海辺のハティに鳳仙花

春蘭

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なんでもない日

(27)月桂樹で冠を④

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***

「いやぁ、驚きましたよ。自分が言おうと思っていた事を、まさか先に言われてしまうなんて」
「あら、それはわたしの台詞でしてよ。まさか貴方もこのお見合いを断る気で来ていたなんて」

 和やかに会話をしながら、本日の見合い相手であったはずの女性と連れだって瀧本は広島の町を歩いていく。
 新天地抜けて広島城の辺りまで、これまであったことの経緯を説明しながら。

「本当に申し訳がない、氷川ひかわさん。自分の身内が大変失礼なことをしてしまいまして……妹には後で良く言い聞かせておきますので……」
「お気遣いなく。ろくに確認もせずに受けてしまったわたしも悪いので」

 瀧本がそうであったように、どうやらこの女性──氷川 幸枝ゆきえも瀧本の妹である紫都に嵌められたそうで。気が付いたら行かざるを得ない状況にまで追いやられていたそうだ。
 そういうわけで現在二人は、被害者の会とばかりに愚痴を言い合いながら歩いている。

(というか、二人揃って断るつもり満々だったのかいっ!)
(こうなったらあれだ。“そのつもりは無かったけど話している内に結婚する気ができた”作戦の決行を……)
(シッ! 黙って見てなさい)

 ……後ろの方でこそこそ付いてくる三人組、特に瀧本の同期とコレスの大尉二人にとってはやきもきする時間だったが。

「……あの、もしかして後ろにいる方々…………」
「ハハハハっ、ただの背景です。お気になさらず」

 生垣に紛れ込む為に用意したらしい、青々とした葉の繁る木の枝まで持ってくる周到ぶりだ。しかし悲しきかな。バレバレである。
 見なかったふりをして、瀧本は紳士の笑顔を崩さぬまま三人をしれっと見捨てた。

「あら、そう……背景。ただの背景ね………なら気にしませんわ」
「ええ、気にされないのが一番です」
「そうね。気にしないことね」

 幸枝嬢の方も空気を読んで無視を決めるらしい。そっと目を閉じて思考をリセットし、次の話題を決めてから口を開く。

「ご不愉快に感じられたらごめんなさい。紫都さん、他人であるわたしの目から見ましても向こう見ずな所がありましたから……もしかしたらお身内にもその調子なのだとは思っていましたが、まさかここまでとは思っておりませんでしたわ。完全にわたしの不覚です………」
「本当に、重ね重ねになりますが謝意を述べさせていただきます。本当に申し訳がない……紫都は、妹は昔、大きな病気にかかってしまったのが原因で、ああいう考え方をしてしまうようになったので……」
「ええ、存じ上げておりますわ。紫都さん、そのせいで貴方の進学を大きく制限してしまったと後悔してらしたので」

 その罪悪感が今回の見合い話に繋がってしまったのだから、もう何も言えない。もう少し時間を取って、自分は気にしていないと納得させる必要があったか、と瀧本自身は密かに反省していた。

 不意に幸枝嬢が足を止める。近くに広島城が見える道端。その広島城の東側辺りには、かつて陸軍広島地方幼年学校があった。もっとも、今は軍縮の煽りを受けて廃校となっているのだが。

 ちなみに広島幼年学校は閉鎖された五つの陸軍地方幼年学校の中でも最後に廃校となっている。これには立地が関係しているそうだ。広島という土地は物価が安くて温暖なので、東京に次いで予備役将官が多く住まわれている。それも加えて広幼は天才的な人物を多く排出している等の様々な要因が重なって、そうなったのだとか。
 瀧本が“彼”から聞いた話によると、広島幼年学校では軍学校にしては珍しく武道だけでなく球技も重視していたそうで、野球や庭球テニスなども盛んに行われていたらしい。
 人が良い東京に反骨の仙台。意外とバンカラな大阪と名古屋。血気盛んな熊本に結束が固い広島。頭がガチガチで柔軟性の無いと思われがちな陸軍の、その下地になったと言われる幼年学校であったが、このようにそれぞれの地方でかなりハッキリと際立つ個性があったりもするのだ。

「氷川さん?」
「……そうですね。わたしだけが貴方の事を知っているのもなんですし、ほんの少しだけ……昔話でもしましょうか」

 堀の中を満たし、静かに輝く水面を眺めながら幸枝嬢はひとりごちに呟く。

「瀧本さんはご存知? あの辺りには昔、陸軍の地方幼年学校があったことを」
「広島地方幼年学校、ですか」
「はい、もしかして……お知り合いが通っていらして?」
「…………」

 その通りだった。しかし、それを口に出す訳にはいかない。なので、無言を貫くことにした。
 肯定する──という意味で。

「あら……何か、事情がおありとお見受けいたしました。わたくしからはこれ以上追求することはしないでおきましょう」
「……ご厚意、感謝します」
「お話を戻しますね。わたし、実はこう見えて軍と関わりが深いのですわよ。陸軍にも海軍にも……」

 そういえば、彼女の実家は広島市内だと紫都は言っていた。
 広島は軍都として栄えた町。広島市内に実家があるというのなら、多少は軍と関わりがあってもおかしくないだろう。

「幼年学校では外出を許可される日曜日だけ、民家を借りて休憩をとる日曜下宿というものがありますの。兵学校も同じようなものでしたでしょう?」
「はい。江田島でも同じようなものでしたよ」

 その辺りは陸軍も海軍も違いは無いらしい。ここから南の方角、海を挟んだ先には懐かしの江田島がある。

 そう思うと、本当に自分と“彼”はすれ違ってばかりだ。瀧本が海兵に入校するため広島にやって来たのとすれ違いで、“彼”は中央幼年学校に入校するため東京へ舞い戻ったのだから。

「それでしたら釈迦に説法でしたわね。ならお話は早いですわ。日曜下宿では休憩所として近くの民家を借り上げますので、わたしの実家も今は使っていない倉を改装したものを生徒さんに使っていただいていましたの」
「へえ、それなら広島幼年学校出身者には顔見知りが多いので?」
「ええ。とは言いましても、ほんのごく一部の方だけですわ。毎年毎年……入校されてきた方が卒業されるまで………大勢の方を見送ってきましたの。物心ついた時からそうでした。なので、わたしにとっては日曜日にあの制服をお召しになった生徒さんが家にいらしゃるのが当たり前の光景、ありふれた日常でしたの」

 幼年学校の生徒といえば、全国トップクラスの頭脳が集まる、正しく将来のエリートを養成するための学校だ。なにせ、軍縮期でさえ倍率は十倍。中学校で一番の成績を修めていたとしても、入れるかどうか判らないという国内有数の難関校だったから。
 そして幼年学校は、一番多い時でも全国に六校。どこに入れらるかは合格時には判らないこともある。東京で産まれ育った者が、遠く離れた広島地方幼年学校に入れられたという話もあった。
 なので、長期休暇でもない限り実家に帰ることができない生徒達のために、日曜下宿では近所の民家が解放されていた。

「自分で言うのもなんですが、わたしは物分りの良い子供でしたので、生徒さんには随分と可愛がっていただきました。中にはわたしくらいの妹さんがいらっしゃる方もいましたので。そうやって生徒さんたちを踏み台……」
「ん?」
「こほん、失礼いたしました。そうやって生徒さんたちに上手に甘えて、小学校の勉強を教えて頂いたりもしていました。その甲斐あってか、小学校では成績優秀者として何度も表彰されておりました」

 今……一瞬、変な言葉が入らなかったか?
 瀧本だけでなく背景の三人組も考え込んだ。気のせいだったか、なにか「踏み台」とかいう地味に怖い単語が混ざっていなかっただろうかと。

「そんな小学校時代を送っていましたある日のことです。ええ、あの日の感動、いまだにこの胸に刻み込まれております………その日、わたしは運命の殿方に出会ったのです………!」

 ふわっと、ほんのり薄化粧を乗せた色白の美貌が紅潮する。
 気のせいか、纏っている空気が妙に甘い。目の前にいる女性の顔は、正しく恋する乙女というものだった。

(あれ、ちょっと待て。なんだ、この空気は)
「あれはちょうど、わたしが尋常小学校二年生になった年の事です。その年、わたしの実家が受け入れた広島幼年学校の生徒さんの中に、あの方がいらっしゃったのです………」

 ほう、と熱っぽい溜め息。本日の見合い相手であったはずの瀧本のことなど、まるで見えていないとばかりに幸枝嬢の話は続く。

「あの方のお姿を拝見した時、幼いながらもわたしの心に衝撃が走りました。凛々しく、逞しい……まさに侍とはこうあるべきというものを体現したかのような方…………野性味の溢れる男っぷりの中にある、洗練された教養を感じさせる所作の数々………正しく、戦国武将……真田幸村様のような……」
(あ、なるほど。そういう……)
「実際に、彼は土佐の武家の末裔だと聞き及んでおりましたの。もう、わたしにとっては自分の理想を具現化されたようで、その理想のど真ん中を……こう『すこーん』と見事に、一発で撃ち抜いて行かれた方でしたの。ええ、そうです。これはいわゆる、一目惚れというものですわ」

 気分が乗ってきたのか、幸枝嬢の話はさらに加速する。恋は盲目というやつか。瀧本達を置いてけぼりにして、遥か彼方を爆走して行った。

「それはもう、夢中になってあの方の気を引こうといたしましたわ。ですがあの方、まるで牛のように鈍い方でして。同じく実家に来られていた同期の方は全員、わたしがあの方に好意をもっているとお気づきになられていたのに……肝心のあの方だけは、わたしの気持ちに一寸たりともお気付きになられていらっしゃらなかったのです!!」
(あちゃー……)
「オマケとばかりに、あの方は!!三年生になられたその年!! 入校されてきた一年生の中にいらっしゃった、千年に一人の美少年と噂の華族のご子息様に夢中になられてしまわれたのです!! わたくしにとっては青天の霹靂というものでしてよ!! 目の前にこんなにも自分に尽くしてくれる健気な少女がいたというのに!!男同士の友情の方が大事だと言われるのですか!!」
(んん?)

 妙に引っ掛かる発言があった。千年に一人の美少年と噂の華族のご子息様、とは……

(あれ、それってもしかして……)
「と、まあ。当時のわたくしにとってはそれはそれは衝撃的なものでしたわ。あの方の心を捕らえた、その千年に一人の美少年とやらをどうにか一目見ようと思ったこともありましたが……結局、叶いませんでした。やがてあの方は東京の中央幼年学校にご入校あそばせるために広島を離れることになりましたの」

 この情緒はなんなのだろう。あっという間にスンと冷静になった幸枝嬢。温度差で風邪を引きそうだ。

「あ、ハイ」
「どうしても諦め切れなかったわたしは、最後の日曜日に……自分の意地と矜持を全てかけて告白いたしましたわ。そう『貴方のお嫁さんになりたいので、貴方が理想とする女性をお教えてください』と……そしたらあの方、なんと仰られたと思いますか?」
「え……」

 急に話を振られてびくり、と身を強張らせる。もうこの時点でなにか猛烈に嫌な予感がして冷や汗だらだらだったのだが……答えなければならぬと、兵学校で叩き込まれた紳士の心が訴えかける。

「『小生が戦死した後でも、一人で生計を立てて生きていくことができる強い女性が自分の妻の理想像であります』」

 ……おそらく、その男に言われたことをそのまま言ったのだろう。鈴を転がすような美声にそぐわぬ、えらくしゃちほこばった男口調だった。

「と、いうわけです」
「は……な、なにが……」
「その日からわたしは誓ったのです───よし、女医になろうと」

 いや、待て。いったい何がどうなってそうなるのだ。瀧本だけでなく、背景と化していた彼の同期とコレス二名も尋常ではない量の冷や汗を溢しながら固唾を飲んで見守っている。艦長は物言わぬ仏像のような微笑みを浮かべながら、思考を遠くの方に飛ばしていた。

「だって、医者でしたら全国どこでも引く手あまたですもの。食べるのに困りませんし、一度引退しても資格さえ持っていればすぐさま仕事を再開しやすいわけですし。そういうわけで女医です」
「…………」

 おう、ジーザス。まさか女医という狭き門を是が非でも突破したのは、惚れた男、引いては幼き日の自分の恋を成就させるためだったとは……

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