70 / 205
第六章 因縁
魔性という存在
氷壁を壊すため、滅茶苦茶に剣を振り回す男──アラン──。
そのアランを、ただの一歩ですら自分達へと近付けないよう、氷依は次から次へと氷壁を張り続ける。
此方の魔力とあちらの体力──どちらが先に尽きるかなんて、考えるまでもない。だが、男の纏う黒い靄に、氷依は一抹の不安が過ぎる。
一瞬……ほんの一瞬でも隙を見せれば、氷壁を作り損ねたその瞬間に、黒い靄は確実に此方へと触手を伸ばしてくるだろう。そうなったところで、防ぎようはいくらでもあるため、問題はない。問題はないのだが──それは氷依だけの場合であり、今、彼女の後ろにはミルドがいる。
背後にいる彼の存在が足枷となり、氷依は自由に動くことができないのだ。自分だけなら何とかなっても、弱者を守りながらとなると、その分余計な神経と力を使わざるを得ない。
こいつさえいなければ……。
あまりの歯痒さに、いっそ見捨ててしまおうか、などという思考が氷依の中で鎌首をもたげてくる。
だが、そうした場合、その後自分がどうなるか。ルーチェがどのような判断を下すかといった想像がつかない。
命令違反は即、死に繋がる。
魔性の世界ではそうだった。それが当たり前だった。
人間の世界ではどうか分からないが、氷依が魔性である以上、従うべきはどちらの世界の理かなど、考えるまでもない。
「ならばやはり、見殺しにはできないというわけよね……」
呟き、氷依は力を放った。
自身の前方だけではなく、後方にまでも氷壁を張り、それによってミルドを遥か後方へと弾き飛ばす。
「うわああああぁぁぁぁ……」
身構えることすらなく、ただ呆然と氷依とアランの戦う様子を見ていただけのミルドは、いとも容易く遠くへと弾き飛ばされた。
幾ら自分が見ているだけの立場だったとはいえ、今は戦いの最中。せめてもう少しぐらい危機感を持てなかったのかと氷依は思ったが、次の瞬間、前方の男から感じた異様な気配に、その考えは跡形もなく吹き飛ばされた。
「お前……そのなりは……?」
異様な気配を放つ男へと向き直り、氷依は表情を歪める。
先程までは、単に男の身体に黒い靄が纏わり付いているだけだった。
けれど今はその立ち位置が完全に逆転し、黒い靄の中に男の身体が埋もれた状態となっている。
「何故、急に……」
言い終わる前に、男は姿を消した。
否、消えたのではない。もの凄い速さで、氷依のすぐ横を擦り抜けて行ったのだ。
「なにっ⁉︎」
驚愕に目を見開き、振り返った氷依の視線の先で、黒い靄と化した男がミルドに触手を伸ばすさまが目に入った。
人間が、一瞬にしてあの距離を移動するなどあり得ない。しかも、氷依が適当に弾き飛ばしたミルドの落下地点に、迷うことなく辿り着くなど。
人間の視力、運動能力では、絶対に成しえないはず。
故に、人間であるアランには、追いつくことなど不可能なはずだった。
それなのに──。
「随分と余計なことをしてくれるものよ……」
ギリ、と音を立てて歯を食いしばり、氷依は忌々し気に呟いた。
アラン自身を呑み込まんばかりに蠢く黒い靄。
まさかとは思ったが、やはりあれは魔性のもので間違いないだろう。
人間に手を貸すなど正気の沙汰とは思えず、だからこそ違う可能性を模索していたけれど。
認めてしまえば、それ以外の可能性などないことが分かる。あの妙な気配も、手を貸した魔性に帰依するものだと考えれば疑いようもない。
「だが、まさか人間如きにあのような力を与えるとは……」
狂っている、としか思えなかった。
氷依にとって、人間は意思のある玩具でしかない。
気紛れに手を出して遊び、暇を潰す程度の、なんてことはない玩具。
そんなものに手を貸す──ましてや力を分け与えるなど、正気だとは思えなかった。
ルーチェという人間の命令によって働くお前も、同じようなものではないのか?
ふと何処かから、そんな問いが聞こえたような気がした。
けれど、違う。自分は決してそうではないと氷依は思う。
「わたくしはただ、あの者に弱みを握られているだけ」
人間に弱みを握られ意のままに操られるなど、魔性として愚の骨頂でしかないが、自死することの方が余程愚かしい行為であるため、氷依は今の立場を仕方なく受け入れている。
決して、ルーチェの瞳に魅了されたからなどではない。そうではないと、声を大にして言える。
「そうよ。わたくしが従っているのは、弱みを握られたから。それ以外の理由では決してないわ」
けれども最近、そのような魔性が増えてきていることが氷依は密かに気にかかっていた。
ルーチェが欲しているという人間の少女と共にいる、赤い髪の魔性。僅かな時間しか対峙していないが、彼は明らかに少女に対し、好意のようなものを持っているように感じられた。
たかが人間に、あのような強い力を持つ者が何故……。
考えても、分からない。
玩具にする以外の理由で、人間に関わる理由などないはずなのに。
「一体奴らは……」
呟き首を傾げた刹那、氷依の視界に、今まさに黒い靄に取り込まれんとするミルドの姿が飛び込んできた。
「あっ……」
つい考え事に没頭し、傍観者となっていた氷依は慌てる。
今更転移しても、間に合わないか……?
そう感じつつ、ダメ元で転移した。
無駄と知りつつ足掻くのと、無駄と知って諦めるのとでは、上者から受けるその後の自分への対応に差が付く。
そのことが瞬時に頭へと浮かび、行動へと移せたのは、氷依にまだ冷静な部分があったからかもしれない。
決してミルドの為ではない。あくまでも自分の為。
魔性とは、本来そういった存在なのだから──。
そのアランを、ただの一歩ですら自分達へと近付けないよう、氷依は次から次へと氷壁を張り続ける。
此方の魔力とあちらの体力──どちらが先に尽きるかなんて、考えるまでもない。だが、男の纏う黒い靄に、氷依は一抹の不安が過ぎる。
一瞬……ほんの一瞬でも隙を見せれば、氷壁を作り損ねたその瞬間に、黒い靄は確実に此方へと触手を伸ばしてくるだろう。そうなったところで、防ぎようはいくらでもあるため、問題はない。問題はないのだが──それは氷依だけの場合であり、今、彼女の後ろにはミルドがいる。
背後にいる彼の存在が足枷となり、氷依は自由に動くことができないのだ。自分だけなら何とかなっても、弱者を守りながらとなると、その分余計な神経と力を使わざるを得ない。
こいつさえいなければ……。
あまりの歯痒さに、いっそ見捨ててしまおうか、などという思考が氷依の中で鎌首をもたげてくる。
だが、そうした場合、その後自分がどうなるか。ルーチェがどのような判断を下すかといった想像がつかない。
命令違反は即、死に繋がる。
魔性の世界ではそうだった。それが当たり前だった。
人間の世界ではどうか分からないが、氷依が魔性である以上、従うべきはどちらの世界の理かなど、考えるまでもない。
「ならばやはり、見殺しにはできないというわけよね……」
呟き、氷依は力を放った。
自身の前方だけではなく、後方にまでも氷壁を張り、それによってミルドを遥か後方へと弾き飛ばす。
「うわああああぁぁぁぁ……」
身構えることすらなく、ただ呆然と氷依とアランの戦う様子を見ていただけのミルドは、いとも容易く遠くへと弾き飛ばされた。
幾ら自分が見ているだけの立場だったとはいえ、今は戦いの最中。せめてもう少しぐらい危機感を持てなかったのかと氷依は思ったが、次の瞬間、前方の男から感じた異様な気配に、その考えは跡形もなく吹き飛ばされた。
「お前……そのなりは……?」
異様な気配を放つ男へと向き直り、氷依は表情を歪める。
先程までは、単に男の身体に黒い靄が纏わり付いているだけだった。
けれど今はその立ち位置が完全に逆転し、黒い靄の中に男の身体が埋もれた状態となっている。
「何故、急に……」
言い終わる前に、男は姿を消した。
否、消えたのではない。もの凄い速さで、氷依のすぐ横を擦り抜けて行ったのだ。
「なにっ⁉︎」
驚愕に目を見開き、振り返った氷依の視線の先で、黒い靄と化した男がミルドに触手を伸ばすさまが目に入った。
人間が、一瞬にしてあの距離を移動するなどあり得ない。しかも、氷依が適当に弾き飛ばしたミルドの落下地点に、迷うことなく辿り着くなど。
人間の視力、運動能力では、絶対に成しえないはず。
故に、人間であるアランには、追いつくことなど不可能なはずだった。
それなのに──。
「随分と余計なことをしてくれるものよ……」
ギリ、と音を立てて歯を食いしばり、氷依は忌々し気に呟いた。
アラン自身を呑み込まんばかりに蠢く黒い靄。
まさかとは思ったが、やはりあれは魔性のもので間違いないだろう。
人間に手を貸すなど正気の沙汰とは思えず、だからこそ違う可能性を模索していたけれど。
認めてしまえば、それ以外の可能性などないことが分かる。あの妙な気配も、手を貸した魔性に帰依するものだと考えれば疑いようもない。
「だが、まさか人間如きにあのような力を与えるとは……」
狂っている、としか思えなかった。
氷依にとって、人間は意思のある玩具でしかない。
気紛れに手を出して遊び、暇を潰す程度の、なんてことはない玩具。
そんなものに手を貸す──ましてや力を分け与えるなど、正気だとは思えなかった。
ルーチェという人間の命令によって働くお前も、同じようなものではないのか?
ふと何処かから、そんな問いが聞こえたような気がした。
けれど、違う。自分は決してそうではないと氷依は思う。
「わたくしはただ、あの者に弱みを握られているだけ」
人間に弱みを握られ意のままに操られるなど、魔性として愚の骨頂でしかないが、自死することの方が余程愚かしい行為であるため、氷依は今の立場を仕方なく受け入れている。
決して、ルーチェの瞳に魅了されたからなどではない。そうではないと、声を大にして言える。
「そうよ。わたくしが従っているのは、弱みを握られたから。それ以外の理由では決してないわ」
けれども最近、そのような魔性が増えてきていることが氷依は密かに気にかかっていた。
ルーチェが欲しているという人間の少女と共にいる、赤い髪の魔性。僅かな時間しか対峙していないが、彼は明らかに少女に対し、好意のようなものを持っているように感じられた。
たかが人間に、あのような強い力を持つ者が何故……。
考えても、分からない。
玩具にする以外の理由で、人間に関わる理由などないはずなのに。
「一体奴らは……」
呟き首を傾げた刹那、氷依の視界に、今まさに黒い靄に取り込まれんとするミルドの姿が飛び込んできた。
「あっ……」
つい考え事に没頭し、傍観者となっていた氷依は慌てる。
今更転移しても、間に合わないか……?
そう感じつつ、ダメ元で転移した。
無駄と知りつつ足掻くのと、無駄と知って諦めるのとでは、上者から受けるその後の自分への対応に差が付く。
そのことが瞬時に頭へと浮かび、行動へと移せたのは、氷依にまだ冷静な部分があったからかもしれない。
決してミルドの為ではない。あくまでも自分の為。
魔性とは、本来そういった存在なのだから──。
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
せっかく傾国級の美人に生まれたのですから、ホントにやらなきゃ損ですよ?
志波 連
恋愛
病弱な父親とまだ学生の弟を抱えた没落寸前のオースティン伯爵家令嬢であるルシアに縁談が来た。相手は学生時代、一方的に憧れていた上級生であるエルランド伯爵家の嫡男ルイス。
父の看病と伯爵家業務で忙しく、結婚は諦めていたルシアだったが、結婚すれば多額の資金援助を受けられるという条件に、嫁ぐ決意を固める。
多忙を理由に顔合わせにも婚約式にも出てこないルイス。不信感を抱くが、弟のためには絶対に援助が必要だと考えるルシアは、黙って全てを受け入れた。
オースティン伯爵の健康状態を考慮して半年後に結婚式をあげることになり、ルイスが住んでいるエルランド伯爵家のタウンハウスに同居するためにやってきたルシア。
それでも帰ってこない夫に泣くことも怒ることも縋ることもせず、非道な夫を庇い続けるルシアの姿に深く同情した使用人たちは遂に立ち上がる。
この作品は小説家になろう及びpixivでも掲載しています
ホットランキング1位!ありがとうございます!皆様のおかげです!感謝します!
【完結】ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝🌹グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
そう名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
✴️設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
✴️稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️