上 下
9 / 70
それは吹雪の中で始まる

復讐と、乱入者 1

しおりを挟む
「君は・・・?あぁ、さっきロビーにいた人かな?ええっと・・・部屋を間違えたのかい?悪いんだけどここは僕達の―――」

 見知らぬ男がいきなり自分達の部屋のドアを開け、中へと入ろうとしてきた。
 そんな異常な事態に、要は何とか通りそうな道理を考えてはそれを目の前の男、匂坂へと尋ねている。

「・・・九条、要さんですね?」

 しかし匂坂は、先ほどと同じ言葉を繰り返すばかり。
 その不気味な姿と、まともに会話しようとしない彼の態度に、嫌な気配を感じたのか要は一歩、その場から後ずさる。

「九条要は確かに私だが・・・以前に、どこかでお会いした事があったかな?」

 一歩、後ずさった要は、もはやドアに手を届かせることも出来ない。
 半端に開かれたままだったドアに身を潜らせた匂坂は、もはや完全に室内へと足を踏み入れている。
 そんな彼の存在に、ごくりと一度唾を飲み込んだ要は、今だにまともな訪問者として彼を扱おうとしているようだった。

「・・・匂坂、と言う名前に聞き覚えがありますか?」

 そんな彼の努力にも、匂坂は答えようともしない。
 要が確かに本人だと確認が取れた彼は、今度は自分を、匂坂という名前について聞き覚えがないかと訪ねていた。

「匂坂・・・?いや、初めて聞いたと思うけど・・・ひぃぃ!?」

 彼が尋ねる名前に聞き覚えがないと首を捻っていた要は、その手に握られた物を目にすると、思わず悲鳴を上げてしまう。
 匂坂の手には刃を剥き出しにした、バタフライナイフが握られていた。

「な、何のつもりなんだね君!!それ以上こっちに来るなら、警察を呼ぶよ!!」

 必死に匂坂との距離を取っている要は、その途中に幾つもの障害物へとぶつかっている。
 その果てに先ほどまで座っていたベッドへと辿りついた彼は、それを盾にするようにその後ろへと身を隠していた。
 ベッドに放り出していたままであったのだろうスマホを回収した彼は、それを匂坂に示しながら、それ以上近づけば通報すると高らかに宣言する。
 しかしそんな要の声を気にもしていないように、匂坂は一歩、また一歩と彼へと近づいていっていた。

「ぼ、僕は本気だからね!大体今の時点で、不法侵入で訴える事だって出来るんだぞ!!わ、分かったら、止まれ!止まれよぉ!!」

 スマホの画面を匂坂へと見せ付ける要は、それで出来る事を主張しては彼の足を止めようと必死に声を張り上げている。
 確かにその画面は110の数字を表示しており、後はそれを一押しするだけで通報出来るようになっているのだろう。
 しかし彼は、そのスマホの画面をもっとよく見ておくべきであった。

「・・・電波、ありませんよここ」
「えっ!?うわっ、本当だ・・・」

 そのスマホには小さく、電波がない事を告げるマークが表示されていた。
 それを目にするまでもなく、ここに電波がない事を知っていた匂坂は、それを静かに指摘する。
 彼の指摘を受けてスマホの画面を確認した要は、そこにはっきりと絶望が描かれていることを目にしていた。

「で、でも!僕が大声を上げれば、誰かが駆けつけて・・・」
「それより、僕がそちらに行く方が早い」

 この古いロッジに、防音設備が行き届いているとは思えない。
 今も吹き付ける猛吹雪がガタガタと激しく窓を揺すり、その音が果たしてこの部屋のものなのか、隣の部屋のものなのか分からない状況に、大助が少し大きな声を上げれば確かに周りに筒抜けだろう。
 そう、希望を口にする要に、匂坂はそんな事許しはしないと足を急がせる。
 その手のナイフはもはや、いつでも振り下ろせるように構えられていた。

「ひぃぃ!!来るな、来るなよぉ!!」

 今までのゆっくりとしたペースではなく、一気に距離を詰めようとする匂坂の動きに焦った要は、慌てて部屋の奥へと這い蹲っていく。
 彼はその途中で何度もこけては、身体の至る所を痛めてしまっているようで、その逃げるスピードは段々と遅くなっていってしまっていた。

「だ、誰かっ!助け―――」
「それは、させないと言った」

 もはや部屋の隅まで辿りつき、逃げ場もなくなった要を助けを呼ぼうと大きく口を開く。
 その口は、彼の望む役割を果たす前に、追いついてきた匂坂によって塞がれてしまっていた。
 彼のすぐ背後の窓だけが、強い風に叩かれてガタガタと、彼の代わりに叫び続けている。

「最後に、もう一度聞きます。僕を、匂坂という名前を知っていますか?」
「ふぃやひゃい、ふぃやひゃい!」

 塞いだ口を上へと向けて、要の首筋へとナイフを突きつけた匂坂は、最後に先ほど同じ質問を繰り返す。
 それに答える要も、先ほどと同じように否定の言葉を返していた。
 その態度が涙目を浮かべた必死なものに代わったとしても、そこに意味の違いはないだろう。
 匂坂は短く溜め息を吐くと、すっとナイフを要の首筋から遠ざけていた。

「貴方の態度は、ずっと知らないと示していた」

 そう、一人呟いた匂坂の言葉は、要にとってまさに祝福の知らせだろう。
 うんうんと必死に、許される範囲でそうだそうだと頷いている要の頬に伝った涙は、先ほどのものとは違う感情によるものだ。
 しかしそんな喜びすらも、すぐに裏切られる事になる。

「でも・・・僕に、大人の嘘を見抜く術なんてない。だから・・・・・・貴方には、死んでもらいます」

 世の中に揉まれた大人の嘘を、二十歳そこいらの子供に見抜ける訳がない。
 ましてやそれが、命が掛かっている場面となれば尚更。
 そう、自らを戒めるように呟いた匂坂は、要の首から離したナイフを掲げると、それを彼へと狙いを澄ます。
 今だに口元を押さえられたままの要は、それを目にしても僅かに震える事しか出来なかった。
しおりを挟む

処理中です...