薬師と悪魔と

nano ひにゃ

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第一章

6 あと少し

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 クロが完治とはいかないまでも、起きている時間が長くなってきた頃。
 日中、アオが眠そうにしていたのでクロはそれに付き合ってベッドに寝転がっていた。
 部屋に穏やかなノックの音が響く。
 クロが目覚めてからカジュは必ずノックをするようになった。ただ返事は待たずに入ってくる。

「そっちのは寝てるのか」
「起こすなよ」
「へいへい。これ今日の薬、少し変えたからな」

 いつも通りナイトテーブルにトレイごと置いた。
 クロはそのカップに顔を近づけ険しい表情をした。

「何をした?」
「そろそろリハビリする頃だろ、薬も突然止めたりすると弊害がでるからな」

 事も無げにそんな事言うカジュをクロは不信感とは別の思いで見つめていた。

「リハビリなどするつもりはない、もう二、三日すれば出て行く」

 もう数日前から考えていたことだった。
 アオのことを思えばこの森で過ごすことは有意義だったが、一箇所に必要以上にいることは森への迷惑だけじゃなく自分達の身が危ない。何故今まで追っ手が来ないのかは判りかねたが、見つかるのは確実に時間の問題だ。
 だから出立の意を伝えたのだが、もろ手を挙げて喜びそうなカジュは逆に渋い顔をして腕を組み、説教を始めた。

「それは有難いが、お前もこいつもそう簡単じゃねーの。お前の感覚としては回復してると思ってるだろうが、それはあくまでも大地の力が体に満ちたってだけだ。契約解除した瞬間、人間と同じかそれ以下の力になるぞ」

 クロは思わず手を握り締めて力の感覚を確かめた。カジュはそれを目の端に捉えながら薬の準備し説明を続けた。

「その力はあくまで擬似的な物で、それをお前の体内に留めてるのが大地との契約だ。簡単に言えば、そこらの木や草と同じようなもんだってこと。引っこ抜けばあっという間に枯れるだろ?」
「これほど違和感がないのにか」

 訝しそうにしているクロに、そんなもんだと頷きながら薬の準備を整えたカジュは念を押す。

「お前自身の本来のエネルギーに変換しやすいように薬の調合を変えてある。契約解除に向けてこれから徐々に薬自体も軽いものにしていくから毎日ちゃんと飲め」
「……いつまでだ」
「早ければひと月、長くてもふた月ってところだ」

 クロは思案げな表情を見せる。それを見てカジュは言葉をつなげる。

「俺だってさっさと追い出したいと思ってるんだ、でもちゃんと段階を踏まないで中途半端に出て行かれてまた森の中で倒れでもしたら余計な仕事が増えて時間掛かる羽目になるんだぞ、だからこそ俺が良いって言うまで大人しくしてろ」
「……分かった」

 いつになく素直に頷いたクロにいささか驚いたカジュはどういう心境の変化なのか気になった。だから薬の入ったカップをクロに渡した後、今度はアオの薬を用意しつつ二人の様子を伺っていた。
 カジュ自身もともと興味がなかったはずなのに、僅かでも気に掛け始めている自分を自覚している。深入りするなと頭では分かっていても近くにいすぎると否が応でも目に入ってきて無視し続けることがカジュにはいつもできないのだ。
 関心がないのなら今のまま放り出したって構わないはずなのに、無防備に弱ったまま旅出させることはできない。
 長く居てもらいたいと思っているわけでは決してない。本当に早く出て行って欲しいのだ。一分でも一秒でも早く目の前からいなくなって欲しい。

 でなければカジュは二人を本当に見捨てられなくなってしまいそうで……。

 そんな自分を知っているからこそ、人も悪魔もそれ以外も遠ざけて暮らしているのに、それなのに、そっとしておいてくれないモノがいるのだ。

 その筆頭がこの森に住む精霊たちだ。世話にはなっているのだからその分の手助けくらいはもちろんしている。しかし精霊たちはそれ以上をカジュに求めてくるのだ。困りごとがあるとカジュの元へやってきてはせっついてくる。始めの内はあしらう事もできるが何度も言われれば断りきれない。そして見事解決してしまう。そうなればもう精霊たちのいいように使われてしまうのは仕方がないことだった。
 それでも精霊たちは決して無茶は言わない。本当にカジュの手に負えないことは頼まない。愚痴として零していく事はあるが、それだけだ。
 だからカジュはこの森が気に入っていたのに、そんな森に突然やってきた余所者たちは邪魔なだけのはずだった。
 それでも助けてしまった。
 アオは目覚める気配もなくクロもそれ以上何も言ってこなかったので、カジュは内の葛藤と抱えながら二人の部屋を後にした。

 あくる日、アオはまた一人で一階へ降りてきた。

「ねえ、カジュ?」
「あん?」

 別に機嫌は悪くなかった。ただまた面倒な会話が始まったと話す前から疲れてしまっただけ。アオもカジュの返事が拒絶だとは感じていない。

「カジュはさあ、アオたちみたいなのは嫌いなの?」
「ああ」

 即答。降りてきた途端、前触れも無く始まる会話にもカジュは慣れたから尚更容赦ない。
 そしてそんあカジュにアオも慣れて、これくらいなら落ち込むこともなくなった。

「じゃあねー、じゃあねー、どうしてアオとクロを助けてくれたの?」

 まっすぐな瞳。
 カジュはこの目に弱い。それはアオが淫魔だからではなく、例えば子犬のそれや幼獣なんかも同じ目をする。超低級の魔物もたまにそんな目をしていてカジュは何の得もないのに助けてしまったことがあった。
 要するに邪心が無くてまだ知恵のないものにカジュは弱いということだ。精霊なんかは知恵や知識の宝庫だが、そこに利があるから協力するのであってこれとはまた違う。
 もし同じ質問をクロに聞かれたのならいくらでもかわす事ができる。実際かわし続けている。なのにアオが相手となるとすぐさま難しい。クロがアオにさせているとなればアオの様子ですぐ分かるが、そんな感じでもない。だからこそしつこくて納得するまでカジュを逃がしてくれないのだ。
 よって育ての親のようなクロが益々憎くなるカジュだった。

「お前らを助けた理由? んなもん、オレの優しさに決まってるだろ」

 これがカジュの精一杯の抵抗だった。

「ウソだあー、あははは」

 口を押さえながらも大爆笑するアオのその反応にカジュもさすがに少し傷ついた。他の誰でもなくアオにまでそんな風に笑われると自分の人間性が余程酷いんだといわれているようで柄にも無く落ち込みそうだ。

「……オレ、お前らにそんなに優しくなかったか。いや、まあ優しくなんかしてないんだけど……」
「え? カジュは優しいよ」
「じゃあなんでそんなに笑うんだよ」
「だってカジュは優しいだけじゃないでしょ? ちゃんと恐いことも教えてくれるよ。アオは優しいだけの人は知ってるけどアオはあんまり好きにならなかった」

 アオは時々こういうことを言う。
 優しさが時として為にならないこと知っているのだろうし、優しいだけでは救えないことがあるというのももしかしたら体験として知っているのかもしれない。
 アオのこれまでの人生をクロが言っていたことから推測するカジュは、アオがクロと共に経験したことを自分の中でどのように処理しているのか不思議に思うことがある。
 淫魔は知能が低いなどと言われているが、決してそうではない。少なくともアオは違う。虚勢をはってそういう風に見せているわけでもなくて、すべてを忘れて明るくふるまっているわけでもなくて、アオは自然体でカジュの前に立っている。
 どうしてそうしていられるのだろうか。楽しいばかりの人生ではなかったはずなのに……。
 カジュはそんな疑問を飲み込んで、軽い溜息を一つ。
 ただアオの気持ちを満たしてやりたくて質問に答えだした。

「お前らを助けたのは………………たぶん罪滅ぼしだろうな」
「罪? カジュ悪いことしたの?」
「悪いかどうかはまた違う話になってくるが、オレはそれをちゃんと考えなかったから今こんな暮らししてるんだ」
「一人ぼっちでいるのが罰?」
「いや、一人で暮らしてんのは楽だから。ってこの森は全然一人にしてくれねーけど」
「うーん、アオたちを助けると罪はなくなるの?」
「…………いや、そんなことにはなんねーよ。でも罪悪感があるから見捨て切れないんだろうな。でもそれ以上に関わり合うのが嫌だ」
「本当は見捨てたかった?」
「ああ、オレと関わってもロクな事がない」

 悪魔と関わって不幸になる。それがアオが聞いたり言われたした言葉だ。でもカジュはそう言わない。

「? 逆じゃなくて?」
「魔のものと関わって起こる事なんて高が知れてる」

 魔道士であったカジュにはそれが十分分かっている。今更悪魔の二匹くらいを手元においても何に脅える必要もない。
 ただ悪魔二人にとればそれは絶対に幸せなことではないとカジュは言い切れた。だからできるだけ早く追い出したかった。

「やっぱりカジュは優しいね」
「……お前なー、さっきあれだけ笑っておいて」
「ウフフ、だって優しいもん」

 ニコニコと笑うアオを見ると、何をどう言っても無駄だと思ったカジュはもう諦めた。
 ただひたすらに照れくさいのに耐えるだけだった。
 その夜、二階の部屋でアオはこの会話もクロに聞かせていた。

「ね! カジュは優しいよね」

 頷いてアオの頭を撫でるクロは実際のところはアオが思うような感想は抱かなかった。
 こんな森に人間一人で暮らしているのだから過去に何かあったのは明白だ。まだ二十歳かそこらの若い人間の過去など大したことはないだろうが、魔道士としての腕もそんなに酷いものではないと評価はしている。
 出される薬を飲むだけで力の加減がわかるというほどに、効果は実感しているクロだ。
 さりとてそれほど強い魔力の持ち主だとも思わない。薬を作ることは技術と知識によるところが大きい、一般的な用法のものなら魔力の強さで良し悪しが大きく出るものではない。カジュが作る物に珍しい物はない。
 それに魔道士としての常識としてカジュも当然魔力は抑えて暮らしているが、それでもクロほどの悪魔にもなると大よその全貌は分かるからだ。
 どんな者でも押さえきれない波動がある。訓練していない者は壊れた蛇口のようにそれが駄々漏れで、相当訓練を受けた者はその硬さで分かる。強いものほど何も読み取らせない不気味さがある。
 カジュの場合はそのどちらでもない。訓練は受けているが、強固に自分の魔力を制御してはいない。クロがこれまで見てきた魔道士たちに最も多いパターンだった。

 だからカジュが医者のように薬を用いて自分達を癒すことを許したのだ。利用しても無害な程度のごく一般的な魔道士。今は薬が専門ならば尚更だった。
 力さえ回復すればいつでも殺れる、本性を見極める間は大人しくしているだけと思っていた。

 そしてアオが聞かせた話と総合してクロは一つの結論を導き出した。
 カジュは以前魔道士として働いていたことは間違いない。そしてその時どこかの組織に所属しており、そこの方針とそりが合わずに辞めた。その時の良心の呵責で今こんなところで暮らしている。
 ただ疑問が残った。このハディスの森はドラゴンの暴走で腐敗したとまで言われ、誰も立ち入れないとされていたはずなことだ。
 カジュは何故そんな場所で暮らそうとしたのか。
 そして腐敗どころかどこよりも豊かでのどやかなこの現状は一体どういうことなのか。
 ドラゴンが暴走したのは間違いのない事実なのだから、それ以前より住んでいるということはあるまい。
 
「アイツのことどう思う」

 クロが世界で唯一信頼しているアオの発想や感受性は時にクロを勝るときがある。そのアオが今までに無く懐く姿を目の当たりにして最初は嫉妬に駆られていたが、今はそれが少し変わってきていた。アオは本能的にカジュの何かを信頼している、だから一時も緊張をせずに暮らしていけるのだと思えるようになったのだ。
 アオはカジュの何をみて信じられると感じているのか。それが知りたくなった。

「あいつ?」
「カジュだ」
「優しい」
「それ以外は?」
「うーん、アオには難しいことは分からないけど、でもカジュは難しいことも教えてくれる」
「そうだな」

 猫のようにクロの膝の上で上半身を預けるアオは少し眠たそうだったのが、考えているうちにキラキラとした目に変わり、わざわざクロの目の前に座り直した。

「あとね、クロにも優しい。アオだけじゃないし、クロだけじゃないし。それって初めて」
「そうだな」
「あ! あとねあとね、ごはん!」
「ん? なんだそれは」

 クロは一気に不穏な空気を纏うが、アオは気にせず嬉しそうに報告する。

「カジュね、アオが一緒のときごはんする時はアオの分も作ってくれるの。豪華じゃないけどおいしいの」
「それは初耳だ。あいつに口止めされたのか?」
「ううん、アオが忘れてただけ」

 食事など要らぬと言っていたのに、どういうことだとクロは強く疑問を持った。


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