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草を踏むたび、柔らかな土がわずかに沈み、かすかな音が静寂に溶けていく。
風は穏やかだった。葉を揺らす音も、鳥の声すらもない。音という音を吸い込むような静けさが、辺りに満ちている。
――かつてこの地には、水守村という小さな集落があった。
神子と呼ばれる、神気をその身に宿す者たちと、普通の人間たちが共に暮らしていた場所だ。
神子とは、生まれながらに神の祝福を受け、神気と呼ばれる特異な力を宿した存在。
その力はかつて恵みとされ、人々に敬われながら、村は静かに、穏やかに栄えていた。
しかし、水守村はある日突然、焔に呑まれた。それから十年――今では焼け跡を覆うように草木が生い茂り、かつて家々のあった場所は黒土に埋もれている。
それでも、山陰にひっそりと残るこの地を、水澄は今年もまた、ひとり静かに訪れていた。
淡い黒髪は肩にかかるほどの長さで、陽の光を受けるとどこか青みが差す。伏せた瞳は深い墨色に近く、静かな湖面のような光を湛えている。目立つ顔立ちではないが、その静けさゆえに、ふと目を引く不思議な存在感があった。
水澄は腰をかがめ、草に覆われた土の上にそっと膝をつく。そこは墓標すらない、ただの荒れた一角。けれど彼にとっては、誰よりも大切な人々が眠る村そのものだった。
静かに手を伸ばし、小さな花束を置く。野の花ばかりを集めた控えめな彩りは、朝露を帯びて、わずかに揺れていた。
神子として水澄が育ったこの村は、かつて確かに存在していた。けれど今では、焔に呑まれた過去も、共に暮らした人々の面影も、風にさらわれた灰のように薄れていくばかりだ。
それでも――水澄の胸の奥には、あの日々が今も確かに息づいている。
「……今年も無事に来れた。久しぶり、皆」
神憑き――かつて神子と呼ばれた者たちは、今ではそう名を変えられている。
生まれながらに神気を宿し、その力を民や国を護る力として用い、尊ばれてきたはずの彼らの扱いは――
十数年前、都の一角で起きた神子暴走事件を境に、すべてが変わった。
記録によれば、王の命により集められた複数の神子たちの神気が、突如として暴走し、大勢の死傷者を出したという。
事件の直後、王は宣言した。神気は不安定で、制御不能な危険な力であると。そして神子たちは、神に憑かれた存在――神憑きと呼び変えられた。
それ以降、神気を持つ者は、ただそれだけで処刑対象とされるようになった。
神縛令。
神気を宿す神憑きを捕らえ、縛し、葬るよう命じた王の勅命。そして、その捜索と執行を担うのが、王直属の軍隊――赫焔令軍である。
神の名を騙る者を、赫く燃え盛る焔によって粛清する――その理念のもと、彼らは日々、神憑きを追い続ける。
神憑き達、そして一般の人々からも、彼らは焔狩と呼ばれ、恐れられていた。
捕らえられた神憑きは王都へ連行され、やがて処刑される。神気で抵抗すれば、その場で焔の裁きが下される。その身は焔に呑まれ、跡形もなく焼き尽くされるのだ。
憑かれた者。祟られし者。
かつて神子と崇められた存在は、いまやただの処分対象へと成り下がった――。
水澄が現在暮らす神籠の里の結界付近で、焔狩の姿を見たという噂が、静かに、けれど確かに広まりつつあった。
本来、この場所を訪れること自体、焔狩との遭遇という大きな危険を伴う。だからこそ、里の者たちは皆、一様に水澄の外出を止めようとした。
それでも、水澄は毎年、この場所へ足を運ぶ。
どうしても、この土地に背を向けることができない理由が――彼の中に、確かにあるのだ。
火鷹。
水守村に焔狩の手が迫った日、水澄を逃がしてくれた三つ年上の青年。兄弟のように育ち、かけがえのない存在だった。だが、あの日を境に生死も行方も分からなくなり、今なお消息は絶たれたままだ。
それでも、水澄は願ってしまう。
――どこかで、まだ生きていて。ひょっとしたら、今日こそ姿を見られるのではないかと。叶わないとわかっていながらも、心の奥底では、いつもその奇跡を待っている。
「……火鷹。会いたい……」
その呟きは、風さえもかすめることのない、か細く静かな祈りのようだった。
風は穏やかだった。葉を揺らす音も、鳥の声すらもない。音という音を吸い込むような静けさが、辺りに満ちている。
――かつてこの地には、水守村という小さな集落があった。
神子と呼ばれる、神気をその身に宿す者たちと、普通の人間たちが共に暮らしていた場所だ。
神子とは、生まれながらに神の祝福を受け、神気と呼ばれる特異な力を宿した存在。
その力はかつて恵みとされ、人々に敬われながら、村は静かに、穏やかに栄えていた。
しかし、水守村はある日突然、焔に呑まれた。それから十年――今では焼け跡を覆うように草木が生い茂り、かつて家々のあった場所は黒土に埋もれている。
それでも、山陰にひっそりと残るこの地を、水澄は今年もまた、ひとり静かに訪れていた。
淡い黒髪は肩にかかるほどの長さで、陽の光を受けるとどこか青みが差す。伏せた瞳は深い墨色に近く、静かな湖面のような光を湛えている。目立つ顔立ちではないが、その静けさゆえに、ふと目を引く不思議な存在感があった。
水澄は腰をかがめ、草に覆われた土の上にそっと膝をつく。そこは墓標すらない、ただの荒れた一角。けれど彼にとっては、誰よりも大切な人々が眠る村そのものだった。
静かに手を伸ばし、小さな花束を置く。野の花ばかりを集めた控えめな彩りは、朝露を帯びて、わずかに揺れていた。
神子として水澄が育ったこの村は、かつて確かに存在していた。けれど今では、焔に呑まれた過去も、共に暮らした人々の面影も、風にさらわれた灰のように薄れていくばかりだ。
それでも――水澄の胸の奥には、あの日々が今も確かに息づいている。
「……今年も無事に来れた。久しぶり、皆」
神憑き――かつて神子と呼ばれた者たちは、今ではそう名を変えられている。
生まれながらに神気を宿し、その力を民や国を護る力として用い、尊ばれてきたはずの彼らの扱いは――
十数年前、都の一角で起きた神子暴走事件を境に、すべてが変わった。
記録によれば、王の命により集められた複数の神子たちの神気が、突如として暴走し、大勢の死傷者を出したという。
事件の直後、王は宣言した。神気は不安定で、制御不能な危険な力であると。そして神子たちは、神に憑かれた存在――神憑きと呼び変えられた。
それ以降、神気を持つ者は、ただそれだけで処刑対象とされるようになった。
神縛令。
神気を宿す神憑きを捕らえ、縛し、葬るよう命じた王の勅命。そして、その捜索と執行を担うのが、王直属の軍隊――赫焔令軍である。
神の名を騙る者を、赫く燃え盛る焔によって粛清する――その理念のもと、彼らは日々、神憑きを追い続ける。
神憑き達、そして一般の人々からも、彼らは焔狩と呼ばれ、恐れられていた。
捕らえられた神憑きは王都へ連行され、やがて処刑される。神気で抵抗すれば、その場で焔の裁きが下される。その身は焔に呑まれ、跡形もなく焼き尽くされるのだ。
憑かれた者。祟られし者。
かつて神子と崇められた存在は、いまやただの処分対象へと成り下がった――。
水澄が現在暮らす神籠の里の結界付近で、焔狩の姿を見たという噂が、静かに、けれど確かに広まりつつあった。
本来、この場所を訪れること自体、焔狩との遭遇という大きな危険を伴う。だからこそ、里の者たちは皆、一様に水澄の外出を止めようとした。
それでも、水澄は毎年、この場所へ足を運ぶ。
どうしても、この土地に背を向けることができない理由が――彼の中に、確かにあるのだ。
火鷹。
水守村に焔狩の手が迫った日、水澄を逃がしてくれた三つ年上の青年。兄弟のように育ち、かけがえのない存在だった。だが、あの日を境に生死も行方も分からなくなり、今なお消息は絶たれたままだ。
それでも、水澄は願ってしまう。
――どこかで、まだ生きていて。ひょっとしたら、今日こそ姿を見られるのではないかと。叶わないとわかっていながらも、心の奥底では、いつもその奇跡を待っている。
「……火鷹。会いたい……」
その呟きは、風さえもかすめることのない、か細く静かな祈りのようだった。
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