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第1章 Life in Lacra Village

第19話 魔人襲来

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 その日は昼から天候が急転し、激しく雨粒が地面を叩いていた。 夜になった今でも、その勢いは留まることを知らない。

「雨止まないねー」
「面倒」

 ハジメとレスカ、そしてフエンは姉妹宅で夜の寝支度をしていた。 ここ一ヶ月はエスナとリバーが同棲もとい別行動をしているため、夜はいつもこのような状態である。

「レスカ、今日なら雨の音で何してもバレないです。 チャンスです」
「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいこと言わないで! そ、そそ、そんなこと……し、しないし!」
「そんなことって何です? ほら、口に出して言ってみるです」

 寝室の組み分けは、ハジメが一人部屋、レスカとフエンが二人部屋である。 ……当然か。

 フエンに関しては宿に泊まったり姉妹宅に泊まったり色々忙しいが、概ね姉妹宅を用いることが多い。

(いつも喧嘩してっけど、多分これは仲が良いんだよな……?)

 万年ボッチのハジメは、この年代の女子がどのような絡み方をしているのかを知らないので、これが正しいとさえ思ってしまう。

 実際お互い言葉の殴り合いなだけで、コミュニケーションは取れていると言って良い。 レスカ然りフエン然り、これまで同年代の女子と関わり合いを持たなかったために、正しい接触方法が分からないのだ。 だからこそ刃を剥き出し──感情そのままに会話をする。

「もう! フエンちゃん嫌い! 今日はハジメと寝る!」
「お前、やっぱりこいつとイチャつきたいようなのです。 姉妹共々えっちなのです」
「違うもん! フエンちゃんが嫌なことばっかり言うからだもん!」
「喧嘩、しない」
「ハジメは黙ってて!」
「……はい」
「じゃあ今日のフエンは宿で寝てやるです」
「え……? フエンちゃん帰るの?」
「はいです。 なので、あとはお前の好きにやれば良いのです」
「好きに、って……」
「お前、何をいやらしい想像してるですか。 もうピンク脳です」
「フエンちゃんは、あたしにそうして欲しいんじゃないの……?」
「すっかりやる気です。 そんなに溜まってるですか」
「だってフエンちゃんが変なことばっかり言うから……その……」
「なに下半身をモジモジしてるですか気持ち悪い。 ……ちなみにその場合、何するか分かってるですか?」
「何、って……あの……」

 フエンがそっとレスカの耳元に口を近づける。

「まずは両の指を絡め合うです」
「はぇ……!?」
「次に互いの唇を重ねて……」
「は、はぁっ……!」
「舌を絡ませて……」
「え、えぇー……そ、そんなこと……」
「次に……」
「う、うん……」
「……って、馬鹿ですか。 そんなの男に任せてれば良いのです。 せいぜい無茶苦茶になってしまえば良いのですこの変態ども」
「ども!? あたしそんなんじゃないよ!」
「よだれ垂らしながらフエンの話に聞き入っている時点で、お前はその変態と同じ位置です。 というわけでフエンはこんな爛れた場所には居られないのでさっさと退散するです」
「ひ、ひどいよ!」
「じゃあこれ──……ん?」

 急にピクリとフエンの方が跳ねた。

 直後フエンの首がぐるりと回り、その視線は南の山へ。

「フエンちゃん、どうしたの?」
「お前、何か気付かないです?」
「何か、って言われても……」
「二人とも、そこを動くなです!」

 フエンはそれだけ言い残すと、大雨の中を扉を開けっぱなしに飛び出していった。

「どうしたんだろ……?」
「不明」

 巫山戯たやりとりから一転、フエンのあまりの変化にレスカとハジメは付いていけない。

 二人は顔を見合わせると、いつも通りフエンの癇癪だと思いそのまま寝入る準備に入った。

「フエンちゃん!?」
「二人とも気づいたですか!?」
「ええ、まさか向こうからお出ましとは」

 雨吹き荒ぶ悪環境の中で、フエンとリバーそしてエスナがそれぞれ同じ志のもとに集合した。

 今ここで雨に濡れようことなど、大した問題ではない。 それ以上の問題が別にある。

 三人はある一点を見つめた。 彼らの視線の先──南の山の頂上あたりから、濃密な瘴気が立ち昇る様子が確認できる。 それはある一点から噴出しており、そして山を下って来てさえいる。 つまりそれは、特定の個から生み出されているものだということだ。

「あれの狙いは何です?」
「村全体か特定の村民、次いで個人的恨みで私かフエンさんですかね。 エスナさんが狙われる心配はないと思いますが……」
「えっと、いよいよ……ということですか……」
「そうですね。 いずれにせよ、ここで待ってても被害が拡大するだけですかねぇ」
接続リンクの形成は十分です?」
「まだ余地はありますが、まぁ一応形としては出来上がっているかと」
「なるほど。 期待してるです」
「では、私とエスナさんで迎撃に向かいます。 その間にフエンさんは村民の避難を」
「了解です」
「エスナさん……準備は完璧とはいきませんが、心してください」
「は、はい……」
「後で追いつくです。 《浮遊フロート》」

 フエンは身を浮かせると、まずはハジメとレスカの元へ。

 フエンは到着するや否や、勢いよく家の扉を開け放つ。

「お前たち、今から村を出るです!」
「えっ!? な、なに……?」

 ちょうどハジメの手を引いて寝室へ向かおうとしていたレスカ。 その場面を押さえられて赤面するが、ただならぬフエンの様子に思考は正常に戻る。

「魔人が来るです。 ここは戦場になるです」
「……え? 魔人って……?」
「人間が敵わない存在です」

(これ、は……やばそうだ……。 言ってる内容は分からんが、非常事態ってのは分かる……)

「ど、どうすれば……」
「レスカは村を出て安全な場所へ避難するです。 ハジメ、お前はレスカを死んでも守るです」

 キッ、とフエンの目に力が篭る。

 それほどの意志は、きちんとハジメに伝わる。

「ハ、ハジメ……逃げなきゃ……」
「あ、ああ……」
「……でも、お姉ちゃんは……?」
「リバーさんと魔人の元へ向かってるです」
「え……」
「魔人って……でも、そんな……」
「ここまでの特訓も、ハナからこれを見据えたものです。 だから姉の元へ馳せ参じたいなどとは絶対に言うなです。 お前たちのやるべきことは巻き込まれずに生き残ること、です。 たとえフエンたちが生きて戻らなくても」
「だ、だめだよ……! そんな危ないとこに行っちゃ……ッ! みんなで逃げなきゃ!」
「……ああ、もう時間が無いのです」

 フエンはそう言って魔導書を捲る。 そして特定のページで指を止め──。

「《風弾バレット》」

 ──レスカに向けて魔法を放った。

「……ゔっ!」

 レスカが吹き飛ばされ、壁に叩きつけられている。

「お、おいッ!」

 そのまま項垂れ、動かなくなってしまったレスカ。 それを見てハジメはすぐには意図を理解できず、怒りを隠さずフエンを怒鳴った。

 レスカと壁の間にあった壺や机も壊れてしまった。 しかしだからこそ、そんなことを言っていられない状況だというのがハジメにも徐々に分かってきた。

「お前は利口だと信じてるです。 レスカを連れて村から離れるです」

 ピッ、とフエンが指差すのは扉の向こうであり、村から出た遥か先だ。

 激しく降り注ぐ雨のカーテンは、これからのハジメの未来を表しているようだ。

「……理解、した」
「助かるです。 もしフエンたちが戻らなければ……いえ、戻らなくてもそのまま別の村へ行くです。 そして王都へ向かって旦那様──トンプソン様のところへ向かうです。 あとこれを」

 フエンは数枚の金貨が入った小銭袋をハジメに投げて寄越した。

「これ、は?」
「生活するための駄賃です。 もう一回言うです。 王都、トンプソン、この単語だけは忘れずにいるです」
「王都、トンプソン……」
「それだけ分かれば十分です。 お前はこれからレスカと仲良くしておけ、です。《浮遊》」

 言い逃げのようにして家を出たフエン。

(くっそ……。 なんだよ一方的に言いやがって……!)

 ハジメはそのまま夜中の暗い空間に消えていくフエンを見送ると、急いで荷物を纏める。 不条理な現実に不満を内心で吐き出しながら、あまり時間は残されていない中で必要最低限のものを皮袋へ。

 村を出るなら、食料と衣類は必須だ。 あとは雨の中の行軍となるので着替えも必要だろう。 ハジメは訳も分からないままに保存食も衣類も纏めて限界まで袋に詰めると、意識のないレスカを背中に抱える。

 寝巻き姿になったレスカを着替えさせる時間はないし、だからと言ってこのまま外に出るわけもいかない。 だから雨除けがわりに掛け布団として使っている布をレスカに被せた。 

 ハジメは背中に触れる胸の感触などフル無視して外へ。

「俺たちは邪魔ってことだよな……。 だからフエンちゃんは金まで渡してきたわけだろうし……」

 ハジメはポケットに突っ込んだ銭袋を確認する。 貨幣価値すら知らないハジメだが、おそらくこれがあればしばらく生きていくことには困らないだろう。

「でもどこへ向かう……? いや、それよりも雨が……」

 ハジメは雨の影響が予想以上に厄介なことを思い知った。 それは全身を濡らして重みを与えるばかりでなく、体温とともに体力さえも奪っていく。

「どこかに身を隠さねぇと、レスカの体力もやばそうだ……」

 焦る思考でハジメは足を走らせて村の出口へ。

「ハッ……ハッ……ハァッ……!」

 村の方もなにやら騒がしいが、ハジメにはどうでも良いことだ。 村の連中とは付き合いが皆無だし、彼らはエスナやレスカに酷いことをしてきた者たちだ。 そして初日にボコってきたこともハジメは許していない。 彼らが死のうが生きようがどうでも良く、ハジメが大切にすべき命は、今この背中に抱えているレスカだけだ。

「ハァッ……もっと鍛えてれば、ハッ……こんな邪魔者扱いされることもなかったのに……!」

 唐突に訪れた、ターニングポイント。

 後悔したところで今更できることが増えることはなく、今ある力だけでここからの状況を乗り切るしかない。

 魔法使いであるフエンの焦りようから見て、今回の出来事は相当に厄介なものだということが窺える。

 ハジメは、死地へ向かう彼らと行動を共にできないことに無力感を禁じ得ない。

「でも、フエンちゃんのあの様子は、この間の大蛇の比じゃなかった……」

 ハジメには、ここからレスカを抱えて無事に生きていけると言い切れるような肉体能力もない。 あるのは日々を暮らすための筋力と体力のみであり、それは村の中で生活するためだけの要素でしかない。

 ハジメにとっては外の世界は知らないことだらけの魔境であり、レスカ無くしては生き抜くことは困難だろう。 したがってレスカを守ることが最優先事項であり、それこそフエンに命令された内容でもある。

「ちくしょうッ……!」

 水溜りを踏み鳴らしながら、ハジメは先の見えない荒野を進む。


          ▽


「メレド=ラクラ、今すぐ住民を逃がすです!」
「フエン様、一体何が……?」

 フエンはメレド宅の扉をぶち壊しながら中に踏み入ると、大声を張り上げた。

「魔人がやってくるです」
「そ、そんな……!」
「狼狽えてる暇があったら動くです。 村を放棄しな──」

 ギャアアアア──。

 響く断末魔。

「──チッ……。 もう来たですか」
「何が……」
「フエンたちは魔人の相手をするです。 お前たちは自衛に勤しむです」

 フエンが外へ出ると、複数の村人の姿が見えた。 その側には獣らしき姿が散見できる。

「《風弾》!」

 村人に襲いかかっていた獣が弾け、血肉を撒き散らす。

「あ、ありがとう……ございます……!」
「早く安全を確保するです! ……でも、これはこれで逃げることも難しそうです」

 フエンはリバーに追いつくと言った手前急がなければならないのは山々なのだが、ここで全てを見捨てるという選択肢は取れない。 獣たちの蹂躙を許せば、その魔の手は現在逃亡しているハジメやレスカに及ぶかもしれないのだから。

「獣まで従えているとは、ヤエスもやる気マンマンです……《反響エコー》」

 フエンは音波を周囲へ拡散させ、これにより動きを見せる有機体の位置を捕捉できるようになった。

「《風刃ブレード》」

 続けて風刃が発動されるが、今回のそれは少し趣を異にしている。

 魔刃はジャンケンで言えばチョキに相当する切断を意図した攻撃だ。 ちなみに魔弾がグーで外部破壊を、爆発がパーで破裂による範囲攻撃を想定している。

 魔法使いは近接戦闘を苦手とし、遠距離から小狡く攻めることが主体のため、魔刃は遠距離攻撃として用いられてきたわけだ。

 しかしフエンの風刃は彼女の手元から離れていない。 これはフエンがハジメから引き出した知識で得た新たな可能性であり、魔法の放出段階を無理矢理に留めた状態になる。 だからこそこの風刃は穿弾のように派生した魔法ではなく、飛ぶまでには至っていない不完全な状態を維持した魔法なのだ。 これにより可能になるのは──。

「《浮遊》」

 魔法は概ね詠唱から展開、そして放出の3つの過程を経ている。 魔法使いが中級の技量になると放出までの間に指向性を付与できるようになるため、様々な方向性を規定できるようになっている。 つまりフエンやリバーは現在、初級から中級に上り詰めている段階だと言える。

 フエンは二つ以上の魔法を同時に展開できない。 しかしそんな彼女がこうやって複数の魔法を使用できているのは、すでに反響も風刃もアクティベートされたあとだからである。

 魔法名を詠唱して放出という段階を経た時点で、基本セットの──魔弾、魔刃、爆発など誰もが使える──魔法は使用されたという判定になり、次なる魔法が準備可能になるのだ。 ただし、ややこしいことに浮遊は使用をやめた時点で放出完了扱いなので、浮遊を先に発動させた場合はこの限りではない。

 結果的にフエンは浮遊をしながら反響と風刃が使用できるようになったというわけだ。

 ザ……シュッ──。

 フエンは高速で移動し、反響で位置を特定した獣を斬りつけた。

 速度が乗り、なおかつ武器のように使用できる風刃は、獣を一匹ずつ確実に仕留めていく。 とはいえ全ての獣が動き回り続けているというわけではないし、反響が雨飛沫の音すらも拾ってしまうため遠隔地の敵まで補足することはできない。

「チッ、面倒です! ヤエスめ、どれだけ連れてきてるですか!」

 そんな叫びを上げたいのはフエンだけではない。

 南の山の麓ではリバーとエスナが苦戦していた。

「リバーさん、かなりの数が抜けていきます……!」
「私たちを無視するとは……。 村全体を狙っていると見て間違いありませんねぇ」

 ブゥ……ン──。

 リバーの振るった伸縮する黒鞭がしなり、一匹の獣の首を切断した。

 黒鞭はリバーの闇刃が姿を変えた新しい姿。 フエンの風刃と同様に放出段階で留められた闇刃だが、そこになおかつ形状変化の指向性が付与されている。 これは操影《シャドウ・コントロール》状態により複合的に可能となった特殊技法でもある。 リバーはフエンよりも練度が高いために、魔刃に関してはほぼ中級の技量で魔法使用が可能になっているというわけだ。

「ど、どうすれば……。 全部は仕留め切れません……《水槍ランス》!」

 エスナの展開した《水域スペース》から、彼女の言葉に合わせて水の槍が真上へ立ち上がった。 それによって水域に侵入していた獣たちが身体を鋭く貫かれ、槍の中でピクリピクリと痙攣している。 即死しないのは出現させられる槍の数が少なく太さも足りないからであり、それは即ちエスナの技量不足だ。

「これではキリがありません。 マナ消費も気になりますし、私たちはヤエスに注力しましょう」

 このまま続けていてもヤエスへ至る前にマナが枯渇しそうだ。

「はい……でも……」

 フエンもリバーもエスナも、ここ1ヶ月で如実に魔法技能を高め続けてきた。 特にエスナは狩りへの挑戦によって獣を殺めることに心を痛めにくくなったし、精神的にも成長していると言える。

 だからあとは、成長により得られたエスナの安定を失わせないまま仕事を完遂するのみ。

「あれはすでに山の中腹です。 早く始末しなくては、周囲の獣や環境すらも魔界化してしまうでしょう。 なので流れていく敵は後続のフエンさんに託して、考えないようにしてください」
「あの……レスカは、大丈夫なのでしょうか……?」
「それも含めて、フエンさんはやってくれる方ですよ」

 フエンは高速で宙を駆けながら迫り来る獣たちを切断する。

 時には反撃を受けて、時には集団からの待ち伏せを受けて、フエンは傷つく。 それでも彼女は戦うことをやめない。 それは単に、まだ死にそうなほどの苦境ではないということと、やるべきことは最後までやるという彼女の真面目さからくるものだ。

 もちろん自身の命を最優先にはするが、ギリギリまではフエンも動き続けるつもりだ。 そのためのマナポーションも大量に携帯している。

「フエンちゃんが居ないと……」
「以前のままの我々であればフエンさんに全てをお任せする計画でしたが、ハジメさんの知識によって可能なことも増えています。 もし合流が果たせなかった場合は、私が前衛でエスナさんが後衛ですからね?」
「わ、わかりました……!」

 恐らくヤエスは次々に獣を送り出してくるだろう。 それらの多くはヤエスの支配下にある魔物だ。 村人には厳しい災害だろうが、彼らの優先度は魔人に対応しようとしている三人からすれば低いものだ。 たとえ多くの命が失われたとしても、それは戦果で洗い流すことができる。

 村がそのような未曾有のパニックに陥っている間にも、ハジメは着実に逃走を続けていた。

 未だハジメの周囲に構造物はなく、身を隠せそうな安全地帯は見つからない。

「ハァ…… ハァッ…… ハァ……ッ……!」

 ハジメの鼓動は常に最高頻度で叩き続けられており、荒い息は運動によってだけでなく恐怖によっても助長されている。

 そして背後に敵の姿が無いにも関わらず、ハジメは後ろを振り返らずにはいられない。 むしろ雨の中だからこそ、忍び寄る何かに気が付けないのではないかとビクビクしっぱなしだ。

「どこか……ハァッ……安全な……」

 こうやってハジメたちが何者にも襲われずにいられているのはフエンの活躍によるものであり、村人が囮の役目を果たしているおかげだ。

 しかしそんなことを知るハジメではないので、体力的な辛さを無視して走り続けるしかない。

「ハァ……そういえ、ば……」

 ハジメはエスナが週に何度か向かっていた別の村の存在を思い出した。

 何度かエスナの向かう先を目線で追った記憶があったために、ハジメはひとまずそちらを目的地とすることとした。

「確か、東の山を迂回、して……」

 エスナが勉強のために向かっていたのは東のクレメント村で、そこまでの陸路はある程度舗装された道として確保されている。 また、魔法使いとはいえエスナが比較的安全に赴くことのできる村という話だったはずだ。

 身を隠すにしても山や森の方面は危険だし、だからといってこのまま野宿できるような場所は見当たらない。 なのでハジメはなんとかそこへ辿り着くことを第一目標とした。

 雨によって確認できる道などは無いが、山を指標に進めば辿り着くだろう。 その意思でハジメは行軍を続けた。

「あれ、は……」

 うっすらと豪雨の闇夜に浮かぶ、人間の存在を知らせる灯火。

 本来なら真っ直ぐ二時間も掛からないはずの道のりを、ハジメはその3倍ほどの時間を掛けて踏破した。 これは、まともな思考を働かせることもできず、なおかつ周囲を警戒し続けて移動したからこその時間経過である。

「おい、誰か来ているぞ! 応援を呼んでくれ!」

 当然、このような深夜にやってくる人間に向けられるのは警戒心だけであり、ハジメは勿論その望まれない待遇を受けることとなる。

 それでもまずはどこかに身を落ち着けることが最優先であり、ハジメはそこがたとえ牢獄であっても構わないという気持ちだった。

「そこのお前、何者だ!? 要件を言え!」
「俺、は……っ……」

 その問いに対する返答は叶わなかった。

 クレメント村に着くや否や、ハジメは安心感と疲労感から脱力してしまった。 そしてそのまま、前のめりに地面に倒れ込んだ。

 周囲のざわつく声も雨が地面を叩く音も、全てが遠のいていく。

 ハジメはレスカを安全な場所へ運ぶことができたという満足感を得て、完全に意識を失った。
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