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2章 デビュー戦

22話 地区予選エントリー

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「あっ陽子殿、伊緒殿! 部室に向かうところですかな? ご一緒しますぞ」

 廊下を歩いていると、5組の教室前で声をかけられる。

「おー、真記まき。一緒に行こうか」
「今日のブリーフィングに同席? 熱心ねー」

 へっへっへ、と笑う風変わりな口調の彼女は多聞真記たもんまき
 新聞部の新入部員で、陸上部を取材している。
 新聞部への入部は入学早々に決めていたという生粋の記者だが、先日の部活対抗リレーを観戦したことをきっかけに、陸上部に興味を持ったらしい。
 前任の陸上部担当記者が卒業したこともあり、入れ替わりでその役を継いだというわけだ。
 現在の主な活動として、負荷の重い練習をする日にやって来ては、酸欠でぶっ倒れた花火の写真を撮っていくという、嫌がらせにも見える行為をしている。
 同じ5組で花火とは仲が良いようだが、陽子は死んでも醜態を記録に残されたくはないな。と思った。
 しかしそれでも陸上部に期待していることは本当のようで「こういう地味な取材の積み重ねが、3年後に密着特集記事として花開くんです」とモチベーションは高い。
 また、関東の新聞部は共同で『関東陸上NEWS』というニュースサイトを運営、および雑誌の発刊をしている。
 陸上部員ならば誰もがチェックしている、高校陸上界の専門メディアだ。
 そのネットワークを活かして情報収集などをしてくれているので、ロリ先生も準部員扱いでありがたがっているようだ。
 
「今週末の地区予選に向けて、今日はブリーフィングをすると聞いております故! お二人にとっての日々の練習同様、記者である小生にとっても、取材の事前準備は練習のように大切なものですからな」

 口調や挙動は怪しいが、記者としての姿勢そのものはまさにプロだ。
 
「お疲れさまでーす」
「おつかれー」

 部室に入ると、座敷に座った麻矢が手を振る。
 その隣では美咲が着替えをしていた。
 3年生の教室は部室棟に近く、いつもこの2人が一番乗りだ。
 そして麻矢の前にあるちゃぶ台の上にはIHヒーターと鍋。
 
「好きですね、袋ラーメン」
「1年生の頃から健康によくないって言ってるんだけど、やめないのよ」

 着替えを終えた美咲が、まったく。といった顔で振り向く。

「パンとかよりも、こいつが一番腹持ちいいんだよなぁ」
「だからってよくもまぁ毎日毎日……飽きないの?」
「ローテーションしてるし、味付けも変えてるからさ」

 そう言うと、麻矢は某北欧家具メーカーの棚から箱を取り出す。
 ペンで「麻矢のご飯セット」と書かれた箱のふたを開け、中身を自慢げに見せる。

「海苔とか~、ラー油とか~、これは乾燥ワカメ」
「先輩、100m東京ベスト8のラーメンルーチン! という連載コラム、いかがです!?」
「ちょっと、こんなアスリートらしからぬこと、助長させないでよね」

 真記の提案に麻矢は「いいなそれ!」と乗り気だが、美咲に止められる。
 
 ラーメンをすする麻矢を横目に着替えを済まし、関東陸上NEWSを読んでいると他の部員も続々と集まってくる。
 ちょうど麻矢がラーメンを食べ終えた頃、ロリ先生が現れた。

「みんな集まってるかー? 大会前ブリーフィング始めるぞー」
 
 ガラガラとホワイトボードを引っ張り出し、香織が秘書のようにロリ先生の傍らに立つ。

「今週末は新入部員が入ってから最初の大会だからな、インターハイへ繋がる地区予選であると同時に、いわゆるデビュー戦ってやつでもある。大事な大会だから気合入れていくように。まずは情報を再確認していくぞー」

 インターハイ予選東京南地区大会。
 いわゆる、地区大会と呼ばれる大会だ。
 インターハイ(全国大会)に出場するには関東大会で6位以内に入る必要がある。
 その関東大会に出場するには東京都大会で6位以内に入る必要が。
 そして東京都大会に出場するには東京南地区大会で12位以内に入る必要があるという仕組みだ。
 東京都は東西南北4つの地区に分けられており、計48名、あるいは48チームが都大会へ進むことになる。
 
 個人種目は各校1種目につき3人まで出場でき、1人につき3種目まで出場できる。
 これに加えてリレー2種に出場できるので、理論上は1人で最大で5種目に出場することが可能だ。
 もっとも、予選落ち前提の記念出場ならまだしも、決勝まで勝ち上がっていこうと考えれば体力的に3種目程度がベターだ。
 ショートスプリンターなら100m、200mと四継、ロングスプリンターなら400m、マイルといったパターンがよく見られる。
 他にも走り幅跳びやハードルとスプリントを兼ねる選手も多い。
 とはいえ、中には超人的な組み合わせでエントリーをする選手もいる。
 あるヨーロッパ最強と謳われる女性ハードラーは、かつて7種競技、100mH、四継に出場している。
 また日本でも、女子中距離界の怪物と呼ばれる選手が、800m、1,500m、5,000mと中距離種目にフルエントリーしたことは記憶に新しい。
 結局のところ、自身の狙う順位、そして体力と相談となる。

「今年はリレーで関東の決勝……いや、全国出場も狙える位置にいる! まずはこの地区予選、優勝を目指していくぞ!」
「それではエントリーリストを書いていきますね」
 
 香織がエントリーリストを見ながらホワイトボードに名前を書いていく。

 100m
 文月麻矢、湖上瑠那、祭田花火

 200m
 葉山美咲、湖上瑠那、日向陽子

 400m
 田丸歌、日向陽子、水野伊緒

 800m
 田丸歌、中村綾乃

 1,500m
 中村綾乃

 走高跳
 皆川蒼

「個人種目の目標は、全種目での都大会出場だ! 特に100mと走高跳は新人戦で優勝してるからな、都大会のシミュレーションのつもりで、しっかり勝っていこう。100mと200mは瑠那ちゃんが入って来てくれたから、夢のワンツーフィニッシュにも期待だな!」
 
 瑠那を除く新入部員は力不足感があるものの、上級生の都大会出場は確実と見られていた。
 都大会に照準を合わせ、まずはシーズン始めということで勝負勘の確認がメインとなりそうだ。

「次にリレー。既にバトンの練習は始めてもらってるけど、一旦これで確定版な! ただ当日のコンディションを見てオーダーは変えていくかもしれないから、リザーバーもいつでも走れるように準備しておくこと」

 四継(4×100mR)
 1走:湖上瑠那 2走:文月麻矢 3走:葉山美咲 4走:皆川蒼
 リザーバー:田丸歌、日向陽子
 
 マイル(4×400mR)
 1走:文月麻矢 2走:葉山美咲 3走:田丸歌 4走:皆川蒼
 リザーバー:中村綾乃、湖上瑠那

 瑠那は四継のレギュラーとマイルのリザーバーに、陽子は四継のリザーバーに入った。
 リザーバーといっても、ただの補欠ではない。
 予選と決勝では別のオーダーにできるため、決勝まで温存したい選手がいる場合、予選では積極的にリザーバーを使う傾向がある。
 夏の森もマイルでは麻矢の疲労を考慮して決勝まで温存し、予選は綾乃にチェンジして走っている。
 また四継ではバトンパスが非常に重要となるが、リザーバーはいつ、どのポジションを任されても対応できるような準備が求められる。
 単純な100mの走力では歌に勝る陽子だが、バトンパスの安定性では歌に及ばないため、柔軟性が求められるリザーバーとしては、2番手の位置となった。
 エースとなる瑠那ですら、本来エース区間の2走や4走ではなく、バトンパスが比較的容易な1走を任されているほど、バトンパスの重要性は高い。
 もしもバトンが繋がらなければ、どれだけ個々の走力があっても、そこで終わりなのだから。
 陽子も、万が一に備えて……また今後のためにも、バトンパスの練習はこの2週間、レギュラーと一緒に行ってきた。
 走力は当然ながらバトンパスを重要視する夏の森らしく、リザーバーも準備は万全だ。

「四継とマイルについては、正直なところ都大会出場は余裕と言えるだろうから、バトンパスはタイムよりも安定性を優先していく。特に四継の1・2走間は慣れないだろうから、マージンを取ること」

 麻矢が「ま、心配しなくても、私に任せとけば余裕だってー」と瑠那の背中をバシバシ叩く。
 麻矢のスキンシップはやや激しいので、華奢な瑠那が怪我をしないか陽子は心配になる。

「南地区でうちに対抗できるのは、去年の新人戦で準優勝だった立身大付属くらいだから、ここさえ押さえておけば問題はない。だが、だからこそ、安全バトンで繋いだとしても優勝できるというくらいじゃないと、次のステージじゃ話にならないからな」

 ロリ先生にプレッシャーをかけられ、歌と彩乃、陽子は表情が強張る。
 しかし3年生と瑠那は、あまり緊張はしていないようだ。

「それじゃ最後にリレーの戦力分析。香織ちゃんよろしく!」
「承知しました」

 香織に説明を任せると、ロリ先生は自分専用の椅子(キャンプ用の折り畳み椅子)にどかっと座った。
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