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アランとアレクシア

怪我の功名

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「はぁ、はぁ、はぁ・・・ひ、酷い目にあったわ」

 滴る汗もガラスに溜まり、吐く息は白く曇って濁っていく。
 疲れ果てたアレクシアは両手を膝に添えると、荒くなった呼吸を整えようとしている。

「どうやら振り切ったようだな。いやぁ、疲れた疲れた!結構しんどかったな!!はっはっは!」

 彼らが辿り着いたのは、通路の終着点となっている行き止まりの部屋だ。
 その奥には、かつてこの遺跡を作った者達にとっての神か何かを象った彫像が飾られている。
 そちらへとチラリと目をやったアランは通路へと振り返ると、そこに追っ手の姿がないことに安堵し、額に伝う汗を拭いながら余裕の表情を見せていた。

「なーにが結構しんどかったよ!!ギリギリだったじゃない!!大体こんだけ苦労したのに、全然物資を集められなかったし・・・本当、もうっ!!馬鹿なんじゃないの!!?」

 そんなアランの態度は、アレクシアの苛立ちを加速させる。
 彼がアレクシアに比べて疲労困憊といった様子を見せていないのは、背負った荷物の違いだろう。
 そんな重たい荷物を抱えさせられながら、必死に逃げることを強制させられたアレクシアは、その怒りを彼へとぶつけている。
 しかしそうまでしても、彼の余裕の表情は崩れることはなかった。

「まっ、確かにアレクシアの言う通りかもな・・・でも、それはこいつを見てからでも遅くはねぇだろ?」
「だったら!!えっ、何を・・・っ!?こ、これは・・・!?」

 アランが余裕の態度を崩さなかった理由は、彼が指し示す方に存在するものにある。
 彼の指示によってそちらへと顔を向けたアレクシアは、それを目にすると言葉を失ってしまっていた。

「遺跡の奥深くに眠っていた、謎めいた遺物・・・なっ、いかにも期待させるだろ?」
「うっ!?た、確かに・・・それにこれ、もしかして浄水設備なんじゃないの?」

 アランが指し示した先にあったものは、小柄な人ならばすっぽりと収まれるような箱状の物体であった。
 それがこんな遺跡の奥深くに眠っていれば、何かとんでもない遺物かもしれないと期待してしまう。
 何より、それからは彼らが心の底から欲していた機能を有しているかもしれないのだ。

「おっ、マジか!?おおっ、確かに何か水が出てきてんな。よし、試しに飲んでみろよアレクシア!」
「出来る訳ないでしょ!?汚染されてる水なんて飲んだら、大変なんだから!!」

 よく見てみれば、その遺物の先端からはチロチロと水が漏れ出てきている。
 それはその遺物へと接続された管から流れてきている水を、中で何らかの処理をして出てきているものだろう。
 それが正しく浄水機能を備えているのかは、実際に口にしてみれば分かる。
 そう話すアランに、アレクシアはそんなリスクは冒せないと返していた。

「でもそうか、あれをもう一回飲めば・・・ううっ、なしなし!!何考えてんのよ、私!!」
「・・・?」

 確かに、こんな危険が一杯の遺跡の奥で再び行動不能になってしまうリスクは冒せない。
 しかしアレクシアは、それをどうにか出来るかもしれない方法を知っている筈だ。
 それが頭によぎった彼女はしかし、もう二度とあんなことはしたくはないとそのアイデアを必死に振り払っていた。

「と、とにかくこれを持ち帰れないか試しましょ!!取り外せるなら、私の能力で何とか・・・」
「おぅ、そうだな!えーっと、これいけるか?どっかに取り外せそうなところは・・・おっ!ここなんかいいんじゃないか?」

 アランへと向けるアレクシアの意味深な視線の意味を、彼は理解しない。
 彼女はその気まずさを誤魔化すように大声を上げると、早速とばかりにその遺物を持ち帰ろうと急ぐ。
 それはかなり大きく重さも相当なものでありそうだったが、彼女であればそれを持ち帰ることも可能であろう。
 その言葉にアランも賛成し、彼は早速それを台座から取り外せそうな部分を見つけていた。

「えっ、どの辺りにあったの?この辺?あっ、本当だ!よーし、これなら・・・」

 アランの声に顔を上げ、どの辺にあったかの指示をもらったアレクシアは、自らもそれを見つけて台座から遺物を取り外すことに成功する。
 そうして彼女は自らの背中を遺物へと向け、能力を発動しようとしていた。

「・・・ん?どうしたんだ?これも鞄の中に入れるんじゃなかったのか?出来るんだろ、お前のえー・・・」
「『小人の玉手箱』よ!!あれ、おかしいな・・・?無生物なら問題なく入れられる筈なのに・・・もうっ、何でよ!この、このっ!!」

 その気配にもう自分の仕事は終わったと高みの見物を決め込んでいたアランはしかし、いつまで待っても起こらない収納に、不思議そうに首を捻っていた。
 それはアレクシアにとっても同じようで、彼女も頻りに首を捻りながら何度も鞄をその遺物へと叩きつけている。
 しかし何度やろうとも、その遺物がそこに収まることはなかった。

「はー!使えねぇ能力だな!!しゃねぇ、そうなったもうこうするしかねぇわな!」
「はぁ?こうするってどうすんのよ?後、使えない能力じゃありませんから!!ものすっごい、有用な能力だから!」

 タンタンと鞄が遺物を叩く単調な音だけが響き続けば、呆れたように息を漏らしたくもなる。
 アランの馬鹿にしたような言葉にアレクシアは反発するが、首を伸ばしてみた反対側には既に彼の姿はなかった。

「おっ、意外と軽いな。これならいけそうだな!よしアレクシア、そっちを持ってくれ!」
「はぁ!?あんたこれを担いで持って帰る気なの!?正気!!?」

 遺物の上へと顔を出しても姿の見えなかったアランは、どうやらその下に潜り込んでそれを担ごうとしているようだった。
 実際、彼の声と共に遺物はぐらりと傾き、心なしか宙に浮き上がろうとしているように思える。
 それはアランがどうやら本気で、それを担いで持って帰ろうとしていることを示していた。

「いや、お前の能力が使えねーからこうなってんだろ?ほら、さっさとそっち持てよ」
「うー・・・確かにそうだけどぉ!本気でやるのぉ!?だってまだゴブリンだっているし、村まで結構距離もあるんだよ?」
「いいからさっさと持てっての!傾いて痛ぇんだよ!!」

 アランの無茶苦茶な提案も、自らの能力が役に立たないことを理由にされると、強くは反対出来ない。
 そのためなのかアレクシアの反論はどこか弱々しく、アランに押し切られてしまう。

「うぅ、分かったわよ!やればいいでしょ、やれば!!はぁ、何で私がこんな事を・・・あっ、本当だ意外と軽い」

 今も、ここからでは見えない反対側で遺物を担いでいるアランの肩が痛いというのは、本当の事だろう。
 それを訴えてくる彼の言葉に強く言い返せないアレクシアは、渋々といった様子で何とか遺物の下へと腕を滑り込ませる。
 そうして担ぎ上げたそれは、アランの言っていた通り思っていたほど重いものではなく、これならばなんとか持って帰れそうだと思えるものであった。

「だろ?そんじゃ、さっさと持って帰っぞ!」
「はいはい。あんま急がないでよ、こっちは他の荷物も抱えてんだから」

 二人で担ぎ上げた遺物は、お互いの肩で支えればそこそこ安定しそうだった。
 それを抱えてさっさと先に進もうとしているアランに、アレクシアはそんなに早くは進めないと自らの背中に背負ったものをアピールしている。

『・・・いけ』

 そんな二人の背中に、奇妙で重々しい声が響く。

「・・・ん?何か言ったか、アレクシア?まさか今更、やっぱり止めようなんて言うんじゃねぇだろうな?」
「そんなこと、今更言う訳ないでしょ?それよりもうちょっと低くしてよ。身長が違うんだから、こっちに傾いてんのよ」
「おぉ、悪い悪い」

 それを耳にしたアランは、それがアレクシアの不満の声だと解釈していた。
 それをきっぱりと否定したアレクシアはしかし、それとは別の不満を口にしてはアランに改善を求めている。
 それに対しては素直に謝罪を口にしたアランは、僅かに姿勢を低くしてはアレクシアのそれと高さを合わせていた。

『それを置いていけ!』

 再び響いたその声は、今度は気のせいで誤魔化すことが出来ないほどにはっきりと響いている。

「いや、やっぱ何か聞こえんだろこれ!!うおっ!?」

 もはや無視することも出来ないその声に振り返ったアランは、そこに恐怖の姿を見る。
 その先では彼らがこの部屋に入った時に目にした、忘れ去られた神の彫像がその目を爛々と輝かして動き出している所であった。

「ゴーレムか?宝物を守るガーディアンの類いか?」

 その姿はこの遺跡のような場所には相応しく、ゴーレムやガーディアンのような存在に思えた。
 しかしはっきりと言えることは、そこらの奴よりもずっと強力な存在であるという事だろう。
 それは、この背中に感じるプレッシャーからも明らかだ。
 アランの頬には、粘り気のない冷や汗が伝う。

「えっ!?何々、何なのよ!?ちょ、鞄で後ろが・・・ねぇ、どうなってんの!?」
「説明してる暇はねぇ!とにかく逃げるぞ!!」 

 はっきりと聞こえた何者かの声にも、遺物を抱えた上にその背中にも大きな鞄を背負っているアレクシアは、うまく後ろを振り返ることが出来ない。
 彼女はそれをアランから教えてもらいたがっていたが、彼はそれどころではないと駆け出し始めていた。

「えっ!?ちょ、ちょっと!!?あぁもう!!だから傾いてるって言ってるでしょ!!少しは低くしなさいよね!!」

 説明を放棄し駆け出し始めたアランに、アレクシアは訳が分からないと戸惑うばかり。
 しかしそれでも彼女にも、ここにこのままいる事が危険なのは分かる。
 だからなのかすぐに疑問を飲み込み走り出した彼女は、それでも肩に圧し掛かる重さへと不満だけは口にしていた。
 しかし明らかにそれどころではない様子のアランに、彼女の願いが叶えられる事はなさそうであった。
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