのよ。だって、私がそう決めたのだもの」

 自らの言葉に驚く老人に対して、静かに告げたルナの声は確信に満ちている。
 彼女の口元に浮かんだ、深い深い笑みがその確信の確かさを示していた。

「だ、だとしても!我らを襲っていい訳などあるか!!カルトといっても法律から自由になれる訳ではないわ!!貴様の行いは、この国の法律によって裁かれ―――」
「そんなの問題ないわよ?だって、あなた達はここで滅びるんですもの」

 老人が持ち出してきた問題は、彼にとって切り札であったのか、それをあっさりと否定された老人は明らかに動揺した様子を見せている。
 しかしそれでもと食い下がる老人に、ルナは静かに告げていた。
 彼らは、ここで滅びるのだと。

「問題ないだと!?そんな訳が・・・何じゃと?お主、今何と言った・・・?」
「だ・か・ら、貴方達は!今日!ここで滅びるの!だって、そうでしょう?貴方達は私の・・・私の!!大事な、大事な救世主様を攫ったのですもの!」

 森に潜むカルトといえど、法から完全に逃れられる訳でもない。
 それを引き合いに出し、この苦境から抜け出そうとした老人は、それを簡単げに一蹴したルナの態度に驚愕する。
 しかしそれ以上に、彼には聞き逃してはならないことがあった。

「ば、馬鹿な・・・貴様は、貴様は・・・狂っているのか!?」
「あら?それは私にとっては誉め言葉よ?だって貴方達が名付けてくれたのでしょう?私を『狂い巫女』と」

 彼らへと滅びを告げる、ルナの仕草は本当に嬉しそうだ。
 思春期の少女が、意中の相手から好意を告げられた時のように、押さえられない感情に軽く飛び跳ねて見せている彼女は、目の前のもはや滅びるだけの相手にも笑顔を絶やさない。
 その姿は、まさに狂っていた。

「救世主様、少々お待ちくださいませ。これから貴方様を攫った罪人共を処理して参りますので。さぁ、坊やたち・・・虐殺の時間よ」

 クルスの前へと跪いたルナは、彼へと深々と頭を下げると暇を請うている。
 そうして再び立ち上がった彼女は、返り血によってべったりと張り付いた修道女のような衣服の裾を持ち上げると、自らの子供達に告げる。
 滅ぼせ、と。

「ひぃぃぃ!?殺せ、あいつを殺せぇぇぇ!!?」

 もはやルナが止まることはないと知った老人は、悲鳴を漏らすと必死に逃げだしながら周りの男達を彼女へと嗾ける。
 カサカサと、地面を蠢く音が響く。

「は、はぴぎゃ!!?」
「えっ!?うぁぎぃ!?」 

 老人の命令に飛び出そうとした男は、それを全うする前に地面へと圧縮される。
 そんな相方の姿に驚いた男は、悲鳴を上げる前に吹き飛ばされ、もはや人間の形を取れなくなってしまっていた。

「偉いわよ、坊やたち。先に逃げ道を塞いでしまいなさい。この程度の者など、この子だけで十分だわ」

 ルナが見上げた先には、どんな姿が浮かんでいるのか。
 彼女はそこを優しく撫でる仕草をすると、そのまま中空へと浮き上がる。
 その後には、悲鳴と、何かが潰される音が響き続ける。
 クルスはそっと、耳を塞いだ。
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