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1章 入部

19話 部活対抗リレー・決着

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 追い上げる蒼と逃げる先頭集団との勝負は、予想以上にアッサリと終わった。
 経験の差か、まずスムーズなバトンパスによってリードが消え、駆け出してすぐに3位を走っていたソフト部が抜かれる。
 続いて加速、出し惜しみはしていられないとばかりに、バスケ部が砂埃を巻き上げながら走る。
 しかし狭いフィールド内での俊敏性が問われるバスケ部だ、スタートダッシュは速いが加速に伸びがない。
 後半に失速することのない体力自慢の彼女達だが、蒼を相手取るには最高速が足りなかった。
 長い脚を伸びやかに動かす蒼は、バスケ部もコーナーに入る前に抜き去る。
 バトンを受け取って数秒、早くも2位に浮上した蒼はさらに加速していく。
 残るはサッカー部。
 広いフィールドを走り回り、とっさの方向転換も求められる彼女達は、スピードも体力も、コーナリングもハイレベルだ。
 ザザザッ! と地面を削る音を立てながら、サッカー部の4走が全速力でコーナーを駆ける。
 しかし、激しくエネルギッシュに駆けるサッカー部の隣に、ついに蒼が現れる。
 
 ぬぅ。

 この擬音語が、後にサッカー部の4走が語った、並ばれたときの印象だ。
 蒼の走りは全体的に四肢の動きが緩やかで、素人のギャラリーでも目で追えると感じるほどだ。
 ギャラリーにまで聞こえる足音を立てながら、目で追えないほどの速さで四肢を回転させるサッカー部。
 その隣、それも外側を静かに走り、今にも抜き去りそうな蒼。

 見た者達は後に、まるで騙し絵のようだと語った。
 ただ、二人が並走したのは僅かに一瞬。
 瞬きをしたすぐ次の瞬間には、追い抜き劇など何もなかったかのように、蒼が先頭に立っていた。
 そしてゆったりと先頭を走っているように見えながらも、なぜかサッカー部を引き離していく。

「抜いたーっ!! 陸上部上級生チーム、ついに先頭に立ちました! まったく速く見えないにも関わらず、速い! 私もこれまで何度も見てきましたが、未だに部長の走りは不思議でなりません。時空でも歪んでるんですかね? 先生、解説お願いします!」
「あぁ、私も見るたびに頭が痛くなるが、一応解説は可能だぞ! 走る速さというのは、あくまで結果に過ぎないんだ。構成する要素は動きの速さと、大きさ。具体的に言えば、脚の回転と歩幅ってことだなー。花火ちゃんみたいなのは回転が異常に速いタイプで、希少な才能だが、それでもトレーニング次第である程度は身に着けることもできる能力だぞ。対して歩幅は、回転以上に天性のものが大きい! 蒼ちゃんの長い脚と、走高跳で全国6位という跳躍力が相乗効果をもたらして、あれだけの低回転でも速さを生み出せているんだぞ」

 蒼はエースとして、スプリンターとして、リレーを走っている。
 しかし個人種目では、1年生の秋の新人戦を最後に、一度も短距離種目には出場していない。
 1年生にして新人戦の関東大会400mで3位入賞を果たした『蒼炎そうえん』は、突如して個人短距離の世界を去った。
 そして2年生以降、出場するのは走高跳。
 無駄な試技はせず、常に冷静な跳躍の1回で勝利をさらう。
 跳躍界でも『蒼炎そうえん』の名は、すぐに憧れと畏怖の対象となった。
 静かに、しかし確固たる強さを見せる彼女は、荒々しく燃え広がる赤い炎よりも高温な、一点に収束された蒼い炎と評される。
 異色にも見える経歴だが、蒼の驚異的なストライドと、それによって発揮される速さは、走高跳の経験によって成熟されたと言える。
 
「このまま、また陸上部上級生チームが勝ってしまうんでしょうか! 唯一対抗できる選手は……」
「あぁ、来たぞ! 頂上決戦だ!」

 それは蒼が独走に入ろうとしたとき。
 走り去る蒼を悔しそうに見送るサッカー部の隣を、もう一つの影が追い抜いた。
 
「いけっ! 追いつけ、瑠那!」

 応援する陽子は、思わずガッツポーズを取る。

「現れたのは『磁器人形ビスクドール』の湖上瑠那! やはり、来ました! あの『蒼炎そうえん』を相手に追い上げる、追い上げている!」

 蒼以外を全て抜き去り、邪魔なものはなくなったとばかりに伸びやかな走りを見せる瑠那。
 最高速で勝る瑠那は蒼に追い付き、並んで最後の直線に入ろうとする。
 ショートスプリントの領域では、やはり専門にしている瑠那に分があった。
 しかしロングスプリントを得意とする蒼にとっては、ラストスパートこそが勝負の場だ。
 100mを過ぎた地点で並ばれることは期待以上だが、まだ蒼の想定内だ。

「二人が並びました! あとは最後の直線、ラストスパート! これはどちらが勝つか分からない!」

 蒼と瑠那とスピードは完全に拮抗していた。
 本来のスピードでは優位に立つ瑠那は、リードを詰めるために最初から全力を出さざるを得ず、走り切るための体力はギリギリだ。
 瑠那に対してリードを持っていた蒼は、並ばれこそすれ、体力にはまだ余裕がある。
 スピードを維持する瑠那と、ラストスパートをかける蒼。
 条件が重なり合い、偶然、二人は並走することになった。

 勝者を待つゴールテープは、もう僅かに10m先だ。
 ゴールの横では、判定員を担う香織が順位判定のため、見逃すまいと真剣な眼差しをしながら写真判定機を構えている。
 
 これまでバトンを繋いできた仲間達も、ゴールの横に集まり声援を送っている。
 自分達がバトンを繋いできた結果が、ついに今決まるのだ。
 
「部長……お願いします!」
「部長ー! 勝てる、勝てるわよ―!」
「部長! ラスト、負けんじゃねぇぞ!」

 歌、美咲、麻矢。
 蒼に絶対の信頼を置いているとはいえ、上級生達もこの接戦には本気で声援を送る。

「瑠那さん、勝ってください!」
「瑠那さんー! ラスト! ラストファイトー!」
「瑠那、いっけぇぇぇ!」

 花火、伊緒、陽子。
 瑠那までバトンを繋いできた仲間達の声を聞き、瑠那はもう一度力を入れなおす。
 しかし蒼よりも前に出ることはできない。

(楽しいですね、瑠那さん。このまま、いつまでもあなたと競り合いたいですが……やはり、私は負けるわけにはいきません)
(専門外とは言え、流石に二つ名持ちネームドか……走力では勝負がつかない! このレース、フィニッシュアクションの差で勝負がつく!)

 陸上競技のルールでは、胸がゴールラインを通過した時点でゴールと判定する。
 つまり、腕を伸ばしたり、脚でゴールライン踏んだりしたとしても、それはゴールとはならない。
 そこで、ゴールの瞬間に前へ大きく踏み込みながら胸を突き出す、フィニッシュアクションという技術が重要となる。
 しかし全力疾走の最後、ゴールラインを通過するタイミングでの正確なフィニッシュアクションには、非常に高度な技術が求められる。
 意図的にフォームを崩すことになるため、下手に形だけを真似するよりも、何もせず駆け抜ける方が速いと言われるほどだ。
 
「差がつきません! このまま同時にゴールとなるのでしょうか!」
「あのレベルの戦いは……フィニッシュアクションで決着がつく! 今、二人の腰の位置は完全に同じ。しかし上半身の長さ……フィニッシュアクションのリーチは部長に分があるぞ! 瑠那ちゃんの技術がそれを上回るかどうかが勝負の分け目になるはずだ!」

 ゴールテープが眼前に迫り、あと数歩でゴールという状況になってなお、二人は完全に並走していた。
 瑠那はフィニッシュアクションの動作を準備し、最後の勝負へ臨もうとした。
 しかしその時、ほんの少しだけ、蒼が前に出た。
 瑠那は驚きつつも、蒼とほぼ同時にゴールをする。
 
(ここで……前に!? 馬鹿な!)

 ゴールしたとき、瑠那は完璧なフィニッシュアクションをした。
 あのまま並走を続けていたなら、勝ったのは確実に瑠那だっただろう。
 しかし、最後の3歩……いや、2歩かもしれない。
 それほどの直前になって、蒼が前に出た。
 まるで、力を残していたかのように。
 勝負の結果は、分からなくなった。

「同時にゴール!! 結果は果たして……判定員の香織先輩からの報告が待たれます!」
「若干、最後に蒼ちゃんが前に出た気がしたが……瑠那ちゃんのフィニッシュアクションも完璧だったからなー。この席からだと判定できなかった。判定を待つしかないなー」
 
 どちらが勝ったのか、綾乃やロリ先生も含めてギャラリーはまだ判断しかねているようだ。
 続々と後続の選手達がゴールし、順位が読み上げられていく。
 しかし、1位、2位のみが未だ結果を明かされない。
 全てのチームがゴールした後、ようやく判定を終えた判定写真を手に、香織が実況解説席に向けて報告をする。
 綾乃は、なるほど……と頷いてから、インカムで指示をする。
 すると、校舎の壁にプロジェクションマッピングで判定写真が投影された。
 右下に「撮影協力 写真部」と記載されている。
 そして判定写真によって、わずかに蒼の胸が前に出ていることが分かった。
 
「優勝……陸上部上級生チーム! そして準優勝、陸上部新入生チーム! 60mのハンデを背負いながらも、上級生が意地で接戦を制しました!」
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