64 / 75
五:大狗祭り
ずっとそばで貴女を
しおりを挟む
その者は信じられないという顔で、わたしの大好きな方の姿で、なおも続けます。
「……なぜ…、お願いだ、早苗さん! 俺は俺だよ…っ。貴女に嘘は吐かない…決して…!」
わたしの決意がぐらぐらと揺さぶられる。
胸が押し潰されそうに痛み…視界がみるみるぼやけていく。そんな中で、わたしは懐から、蒔絵の手鏡を取り出します。
決して離さぬよう、柄を両手で確と握り込み、仁雷さまの姿の“者”に、鏡を向けました。
【………っ!!】
鏡に映る己の姿と対面したとたん、この世のものとは思えない、不気味な呻き声を上げたのです。
もがくように両手で宙を掻き、それから必死に、自身の顔を隠そうと腕で庇います。
その行動の意味はすぐに明らかとなりました。
「っ!?」
相手の体が、煙のように宙に溶けていくのです。姿形を保てなくなったその者は、煙の中で正体を露わにします。
仁雷さまのものではない…豊かな美しい白銀色の毛並み。大狗祭りの誰よりも大きな大きな体を持つその“山犬”の、深い琥珀色の瞳と目が合います。
「………っ!」
その幾重にも深まる琥珀の瞳は、仁雷さまのものとは全く違う輝きを放ちます。
けれどどこか…嬉しそうな、安心したような輝きもまた秘めており、その一点だけは、仁雷さまの瞳とよく似ていたのです。
かと思えば、山犬は猛烈な突風を巻き起こし、目にも止まらない速さでわたしの横を走り去りました。
「…きゃっ…!」
すぐに振り返ったけれど、白銀の山犬の姿は、千本鳥居の彼方へ消えてしまった後でした。
千本鳥居の中には、山犬の面を被るわたしの姿があるのみ…。
「あれは……」
あれが、最後の試練だったのかもしれません。
仁雷さまの姿で、仁雷さまの声で、わたしの決意が揺るがぬかどうかを試すために。
「…………」
もしかすると母様もまた、義嵐さまの姿に惑わされて、命を落としたのやもしれません…。
そうだとしたら、巡礼とはなんと険しく、そして残酷な道なのでしょう…。
「……………っ…」
わたしはたまらず、その場にしゃがみ込んでしまいます。
進まなければ。仁雷さまを捜さなければ。…なのに、体が思うように動いてくれない。
池泉の山の中では、あけび様と…知らない獣がそばに居てくださいました。
けれど今は、小さく丸くなることしか出来ない、わたし一人だけ。
「………仁雷さま……」
お顔が見たい。お声が聞きたい。
護る…と、約束してくださったのに。
一番お顔を見たい方がそばに居ないことが、こんなに辛く苦しいなんて。
『この面が、ずっとそばで貴女を護るから』
ーーー面…。
「………仁雷さまは真摯で…真っ直ぐな方…」
わたしは手にした蒔絵の手鏡の中に、自身の“山犬の面”を映しました。
仁雷さまが付けてくださった…仁雷さまを思わせる、山犬の面。
それが、どうしたことでしょう。
いつしかそこに“面は無く”、代わりに、
「……………久しぶり、早苗さん」
わたしの体を後ろから抱き締める、仁雷さまの姿があったのです。
わたしの髪に、ご自身の髪を遠慮がちに擦り付ける素振り。鏡に映る芒色の髪も、深い琥珀色の瞳も、わたしの知る姿そのものでした。
「………仁雷、さま……なの…?」
思わず、声が掠れてしまう。
だって、こんな近くにいるなんて。こんな近くに“居た”なんて、ちっとも…。
「そう。俺は“面”に変化して、ずっと貴女のそばにいた…。見つけてくれてありがとう」
「…………あ………」
拝殿の前で目を閉じていた時、髪を巻き上げる突風が吹いたことを思い出します。
もしかして、あの時…。
「………ほんとうに、仁雷さま、なのですか…?」
「……ああ。そうだよ。蒔絵の手鏡は真実を映す。あの物の怪は、早苗さんの望む姿で現れ決意を揺さぶる、“山犬の生霊”だった。そして、“俺の正体”も、こうして明らかにした…」
仁雷さまの手に力が込められます。
「巡礼の試練は、すべて達成された。貴女の弛まぬ努力と真っ直ぐな優しさは、この目で確かに見届けたよ。本当におめでとう…」
雉子の竹藪。
狒々の池泉。
そして、大狗祭り。
わたしのこれまでの歩みは、三つの試練を達成し…狗神様の元へ行くため。
けれど、その達成感を噛み締められないくらい、今のわたしは動揺していました。
仁雷さまが、ずっとそばに居た。
それはつまり、わたしが義嵐さまと話したことも…さっきの、わたしの願いを体現した生霊の姿も、すべてすべて仁雷さまに…。
「………わたしの想いも、ぜんぶ、見てらしたのですね……」
「…………ああ」
わたしはたまらなくなり、手鏡を足下に落として、両手で顔を覆ってしまいました。
恥ずかしい。悲しい。みっともない。苦しい。消えてしまいたい…。顔が紅潮して、胸が締め付けられるように痛くて、涙が止め処なく溢れ出て来るのです。
「………あなたには、知られたく……なかったのに……っ」
どうせ叶わぬ想いなら、わたしの胸の内に永遠に留めておきたかった。
「……………………」
仁雷さまは何も言いません。
ただわたしが声を上げて泣き続けるのを、後ろから優しく体を抱き締めたまま、そばで待ち続けていました。
「……なぜ…、お願いだ、早苗さん! 俺は俺だよ…っ。貴女に嘘は吐かない…決して…!」
わたしの決意がぐらぐらと揺さぶられる。
胸が押し潰されそうに痛み…視界がみるみるぼやけていく。そんな中で、わたしは懐から、蒔絵の手鏡を取り出します。
決して離さぬよう、柄を両手で確と握り込み、仁雷さまの姿の“者”に、鏡を向けました。
【………っ!!】
鏡に映る己の姿と対面したとたん、この世のものとは思えない、不気味な呻き声を上げたのです。
もがくように両手で宙を掻き、それから必死に、自身の顔を隠そうと腕で庇います。
その行動の意味はすぐに明らかとなりました。
「っ!?」
相手の体が、煙のように宙に溶けていくのです。姿形を保てなくなったその者は、煙の中で正体を露わにします。
仁雷さまのものではない…豊かな美しい白銀色の毛並み。大狗祭りの誰よりも大きな大きな体を持つその“山犬”の、深い琥珀色の瞳と目が合います。
「………っ!」
その幾重にも深まる琥珀の瞳は、仁雷さまのものとは全く違う輝きを放ちます。
けれどどこか…嬉しそうな、安心したような輝きもまた秘めており、その一点だけは、仁雷さまの瞳とよく似ていたのです。
かと思えば、山犬は猛烈な突風を巻き起こし、目にも止まらない速さでわたしの横を走り去りました。
「…きゃっ…!」
すぐに振り返ったけれど、白銀の山犬の姿は、千本鳥居の彼方へ消えてしまった後でした。
千本鳥居の中には、山犬の面を被るわたしの姿があるのみ…。
「あれは……」
あれが、最後の試練だったのかもしれません。
仁雷さまの姿で、仁雷さまの声で、わたしの決意が揺るがぬかどうかを試すために。
「…………」
もしかすると母様もまた、義嵐さまの姿に惑わされて、命を落としたのやもしれません…。
そうだとしたら、巡礼とはなんと険しく、そして残酷な道なのでしょう…。
「……………っ…」
わたしはたまらず、その場にしゃがみ込んでしまいます。
進まなければ。仁雷さまを捜さなければ。…なのに、体が思うように動いてくれない。
池泉の山の中では、あけび様と…知らない獣がそばに居てくださいました。
けれど今は、小さく丸くなることしか出来ない、わたし一人だけ。
「………仁雷さま……」
お顔が見たい。お声が聞きたい。
護る…と、約束してくださったのに。
一番お顔を見たい方がそばに居ないことが、こんなに辛く苦しいなんて。
『この面が、ずっとそばで貴女を護るから』
ーーー面…。
「………仁雷さまは真摯で…真っ直ぐな方…」
わたしは手にした蒔絵の手鏡の中に、自身の“山犬の面”を映しました。
仁雷さまが付けてくださった…仁雷さまを思わせる、山犬の面。
それが、どうしたことでしょう。
いつしかそこに“面は無く”、代わりに、
「……………久しぶり、早苗さん」
わたしの体を後ろから抱き締める、仁雷さまの姿があったのです。
わたしの髪に、ご自身の髪を遠慮がちに擦り付ける素振り。鏡に映る芒色の髪も、深い琥珀色の瞳も、わたしの知る姿そのものでした。
「………仁雷、さま……なの…?」
思わず、声が掠れてしまう。
だって、こんな近くにいるなんて。こんな近くに“居た”なんて、ちっとも…。
「そう。俺は“面”に変化して、ずっと貴女のそばにいた…。見つけてくれてありがとう」
「…………あ………」
拝殿の前で目を閉じていた時、髪を巻き上げる突風が吹いたことを思い出します。
もしかして、あの時…。
「………ほんとうに、仁雷さま、なのですか…?」
「……ああ。そうだよ。蒔絵の手鏡は真実を映す。あの物の怪は、早苗さんの望む姿で現れ決意を揺さぶる、“山犬の生霊”だった。そして、“俺の正体”も、こうして明らかにした…」
仁雷さまの手に力が込められます。
「巡礼の試練は、すべて達成された。貴女の弛まぬ努力と真っ直ぐな優しさは、この目で確かに見届けたよ。本当におめでとう…」
雉子の竹藪。
狒々の池泉。
そして、大狗祭り。
わたしのこれまでの歩みは、三つの試練を達成し…狗神様の元へ行くため。
けれど、その達成感を噛み締められないくらい、今のわたしは動揺していました。
仁雷さまが、ずっとそばに居た。
それはつまり、わたしが義嵐さまと話したことも…さっきの、わたしの願いを体現した生霊の姿も、すべてすべて仁雷さまに…。
「………わたしの想いも、ぜんぶ、見てらしたのですね……」
「…………ああ」
わたしはたまらなくなり、手鏡を足下に落として、両手で顔を覆ってしまいました。
恥ずかしい。悲しい。みっともない。苦しい。消えてしまいたい…。顔が紅潮して、胸が締め付けられるように痛くて、涙が止め処なく溢れ出て来るのです。
「………あなたには、知られたく……なかったのに……っ」
どうせ叶わぬ想いなら、わたしの胸の内に永遠に留めておきたかった。
「……………………」
仁雷さまは何も言いません。
ただわたしが声を上げて泣き続けるのを、後ろから優しく体を抱き締めたまま、そばで待ち続けていました。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
身体だけの関係です‐原田巴について‐
みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子)
彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。
ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。
その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。
毎日19時ごろ更新予定
「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。
良ければそちらもお読みください。
身体だけの関係です‐三崎早月について‐
https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる