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エピローグ

王の憂鬱

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 荘厳な建物の奥には、それに見合った豪勢な椅子が設えられている。
 それに深く腰掛ける者が頭に被っているものを見れば、それが玉座だということは分かるだろう。
 僅かにずれて斜めになってしまっている王冠を彼が直す素振りを見せないのは、そうする事で自らの疲れを周りにアピールするためか。
 ぐったりと玉座へともたれかかった男が見詰めるのは、窓から流れ込む僅かな風にゆっくりとはためく旗の姿であった。
 そこに刻まれているのは、王家の紋章。
 それと同じ意味を持つ青みがかった白髪、通称ハームズワースブルーの髪を持つ壮年の男、その名をランドルフ・ハームズワースといった。

「・・・今日は、もう終わりか?」

 ぼそりと呟いた彼の言葉はしかし、意外なほどに大きく響いている。
 それはこの場にいる人数が、空間の広さに対して圧倒的に少ないためだろう。
 それは彼の、国王という立場を考えれば異常な事態ともいえた。
 何より問題なのは、彼の身辺を守る兵の姿が見受けられず、その傍に立っているのは側近と思われる壮年の男性一人であることであった。
 それはこの国の窮状や、彼の思慮の浅さを示す図であろうか。
 いいや、それは違う。
 何故なら彼の傍に立っているその男性が、ただの政治的な助言役ではなく、護衛の役目もこなせる実力者であったからだ。

「いえ、陛下。もう一つ、お耳にいれたき儀がございます」

 疲れきり、もう仕事は終わりにしたいと暗に告げたランディに、容赦なくまだ続きがあると答えた声は低く、渋い響きをしていた。
 儀礼的にランディへと頭を下げている彼はしかし、決してそれを断らせはしない迫力をその声に込めている。

「・・・そうか。では話せ、ブラッド」
「ここでは、ブライアン。もしくは、コールドウェルとお呼びくださいますようお願いいたします、陛下」
「・・・そうだったな」

 僅かな沈黙に視線をやって、傍に立つその男、ブラッドがその言葉を覆さないか試していたランディは、溜め息を漏らしてそれを諦めると、彼に話すように促している。
 それにブラッドが渋い表情を作ったのは、その呼称がこの場には相応しくないものであったからだろう。
 それを咎めるブラッドの声は硬く、ランディもばつが悪そうに唇を結んでいた。

「それで、話とは?」
「それは・・・ここでは、少し」
「あぁ、そうか・・・お前達、下がれ。ここはもうよい」

 それで反省の態度は示したと満足したランディは、早く話をとブラッドに求めている。
 しかしブラッドは、この謁見の間に僅かに控える兵の存在を気にするように口篭ってしまっていた。
 そんな彼の態度に何事かを察したランディは、軽く腕を振るうとこの場に詰めていた兵を下がらせるように命令を下す。

「これで良いだろう?・・・それで、戦況はどうなっている?」
「・・・ご存知でしたか」
「貴兄が口篭るなど、他になかろう?・・・兵に聞かせられぬ話もな」

 僅かに戸惑いを見せながらも、主からの命令に素直に従い退いていく兵達の姿に、軽く頷いたランディは傍らのブラッドへと尋ねている。
 戦況はどうなったのかと。
 その言葉に驚いた仕草を見せたブラッドに、ランディは皮肉げに唇を歪めるばかり。

「それで・・・やはり悪いのか?」
「はい、それもかなり。このままでは、早晩にも瓦解してしまうものと・・・」
「あの二人に掛かっても、か・・・やはり昨年の戦役の傷は、まだ癒えぬものと見える」

 言葉少なに、遠い地の戦いについて話す二人の表情は暗い。
 それはその内容が、決して明るいものではないからだろう。
 しかし遠い目をして彼方へと視線を向けるランディの目には、どこか懐かしいものを探すような色が映っていた。

「しかし、ならばどうする?他から兵を回すか?ふっ、そんな事が出来る訳もないか」
「・・・はい。かの地から兵を回せば、あの侵略公が必ず兵を起こすものと」
「貴兄から見ても、そう感じるか?」
「はっ、恐らく間違いないかと」

 芳しくない戦況に他から兵を回すことも考えるランディはしかし、それをすぐさま否定している。
 それは自らの国を脅かす、また別の脅威が存在するからであった。
 ランディが危惧するそれと、同じものを危険視するブラッドは、こちらが隙を見せれば確実にそれが襲いかかってくると断言している。
 自らが信頼する側近にそれをはっきりと断言されてしまったことに、ランディは自嘲気味に微笑むとどっかりと深く玉座に座り直していた。

「ならば、兵をこれ以上回すことは出来んな・・・それで、打開策は?貴兄の事だ、当然何か考えてきているのであろう?」
「はっ、恐れながら申し上げます!こうなってはもはや、『彼女』に出向いてもらう他ないかと」

 苦しい戦況に兵を増員するという当然の選択肢を断たれてしまったランディは、それでも何か別の考えがあるのだろうとブラッドへと視線を向ける。
 それに当然のように応えてみせたブラッドはしかし、どこか言い辛そうにその案を告げていた。

「『彼女』か・・・やはり、もうその手しか残されていないか。それは当然、『彼女達』も同行させるのだろう?」
「はっ、そう考えております。それで陛下、ご裁可のほどは?」
「・・・私の裁可が必要か?いや、形式的にはそうだな・・・許可する、やってくれ。それに貴兄の事だ、既に向かわせているのだろう?戦場までは遠い、そうしなければ間に合わんからな」

 ブラッドの提案は、ランディからしても意外なものでもなかったのであろう。
 苦々しい表情を浮かべながらも納得の仕草を見せた彼は、ブラッドに詳細について確認している。
 ランディの言葉にその通りだと返したブラッドは彼からの裁可を待ち、彼もまたそれに応える。
 そうして「彼女」の派遣が、決定された。

「・・・火急の事なれば」
「構わん。貴兄は良く仕えてくれている、誰もそれを越権だとは咎めんよ」

 本来ならば、ランディの許可なく動かしてはならない存在に、ブラッドは事前に動かしていたという。
 それは紛れもない越権行為であり、ともすれば謀反の疑いを掛けられかねない行為だろう。
 しかしそんな事など気にする必要はないと、ランディは語っている。
 それはこの二人の間に確かに存在する、信頼関係が為せるわざだろう。

「・・・『彼女』に、またもこの国の命運を託すのか」
「・・・陛下」

 最後の仕事を終え、暖かな日差しが差し込む窓へと近づいたランディは、遠い目をして彼方へと視線をやっている。
 そこに浮かぶのは、遠い日の誰かの姿だろうか。
 その彼と寄りそうように立った、ブラッドが浮かべるのも同じ誰かの姿だろう。
 そうして彼らは、しばらく無言でその先の景色を見詰め続けていた。
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