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私は絶対にレベル上げなんてしない!

帰郷

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「・・・っ!?ぅん?ここは・・・?」

 ガタンと跳ねた衝撃に落ちた顎は、うとうととまどろんだ意識を覚醒させる。
 先ほど一度、大きく跳ねたのは道に転がる小石にでも乗り上げてしまったからか。
 今も街道を走っている馬車は、その掛けられたお金に比例するように振動を吸収し、コトコトと穏やかな振動を中に座っている者達に届けていた。

「・・・おはようございます、お嬢様」
「ケイシー?私・・・眠っちゃってた?ふぁぁ・・・」
「えぇ、ぐっすりと。昨夜はお疲れでございましたから、無理もございません」

 その穏やかな振動は、疲れた身体には抗うことの出来ない誘惑だろう。
 広くはない馬車の車内で、対角線に座っていたメイド姿の女性からの挨拶に、不思議そうに目をパチパチと瞬かせたお嬢様と呼ばれた黒髪の女性は、小さく欠伸を漏らしている。
 そんな主人の姿を目に入れないように、そっと視線を逸らしたメイド、ケイシーは彼女の事を労わるように優しく声をかけてきていた。

「・・・夢を、ご覧になっていられたようでした」
「夢?何・・・私、寝言でも喋ってた?」

 座ったままの姿勢で眠りこけてしまった身体を解すように、その背筋を伸ばしているお嬢様の姿に、ケイシーはどこか迷うに声をかける。
 それは彼女が漏らしてしまった、寝言についての事であった。

「はい。あまり明瞭には聞き取れませんでしたが・・・マリーと、呟いておられたのが聞こえました。お嬢様のご友人、アレクシア・コーツ様のことかと」
「あぁ・・・そう言えば、そんな夢を見ていたかも。懐かしいわね」

 寝言という、ある種の秘め事を聞かれたのにもかかわらず、そのお嬢様の口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
 それは、この主従の信頼関係を窺わさせる出来事だろう。
 ケイシーが口にした懐かしい友人の名前に、お嬢様は馬車に備え付けられた窓へと視線を向けると、どこか遠い目をして流れる景色を眺めていた。

「久々のご帰郷ですから、そうした事も影響あるのかと」
「ふふん、そうね!外国周りも楽しかったけど、やっぱり故郷が一番落ち着くわ!ねぇ、今どれくらい?」

 お嬢様が遠い目で窓の外へと視線をやったのは、それが久々の帰郷であったから。
 ただでさえ久々の帰郷に、昔の夢によって郷愁を誘われたお嬢様は、もはや待ちきれないという様子でワクワクと肩を揺すって見せていた。

「今は・・・そうですね、シーズワースを越えた辺りかと」
「なによ、もうすぐそこじゃない!いけないいけない!急がないと!!」

 主の質問にケイシーが窓の外へと目を向けたのは、その答えをまかり間違っても違える事のないようにか。
 彼女の口にした地名が、自分の故郷のすぐ近くであることを知ったお嬢様は急に慌てだすと、自らの隣に置いてあった大きな荷物をひっくり返し始めていた。

「お嬢様?確かにここは、ご実家からさほど距離がありませんが・・・まだまだ時間はございます、そうお焦りなられることは・・・」
「何を言ってる、ケイシー!私、セラフィーナ・エインズワースの久々の帰郷なのよ!!これを着飾らざらずして、どうするっていうのよ!!」

 旅路に向いた格好と、人前に出るための格好では、やはり大きな違いが出てくるものだろう。
 しかしそれに着替える準備をするにしても、今からではあまりに早すぎる。
 そう驚くケイシーに対して黒髪のお嬢様、セラフは自らの久々の帰郷なのだから、それぐらい気合を入れないとと拳を握り締めては叫んでみせていた。

「ケイシー、時間がないわ!貴女も手伝いなさい!」
「そういう事でしたら、喜んで」

 渡り歩いた国々で買い込んだ衣装や小物だろうか、それらが大量に詰まった荷物をひっくり返すセラフの手際は、お世辞にも器用なものではない。
 本人もそれは自覚しているのか、すぐにギブアップするようにそれから顔を上げると、ケイシーに対して救援を求めている。
 そんな主の言葉にケイシーは僅かに微笑を湛えると、早速とばかりに彼女が散らかした荷物を手に取り、それを素早く畳んでみせていた。

「・・・まずはお父様とお母様にお披露目ね。でも本番は、その後の舞踏会よ!近所の何たら伯爵だかが、今夜開催するって聞いたんだから!ふふ、ふふふ・・・ありとあらゆる流行の最先端を取り入れた、このセラフィーナ・エインズワースの帰還にとくと驚くといいわ!!」

 諸国を巡り、その地域の文化や流行を学び、取り入れていったセラフは、それを携えては華々しく社交界へと帰還することを狙っていた。
 しかし、彼女は知らない。
 彼女が諸国を渡り歩いていた数年間に、社交界のトレンドが一変してしまったことを。

「それでしたら、こちらがよろしいかと」
「それ?悪くはないけど・・・いくら身内に見せるだけっていっても、もう少しインパクトが欲しいわ」

 そんな状況にも、馬車は刻一刻と目的地へと近づいていく。
 その距離は、もう遠くない所まで来ていた。
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