ファルシード叙事詩

瀧 東弍

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03 - 千兵長のバーミーンとサドリ

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 千兵長のバーミーンとサドリが到着したと報告をうけたイラジーの機嫌は、さしてよくならなかった。
 「二千とはまた半端な増援をよこしたものだ。こちらの現状を皇都はちっともわかっちゃいない」
 盛大に愚痴をこぼす皇子のもとに二人の武人が拝した。
 「いえ、援軍は我らだけではありません。殿下がわずかのくもりもない勝利を得られるよう、不肖ながら策を弄しました。別動の兵三千がピセ小海を渡り反乱兵の背後をふさぎます。そして殿下とはさみ撃ちにすれば、一網打尽にできましょう」
 戦場のすぐ東にあるピセ小海は、海の名にふさわしく広大で南北にのびている。
 北方で兵を渡せば敵の南側で陣をたてるイラジー軍とともに敵を囲いこめると、バーミーンたちは進言したのだった。
 三千の兵はいままさに行軍中で、東岸から湖を渡ろうとしている。
 「それだけの人馬をどうやって対岸へ運ぶつもりだ。船を建造しているうちに年が明けてしまうわ」
 「その采配は我らにお任せを。別動隊が配置につくまで、殿下はただ敵の目をひきつけてくださるだけでよいのです」
 「小賢しい策だな。だが長くは待てんぞ。だいたい、反乱兵どもの背後にまわりこむには距離が遠すぎる」
 「ご心配めされるな。どうぞ一報をお待ちあれ」
 二人はなんとかイラジーをなだめて策をうけいれさせた。
 皇子のもとへつどった兵二千は歩兵である。
 逆に別動の兵三千はすべて騎兵で、ピセ小海の東岸までを休みなく走り通した。
 陣頭に立って指揮したのはもちろんファルシードで、この作戦も彼女が千兵長に授けたものだった。
 自分たちが出発する数日前、彼女は先行して遣いをやり、ピセ小海沿岸の漁村で船を集めさせた。
 湖ではえびがよくとれるが、旬は冬季でいまの時期は閑散期にあたり、村民はしかたがないので畑を耕して暮らしをたてている。
 そのため船をだす仕事で、しかも礼をはずむといわれれば断る理由はない。
 近隣の村にも話は広まり、自分の船を提供すると申しでる者が列をつくるほどだった。
 馬ごと兵を載せるので一隻の積載量は少なかったが、数が集まればばかにはできない。
 そのうえ往復したぶん礼金を上乗せするようファルシードが指示したため、漁民たちは競って船をこいだ。
 そして、数日のうちに全兵がピセ小海の西岸に降りたった。
 戦地まではわずかの距離である。
 皇女は馬上で指笛を鳴らした。
 まもなく真っ青な空のかなたに一点の黒い粒が現れる。
 マントを腕に巻きつけ高くかかげると、黒い粒は急速に近づいてきて鳥の姿になった。
 それは大きな茶色の鷲で、人間の肉などたやすく引き裂く鋭いかぎ爪を彼女の腕にくいこませてとまった。
 ひらいた翼はファルシードが両手を広げたよりも大きい。
 「よく来てくれた、ナヴィド」
 皇女の呼びかけに応えて一度はばたき、鷲はゆっくり翼をたたんで黄色の眼を光らせた。
 「バーミーンたちに知らせを届けてくれ。おまえの翼ならはばたきひとつで南の陣地へ達するだろう」
 太く頑強な脚に伝書筒をとりつけると、ナヴィドは小さくひと鳴きしてふたたび両翼を広げる。
 ファルシードが勢いよく腕をふりあげたのに合わせて飛びたち、またたく間に大空へ舞いあがった。
 「我々も出発しよう」
 皇女の号令で三千の騎兵の大移動が始まった。
 途中、ファルシードの後方一馬身の距離を保つケイヴァーンを呼びよせ真横へつけさせると、前方を見たまま天気の話でもするように言った。
 「不自然な動きをする隊がある。監視を強化しろ」
 「イラジー皇子の手勢でしょうか」
 ケイヴァーンも皇女を見ることなく前を向いたまま返す。
 それは後方の兵に唇を読ませないようにするためだった。
 密談をするには静かな野営地の幕屋より、雑踏のなかのほうが都合がいい。
 「兄上なら戦闘の終盤、勝利が決する直前を狙うだろう。私を戦死として処理し気持ちよく凱旋できるからな。ほかの貴族だとすれば、戦闘後の武装を解いた後が危ない。暗殺ではなくただの偵察かもしれないが」
 「規律違反をさせ、捕らえて隔離しておいたほうが確実では」
 「できれば誰の企てなのか知りたい。外部と連絡をとるそぶりがあれば追跡しろ」
 「殿下の護衛を増やすことには同意していただきます」
 危険だと反対したところで主が気にしないのを重々承知しているケイヴァーンは、ため息をついてせめてもの対策を進言した。


 鳥にしか聞こえない特殊な呼び笛の音にひかれ鷲が高度をさげた先で、千兵長サドリが待ちうけていた。
 届けられた伝書を確認してさっそくバーミーンと協議すると、二人はそろってイラジーへ面会を求めた。
 二日後、帝国軍は全兵を展開して反乱軍に先制攻撃をしかけた。
 これまで誘いかけては撤退するという挑発行動をくりかえしてきた帝国軍の動きとは、一線を画している。
 いよいよ決着をつける時がきたと覚悟を決めた反乱軍側も、徹底抗戦の構えで陣容を整え正面からぶつかった。
 初め、ほぼひとかたまりだった帝国軍の陣形はじょじょに左右に広がっていった。
 反乱軍はそれにつられてなし崩しに自陣も横へ広がり、気づいたときには細い帯状になってしまった。
 指揮官が一度撤退して陣をたて直そうと手をあげた瞬間、鋭い風切り音とともに一本の矢が喉を貫いた。
 矢はうなじに刺さり喉仏の下からつきでている。
 思いもよらない事態に加え、なぜ背後から狙われたのかわからず、周りの兵たちは混乱して後ろをふりかえった。
 敵は前方にいるはずだった。
 しかし、乾燥した平原の向こうにはおびただしい数の馬影がみえる。
 目の前では、かわらず帝国兵との戦闘が続いている。
 「まずいぞ、はさみ撃ちになる」
 言ったひとりの兵の言葉は、いっせいにふりそそいできた矢の雨にかき消された。
 将のいる本隊が真っ先につぶされ指令をだす者のいなくなった反乱軍は、横にのびきった陣形のまま戦い続けた。
 そこへ背後から三千の騎兵が襲いかかったのである。
 もはや勝敗は明白だった。
 「殿下、そろそろさがってください」
 自ら多くの首級をあげていたファルシードに声をかけたケイヴァーンは、自身も血に濡れた剣をさげて周囲を警戒しながら馬を寄せた。
 「けりはついたか」
 一方的な虐殺になりつつある戦場を見渡したファルシードは収束の命令をだし、イラジーへも使いを送った。
 「くせ者が釣れるかと思ったが、でてこないところをみると兄上の手の者ではないようだな」
 「隙をつくるために必要もない前線へでるのはおやめください」
 低い声で言うケイヴァーンは静かに怒っている。
 もとより彼が主へかける言葉の半分以上は小言である。
 「これから兄上の文句を山のように聞かされる私に、少しは優しくしようと思わないのか」
 「まるで皇子の話をまじめに聞いたことがあるかのようなおっしゃりようですね」
 どうやらそうとう怒っているらしい、とりつくしまもないケイヴァーンに軽口をきくのをあきらめて、皇女は歩きだした。
 ――「まさか、ファルシードが来ていたとはな。千兵長どもは甘言でおれをそそのかし、裏ではこそこそとおまえを呼びよせていたというわけか」
 本軍に合流した皇女を待っていたのは、予想どおりイラジーの癇癪である。
 このたびの出兵にあたり、彼女は自分が将であることを巧みに隠し、バーミーンとサドリに皇子との交渉を任せた。
 ファルシードが援軍の指揮をとっているとわかれば、イラジーが作戦に従わないのはあきらかだったからだ。
 「戦の勝者は総指揮官である兄上です。私は父上の命により兵を補充したにすぎません」
 手柄を横取りしたと憤慨する皇子に対し、彼女はあくまで自分は皇帝のただの駒だという態度に徹した。
 「そうとも、蛮族をたたきふせたのはおれだ。馬を引率してきただけというなら、おまえは体力がありあまっているだろう。せめて後処理でもして役にたつんだな。おれは明日帰還する」
 捕虜の扱いや現地の治安回復などの面倒な事務仕事を妹におしつけたイラジーは、多少溜飲がさがったのか機嫌をなおして立ちあがった。
 ファルシードの後ろにひかえるケイヴァーンに気づくと、すれちがいざま「うだつのあがらない主人に仕えると苦労が絶えんな」と嗤い、幕屋を出ていった。
 「行くぞ」
 皇女に声をかけられて、ケイヴァーンは力が入っていたこぶしをゆるめる。
 「うだつのあがる・・・・・・・兄上に鞍替えしてみるか」
 「これ以上の苦労はごめんです」
 ファルシードのからかいに心底嫌そうに答えると、さきほどの苛だちをようやくおさめた。
 「しかし殿下の功績はともかく、皇子の軍のみが勲功を認められるとなれば援軍に不満がでます」
 「兄上とは別に私から父上へ報告をあげておく。援軍は父上の兵なのだから、直々にお褒めの言葉があるのは当然のこと。兄上にも文句は言わせない。私個人からも褒賞金をだす」
 ケイヴァーンは主のぬかりない対応に複雑な感情をいだいた。
 ファルシードは、特にイラジーに対しては実利をとることを徹底している。
 多くの臣下の前で皇子から嘲りの言葉をうける屈辱など、毛ほども気にしないようだ。
 彼女が達観しているのか、ケイヴァーン自身が過剰な自尊心にとらわれているのか。
 「今後のことを話し合わねばならない。休憩のあと千兵長たちを全員集めてくれ」
 指示を与えるとファルシードはいったん別れ、自分の幕屋へ戻った。
 本陣に着いたとたん皇子に呼びつけられたため戦場からそのままだった重装備を解き、鋼鎖の胴着だけ身につけたままにする。
 血と土ぼこりで汚れた身体を雑にぬぐってひと息つくと、携帯していた皮袋の水を一気にあおった。
 兄に戦功をとられるのはいつものことだが、後始末をおしつけられるところまではさすがに想定外だった。
 嫌がらせのせこさに磨きがかかっている。
 鎮圧がすぐに決着したため早く帰還できるかと思ったが、やはりそう簡単にはいかないらしい。
 ファルシードは懐にはさんだ皮紙をとりだして、ふと口もとをほころばせた。
 小さな紙片には『ファルシード、げんき、ソルーシュ』とつたない筆跡でつづられている。
 戦闘が始まる前に鷲のナヴィドに頼んでソルーシュへ便りを届けてもらった、その返事である。
 ファルシードに元気かと尋ねているのか自分が元気だと伝えたいのかよくわからないが、読み書きを始めたばかりにしてはうまく書けていると思うのはひいき目が過ぎるだろうか。
 「私を恋しがって泣いていないといいが」
 仔猫のような幼い子の姿をまぶたの裏にうかべながら紙片を懐に戻し、皇女は部下たちとの会議のために腰をあげた。


 その夜、接収した城の大広間で催された宴は、戦勝の高揚そのままに熱気につつまれていた。
 野鴨肉にすりつぶしたくるみとざくろの煮込み、香辛料に漬けた羊肉の串焼き、豆と芹菜に発酵乳を合わせたシチューなど手のこんだ料理のほか、新鮮な果物や野菜が皿に盛られ、焼きたての薄パンが休みなく運ばれてくる。
 広間で浴びるように葡萄酒を飲むのは貴族や将ばかりだが、野外でも兵らが無礼講とばかりに騒いでおり、皇子からふるまわれた麦酒を酌み交わした。
 イラジーは機嫌よく酒を飲んでいたものの、自分にもっとも近い上座にすわるファルシードには目もやらず、彼を褒めたたえる貴族の声に耳をかたむける。
 「皇子殿下のあざやかな包囲戦には目をみはるばかりです。あの広大なピセ小海を渡って敵軍の背後へまわりこむなど、常人には思いつかない大胆な策です。いったいどうやってあのような奇策を考えたのか、ぜひお聞かせください」
 皇子の頬がひきつるのを見て、古参の臣たちはそれとなく顔をそらし、ある者は静かに距離をとった。
 おだてたつもりの若い貴族は、皇子麾下として戦に参じたのは初めてで、内々の事情というものに通じていなかった。
 今回の戦闘でイラジーが終始皇女の思惑にのせられたのは、多くの者が知っている。
 皇子は杯に残った葡萄酒を若者の顔にぶちまけ、その杯も投げ捨てた。
 「雛鳥のようにかん高い声でやかましい奴よ。おまえになどおれの心中を理解できるものか。連れていけ」
 なぜ不興を買ったのか理解できず呆然とした若者は、二人の兵に引きずられて出ていった。
 「いい気分がだいなしだ。酒をもってこい。それから女だ」
 皇子の命令に間髪いれず、酒壺をもった給女が次々に現れる。
 張りつめた空気がやわらぎ、広間にざわめきが戻った。
 ファルシードは初めから我関せずといった様子で杯をかたむけている。
 皇子の顔色をうかがう者たちは彼女に近づかないが、気にしない剛の者もおり、そのうちのひとりであるザカリアーがやってきて隣に腰をおろした。
 「どうやら特等席はここのようですな、殿下」
 さきほどのやりとりを茶番劇になぞらえた男の態度はあきらかに皇族に対して不敬だったが、さすがに皇子に聞こえない程度に声をひそめる分別はあるらしい。
 「うまい酒が飲めそうです」
 「おまえの酒は質より量だろう」
 ファルシードは軽口を返した。
 ザカリアーが酒豪だというのは有名で、宴となれば酒樽のそばから離れないとまで揶揄されている。
 「実際のところ、拙速を尊ぶとはいえ無理をされたんでしょう。あの若造じゃないが、常人なら思いついてもまず実行しようとは思わんやりかたですよ」
 「多少の金銭で解決できる程度の策だ。それは策としてはもっともたやすい」
 皇女の言はもっともだが、その負担は彼女自身に課せられる。
 今回もファルシードに特別な褒賞は下賜されないだろう。
 あくまで大局を見て、個人的には貧乏くじをひかされる姿をずっとみてきたザカリアーは、皇女の真意を測りかねた。
 給女が近づいてきて、ファルシードのからの杯に酒をそそぐ。
 しりぞこうとした女をとどめたザカリアーは酒壺ごと置いていけと言って、素焼きの壺をとりあげてしまった。
 女はあわてたが彼はかまわず、手酌で自分の杯になみなみと酒をつぎたす。
 あいかわらずの飲みっぷりを横目にみながらファルシードは一口飲み、ふと手をとめて顔をあげた。
 その不意の所作に目をやったザカリアーの前で、次の瞬間信じられないことがおこった。
 皇女が給女をひきよせ口づけたのである。
 石のように固まった男をよそに、ファルシードは給女を解放すると嫣然と微笑んだ。
 「うまい酒をよこした褒美だ。さがれ」
 皇女に軽く押された女は、よろめきながら立ち去った。
 ファルシードはそばにあった麦酒で口をすすぐとそのまま吐きだし、口直しでもするようにライムをかじる。
 ザカリアーはあまりにさりげなく行われた一連のできごとに混乱して、口をはさむ間もなかった。
 周囲は誰も、彼女の乱行に気づかない。
 急激に喉が渇いてきたのを感じて杯をあおろうとした男の腕を、皇女がつかんだ。
 「飲むな。死ぬぞ」
 そこまで言われてようやくなにがおこったか把握したザカリアーは、酒を杯ごと壺のなかに投げこんだ。
 ファルシードは口に含み毒だと気づいた酒を刺客の女に与えたのである。
 「なにから驚けばいいですかね」
 「私が女色に宗旨替えしたのでないことはたしかだな」
 つまらなそうに言う皇女ほど、男は冷静ではいられなかった。
 「何者の差し金ですか。その様子ではこれが初めてではないでしょう」
 「対処はしている。おまえが今回巻きこまれたのは単なる不運と諦めてくれ。あまり首をつっこむと、私の派閥とみなされかねない」
 「おれはそれでもかまいませんがね」
 ザカリアーが珍しくまじめに答えると、ファルシードはわずかに目をみはってから口の端をあげる。
 「覚えておこう」
 男の肩を軽く叩いて立ちあがり、彼女はたしかな足どりで広間を後にした。
 ――翌朝、城の片隅で若い女の死体が発見されたと報告をうけたのは、ケイヴァーンだった。
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