さよなら、夢の国

大海キホ

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さよなら、夢の国

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 あれ?
 どこ、ここ……?
 私は見知らぬ空間にいた。くすんでいたり毒々しかったりする虹色が、ぐるんぐるんと渦巻いている空間だ。統一感も遠近感も、上下の感覚すら曖昧。気持ち悪さに口元を押さえようとするのだけど、それで自分自身の変化にも気がついてしまった。
 手がない。口がない。人の姿をしていない。白と黒でできたぐるぐるになっていて、ところどころが周囲の虹色に染まっている。その範囲はじわじわ拡大していくようにも見えた。このままでは私は溶けてなくなってしまうのではないか?
 意識すると侵食が早まったような気がした。私は右往左往する。必死に何かを探すのだけど、虹色のぐるぐる以外見つけられない。どうすればいいのか分からず怖くて怖くてたまらなくなる。
 何これ、ねぇ、何なの!?
 パニックに陥った。あてもなく動き回り必死に助けを求めている。
 助けて!
 誰か、助けて!!
 するとまるで応えるように陽気なメロディーが聞こえてきた。日本人なら誰もが知ってるネズミンランドのテーマソングだ。ラッパにシンバル、花火に歓声。私がきらびやかなパレードを思い浮かべると、そのままの光景が目の前に現れた。
 私は呆然とした。ネズミンやミミニンに手を振られ、その姿を目で追う。
 ネズミンランドの主役達は移動式の舞台の上で踊っていた。舞台はいくつも列をなしていて、ネズミン達の舞台の他にもお姫様と野獣の舞台や、子供達と海賊の舞台などがある。それらは星のように輝く道を行進していて、ゴールには明るい日に照らされた夢の国が待っている。
 おしゃれなお城や観覧車。ジェットコースターのレールを満員になったトロッコがすべり落ちていき、諸手を上げる人々の笑顔がここからでも見えるようだ。大きく開かれた門前ではふたりのピエロが風船を配っており、役者達は大人も子供も例外なく受け取っている。
 舞台の左右では騎士達が行進に随伴していた。馬にまたがり銀色の甲冑を付けた彼らは腰に立派な剣を差してる。どの顔も油断なくあたりを警戒していて、その勇ましさに私は心奪われてしまった。
 素敵。
 恐怖も忘れて見入ってしまう。
 私は耽美系の王子様より頼りがいのある騎士様が好きなのだ。強くてかっこよくて、何かが起きてもちゃんと守ってくれるような。
 少し前までは、そんなことばかり考えていたっけ。お姫様が主役のミュージカルを見に行ったときも、私が惚れ込んだのはお姫様と王子様の仲を取り持つ騎士様だった。握手も記念撮影もしてもらってとても幸せな時間を過ごした。
 あの頃は箸が転んでもおかしかったな。無邪気に恋を追いかけて、友達とお互いの夢を語り合った。だけど月日が経つにつれてみんなの興味は仕事や結婚に移っていき、いつの間にか私は置いてけぼりにされた。
 パレード、楽しそうだなぁ。
 悩みなんてなさそうで、みんな素敵な夢を見てる。
 私も一緒に夢を見たいな。
 あの門を彼らとくぐれば、無邪気な自分に戻れるだろうか?
 するとひとりの騎士様が私に目を止めていた。黒い短髪に茶色い瞳。精悍な顔に笑みが浮かんで笑いかけられたような気がした。
 彼は馬首をこちらに向けゆっくりと近づいてくる。私は驚き、ただただドキドキしてしまう。
 目の前まで来ると彼はじっと私を見つめた。馬を降りるとうやうやしく私に手を差しのべる。
「レディ、どうかパートナーに」
「えっ……?」
 私は慌てて左右を見回した。その場に私以外の者がいないことを確かめると、改めて彼を見つめる。
 こんなに素敵な人と私が? そんなに真剣に見つめられたら、調子に乗ってしまいそうだ。
 だけどそれでいいのかもしれない。私は確かに凡人だけど、彼は真剣に私を見つめてくれている。その想いに応えないなんてむしろ失礼だ。私は彼の手に手を重ねて恋人同士になってもいいのだ。
 恐る恐る手を伸ばした。
 彼のぬくもりに触れた瞬間、一陣の風が吹く。
 薄桃色のドレスが大きくひるがえった。ブルーグレーのロングヘアがつややかになびき、ピンクがかったラベンダー色の瞳に私と彼のための舞台が映る。
 色とりどりの花で飾られたダンススペースだ。正装した管弦楽団が弓に弦をはしらせ、私達は手を取り合う。
 軽やかに踊り出すと歓声に包まれた。くるりときれいにターンして、気持ちよくリズムを刻む──ダンスなんて初めてなのに、戸惑いなんてちっともなかった。きっと騎士様が上手にリードしてくれるからだ。夢の国に向かう舞台で、ふたりだけの恋を表す。
 胸を張って見つめ合い、あっちへこっちへ動き回った。繋いだ手を高く上げて私がくるんと回ってみたり、彼の胸に舞い戻って大きくのけぞってみたり。両手を開いてポーズを決めて、離れてダンスを披露し合い。
 騎士様が両手を広げて招いてくれた。私は全身で喜びを現し彼の胸へとダイブする。
 天へと高く舞い上げられた。私は大きく身体を捻って夜空で開く花になる。
 拍手喝采を全身に浴びた。キャッチは騎士様のお姫様だっこだ。いとおしげに微笑みかけられ私は大きな目を細める。
 唇が、重なった。
 ぬくもりが伝わってきて、与え合うキスを知る。
 深い安堵感に包まれた。貪らない穏やかなキスには敬いと慈しみの心が溢れていて、この人は私を損なったりしないのだと心から信頼できる。
 彼の首に腕を回す。
 たくましい腕の中で私は全てを彼に捧げる。
 幸せだった。
 ずっとずっとこうしていたい。
 門が、ゆっくり近づいてきて。
 もう少しで永遠になれる。
「逃げるぞ、瑞希みずき
「え?」
 名前を呼ばれて顔をしかめた。今はそんなのいらないのに。私は風船を届けに来たピエロからひとつを受け取ろうとしたのだけど、突然肩に担ぎ上げられてしまった。
 面食らっている私の目には剣に手をかける手が映る。次の瞬間、ピエロは袈裟懸けに斬られてしまった。私は大きく目を見開く。
 大量の赤が散った。いくつもの風船達が夜空の向こうに消えていく。どうして? 風船を手に門をくぐればふたりで幸せになれるのに。
 もうひとりのピエロもざっくり斬られてしまった。演奏家達が楽器を振り上げ迫ってくるが、騎士はひとりふたりと斬り捨て舞台から飛び降りる。
「きゃあぁっ!」
 私はようやく悲鳴を上げた。恐怖に染まった私の目には彼の姿が映っている。
 愕然とした。
 騎士様じゃない!?
 彼は豹変しただけでなく姿かたちまで変わってしまった。その姿は私をもっとも嫌悪させる男のものだったのだ。
 金茶の長髪にスーツ姿。吊り上がった薄青うすあおの瞳はギラギラしていて、私を死に追いやった、私の夫、雄大ゆうだいだ。
 あの騎士様は?
 すぐに思い出している。テレビに映っていた騎士様ナイトだ。自殺する直前に見たファンタジー映画のキャスト。まっすぐで心優しく貴婦人のために命をかける。
 私は手を伸ばしていたっけ。
 牢獄と化した夫との新居で。
 もう、限界だったから。
 雄大と出会ったとき、私はコーヒーショップの店員だった。彼は困った客で、私の接客態度にケチをつけてきたり、かと思えば口説いてきたりした。腹が立つのに憎めなくて。自信に満ちあふれているところが魅力的で。どんな美人にナンパされても私だけを見てくれたのが嬉しくて、惹かれてしまった。
 プロポーズも完璧で。
 私の指に本物のダイヤはめ、手の甲にキスしてくれたのだ。
「俺が守ってやる。全て俺にまかせろ」
 なんて。
 嬉しかった。
 彼と幸せになれるんだって有頂天になっていた。今思えば逃げだったのかもしれない。私はその時、就活がうまくいかなくて苦しんでいたから。一時の感情だけで彼を受け入れ地獄を見ることになった。
 彼は確かに一途で頼りになる人だったけど、同時に束縛が激しく人を見下さずにはいられない支配者だったのだ。私がちょっとでも外に興味を示すと不機嫌になるため、気軽に外出もできない。日に何度もラインしてきて行動や居場所を確認してくる。返事をしないと目くじらを立てて電話してくる。人格を否定するようなことばかり言ってくる。
 家事や料理の出来にも目を光らせていた。ちょっとした落ち度でも鬼の首を取ったように責め立ててくる。髪の毛が1本落ちていたとか、窓のさんに埃が積もっているとか。料理に関してはその日の気分で薄い、濃いと。どう頑張ってもそれでは無理だ。完璧なんか目指せっこない。
 信じられなかったのは、そんな些細な言いがかりをつけるときの彼が慈愛に満ちた表情を浮かべていたことだ。「まったく瑞希は馬鹿だなぁ」とか「女のくせに家事もまともにできないのか」とか言いながら私の頭を撫で「まあ、俺はお前がどんなに駄目でも見捨てたりはしないけどな」と抱き締めてくる。
 彼にとってはこれが愛情表現なのだと知った。私の自尊心を傷つけて自分の自尊心を満足させているだけにしか見えないのに、ひとりで悦に入っている。
 「自分勝手だなぁ、これだから女は」とか。
 「金ばかりかかるなぁ、これだから女は」とか。
 「女は男を満足させるのが仕事だろう。養ってもらっているくせにいっちょまえに拒むんじゃない」とか。
 女は。
 女は……。
 女は……!!
 雄大の言葉はおりのように私の心に降り積もっていった。私はたまらず離婚しようとするが、家族にも友達にも反対され身動きが取れなくなる。新居に閉じ込められひたすらサンドバッグになった。
 そしてある日、プツリと切れた。
 「あと5分で帰る」とのラインが送られてきた瞬間だった。私は雄大の命令通りに揚げ物を作っているところだったのだけど、コンロの火にも開けっぱなしの窓にも目をくれず、靴も履かずにマンションの一室を出た。
非常階段を黙々とのぼり、屋上に出ると手すりの上に足を乗せ、そして──。
「瑞希!?」
 私の背中を押したのは一番聞きたくない声だった。
 逃げるように中空へ飛び出す。
 そうして私は自由になれたはずで──。
「いやああっ! 離して、離してよ!!」
「うるせえ! 静かにしろ!!」
「ひっ……!?」
 私は怒鳴りつけられると竦み上がってしまった。馬鹿だ。反抗しようがしまいが、結局傷つけられるのは変わらないのに。それでも被害を最小限に抑えたくて声を出せなくなってしまう。
 こんなだから雄大は調子に乗るんだ。雄大だけじゃない。私は偉そうな男ばかりに捕まって何度も同じ馬鹿を見る。私って一体何なんだろう? 新しい人に出会うたびにこの人なら、この人ならって。なのにいつも変わらない。いつも“好き”は最初だけ。
 私の“好き”って何なんだろう?
 どいつもこいつも粘着質で自分勝手で──死んでも解放してくれない!
 舞台から飛び降りると騎士達が駆けつけてきた。だけど雄大は異様に強くてみんな倒されてしまう。同じように飛び降りてきた王子様やお姫様、海賊達も歯が立たない。雄大が夢の国を背に走り出すとあっという間に希望は遠のいていく。
 星の道も見えなくなり虹色のぐるんぐるんのただ中へ。追いすがってくる騎士達も遠く、馬も誰も追いつけない。
 どんどん遠ざかっていく。
 私の大事な楽園が……!
 私はキッと雄大を睨んだ。
 いつまでも言いなりになっていると思わないで。私はあなたの物じゃない!
 思い切って身体を跳ね上げその首筋に歯を立てた。
「いっ……!?」
 雄大はたまらず力をゆるめていた。私は彼の肩から飛び降り、一目散に駆け出していく。
 騎士達が見えると手を伸ばした。相手もこちらに手を伸ばしてきて、私はなんだか誇らしくなる。
 勝ったんだ。もっと早くこうしていれば。私は戦うべきだったんだ!
 私の身体に腕が巻きつく。
 馬上に抱き上げられた私は黒い塊に呑まれていた。
 え……?
 どぷん、と冷たいものに沈んだ。氷みたいな渦の中だ。私の心が冷えに冷えて、たくさんの怒りや恨みに襲われた。
 私は正しい。お前らが全部悪い!
 親を敬わないとは何事だ!?
 女のくせに!
 男ってだけでそんなに偉いの!?
 それだけじゃない。粘着質に絡みついてくるものがあった。ひどい重力が私を押し潰そうとす。
 どうせ俺は無能ですよ。
 助けて。私をひとりにしないで!
 みんなが僕を嗤ってる──。
 上から下から嵐に呑まれる。必死に振り切り浮上するけど、闇からはみ出た私の手には別の闇が絡みつく。
 闇の向こうで夢の国が待っていた。
 門の向こうは暗い深淵。
 あの門をくぐってしまえば、私はもうどこにも行けない……!
「っ……!」
「瑞希いぃぃっ!!」
 恐怖に呑まれかけたときに声を上げたのは雄大だった。彼は剣をめちゃくちゃに振るい亡者達を追い払う。私を黒い闇の淵から引きずり出し、一も二もなく逃げ出した。
 黒いもの達が追ってくる。私は白と黒のぐるぐるに戻ってしまって、だけど雄大は大切そうに胸に抱いた。
「大丈夫だからな、大丈夫だ……!!」
 震える私をなだめてくれる。
 虹色のぐるんぐるんへ。
 混沌の渦に飛び込んでいき。
 私は、侵食されていく。
 彼はそれでも、私を離しはしなかった──。

「はっ──!?」
 目を覚ましていた。
 途端に重力が戻ってきて、全身の痛みと不自由さに顔をしかめる。お母さんが覗き込んできた。泣きながら私の手を握ってくる。
「瑞希、よかった! お母さんが分かる!?」
 あたたかい……。
 生者のぬくもり。亡者達に凍えさせられた私の心が、母の優しさに癒されていく。
 ここは病院のようだった。私はほっと息をつき、恩人と呼ぶべき男の安否を想う。
「雄大は?」
 するとお母さんは悲しそうにかぶりを振った。
「あなたが屋上から飛び降りたと通報したあと、行方不明になっていたの。今朝方非常階段で亡くなっているところを発見されたわ。あなたのことで動転していて足を踏み外したんだろうって」
「そう……」
 私は納得してしまった。
 だから彼は人の姿を保っていたんだ。あのぐるんぐるんの中にいても溶けていくことはなく。
 それは彼があちらの住人になっていたからだろう。身体を無くしてしまったから、この世の渦に溶け込めなかった。
 それでも助けに来てくれた。
 私を心配してくれて。
 でも──。
 やっぱり私は、あいつを選ぶべきではなかった。同じような男ばかりを好きになってしまう自分に目を向けて、その原因を考えるべきだったのだ。
 冷静に人を見る目を養って、夢や理想ばかりでなく現実に目を向けるべきだった。自立して、頼ろう頼ろうとしてしまう心を戒めるべきだった。
 自分の弱さと向き合わなかったから足元を掬われた。罠にハマって呑まれかけた。
 大人になろうと、しなかったからだ。

 その後、私は服飾系の専門学校に入り直した。雄大が私のために死亡保険をかけてくれてて、まとまったお金が手に入ったのだ。
 雄大との新居もいいお金になった。私はそのお金で安いワンルームのアパートを借り、ひとり暮らしに挑戦している。自立の足がかりとするためだ。
 親は心配してたびたび連絡してくるけど、援助はやんわり断っている。当分は恋人も作らないことにしている。頼ってしまっては、ひとりになった意味がないから。一生ひとりでいるつもりはないけど、今は私は自分を育てていくべきなのだ。
 幸せになるために。
 いずれ出会うパートナーと助け合えるような、かっこいい女性になりたい。

   完
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