あなたのすべて

一条 千種

文字の大きさ
36 / 47

第36話 あなたのすべて

しおりを挟む
「今日はね、コータをご招待するから、バラのお花を用意したの」
 幸太を部屋に招待した美咲は、ローテーブルに飾られたバラの花束に、上機嫌の様子だ。
 美咲によると、お義母かあさんは月に二度はこのように花を贈ってくれるらしい。お義母さんの気分だったり、美咲のリクエストで、彼女の部屋はいつも何かしらの花が活けられているそうだ。
「美咲は、ほんとにお花が好きだね」
「うん、お花大好き。もともとは、ママの趣味がお花で、私はその影響かな」
「そうだったんだね。美咲の名前も、お義母さんが?」
「そう。パパは別の名前がよかったらしいんだけど、ママがどうしてもって」
「お義父とうさんは、どんな名前がよかったの?」
「稲穂の穂に香りで、穂香ほのか
「穂香……」
 それはそれで想いの込められた、素敵な名前ではある。
「けど、俺は美咲の方が好きだな」
「ほんと?」
「美咲のことが好きだからかもしれないけど、似合ってるよ。美咲は、美咲じゃないと」
 うふふ、と美咲はうれしそうに笑った。
 彼女はそのあと、旅行の計画を進めるため、横浜周辺に関する旅行雑誌や地図を持ち出した。
「私は、ここと、ここと、ここは行きたい。コータも行きたいとこ考えてくれた?」
「もちろん。俺は、こことここ、それからここかな」
「うんうん、行こうよ行こうよ! じゃあ1日目はここからここまで歩いて、2日目、こことここ行こっか」
「いいね。じゃあこのあたりのホテルとっとくよ」
「うん、ありがとう。どうしよ、すっごく楽しみ! 私もコータみたいに、爆発しちゃうのかな?」
「そのときは一緒に爆発しよ」
「あはは、一緒に爆発してくれるの? それならいいよ!」
 (旅行の準備、早めに始めないとな……)
 今は3月2日。旅行は7日と8日だから、実はそれほど余裕はない。
 修学旅行を除けば、美咲との初めての旅行だ。しっかり備えて、当日は不安がないようにしたい。
 ここで一度、会話の種が途切れた。
 美咲は無言で立ち上がり、幸太からのプレゼントであるペンダントを外し、アクセサリーラックに戻した。
 幸太にはそれが、美咲からのサインのような気がした。
 違うかもしれない。が、ここは彼が動くべきだと思った。
 幸太は無言で、そして静かに、美咲を抱きしめた。
 美咲が微笑む気配がする。
「コータ、よくこうして後ろからハグしてくれるよね。私、すごく幸せな気持ちになれるよ。ふんわり包み込んでくれて、愛されてる、守られてるって感じる」
「正面からより?」
「うふふ、どっちも好き。どっちもうれしいよ」
 美咲は幸太に抱かれたまま、くるりと向き直った。幸太の首に両腕を回して抱き合うと、彼女のぬくもりが手や首の薄い皮膚を通して感じられる。
「俺も、美咲とこうしてくっついてるだけで、どんなときよりも幸せだよ」
「うれしい。でも、今は緊張してる?」
 確かに、幸太の心臓は先ほどからひっきりなしに早鐘はやがねを打ち続けている。
 なぜそれが分かるのだろうかと思うと、ぴったりと重ね合わせた首筋から、美咲の激しい脈動が伝わってくる。
 彼女も、同じようにして、幸太の気持ちを知ったのだろう。
「うん、緊張してる。美咲は?」
「私も、ドキがムネムネしてるよ」
「それ、久しぶりだね」
 ふたりは愛情の豊かな微笑と瞳を重ね、どちらからともなく、口づけを交わした。
 ゆっくりと、互いの想いを確かめるように、キスを繰り返す。
 どれほどの時間、抱き合い、そうしていたかは分からない。
 ただ、ともすればはやる気持ちをおさえ、愛情を伝えようと丁寧に、時間をかけて唇を重ねているうち、お互いの呼吸、リズムがぴったりと合う感覚がある。
 それが、幸太にとっては思わず涙ぐんでしまうほどにうれしく、いとおしく、そして幸せだった。
 合間、美咲が彼の涙に気づいた。
「コータ、どうしたの? 泣いてる……」
「美咲のことが好きで、いとおしくて、うれしいからだよ」
「私のこと好きで、好きすぎて、爆発しちゃう?」
「うん、爆発するかも」
「うふふ、そのときは、一緒に爆発しよ。私も同じ気持ちだから」
 このときの美咲の声は、いつもよりさらに豊かな優しさといたわり、そして穏やかで強い情愛に満ちていたように感じられた。
 ふたりはさらに唇がぴりぴりとしびれるほどに口づけを交わし続けた。
 美咲も、同じ感覚らしい。
「なんだか、唇が痛くなってきちゃった。れて、クチビルおばけになったらどうしよう」
「ごめん、夢中になっちゃった」
「ううん、私がしたかったからいいの」
 幸太はそっと、美咲のやわらかい髪をで、頬、あごに触れながら、肩にかけられたアイボリーホワイトのカーディガンへと手をかけた。
 バラの甘く官能的な香りが、幸太の神経へと徐々に浸透し、彼を支配してゆく。
「いい?」
「うん、いいよ。ありがと、コータ」
「ん?」
「聞いてくれて。まだちょっと緊張するし、不安もあるけど、コータがそうやって聞いてくれると、安心する。私、もう迷ってないよ」
「ゆっくり深呼吸して、リラックスして。気持ちよかったり、痛かったり、してほしいこと、してほしくないことがあったり、途中でやめたくなったら、怖がらないで、恥ずかしがらないで言って。美咲のこと、俺に教えて」
「ありがとう。そうする」
 ふたりはそれから、時間を忘れて、愛し合った。
 幸太の愛撫あいぶを全身に浴びながら、美咲はときに涙した。
 そのわけを、幸太は聞かずとも知ることができた。
 ただ、一度だけ、美咲は別の理由で涙を流したように思われる。
 その瞬間、美咲は頬だけでなく額やあごまで鮮やかに紅潮させ、表情をゆがませ、小さな苦痛の声を漏らしながら、それでも幸太を抱きしめる腕を離そうとはしなかった。
「美咲、痛い?」
「うん……ほんのちょっとだけ。でも、思ってたよりはずっと大丈夫そう。もっと痛くてつらいかと思ってたけど」
「けど、泣いてるよ」
「痛いからじゃないの。うれしくて、幸せだから。さっきのコータと同じだよ」
「ほんと?」
「うん。心配してくれてありがとう。もう痛くないよ。胸いっぱいで、涙出ちゃった。こんなにいっぱいいっぱい愛してくれて、私ほんとに幸せ」
「美咲」
 美咲のそのいじらしさと、深い愛情とに、幸太はたまらず、彼女を夢中で抱きしめた。しっとりと汗ばんだ体には熱がこもって、肌と肌が触れると、それだけでまたいとおしさが膨れ上がっていく。
 ずっとずっと、美咲と一緒にいられたら。
 美咲を一生、愛せたら。
 幸太は美咲をさらに、強く激しく愛したいとほっしつつ、言葉ではまったく反対のことを言った。
「今日は、ここまでにしよ」
「えっ……?」
「初めてだし、まだ体が慣れてないから、無理はしないでおこうね」
「うん。ありがとう……」
 そろそろと体を離し、ティッシュで彼女の全身のうるおいをき清めていると、美咲はれた目で幸太を追いつつ、シーツで鼻から下を覆って表情を隠している。
「美咲、どうしたの?」
「……なんか、今になって恥ずかしくなってきちゃった」
「ゆっくり休んで。すぐそばにいるよ」
 左腕を腕枕にして、右手で髪をとかすように撫でたり、頬や肩に触れたり、指をからませたりしていると、美咲はつい先ほどまでそうであったように、熱におかされたような、ぼんやりととろけるような瞳に変化して、幸太の優しさを受け取った。
 胸元にそっと掌を置くと、今は安定した、穏やかな脈動が感じられる。
 心地ここちよいリズムだ。
 そう感じるのは、彼の鼓動と、同じ律動だからだろう。
 そうしたすべてが、そのような他愛のないことでさえ、すべてが、美咲への愛情になる。
「美咲」
「うん」
「愛してるよ」
 美咲は、彼の腕のなかで、静かにあごを上げ、幸太の瞳を見つめた。
「コータ……」
「愛してるよ、美咲」
 それが、12年間の片想いと、この1年、美咲とともに育ててきた愛情の、ありのままの姿だった。
 今の幸太の想いを表現するのに、彼にはもうこの言葉しかないように思われた。
 美咲は、また泣いた。号泣ごうきゅうだった。幸太の首にしがみつくようにしながら、彼女はのべつ幕なし泣き続けた。
 幸太は、まるで父親が幼い娘が泣きむのを待つように、なめらかな柔肌やわはだの背中をとんとんと叩いた。
 美咲がようやく落ち着いて、ふたりはともに一糸まとわぬ姿にシーツだけをまとい、ぴたりと寄り添い話をした。
「コータ、泣いちゃってごめんね。私、ほんと泣き虫……」
「謝ることないよ。美咲の気持ち、教えてくれる?」
「うん……うれしいよ、すっごく。ずっと、聞きたいって思ってた」
「そうだったの?」
「うん。でも、愛してるって言ってって、お願いすることでもない気がして。だから、コータが言ってくれて、感動して、感激して、よろこびと幸せがあふれて」
「ほかの言葉、思いつかなかったよ。俺、美咲のすべてを愛してる。美咲の声も、美咲の笑顔も、美咲の涙も、美咲の言葉も、美咲のにおいも、美咲の手も、美咲の想いも、全部、全部愛してる」
「私も」
 と、美咲は再び涙をぼろぼろと流して、
「私も、愛してるよ。あなたのすべて」
 そう言ってくれた。
 ふたりはそれからまた、きることもなく、ベッドの上で口づけと抱擁ほうようを繰り返した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋と首輪

山猫
恋愛
日本屈指の名門・城聖高校には、生徒たちが逆らえない“首輪制度”が存在する。 絶対的支配者・東雲財閥の御曹司、東雲 蓮の「選んだ者」は、卒業まで彼の命令に従わなければならない――。 地味で目立たぬ存在だった月宮みゆは、なぜかその“首輪”に選ばれてしまう。 冷酷非情と思っていた蓮の、誰にも見せない孤独と優しさに触れた時、みゆの心は静かに揺れはじめる。 「おめでとう、今日から君は俺の所有物だ。」 イケメン財閥御曹司 東雲 蓮 × 「私はあなたが嫌いです。」 訳あり平凡女子 月宮 みゆ 愛とか恋なんて馬鹿らしい。 愚かな感情だ。 訳ありのふたりが、偽りだらけの学園で紡ぐカーストラブ。

【完結】1日1回のキスをしよう 〜対価はチョコレートで 〜

田沢みん
恋愛
ハナとコタローは、 お隣同士の幼馴染。 親から甘いもの禁止令を出されたハナがコタローにチョコレートをせがんだら、 コタローがその対価として望んだのは、 なんとキス。 えっ、 どういうこと?! そして今日もハナはチョコを受け取りキスをする。 このキスは対価交換。 それ以外に意味はない…… はずだけど……。 理想の幼馴染み発見! これは、 ちょっとツンデレで素直じゃないヒロインが、イケメンモテ男、しかも一途で尽くし属性の幼馴染みと恋人に変わるまでの王道もの青春ラブストーリーです。 *本編完結済み。今後は不定期で番外編を追加していきます。 *本作は『小説家になろう』でも『沙和子』名義で掲載しています。 *イラストはミカスケ様です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~

美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。 貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。 そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。 紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。 そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!? 突然始まった秘密のルームシェア。 日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。 初回公開・完結*2017.12.21(他サイト) アルファポリスでの公開日*2020.02.16 *表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...