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第4章 アルカディア始動編
不憫なたらい姫
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モリッツが経営する奴隷商は屋敷の地下にある。
多くの奴隷を収容できる場所や奴隷によっては体格の大きいものもいるため屋敷内で店を開くことができないという。
その点、屋敷の地下は屋敷と同じくらい広く大きいものも収容できる。そしてなにより地下であれば容易に奴隷たちが脱走を企てることもできないという利点もある。
紫音たちが地下の部屋に入ると、そこにはモリッツの姿があった。モリッツは紫音たちの姿を確認すると、深々と礼をしながら迎え入れていた。
「お待ちしておりましたシオン様、フィリア様。今宵も上質な奴隷を仕入れておりますのでお気に召しましたら幸いでございます」
「いつもありがとう。さっそくだが、見せてもらおうか」
「ええ、かしこまりました。商品のほうはこちらになります」
そう言うとモリッツは地下の奥へと歩いていく。紫音とフィリアはその後をついていくように歩く。
少し歩くと、まるで刑務所の牢屋のような部屋に入っていった。中には魔物や魔獣が数多く収容されていた。
「相変わらずニオイがすごいな。少しは掃除したらどうなんだ?」
紫音の言う通りこの部屋からは異臭が漂っていた。凝縮された生ゴミのような悪臭が鼻腔を刺激する。
フィリアに至ってはよほど臭いのか、顔は青ざめ、ご機嫌斜めな表情を浮かべている。
「それはそれは大変申し訳ありません。何分、私一人で切り盛りしておりますゆえ、そちらのほうにまで手が回らないのですよ」
悪びれる様子もなく、そう言ってのけるモリッツに紫音は呆れるように小さくため息をついた。
「それでは、まずはこちらをご覧ください」
檻のほうへ手を向けながら奴隷の紹介を始めた。
「こちらはリーンベル王国にある闘技場で数多くの闘技者を屠ってきた大型魔獣のキマイラでございます。力強さと獰猛さもあるため番犬用にしてみてはいかがでしょうか?」
檻の中を見ると、敵意剥き出しの魔獣がガンガンと檻を破壊しようと体当たりを繰り返していた。
ライオンの顔に山羊の胴体、蛇の尻尾を持つ魔獣――キマイラ。口には拘束具のようなものが取り付けられており、開くことができず、後ろの両足には重そうな鉄球を繋げた鎖も取り付けられていた。
モリッツの姿を見たキマイラは体当たりをやめ、睨み付けるように唸り声を上げている。
「……いや、魔獣は間に合っているからいいよ」
「そうでしたか、それは残念です。……では、次はこちらになります」
紫音の断りの返事にもめげず、今度は別の檻に手を向ける。
「こちらは極寒の地アウストフィール地方にのみ生息しているフロストウルフです。こちらは希少種ですので多少値段はお高いですが、この美しい毛並みにきっと惚れ惚れすることでしょう」
モリッツの言う通りその魔物だけは他と比べて手入れでもしているのか美しく見える。フロストウルフは寒い地域に生息する魔物でその毛並みは雪のように白く光沢のある輝きを持っている。
「……もううちには似たようなのがいるから買わないぞ」
アルカディアにはリースという同じように白い毛並みの獣人がいるからフロストウルフにそれほど魅力を感じていなかった。
その後も紹介が行われたが、どれも魔物や魔獣ばかり。紫音の本来の目的とは異なる者ばかり紹介され、次第に紫音は痺れを切らし始めていた。
「おい、モリッツさん。いい加減にしろよな。こっちはお前の茶番に付き合ってやるほど暇じゃねえんだよ」
「……ホント、まったくよ。こっちは1秒でも早くこの部屋から出たいというのに」
「おやおやこれ失礼いたしました。大変お怒りのようで……シオン様たちがご所望なのは……ええ、亜人……でしたよね?」
「そうだよ。さっきから魔物や魔獣の紹介ばかりしやがって……ふざけているんなら出ていかせてもらうぞ」
「お、おお待ちください! これにはその……なんといいいますか……」
珍しく歯切れの悪い言い回しをしており、紫音はモリッツの言動に疑問を抱いた。
「何か問題でもあるのか?」
「いえいえ、問題ではないのですが……実は本日、亜人の奴隷はもう売り切れてしまいまして魔物や魔獣しかいない状況なんですよ」
モリッツの今の発言を聞き、紫音は改めて周りを見渡した。確かにモリッツの言う通りこの部屋に来てから亜人の奴隷を見かけていなかった。
どうやら今日は運が悪いようだ。
またの機会にしようと、紫音は諦めてこの部屋から出ようとする。
「悪いが邪魔したな。また別の日にするわ」
「そうね、早く出ましょう」
「……おっとシオン様、フィリア様、少々お待ちいただけないでしょうか?」
後ろから呼び止められた紫音とフィリアは、いったん立ち止まり、その言葉のほうへ振り返った。
そこにはなにかを企むかのような悪い顔をしているモリッツの顔が目に映っていた
「申し訳ありません。先ほどのは他のお客様に対して言うお言葉ですが、シオン様たちは違います」
「……? どういう意味だ?」
今の言葉は、紫音とフィリアにしか言えない隠し事を持っているような意味に捉えられる。気になった紫音はどういう意味かと問いかける。
「まあ、ほんの少しシオン様たちにはここにいる商品をご購入いただけたらという思惑もありましたが、どうも無理なようですね」
少し下心を紫音たちに見せながら一呼吸置き、話を続ける。
「最初に私、申しましたよね。シオン様たちがお喜びになるような商品を入荷した。それを今からお見せいたしましょう」
もったいつけるような言い方をしながらモリッツはさらに部屋の奥へと歩いていく。そこは紫音たちが初めて行くような場所であり、奥へ行くごとに悪臭の強さも増している。
「こちらになります。どうぞご覧ください」
そう言われ、紫音たちは檻の近くまで行き、奴隷の顔を拝むために顔を覗かせる。
「……うぅ」
「……き、キツイわね。……これは」
少し近づいただけで檻のほうから顔を背けたくなるほどの臭さを放っている。まったく牢屋の掃除がされていない証拠ともいえる匂いだった。
「おい、これはさすがにまずいぞ。さっきのよりひでえじゃねえか」
その牢屋からは先ほどの魔物たちが収容されていたところよりも比じゃないほどの悪臭がしていた。
「何分、ここに収容されている商品の扱いが難しく、こちらも手を焼いていましてね……」
「商品として扱っているならどうにかしたらどうなんだよ……って、アイツめ。いつの間に自分だけ離れたところにいやがって」
紫音たちすら気づかないうちにモリッツが少し離れたところで待機していた。おそらく悪臭から離れるために避難したんだろう。
なんとも抜け目のない男だ。
「……私も……失礼いたしますわ」
「なに1人だけ逃げようとしてんだよ。こうなったらお前も道連れだ」
「ま、待って! せめて私のタイミングで行かせなさい!」
ごねているフィリアの首根っこを掴みながら一緒に檻の中を覗いてみた。
「……あれは」
背格好や見た目からして14、5才の少女だろうか。薄着の布1枚の服を着ているため胸の膨らみがくっきりと見えることから性別が判別できた。
髪はまったく手入れされてなく、ぼさぼさの長い金色の髪。前髪も長く伸び切っているのでどういう顔なのかすら確認できない。
少女は起き上がる力がないのか、簡素なベッドの上に横たわっている。おまけに手足は痩せ細っていてまるで今にでも死にそうな状態に見える。
紫音は今の状況を見てモリッツの意図が読めないでいた。
モリッツの発言から目の前にいる少女は紫音たちが喜ぶようなもの。しかし今のところそう思えるようなところが見当たらなかった。
「おい、モリッツさん。他の客を差し置いてこの娘を俺たちに紹介した理由を知りたいんだが」
たまらずモリッツに訊いてみると、モリッツはこちらへと向かいながら答え始めた。
「シオン様たちには、いつもご贔屓にさせていただいているのであなた方が望むものを真っ先に提供したまでです」
「……俺たちが望むもの?」
「ええ。シオン様たちは常々おっしゃっていましたよね。貴族か王族の亜人の奴隷が欲しいと」
「……まさかこいつ」
「シオン様の予想通りでございます。こちらはエルフの王国……それも王位継承権を持っている姫君でございます」
「……マジかよ」
思わぬ出会いに紫音は笑みを隠せないでいた。
前々から他国の協力を仰ぐためのコネを欲していた紫音にとって亜人の姫に出会えるとはなんという僥倖。
うまくすれば交渉の場に持ち込むことも可能となる存在だ。
「……でも、どうやって他国の姫を捕まえることができたのかしらね。王族なら護衛の一人や二人いるはずなのに」
喜んでいる紫音を尻目にフィリアはそのような疑問を口にしていた。
「どうやったか知りませんが、どうも国を襲って手に入れたらしいですよ。それも彼女だけではなく他のエルフも売りに出されていましたよ」
「国をね……」
紫音は今の話を聞き、胸糞悪い気分になった。また亜人種狩りの連中の仕業だろうか。金目当てで亜人を手に入れようとする輩に毎度のことながら紫音はイラついていた。
「いいですねその顔」
「……っ!?」
モリッツは紫音の顔を見ながらニヤニヤと不気味の悪い笑みを浮かべている。
「その、この世のすべてに敵意剥き出しな顔……私大好きですよ」
「オッサンに言われてもうれしくねえんだけど……」
「これは失礼いたしました。それにしてもシオン様はいつも奴隷を見るとそういう顔をしますよね。私も多くのお客様を見てきましたが、シオン様のような方は初めてです。他のお客様はもっと嗜虐心に満ちた顔をしておりますが、シオン様だけは違いますよね。……そういえば、購入した奴隷は毎回首輪を外すようにいつもお願いし、大量購入しておりますが、首輪のない奴隷をいったい何の目的で購入しているのやら……」
「お客様の詮索をしないのがここのルールじゃなかったのか」
「これはこれは、気分を害されたのでしたら大変申し訳ありませんでした」
強気に前に出てみたが、内心紫音は焦りを感じていた。
このモリッツという男、紫音たちが亜人の奴隷を購入している本当の理由に気付いているような節が感じ取れる。
それを公に公表しようとしているのではないにしろまったくもって油断ならない男だ。
紫音はそっと胸中でため息をついた。
「……それでこの娘が欲しいんだけど、いくらなんだ?」
「こちらは金貨400枚になります。王族や貴族の場合は本来、提示した金額の倍になりますが、シオン様はお得意様ですのでこの値段にさせていただきました」
(400枚か……今日の換金額なら買えなくない値段だな)
買えない金額ではないが、逆に今回の収入のほとんどが消えてしまう。そこで紫音はある行動に出る。
「400枚か……金貨300枚にまけてくれ」
「それはさすがに……こちらとしても大分値段のほうを引いたつもりですが……350枚でどうでしょうか?」
「こんなに弱っているのに350枚も出せるか……250枚」
「340枚。これでいかがですか?」
「悪臭が漂う中、長時間いたんだからもう少しまけてくれてもいいだろう」
「仕方ありませんね。それでは300枚でどうでしょうか? これ以上は値下げいたしませんよ」
「……よし、わかった。300枚で手を打とう」
ダメもとで言ってみた値引き合戦は紫音のほうに軍配が上がった。
紫音はその場で金貨で300枚を支払うと、モリッツから錠の鍵を受け渡される。その鍵を使って牢屋を開け、エルフの姫のもとへと近づいた。
「おい、お前。意識はあるか? 悪いが俺たちと一緒に来てもらうぞ」
「…………い…………や……こ、こないで……」
少女の口から声を出すのもやっとのくらいのか細い声で抵抗する言葉が聞こえた。
多少気が引けるが、こんなところに長居はしたくない紫音は強引にも連れ出そうと少女を抱きかかえる。
「お前がなんと言おうと買った以上、俺の指示には従ってもらうぞ。大体こんな臭いところお前もイヤだろ?」
「…………お」
「……お?」
「オエエエエエエエエエエエエェェッ!」
「うおおおおぉっ!? な、なんだこいつ!」
突然、嘔吐したかと思えば吐瀉物を吐き出し、紫音の服にモロにかかってしまった。服からは酸っぱいニオイが漂い、吐き気がしてきたが、二次災害を防ぐべく必死に我慢する。
「おやおや、やはり発症してしまいましたか。彼女、どうやら病的なまでの対人恐怖症のようで今のように近づく者に対して嘔吐をするのは日常茶飯事。これまでのお客様から多大な苦情が来ていましてね……」
「こ、これまでのお客様だと? お前入荷したばかりとか言ってなかったか?」
「ええ。私のほうへ入荷したのは最近のことですよ。……まあ、その前に何人ものの方から返品されてきた奴隷ですがね」
「なっ!? それって……」
たらい回し。紫音の頭の中には真っ先にその言葉が浮かんだ。要は厄介払いのために紫音たちが選ばれたようなもの。
紫音は少しこのお姫様を買ったことに後悔し始めていた。
「くそぉ、俺たちに押し付けやがって……悪いけどフィリア運ぶの手伝ってくれないか?」
未だに吐瀉物まみれとなっている状況のためフィリアに助けを求めるため顔を向けると。
「アハハハハハッ! バーカ、バーカッ! な、なによその姿、いい気味よ。この私を今までぞんざいに扱ってきた罰よ!」
あろうことかこの状況で口汚く紫音を罵っていた。これまでの鬱憤も溜まっていたのだろう、紫音を指差しながら高笑いを続けている。
「これからはもっと私のことを敬って甘やかすことね。そうしたら助けてあげても……いいわよ……アハハハハハッ! ダメ! 我慢できないわ。紫音は私を笑い死にさせるつもりなのかしら?」
(こいつ……絶対に後で痛い目に遭わせてやる)
紫音は静かにそう誓った。それもこれも全部こいつのせいだと恨めしく思いながら腕に抱えたお姫様に目をやる。
先ほどの嘔吐から随分と静かだったが、どうやら気を失っていたらしい。今は紫音の腕の中で眠っていた。
(コミュ障のお姫様とはな……。楽に交渉の場まで行けると思っていたのにこれじゃあ先が思いやられるな……)
これからのことを考えた紫音は、腕に抱いたお姫様を見ながら深くため息をついていた。
それがこのエルフのお姫様とのいろんな意味で忘れることのできない出会いだった。
多くの奴隷を収容できる場所や奴隷によっては体格の大きいものもいるため屋敷内で店を開くことができないという。
その点、屋敷の地下は屋敷と同じくらい広く大きいものも収容できる。そしてなにより地下であれば容易に奴隷たちが脱走を企てることもできないという利点もある。
紫音たちが地下の部屋に入ると、そこにはモリッツの姿があった。モリッツは紫音たちの姿を確認すると、深々と礼をしながら迎え入れていた。
「お待ちしておりましたシオン様、フィリア様。今宵も上質な奴隷を仕入れておりますのでお気に召しましたら幸いでございます」
「いつもありがとう。さっそくだが、見せてもらおうか」
「ええ、かしこまりました。商品のほうはこちらになります」
そう言うとモリッツは地下の奥へと歩いていく。紫音とフィリアはその後をついていくように歩く。
少し歩くと、まるで刑務所の牢屋のような部屋に入っていった。中には魔物や魔獣が数多く収容されていた。
「相変わらずニオイがすごいな。少しは掃除したらどうなんだ?」
紫音の言う通りこの部屋からは異臭が漂っていた。凝縮された生ゴミのような悪臭が鼻腔を刺激する。
フィリアに至ってはよほど臭いのか、顔は青ざめ、ご機嫌斜めな表情を浮かべている。
「それはそれは大変申し訳ありません。何分、私一人で切り盛りしておりますゆえ、そちらのほうにまで手が回らないのですよ」
悪びれる様子もなく、そう言ってのけるモリッツに紫音は呆れるように小さくため息をついた。
「それでは、まずはこちらをご覧ください」
檻のほうへ手を向けながら奴隷の紹介を始めた。
「こちらはリーンベル王国にある闘技場で数多くの闘技者を屠ってきた大型魔獣のキマイラでございます。力強さと獰猛さもあるため番犬用にしてみてはいかがでしょうか?」
檻の中を見ると、敵意剥き出しの魔獣がガンガンと檻を破壊しようと体当たりを繰り返していた。
ライオンの顔に山羊の胴体、蛇の尻尾を持つ魔獣――キマイラ。口には拘束具のようなものが取り付けられており、開くことができず、後ろの両足には重そうな鉄球を繋げた鎖も取り付けられていた。
モリッツの姿を見たキマイラは体当たりをやめ、睨み付けるように唸り声を上げている。
「……いや、魔獣は間に合っているからいいよ」
「そうでしたか、それは残念です。……では、次はこちらになります」
紫音の断りの返事にもめげず、今度は別の檻に手を向ける。
「こちらは極寒の地アウストフィール地方にのみ生息しているフロストウルフです。こちらは希少種ですので多少値段はお高いですが、この美しい毛並みにきっと惚れ惚れすることでしょう」
モリッツの言う通りその魔物だけは他と比べて手入れでもしているのか美しく見える。フロストウルフは寒い地域に生息する魔物でその毛並みは雪のように白く光沢のある輝きを持っている。
「……もううちには似たようなのがいるから買わないぞ」
アルカディアにはリースという同じように白い毛並みの獣人がいるからフロストウルフにそれほど魅力を感じていなかった。
その後も紹介が行われたが、どれも魔物や魔獣ばかり。紫音の本来の目的とは異なる者ばかり紹介され、次第に紫音は痺れを切らし始めていた。
「おい、モリッツさん。いい加減にしろよな。こっちはお前の茶番に付き合ってやるほど暇じゃねえんだよ」
「……ホント、まったくよ。こっちは1秒でも早くこの部屋から出たいというのに」
「おやおやこれ失礼いたしました。大変お怒りのようで……シオン様たちがご所望なのは……ええ、亜人……でしたよね?」
「そうだよ。さっきから魔物や魔獣の紹介ばかりしやがって……ふざけているんなら出ていかせてもらうぞ」
「お、おお待ちください! これにはその……なんといいいますか……」
珍しく歯切れの悪い言い回しをしており、紫音はモリッツの言動に疑問を抱いた。
「何か問題でもあるのか?」
「いえいえ、問題ではないのですが……実は本日、亜人の奴隷はもう売り切れてしまいまして魔物や魔獣しかいない状況なんですよ」
モリッツの今の発言を聞き、紫音は改めて周りを見渡した。確かにモリッツの言う通りこの部屋に来てから亜人の奴隷を見かけていなかった。
どうやら今日は運が悪いようだ。
またの機会にしようと、紫音は諦めてこの部屋から出ようとする。
「悪いが邪魔したな。また別の日にするわ」
「そうね、早く出ましょう」
「……おっとシオン様、フィリア様、少々お待ちいただけないでしょうか?」
後ろから呼び止められた紫音とフィリアは、いったん立ち止まり、その言葉のほうへ振り返った。
そこにはなにかを企むかのような悪い顔をしているモリッツの顔が目に映っていた
「申し訳ありません。先ほどのは他のお客様に対して言うお言葉ですが、シオン様たちは違います」
「……? どういう意味だ?」
今の言葉は、紫音とフィリアにしか言えない隠し事を持っているような意味に捉えられる。気になった紫音はどういう意味かと問いかける。
「まあ、ほんの少しシオン様たちにはここにいる商品をご購入いただけたらという思惑もありましたが、どうも無理なようですね」
少し下心を紫音たちに見せながら一呼吸置き、話を続ける。
「最初に私、申しましたよね。シオン様たちがお喜びになるような商品を入荷した。それを今からお見せいたしましょう」
もったいつけるような言い方をしながらモリッツはさらに部屋の奥へと歩いていく。そこは紫音たちが初めて行くような場所であり、奥へ行くごとに悪臭の強さも増している。
「こちらになります。どうぞご覧ください」
そう言われ、紫音たちは檻の近くまで行き、奴隷の顔を拝むために顔を覗かせる。
「……うぅ」
「……き、キツイわね。……これは」
少し近づいただけで檻のほうから顔を背けたくなるほどの臭さを放っている。まったく牢屋の掃除がされていない証拠ともいえる匂いだった。
「おい、これはさすがにまずいぞ。さっきのよりひでえじゃねえか」
その牢屋からは先ほどの魔物たちが収容されていたところよりも比じゃないほどの悪臭がしていた。
「何分、ここに収容されている商品の扱いが難しく、こちらも手を焼いていましてね……」
「商品として扱っているならどうにかしたらどうなんだよ……って、アイツめ。いつの間に自分だけ離れたところにいやがって」
紫音たちすら気づかないうちにモリッツが少し離れたところで待機していた。おそらく悪臭から離れるために避難したんだろう。
なんとも抜け目のない男だ。
「……私も……失礼いたしますわ」
「なに1人だけ逃げようとしてんだよ。こうなったらお前も道連れだ」
「ま、待って! せめて私のタイミングで行かせなさい!」
ごねているフィリアの首根っこを掴みながら一緒に檻の中を覗いてみた。
「……あれは」
背格好や見た目からして14、5才の少女だろうか。薄着の布1枚の服を着ているため胸の膨らみがくっきりと見えることから性別が判別できた。
髪はまったく手入れされてなく、ぼさぼさの長い金色の髪。前髪も長く伸び切っているのでどういう顔なのかすら確認できない。
少女は起き上がる力がないのか、簡素なベッドの上に横たわっている。おまけに手足は痩せ細っていてまるで今にでも死にそうな状態に見える。
紫音は今の状況を見てモリッツの意図が読めないでいた。
モリッツの発言から目の前にいる少女は紫音たちが喜ぶようなもの。しかし今のところそう思えるようなところが見当たらなかった。
「おい、モリッツさん。他の客を差し置いてこの娘を俺たちに紹介した理由を知りたいんだが」
たまらずモリッツに訊いてみると、モリッツはこちらへと向かいながら答え始めた。
「シオン様たちには、いつもご贔屓にさせていただいているのであなた方が望むものを真っ先に提供したまでです」
「……俺たちが望むもの?」
「ええ。シオン様たちは常々おっしゃっていましたよね。貴族か王族の亜人の奴隷が欲しいと」
「……まさかこいつ」
「シオン様の予想通りでございます。こちらはエルフの王国……それも王位継承権を持っている姫君でございます」
「……マジかよ」
思わぬ出会いに紫音は笑みを隠せないでいた。
前々から他国の協力を仰ぐためのコネを欲していた紫音にとって亜人の姫に出会えるとはなんという僥倖。
うまくすれば交渉の場に持ち込むことも可能となる存在だ。
「……でも、どうやって他国の姫を捕まえることができたのかしらね。王族なら護衛の一人や二人いるはずなのに」
喜んでいる紫音を尻目にフィリアはそのような疑問を口にしていた。
「どうやったか知りませんが、どうも国を襲って手に入れたらしいですよ。それも彼女だけではなく他のエルフも売りに出されていましたよ」
「国をね……」
紫音は今の話を聞き、胸糞悪い気分になった。また亜人種狩りの連中の仕業だろうか。金目当てで亜人を手に入れようとする輩に毎度のことながら紫音はイラついていた。
「いいですねその顔」
「……っ!?」
モリッツは紫音の顔を見ながらニヤニヤと不気味の悪い笑みを浮かべている。
「その、この世のすべてに敵意剥き出しな顔……私大好きですよ」
「オッサンに言われてもうれしくねえんだけど……」
「これは失礼いたしました。それにしてもシオン様はいつも奴隷を見るとそういう顔をしますよね。私も多くのお客様を見てきましたが、シオン様のような方は初めてです。他のお客様はもっと嗜虐心に満ちた顔をしておりますが、シオン様だけは違いますよね。……そういえば、購入した奴隷は毎回首輪を外すようにいつもお願いし、大量購入しておりますが、首輪のない奴隷をいったい何の目的で購入しているのやら……」
「お客様の詮索をしないのがここのルールじゃなかったのか」
「これはこれは、気分を害されたのでしたら大変申し訳ありませんでした」
強気に前に出てみたが、内心紫音は焦りを感じていた。
このモリッツという男、紫音たちが亜人の奴隷を購入している本当の理由に気付いているような節が感じ取れる。
それを公に公表しようとしているのではないにしろまったくもって油断ならない男だ。
紫音はそっと胸中でため息をついた。
「……それでこの娘が欲しいんだけど、いくらなんだ?」
「こちらは金貨400枚になります。王族や貴族の場合は本来、提示した金額の倍になりますが、シオン様はお得意様ですのでこの値段にさせていただきました」
(400枚か……今日の換金額なら買えなくない値段だな)
買えない金額ではないが、逆に今回の収入のほとんどが消えてしまう。そこで紫音はある行動に出る。
「400枚か……金貨300枚にまけてくれ」
「それはさすがに……こちらとしても大分値段のほうを引いたつもりですが……350枚でどうでしょうか?」
「こんなに弱っているのに350枚も出せるか……250枚」
「340枚。これでいかがですか?」
「悪臭が漂う中、長時間いたんだからもう少しまけてくれてもいいだろう」
「仕方ありませんね。それでは300枚でどうでしょうか? これ以上は値下げいたしませんよ」
「……よし、わかった。300枚で手を打とう」
ダメもとで言ってみた値引き合戦は紫音のほうに軍配が上がった。
紫音はその場で金貨で300枚を支払うと、モリッツから錠の鍵を受け渡される。その鍵を使って牢屋を開け、エルフの姫のもとへと近づいた。
「おい、お前。意識はあるか? 悪いが俺たちと一緒に来てもらうぞ」
「…………い…………や……こ、こないで……」
少女の口から声を出すのもやっとのくらいのか細い声で抵抗する言葉が聞こえた。
多少気が引けるが、こんなところに長居はしたくない紫音は強引にも連れ出そうと少女を抱きかかえる。
「お前がなんと言おうと買った以上、俺の指示には従ってもらうぞ。大体こんな臭いところお前もイヤだろ?」
「…………お」
「……お?」
「オエエエエエエエエエエエエェェッ!」
「うおおおおぉっ!? な、なんだこいつ!」
突然、嘔吐したかと思えば吐瀉物を吐き出し、紫音の服にモロにかかってしまった。服からは酸っぱいニオイが漂い、吐き気がしてきたが、二次災害を防ぐべく必死に我慢する。
「おやおや、やはり発症してしまいましたか。彼女、どうやら病的なまでの対人恐怖症のようで今のように近づく者に対して嘔吐をするのは日常茶飯事。これまでのお客様から多大な苦情が来ていましてね……」
「こ、これまでのお客様だと? お前入荷したばかりとか言ってなかったか?」
「ええ。私のほうへ入荷したのは最近のことですよ。……まあ、その前に何人ものの方から返品されてきた奴隷ですがね」
「なっ!? それって……」
たらい回し。紫音の頭の中には真っ先にその言葉が浮かんだ。要は厄介払いのために紫音たちが選ばれたようなもの。
紫音は少しこのお姫様を買ったことに後悔し始めていた。
「くそぉ、俺たちに押し付けやがって……悪いけどフィリア運ぶの手伝ってくれないか?」
未だに吐瀉物まみれとなっている状況のためフィリアに助けを求めるため顔を向けると。
「アハハハハハッ! バーカ、バーカッ! な、なによその姿、いい気味よ。この私を今までぞんざいに扱ってきた罰よ!」
あろうことかこの状況で口汚く紫音を罵っていた。これまでの鬱憤も溜まっていたのだろう、紫音を指差しながら高笑いを続けている。
「これからはもっと私のことを敬って甘やかすことね。そうしたら助けてあげても……いいわよ……アハハハハハッ! ダメ! 我慢できないわ。紫音は私を笑い死にさせるつもりなのかしら?」
(こいつ……絶対に後で痛い目に遭わせてやる)
紫音は静かにそう誓った。それもこれも全部こいつのせいだと恨めしく思いながら腕に抱えたお姫様に目をやる。
先ほどの嘔吐から随分と静かだったが、どうやら気を失っていたらしい。今は紫音の腕の中で眠っていた。
(コミュ障のお姫様とはな……。楽に交渉の場まで行けると思っていたのにこれじゃあ先が思いやられるな……)
これからのことを考えた紫音は、腕に抱いたお姫様を見ながら深くため息をついていた。
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「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
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