げに美しきその心

コロンパン

文字の大きさ
上 下
96 / 105
8章

それぞれの思い(2)

しおりを挟む
寝台に身を投げ出し、レイフォードは溜息を吐く。

「ああ、全く伯にはやられたよ。」

傍で控えるゴードンはただ無言で主人を見やる。

「あそこまでシルヴィアに何も教えていないなんてな。」

「それ程シルヴィア様を大切にされているのでしょう。」

放り出したレイフォードの靴を揃えながら話すゴードン。
レイフォードは寝返りを打ち、部屋の奥の扉を見つめる。

「それにしても過剰だと思うがな。
シルヴィアをそこまで世俗から離す理由があるのか。」

ゴードンに話しかけるでもなく、呟く。

(病や体を抜きにしてもあの過保護な対応が引っ掛かる。
歓迎はされないだろうが、一度伯の元へ訪ねてみるか、シルヴィアも連れて。)


レイフォードは寝台から降り、書斎机へ向かう。

「近い内にビルフォード家へ行こうと思う。
シルヴィアも連れていく。彼女も久しぶりに実家へ帰るのを喜ぶだろう。」

ゴードンは目を見張る。

自分の過去の行いで良い印象を持たれていないのはレイフォードも分かっている。
それでもビルフォード家へ赴くという今までのレイフォードでは考えられなかった。

今、恐らくレイフォードはビルフォード伯爵へ伺いの書状を認めているだろう。

「仰る通り、シルヴィア様は大変お喜びになるでしょうね。」

胸に詰まる思いでレイフォードに告げる。

「ああ、きっとな。
そうだ。あと、明日シルヴィアと街へ行く事になった。」

書状を書きながらゴードンを見ずに言う。
急な事でゴードンは首を傾げる。

「突然ですね。何かあったのですか?」

レイフォードはペンを置き、ゴードンへ向き直る。
レイフォードの顔が凶悪な物になっているのにゴードンは思わずたじろぐ。


「ああ、何。シルヴィアにちょっかいをかけている輩が居るみたいなんだ。
シルヴィアが一体誰の妻なのかを知らしめる為にちょっと、な。」

「さ、左様でございますか・・・。」

「ゴードン、お前も知っていたのか?シルヴィアが街へ行っていた事を。」

責めるような目つきでゴードンを問い質す。

「はい。把握しておりました。」

「何故、俺に報告しなかった。」

尋問されている?ゴードンは言い様の無い息苦しさを覚える。

「外出されて問題になる事柄が起きなかったもので・・・。
失念していました。申し訳ございません。」

ゴードンが頭を下げる。
それ以上責める事はせずに、レイフォードは視線を書状に戻し、続きを書き始める。
手を止めずレイフォードはゴードンに命じる。

「次からはシルヴィアが普段と違う事をしていたら、早急に知らせろ。」

「承知いたしました。」


(本当にシルヴィアは警戒心が無い。幼少期に人攫いに遭っているのならもう少し人を疑う事を覚えていても良いようなものの、無垢なままだ。
それが長所でもあるのだが、見ている方は心配で仕方ない。
俺が彼女を守らなければ。
取り敢えずは彼女が良くしてくれたという花屋の男に会う必要があるな。)

「ふ。ああ、明日が楽しみだな。」

笑みを溢すレイフォードだが、それはシルヴィアと同じ感情では無い事はシルヴィア以外、一目瞭然だろう。
目が全く笑っていないからだ。

(本当にレイフォード様はお変わりになられた。
良い事・・・なのだろうが・・・良い事だよな?
いや、良い事である筈だ。
こんなにも執着心がお強いとは思わなかっただけで、今はシルヴィア様をとても大切に思っていらっしゃるのは間違いない。
執着がお強いだけなのだ。)


ゴードンは自分に言い聞かせる。
荒んでいたレイフォードがシルヴィアと向き合う事で、変わってくれると願っていた。
その願い通り真っ当に成長したレイフォードなのだが、シルヴィアへ向く想いがゴードンの予想以上だった。

シルヴィアと楽しそうに話しているだけで嫉妬されるとは思わなかった。
おかげで二人が居る時は気を遣う。

シルヴィアはそうとは知らずに話しかけてくれる。
それ自体は全然問題は無い。
寧ろ嬉しく思っている自分がいる。

だが、自分とシルヴィアの話が弾めば弾むほど、目の前にいる当主の自分を見る目がどんどん物騒な物になっていくのが肌で感じる。

(恋慕する訳では無い。ただシルヴィア様と話していると胸が暖かくなる。
心が安らいでいく感覚だ。
長時間話してなどいないのに、レイフォード様のあの殺意に満ちた目。
シルヴィア様もこれから社交の場へ出なければならなくなる。
今からあのようでは、この先一体どうなる?
レイフォード様、もう少し心を広くお持ちくださいませ。)

レイフォードの背中を見ながら、ゴードンは切に願う。

「ああ、そう言えば。」

レイフォードははたと手を止める。

「シルヴィアにダンスを教える約束もしていたな。」

「そ、そうでございましたね。」

レイフォードは持っているペンを握り締めている。
ミシミシと音を立てて今にもペンが二つに割れる勢いだ。
ゴードンはその様子に固唾を呑む。

「殿下が先にシルヴィアと踊ったらしいな。」

落ち着いた声でレイフォードは話す。

「そのようで。」

ゴードンも同じ調子で返す。

「ああ。自分が悪いとはいえ、相手が殿下だったとはいえ、・・・・・本当に腹立たしい。」

「レイフォード様、それは・・・。」

「勘違いするな。殿下に対してではない。
自分に腹を立てているだけだ。
くそっ・・・!思い出しただけで腸が煮えくり返る。」

ベキリ。
とうとうペンが真っ二つに割れた。
ゴードンは額に手を当て、溜息を吐く。

「レイフォード様、それはダイオン様が息子達にと陛下より賜った物ですよ。
知りませんよ?お叱りを受けても。」

バツが悪そうな顔をするレイフォード。

「父上には後で謝っておく。」

自分の手の中に無惨な姿のペンを見つめ、手近にあった布にそれを包み、引き出しに入れる。

(自分にここまでの感情があったなんてな。
シルヴィアはどうなのだろう。俺が他の女と居て何とも思わないのだろうか。
・・・・思っていなかったな、そう言えば。
あの時、俺の横に居た女を見ても、シルヴィアはただ謝るだけだった。
怒り、悲しみの感情は見受けられなかった・・・筈だ。
そこまでシルヴィアの顔を見ていなかったが、そんな感情を見せていれば気が付いた。
あの時の俺なら、それに対してシルヴィアを責めていただろうな。)

自嘲気味に笑う。
そして、ゴードンに視線を移す。

「今日の食事にでもシルヴィアに話をする。」

「畏まりました。」

新しいペンを取り出す。

(シルヴィアは俺の願いを汲んでくれて、頑張ると言った。
頬に触れるだけで顔を赤くさせて・・・。
耳を噛んだ時のシルヴィアの反応は堪らなかった。
ああ、もっと触れたい。
彼女のあの甘い匂いをもっと嗅いでいたい。
彼女が本当の意味で俺を受け入れてくれたら、俺はどうにかなってしまうかもしれないな。)

「ふふふ。」

笑いが漏れるレイフォード。

「レイフォード様?」

ゴードンがどうしたのかとレイフォードに尋ねる。

「ああ、いや。気にしないでくれ。今後の事を考えたら楽しくなってな。
そろそろシルヴィアを呼びに行く。」

立ち上がり、扉へ向かう。

扉をノックし、声を掛ける。

「シルヴィア、そろそろ食堂へ向かおう。」

返事はすぐに返ってくる。

「はい!!分かりました!」

「では、準備が出来たら言ってくれ。」

「はい!すぐに準備しますね!」

元気な声で答えるシルヴィアに笑みを零す。

「彼女は俺の心をこうも穏やかにさせてくれる。
こんな気持ち今までに味わった事が無い。」

胸に手を当てる。
暖かな気持ちが胸を満たす。


シルヴィアの声が扉越しに聞こえる。

「レイフォード様お待たせしました。準備が出来ました。」

「では、行こうか。」

レイフォードは扉を開ける。
数歩離れた場所にシルヴィアは満開の花の様な笑みを浮かべて立っている。

「はい!」

レイフォードが差し出す手に自分の手を重ねる。
今度は恐る恐るではなく、しっかりと。

(一歩前進だな。)

彼女が少しずつ自分に慣れてくれているのを実感する。
次はどう攻めていこうか、レイフォードは無垢な笑顔を見せるシルヴィアを見つめ、肉食獣の笑みを浮かべた。

シルヴィアはその笑顔を見て只々顔を赤くさせ、固まるだけだった。

しおりを挟む

処理中です...