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逃亡
全てを捨てて
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「ぷはぁ!ふぅ・・・やっと出られた。へぇ・・・こんな所に出るのか」
小柄なアナがようやく出られるぐらいの穴は、クルスには狭い。
そこからようやく頭を抜き出し、何とか身体を持ち上げたクルスは、その場所を見渡ししみじみと息を吐く。
そこには数か月ぶりに目にする、どこまでも続くような森の姿が広がっていた。
「うー!うー!!」
「えっ、何!?アナ、一体何を・・・!?」
その光景を胸に刻み付けているクルスに、アナはその袖を力強く引っ張っている。
その強い力に、クルスは為す術なく引きずられてしまっていた。
「う!!」
「ちょっとアナ!今はそれどころじゃ・・・あぁ、なるほど」
訳も分からず引きずられていくクルスに、アナが示したのは森のある場所であった。
そこには小ぶりな真っ赤な実が、そこら中に生い茂っている。
アナはそれを指し示すと、褒めて欲しそうにその瞳をキラキラと輝かせていた。
「ええとね、アナ。別に僕は、これが欲しかったわけじゃないんだ」
「う?」
「うーん、どうやって説明すればいいのか・・・いや、今はそれより早くここを離れないと。アナ、行くよ」
そんな瞳を向けられれば、差し出された頭を撫でない訳にもいかない。
クルスが優しくその頭を撫でると、そこに生えている彼女の真っ白な耳が、潰されてはすぐにピンと元通りになる。
その様子をいつまでも見ていたい心持にクルスはなっていたが、今は一刻も早くこの場を離れる必要があるだろう。
ここから逃げようとクルスはアナに手を伸ばす、しかし彼女はそれを無視すると明後日の方向を見詰めていた。
「アナ?」
「・・・ぐるるるぅぅぅ」
クルスがそれに不思議に思って声を掛けると、彼女はそれを無視し牙を剥く。
そうして彼女は、ある一点を見詰めては唸り声を上げていた。
「クルス・ジュウジー様ですね?」
そしてその視線の向こうの木の影から、男が一人進み出ると声を掛けてくる。
その男は、いつか見た集団と同じような、しかしそれよりもずっと控えめで目立たない衣装を身に纏っていた。
「がぅ!!」
「駄目だ、アナ!!」
気づけば、その男の周りからは何人も同じ衣装を身に纏った人影が現れている。
アナは彼らに気づき、警戒の唸り声を上げていたのだろう。
そしてその警戒は、彼らが実際に姿を現したことで実力行使に変わる。
先頭の男へと飛び掛かっていくアナを、クルスは何とか寸での所で抑え込んでいた。
「えっと、そうです。僕がクルスです・・・その、あなた方は?」
クルスが何とか抑え込んでも、アナはその剥き出しにした牙を抑えようとはしていない。
しかしそれを許す訳にはいかないのだ、彼らは約束の者なのかもしれないのだから。
「ネムレス教のものでございます。メルヴィル様のご命令で、貴方様を保護しに参りました」
クルスの質問に、男は跪くと恭しい仕草で彼に頭を下げている。
それはクルスの事を貴賓として認める仕草であり、その口にした事が事実であることを現していた。
「良かった・・・でも、メルヴィル?あの、貴方達はパトリシアに言われて―――」
予想通り、彼らが自らを迎えに来た者達なのだと知ったクルスは、安堵に表情を緩めている。
しかし彼らは一つ、気になることを口にしていた。
クルスは彼らを、パトリシアの使いだと考えていたが、どうやら違うようだ。
それは組織の在り方の問題で、大したことではないのかもしれない。
しかし彼らからは、パトリシアから感じられた暖かみを感じ取ることは出来なかった。
「―――ですが、その獣については聞いておりませんな」
「え?」
そしてそれは、その冷たい言葉によって証明されてしまう。
再び立ち上がれば、クルスが見上げるような高さとなった男は、その高さから見下すようにアナへと視線を向ける。
それはとてもではないが、同じ人間に向けるものではない。
彼はアナへと、その手を―――。
「何だ、お前達は!?こんな所で・・・クルス様!?」
森に声が響き、それはクルスへと向かう。
クルスが抜けだしたばかりの神殿の姿を森の切れ目から見ることの出来るこの場所は、まだそこから遠く離れたとはいえず、爆発騒ぎがあったそこからは多くの信徒が外へと逃れてきている。
そうした状況では、彼らが見つかってしまうのも時間の問題であっただろう。
事実、その声に反応し多くの信徒がこの場へと集まってくる足音がしていた。
「っ!?見つかったか!仕方ない、予定より早いが・・・撤収するぞ」
「し、しかし!?それでは聖女様が・・・」
「捨ておけ。あれには構うなという仰せだ」
彼らの事を見つけ声を上げた信徒は、まだ遠い。
そのため、今ならばまだ問題なく逃げることは出来るだろう。
しかしそれも、後僅かの間だけの話だ。
その状況に、クルスを迎えに来た集団の隊長と思しき目の前の男は、すぐに撤収の判断を下す。
「さぁ、クルス様。一緒に参りましょう」
「えっ?で、でも・・・それじゃ、パトリシアが」
「あぁ、いえいえ。御心配なされずとも、何もあの方を見捨てようという話ではございません。彼らの狙いは貴方様でございます。であれば、貴方様がお逃げになれば、あの方も逃げやすくなるというものでしょう?さぁ、お早く!!」
彼はクルスへと、手を伸ばし逃亡を誘う。
しかし彼が口にした内容に、クルスは引っかかってしまっていた。
彼は、パトリシアを犠牲にしても構わないと言ってはいなかったか。
「ぐるる、がぅ!!」
「くっ!?この私に手向かうのか、この獣め!!」
「アナ!?」
手を伸ばし、無理やりクルスの手を引こうとする男に、彼のすぐ近くで唸り声を上げていたアナが、ついに飛び掛かっていってしまう。
彼女は男の腕へと食いついて、そのまま彼を押し倒す。
その凄まじい勢いの為か、彼女の髪を飾っていた真っ赤な布切れが解け、空中へと漂うそれをクルスは思わず掴み取っていた。
「クルス様!皆、来てくれ!!クルス様が!!」
「くっ・・・先に行け!!私の事は構うな!」
そしてそれと時を同じくして、クルス達の周りへと信徒達が駆けつけてきていた。
それを目にした隊長の男は、アナに噛みつかれながらも部下へと指示を出す。
自らを置いて、逃げろと。
「っ!!くっ・・・クルス様、行きましょう!!」
「だ、駄目ですよ・・・アナが、アナがまだあそこに・・・」
犠牲になることを覚悟した隊長の言葉に部下達は一瞬目を伏せると、クルスの手を握り締める。
そして彼らは、それを引いてその場を後にしようとしていた。
しかしクルスには、それを受け入れることは出来ない。
何故ならそこに、アナがまだいるのだから。
「ふざけるな!あんた、隊長の犠牲を無駄にする気か!!あんたのために、聖女様まで危険な目に遭ってるんだぞ!!俺達は・・・俺達はなぁ!せめてあんただけでも連れ帰らないとならないんだ!!!」
引きずる手に、抵抗するようにその場に立ち尽くし、クルスはアナへと手を伸ばしている。
そんなクルスに男は彼の顔面を殴りつけると、涙の滲んだ瞳で語りかけてきていた。
それは必死で、切実な魂の叫びであった。
「だけど、だけど・・・アナがまだあそこに・・・」
そんな彼らの必死の言葉も、彼の心を動かすほどのものではない。
クルスは殴られた頬を押さえながら、後ろを振り返る。
そこには彼らの隊長へと襲い掛かっている、アナの姿があった。
「・・・救世主様?救世主様はどこなの!?」
しかしそれも、その声が聞こえてくるまでだ。
その声は遠く、まだその姿は木々の間からも覗くことはない。
しかしクルスはその身体を震わせると、顔を背け地面へと俯いてしまっていた。
その背けた視線にはもはや、アナの姿は映っていない。
「あ、あぁ・・・分かった、よ。パトリシアの・・・ため、だもんな」
そうして彼は、口にする。
彼らの願いを叶える言葉を、そして他の誰かを見捨てる言葉を。
クルスは虚ろな表情で頬を押さえながら、彼らの言葉に頷いて見せていた。
その唇の端から、血が溢れて垂れる。
苦くて、辛い。
「分かってくれましたか!さぁ、急ぎましょう!!」
後は、簡単だ。
抵抗することを止めたクルスの身体を、彼らは担ぐようにして運んでいく。
その速度は速く、命がけの彼らの足が緩むことはない。
そんな彼らの肩に揺られながら、クルスは後ろ振り返っていた。
その先では、彼らの隊長と彼に噛みついているアナに向かって、信徒達が一斉に襲い掛かっている所であった。
小柄なアナがようやく出られるぐらいの穴は、クルスには狭い。
そこからようやく頭を抜き出し、何とか身体を持ち上げたクルスは、その場所を見渡ししみじみと息を吐く。
そこには数か月ぶりに目にする、どこまでも続くような森の姿が広がっていた。
「うー!うー!!」
「えっ、何!?アナ、一体何を・・・!?」
その光景を胸に刻み付けているクルスに、アナはその袖を力強く引っ張っている。
その強い力に、クルスは為す術なく引きずられてしまっていた。
「う!!」
「ちょっとアナ!今はそれどころじゃ・・・あぁ、なるほど」
訳も分からず引きずられていくクルスに、アナが示したのは森のある場所であった。
そこには小ぶりな真っ赤な実が、そこら中に生い茂っている。
アナはそれを指し示すと、褒めて欲しそうにその瞳をキラキラと輝かせていた。
「ええとね、アナ。別に僕は、これが欲しかったわけじゃないんだ」
「う?」
「うーん、どうやって説明すればいいのか・・・いや、今はそれより早くここを離れないと。アナ、行くよ」
そんな瞳を向けられれば、差し出された頭を撫でない訳にもいかない。
クルスが優しくその頭を撫でると、そこに生えている彼女の真っ白な耳が、潰されてはすぐにピンと元通りになる。
その様子をいつまでも見ていたい心持にクルスはなっていたが、今は一刻も早くこの場を離れる必要があるだろう。
ここから逃げようとクルスはアナに手を伸ばす、しかし彼女はそれを無視すると明後日の方向を見詰めていた。
「アナ?」
「・・・ぐるるるぅぅぅ」
クルスがそれに不思議に思って声を掛けると、彼女はそれを無視し牙を剥く。
そうして彼女は、ある一点を見詰めては唸り声を上げていた。
「クルス・ジュウジー様ですね?」
そしてその視線の向こうの木の影から、男が一人進み出ると声を掛けてくる。
その男は、いつか見た集団と同じような、しかしそれよりもずっと控えめで目立たない衣装を身に纏っていた。
「がぅ!!」
「駄目だ、アナ!!」
気づけば、その男の周りからは何人も同じ衣装を身に纏った人影が現れている。
アナは彼らに気づき、警戒の唸り声を上げていたのだろう。
そしてその警戒は、彼らが実際に姿を現したことで実力行使に変わる。
先頭の男へと飛び掛かっていくアナを、クルスは何とか寸での所で抑え込んでいた。
「えっと、そうです。僕がクルスです・・・その、あなた方は?」
クルスが何とか抑え込んでも、アナはその剥き出しにした牙を抑えようとはしていない。
しかしそれを許す訳にはいかないのだ、彼らは約束の者なのかもしれないのだから。
「ネムレス教のものでございます。メルヴィル様のご命令で、貴方様を保護しに参りました」
クルスの質問に、男は跪くと恭しい仕草で彼に頭を下げている。
それはクルスの事を貴賓として認める仕草であり、その口にした事が事実であることを現していた。
「良かった・・・でも、メルヴィル?あの、貴方達はパトリシアに言われて―――」
予想通り、彼らが自らを迎えに来た者達なのだと知ったクルスは、安堵に表情を緩めている。
しかし彼らは一つ、気になることを口にしていた。
クルスは彼らを、パトリシアの使いだと考えていたが、どうやら違うようだ。
それは組織の在り方の問題で、大したことではないのかもしれない。
しかし彼らからは、パトリシアから感じられた暖かみを感じ取ることは出来なかった。
「―――ですが、その獣については聞いておりませんな」
「え?」
そしてそれは、その冷たい言葉によって証明されてしまう。
再び立ち上がれば、クルスが見上げるような高さとなった男は、その高さから見下すようにアナへと視線を向ける。
それはとてもではないが、同じ人間に向けるものではない。
彼はアナへと、その手を―――。
「何だ、お前達は!?こんな所で・・・クルス様!?」
森に声が響き、それはクルスへと向かう。
クルスが抜けだしたばかりの神殿の姿を森の切れ目から見ることの出来るこの場所は、まだそこから遠く離れたとはいえず、爆発騒ぎがあったそこからは多くの信徒が外へと逃れてきている。
そうした状況では、彼らが見つかってしまうのも時間の問題であっただろう。
事実、その声に反応し多くの信徒がこの場へと集まってくる足音がしていた。
「っ!?見つかったか!仕方ない、予定より早いが・・・撤収するぞ」
「し、しかし!?それでは聖女様が・・・」
「捨ておけ。あれには構うなという仰せだ」
彼らの事を見つけ声を上げた信徒は、まだ遠い。
そのため、今ならばまだ問題なく逃げることは出来るだろう。
しかしそれも、後僅かの間だけの話だ。
その状況に、クルスを迎えに来た集団の隊長と思しき目の前の男は、すぐに撤収の判断を下す。
「さぁ、クルス様。一緒に参りましょう」
「えっ?で、でも・・・それじゃ、パトリシアが」
「あぁ、いえいえ。御心配なされずとも、何もあの方を見捨てようという話ではございません。彼らの狙いは貴方様でございます。であれば、貴方様がお逃げになれば、あの方も逃げやすくなるというものでしょう?さぁ、お早く!!」
彼はクルスへと、手を伸ばし逃亡を誘う。
しかし彼が口にした内容に、クルスは引っかかってしまっていた。
彼は、パトリシアを犠牲にしても構わないと言ってはいなかったか。
「ぐるる、がぅ!!」
「くっ!?この私に手向かうのか、この獣め!!」
「アナ!?」
手を伸ばし、無理やりクルスの手を引こうとする男に、彼のすぐ近くで唸り声を上げていたアナが、ついに飛び掛かっていってしまう。
彼女は男の腕へと食いついて、そのまま彼を押し倒す。
その凄まじい勢いの為か、彼女の髪を飾っていた真っ赤な布切れが解け、空中へと漂うそれをクルスは思わず掴み取っていた。
「クルス様!皆、来てくれ!!クルス様が!!」
「くっ・・・先に行け!!私の事は構うな!」
そしてそれと時を同じくして、クルス達の周りへと信徒達が駆けつけてきていた。
それを目にした隊長の男は、アナに噛みつかれながらも部下へと指示を出す。
自らを置いて、逃げろと。
「っ!!くっ・・・クルス様、行きましょう!!」
「だ、駄目ですよ・・・アナが、アナがまだあそこに・・・」
犠牲になることを覚悟した隊長の言葉に部下達は一瞬目を伏せると、クルスの手を握り締める。
そして彼らは、それを引いてその場を後にしようとしていた。
しかしクルスには、それを受け入れることは出来ない。
何故ならそこに、アナがまだいるのだから。
「ふざけるな!あんた、隊長の犠牲を無駄にする気か!!あんたのために、聖女様まで危険な目に遭ってるんだぞ!!俺達は・・・俺達はなぁ!せめてあんただけでも連れ帰らないとならないんだ!!!」
引きずる手に、抵抗するようにその場に立ち尽くし、クルスはアナへと手を伸ばしている。
そんなクルスに男は彼の顔面を殴りつけると、涙の滲んだ瞳で語りかけてきていた。
それは必死で、切実な魂の叫びであった。
「だけど、だけど・・・アナがまだあそこに・・・」
そんな彼らの必死の言葉も、彼の心を動かすほどのものではない。
クルスは殴られた頬を押さえながら、後ろを振り返る。
そこには彼らの隊長へと襲い掛かっている、アナの姿があった。
「・・・救世主様?救世主様はどこなの!?」
しかしそれも、その声が聞こえてくるまでだ。
その声は遠く、まだその姿は木々の間からも覗くことはない。
しかしクルスはその身体を震わせると、顔を背け地面へと俯いてしまっていた。
その背けた視線にはもはや、アナの姿は映っていない。
「あ、あぁ・・・分かった、よ。パトリシアの・・・ため、だもんな」
そうして彼は、口にする。
彼らの願いを叶える言葉を、そして他の誰かを見捨てる言葉を。
クルスは虚ろな表情で頬を押さえながら、彼らの言葉に頷いて見せていた。
その唇の端から、血が溢れて垂れる。
苦くて、辛い。
「分かってくれましたか!さぁ、急ぎましょう!!」
後は、簡単だ。
抵抗することを止めたクルスの身体を、彼らは担ぐようにして運んでいく。
その速度は速く、命がけの彼らの足が緩むことはない。
そんな彼らの肩に揺られながら、クルスは後ろ振り返っていた。
その先では、彼らの隊長と彼に噛みついているアナに向かって、信徒達が一斉に襲い掛かっている所であった。
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