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本編

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 前の人生では、ごく普通の女だった。マッチングアプリで出会った男と結婚して、平凡で冴えない日々を送っていた。そして、あの日、交通事故に会った——。
 目が覚めると男になっていた。それも女顔の、所謂イケメンに。この顔で街へ出ると、とにかく声を掛けられる。渋谷でたむろしているイケてる女のグループや、コワモテの兄ちゃんには「良い仕事があるよ」と言われた。良くない仕事なのは俺でも分かる。「大丈夫です」と喧嘩越しで相手に不快感を与えるでもなく、それ以上の押しが来ないように適度に素っ気なく断った。
 今まで俺が送ってきた2度目の人生の詳細は、今朝目が覚めた瞬間に思い出した。綺麗な顔が幸いして、色々な人が寄ってきては変な奴に絡まれたり、前世の影響か根暗な俺は、周りの「陽」のノリに付いていけず、心を閉ざしてしまっていた。一人ぼっちになってしまった俺は、今日映画を観るためにチケットを購入済なことも思い出した。
 ドラマや映画を観るのは好きだ。前世でも耐えきれなくなった時に、いつもどこかファンタジーなストーリーが自分を救ってくれた。空想のストーリーに身を任せると、自分は自分じゃないみたいで、自分の中には本来ない勇気みたいなものが湧いたりする。
 映画館は空いていて、前の方の席に一人男性が座っているがほぼ貸切だ。映画が始まり、終わる頃には俺の頬は涙でぐっしょりと濡れていて、一人で来ていて良かったと思った。エンドロールが流れ終えた後に一通り泣き終わると、席を立った。出口に向かう時に、ふと、前にいた男性の方を見る。彼も泣いていた。まだ泣いていた。——驚くことに知っている顔だった。前世の旦那だった。
 ロビーで待っていると、先ほどの男性が出てきた。声を掛けようとして……躊躇する。でも、思い切って声を掛けた。
「あの——」
「あっ、先ほど同じ映画を観てましたよね?」
 向こうもこちらの顔を覚えていたようで、和かに笑ってくれた。近くでよく見ると、前世より鼻が高く、瞳も大きく、何というか……イケメン(?)になっていて、もしかして人違いか? とまた躊躇する。
「僕、宮瀬亮って言います」
「あ——、自分は柳生すぐるです。あの映画、本当に良くて……自分も泣いてしまったので、同じだなと勝手に、喜んでしまって……迷惑だったらすみません」
「いいえ? 迷惑では全然ないです。むしろ——」
 名前も旦那と同じだった。でも、前世の俺には、こんな風に笑ってくれてたか? 出会った頃なら? いや、でも——。
「何か、不思議な縁を感じちゃいました。良かったら連絡先交換しませんか?」

 前の人生では、ごく普通の女だった。旦那との間には愛があったのかは分からない。居心地は悪くなかったが、自分は本当に彼が好きなのか分からなかった。あの日、彼は重要な書類を家に置いていった。急いで届けるために、道路へ走り出たところで……俺は車に轢かれた。
 ここから始まる恋? それはきっと運命の相手——。
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