神を喰らい、君を隠す

才賀ゆう

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 水澄には、母親の記憶がない。

 神気を宿して生まれたその身体は、母の命と引き換えにこの世に送り出された。
 母は水澄を産み落とした後、誰にも父のことを語らなかった。ただ、生まれたばかりの水澄を大切そうに抱きしめ、水守村へと流れ着いたという。

 間もなく母が亡くなると、残された水澄を引き取ったのは、当時の村長だった。――火鷹の父である。

 火鷹は初め、無口で近寄りがたい少年だった。まるで冷たい氷を纏ったように、誰とも深く関わろうとしなかった。けれど、水澄が泣いていると、黙って隣に座ってくれた。何も言わず、ただ傍にいる――その距離が、心地よかった。

 自分だけが本当の両親を持たないという事実を、水澄はどこかでいつも気にしていた。
 ある日、村の子供たちに「余所者」とからかわれ、言い返すこともできずにうつむいていた時のことだった。ふいに前に立ちはだかったのは、火鷹だった。

「……俺の弟に、何か文句でもあるのか」

 普段は感情を表に出さない彼が、その時ばかりは明確な怒りを浮かべていた。その日を境に、水澄をからかう子供はひとりもいなくなった。

 ありがとう、と小さく呟いた水澄に、火鷹はそっけなく視線を逸らした。けれど、その耳は真っ赤だった――まるで、照れているように。

 水澄が怪我をした時もそうだった。神気による自己治癒能力があることを知っていながら、火鷹はいつも本気で心配してくれた。額から血を流した時は、小さな傷に過ぎなかったのに、駆け寄って水澄を抱きかかえ、真剣な表情でこう言った。

「お前にもしものことがあったら、俺が許さない」

 家族の温もりを知らなかった水澄にとって、あの家で火鷹と過ごす時間だけが、唯一の家族というものを教えてくれた。

 それなのに。

「……何だ、それ」

 思わず口にした瞬間、自分の声が震えているのに気づいた。俺のものになるか――それは、殺さずに生かすという意味なのか。
 だが、本当にそんな選択肢があるのか?水澄は昔の頃の火鷹をまだ信じたくて、縋るように問いかけた。

「……お前は、優しかったじゃないか。焔狩なんかになって……神憑きを殺すなんて、お前が、するはずないだろ……」

 視界がにじむ。言葉が途切れそうになる。それでも、黒焔は沈黙を崩さず、ただ黙って水澄を見ていた。

「……俺が優しかった?」

 低く、乾いた声だった。

を聞いているなら、俺がどうやって焔狩になったかも……おそらく耳にしてるだろう」

 水澄の瞳が大きく見開かれる。
 耳にした黒焔の噂――神憑きの村を売り、家族を差し出し、生き残った裏切り者――それが、火鷹と重なっていく。

 「まさか……。そんなの、嘘だ……あの時、俺たちの村に焔狩が来たのが、お前の仕業なんて……」

 黒焔は否定しなかった。ただ、その静かな瞳だけが、答えを示していた。

「みんな……燃えて!俺だけが、生き残ったって後から知って……っ!!」

 水澄は唇を噛みしめ、視線をそらした。
 胸の奥が、焼けるように痛む。かつて家族だったはずのその人が、いま、自分を鎖で縛り――神憑きを狩るとして、目の前に立っている。

「なんで……そんな、酷いことを……」

 掠れた声が、こぼれる。その問いに、黒焔のまぶたが一瞬だけ揺れた――けれど、すぐに冷たい仮面のような表情に戻った。

「神憑きを匿うことは、それだけで村ごと処分される重罪だ。あの村は、遅かれ早かれ、いずれ同じ運命を辿っていた」
 
 まるで心を殺すために放たれたかのような、その言葉。
 水澄の視界が滲む。怒りか、絶望か――もう、自分でもよく分からない。けれどただひとつだけ、確かにわかることがあった。
 ――目の前の男は、もう自分の知っていた火鷹じゃない。

「じゃあ、なんで……あの日、俺だけを逃がしたんだよっ!どうして、みんなと一緒に死なせてくれなかったんだ……!」

 声が、弾けるように叫んだ。水澄は拘束されたまま、手首の鎖を軋ませて、必死に身をよじる。

「みんな、優しかった……あったかくて、穏やかで……俺を育ててくれた、大切な人たちだったんだ……!それを――お前が……!」

 涙が頬を伝い、止まらなかった。崩れていく音がした。信じていたものが、ひとつ、またひとつと崩れて、胸の奥にぽっかりと穴が空く。

「俺が信じてた火鷹まで、奪うのかよ……」

 感情がこぼれ落ちたあと、そこには何も残らなかった。
 怒りも、涙も、言葉も、すべて床に落ちて――残ったのは、冷たい空気だけ。

 水澄はもう、を見ようとはしなかった。
 見てしまえば、記憶の中の火鷹が、目の前の黒焔に上書きされてしまう。それが、何よりも怖かった。

 それでも――黒焔は、何も言わなかった。
 ただ音もなく、水澄のすぐ傍に立っていた。水澄は顔を上げなかった。

「もう、いい」

 つぶやいた声は、ひどく乾いていた。

。殺したいなら、殺せばいい……それで全部、お前の思い通りになるだろ」

 投げやりになった訳ではない。ただ――もう、これ以上の沈黙には、耐えきれなかった。

 けれど、次の瞬間だった。黒焔の大きな手が、そっと水澄の頬に触れた。

「……っ」

 触れた場所から、じんわりと熱がにじむ。それは感情ではなく、皮膚が覚えていた遠い日の体温。

(……火鷹……)

 記憶の中にあるぬくもりと、今のこの手の感触が、あまりにもよく似ていた。
 逃れようとした。けれど、手首を繋ぐ鎖がそれを許さない。黒焔の手は、離れなかった。

 指先が頬をなぞり、耳のうしろにかかった髪を優しく払う。 
 これから処刑される者への触れ方とは、到底思えなかった。

 言葉はないが、指先だけが何かを伝えようとしていた。水澄は、黙ってその手を受けた。声にできる感情は、もう残っていなかった。
 それでも――涙だけが、また頬を伝って落ちていく。

(……言えよ。理由があったって。……お前なりの、何かがあったって)

 心の奥で、叫ぶように願っても。
 黒焔は、何も言わなかった。
 
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