【24+1】プラスワン

棚丘えりん

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1話 挑む者達

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1話 挑む者達
「これより、女子4×100mの予選・救済レースを行います。1チームが出走し、基準タイム以上の記録を場合、準決勝へ進出します」

 インターハイ2日目。
 まだ朝ながら、既に熱気に包まれている競技場に放送が流れる。
 
「なお基準タイムは、昨日実施された予選を24番目で通過したチームと同等の46秒99となります」

 競技場は満員ながら、スタンドの観衆は静かに放送に耳を傾けている。

「それでは出場選手の紹介です。勇気ある行動を取った、誇り高き選手達に大きな拍手を!」

 8月の日差しに照らされた、オレンジ色のトラック。
 そこには、たった4人の少女達……リレーを走る”オーダー”のみが立つ。
 そしてゴール地点に設営されたオペレーションブースにも、静かにトラックを見据える”オペレーター”の少女が1人。
 まだどの種目も始まっていないこの時間、この少女達のためだけに用意された戦場だ。

「四国大会優勝……高知・土佐水木とさみずき女子高校!」

 大歓声の中、大型ビジョンには各ポジションについた少女達が順に映される。
 その姿を見ながら、オペレーターの高須明たかすめいはインカムを起動する。

「オペレーターの孔明ちゃんからオーダーへ。今日のレースは、想像していた以上の難易度だ。けれど、君達なら超えられるはずだと、そう信じている。さぁ……準備はいいかい?」

 今年は、ここ数年の中でもハイレベルな予選だった。
 予選を通過した24チーム全てが46秒台をマーク、例年の47秒台で予選通過というボーダーは塗り替えられている。
 昨日予選を欠場した土佐水木は、1日遅れで救済レースを走れることになったものの、1チームで走らなくてはならない。
 例え冗談で名乗ったあだ名だとしても”孔明ちゃん”という役割に恥じぬよう。
 明は不安げに唇を噛みながら、しかし仲間達に乞われた軍師として、ゆっくりと語りかけた。
 
 一般的に、周囲にライバルのいないレースで全力を出すことは難しいとされている。
 追うものがあるから、追われることがあるから、心に火が灯るのだ。
 勝ちたいライバルがいるから、負けたくないライバルがいるから、心の炎は燃え上がるのだ。
 故に孤独なこのレースは、己の心の戦い。
 駆ける理由を持たなければ、心に火は灯らない。
 陸上競技において、鍛え上げた肉体と磨き上げた技術に加えて必要な、最後の一つ。
 心こそが、このレースにおいて明暗を分けるだろうと全員が理解していた。
  
「1走、いく!」

 スタート地点。
 バトンを握った、北金田郁きたかなだいくが答える。
 土佐水木の花をイメージした淡いイエローのユニフォームから、投擲選手らしい逞しい筋肉が覗く。

「孔明ちゃんが来てくれてからの1年間。短いはずなのに、なんでかな。孔明ちゃんが来るまでの1年間よりも、ずっと長く感じるんだ。もう何年も一緒に戦ってきたみたいだって感じるよ。冗談じゃない、本当さ! だからさ……こんな壁、私は、いつでもぶっ飛ばせるよ。孔明ちゃんのお陰で、自分自身と戦えるようになったんだ。だから今日みたいなレースは、私を阻む壁になんてならないのさ!」

 ハンマー投、四国大会3位。
 郁は中学時代、高知県内でも名の知れたスプリンターだった。
 力強いバネを活かした弾丸のようなスタートは、負け知らずの武器だった。
 しかし高校進学後、成長期を迎えた身体は大きく、そして重くなった。
 力強いバネをもってしても、その身体は昔のようには動かない。
 そしてスプリンターとしての自信を失った郁は、投擲種目に逃げた。
 
 しかし逃亡者が勝てるほど、陸上競技の世界は甘くない。
 また、スプリントを中心としたチーム内に、投擲を専門とする選手はいない。
 いや、誰もいないから逃げたのだ。
 だが、逃げた先にあったのは静かな堕落だった。
 失った自信と、孤独な練習は心を蝕む。
 それでいながら、リレーのメンバーに名を連ねるほどにはスプリントの力があった。

 チームは、リレーの1走に強い存在を求めた。
 どんな状況でも全てを打ち砕き、自ら勝利への弾みを生み出す1走。
 チームの誰もが、郁の名を挙げた。
 スプリンターとしての肩書を捨ててなお、求められることは嬉しかった。
 しかし、求められたその力は過去の自分が築いた遺産。
 成長することのない、ただ朽ちるばかりの才能だ。
 チームと同じ夢を見たいと思った。
 同時に、立ち上がれない弱い心があった。
 仲間達から頼られる、強い自分。
 実は仲間達を裏切る、弱い自分。
 なりたい姿と本当の姿、それでも埋められないギャップに、心は擦り減っていた。
 
 そんな郁をスロワーとして立ち直らせたのが、明との友情だった。
 郁は今日、スプリンターとして戦場に立っていない。
 スロワーとしても立っていない。
 ただ、ただ純粋に強い存在。
 何物にも押されぬ、不動の1走として、この戦場に立っている。
 
「2走、美亜みあ

 バックストレート。
 すらりとしたモデル体型に、切れ長の糸目を細めて塩屋崎美亜しおやざきみあは笑顔を見せる。

「ちょっと、感傷的になるのは早いよ郁ちゃん。私達が今日ここに立ってるのには、理由がある、目的がある、夢がある。まだまだ終わらないよ……始まりはそう、笑顔で楽しく行かなきゃね」

 100m、四国大会3位。
 そして、今年の高知県勢で、ただ2人だけの11秒台スプリンター。
 主将にしてナンバー1の辰海たつみに、唯一並び立てる存在。
 自他ともに認める、チームのナンバー2が美亜だ。
 ただ実際のところ、上を見ればライバル達は遥か遠く、かと言ってその他大勢に紛れられるほど、その才は平凡でもなかった。
 しかし中学に上がる頃には、そんな事実にはとっくに気付いていた。
 成績優秀なら東大を目指すか、否、地元の国立大を目指している。
 容姿端麗なら東京でモデルを目指すか、否、ただ羨まれる程度でいい。
 高知で生まれ、高知で育ち、高知で生きる。
 そんな美亜の口癖は鶏口牛後。
 年齢不相応に大人びた彼女は、いつも「ちょっと凄いくらいが丁度いいんだよ」と言う。
 
 しかし、いつからだろうか。
 美亜が”上”を目指し始めたのは。
 何のためだっただろうか。
 「2番手は12秒0台で十分でしょ」と言っていた過去を捨て、11秒台にこだわったのは。
 誰のためだっただろうか。
 インターハイという舞台を、自ら口にするようになったのは。

 美亜は目を細めたまま、競技場をぐるりと見渡す。
 ここに来た理由を確認するように。
 
「3走、早百合さゆりです」
 
 第3コーナー。
 オーダー唯一の2年生にして技巧派のマルチスプリンター。
 200mで四国大会まで進出しただけあり、その技術力は1年のハンデを感じさせない。
 控え目な性格ながら、次期主将として期待される槙山小百合まきやまさゆりだ。

「ついに、ここが全国……なんですね。でもここはまだ始まり、おっしゃる通りです! 先輩達の想いと努力……キャプテンまで全力で繋ぎます!」

 土佐水木は高知県内では別格のスプリント強豪校だ。
 しかし四国大会まで進めば影は薄くなり、陸上ファンの中でも、全国区では知らない人の方が多い。
 早百合は物心ついてからずっと、陸上ファンだ。
 特に高校陸上界への想いは熱く、ここ10年の名スプリンターは逸話付きで語れるほどだ。
 そして今は、憧れの先輩スプリンターでもある辰海と、全国の強豪スプリンター達について語り合うのが楽しくてたまらない。
 
 そんな早百合が土佐水木へ進学したのは当然とも言えるが、2つ嬉しい誤算があった。
 1つ目、1学年上の世代に、歴代最高の選手が揃ったこと。
 2つ目、早百合自身に、スプリンターの才があったこと。
 しかし奇跡も3度は起こらなかった。
 四国最強のスプリンター、辰海は春先の故障で個人種目を断念。
 早百合もまた、2年生でインターハイに出られるほどの実力はなかった。
 
 唯一のチャンスはリレー。
 3年生の辰海に”次”はない。
 リレーでのみ、インターハイ出場のチャンスがあった。
 高知市大会、高知県大会、四国大会と、早百合はバトンを繋ぎ続けた。
 そして四国最強のチームとして、ついにインターハイまでたどり着いた。
 ついに、辰海と早百合が憧れた伝説達と、直接戦えるチャンスを得た。
 だからこそ、早百合は今日、必ず繋がなければならない。
 辰海を、最高の舞台まで。
 語り合った、伝説達のいる場所まで。
 
「4走、辰海たつみ

 ホームストレート。
 健康的に焼けた小麦色の肌に、よく鍛えられた身体、少年のように大きな黒い瞳が夏の太陽の下に似合う。
 四国最強のスプリンター潮江辰海うしおえたつみは、ゆっくりと深呼吸してから口を開く。

「みんな、ここまでついて来てくれて……ありがとう。ずっと夢に見ていたんだ。最高の舞台に向けて、行こうか!」

 短い言葉だった。
 しかし、力強い、覚悟のこもったキャプテンの言葉は、仲間達を奮い立たせる。

 四国にいる限り、敗北とは無縁だった。
 中学時代、陸上を始めてすぐにそのことに気付いた。
 しかし同時に、全国には自分よりも凄いスプリンターがいることも思い知らされた。
 
 中学3年生の全中。
 四国最強の肩書とともに、100m、200mの2種目で出場した。
 全中は地方大会が1種目制限な場合が多く、2種目でのエントリーが非常に難しい。
 しかし辰海は成し遂げた。
 その実力によって、悠々と出場資格を得た。
 辰海には、どうしても2種目でエントリーしたい目的があったから。
 
 2年生の夏、辰海は100mで初めて全国大会の舞台に立った。
 成長期の中学生において、1年のハンデは大きい。
 故に2年生での全中出場は珍しいが、そこで辰海は世界の広さを知った。
 後に畏怖を込めて『絶対女王』と呼ばれる最上理音もがみりおん
 そして同じく『白銀皇帝』の異名を得ることになる大路大河おおじたいが
 東京都代表だった同学年のこの2人を相手に、辰海は初めての敗北を知る。

 その2人が、3年生では100mと200mにそれぞれエントリーするというのだ。
 初めての敗北以来、辰海は寝ても覚めても再戦のことを考えてばかりいた。
 どうすればあの境地に辿り着けるのか。
 自分には何が足りなかったのか。
 何もしなくても勝てていた辰海にとって、初めての試行錯誤だった。
 試行錯誤を重ね、さらに実力を上げた辰海は、2種目で全中にエントリーし、再戦を求めた。
 そこで辰海は、さらなる驚きに出会う。
 
 この頃から全国で名を挙げ始めた、同世代のスプリンター達だった。
 理音と大河を筆頭に、その2人に匹敵する才を持つ4人を加えた、”関東6強”。
 それに対抗する”古都五侯”や”筑紫三氏”などが、全中の主役として活躍することになる。
 辰海もまた2種目ともに決勝まで進出するも、決勝最下位となる8位。
 しかし辰海に悔しさという感情はあれど、後悔や悲しさはなかった。
 あるのはただ、全力で挑めるライバルへの感謝と、本能からの対抗心。
 そして辰海は、全国のライバル達とのインターハイでの再戦を誓う。
 
 それから3年経った今日、辰海は再び、その誓いを果たすために立っている。
 高校入学後、全国では新たな勢力も出現し、非常にハイレベルな群雄割拠の様相になっている。
 そして今年、同学年のライバル達とともに高校生活の集大成をぶつけ合う機会を得た。
 辰海にとっては最高の舞台だ。
 この1年、磨き上げた技がどこまで通用するのか。
 またライバル達が、どこまで実力を上げたのか。
 遠い四国から、1年間、ずっと待ち続けていた、想い続けていた。
 ただ、再戦の日だけに想いを馳せ、四国最強の力を磨き上げた。
 辰海の、純粋で真摯な姿に、仲間達は呼応した。
 チーム全員、辰海と同じ夢を見たいと思った。
 大海に挑む蛙に、井戸の仲間は王の可能性を見た。
 
 最高の仲間達と、極限まで鍛え上げた自身の力を持って、どこまで通用するのか。
 土佐水木の、たった1チームでの戦いが始まる。
 
「OK、オーダー。私達には……駆けなければならない理由がある。まだ醒めぬ、同じ夢を見ましょう。オーダー、健闘を祈ります」
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