68 / 75
六:狗神御殿
仁雷の願い
しおりを挟む
「…………へ………?」
突然のことに、あまりに素っ頓狂な声を漏らしてしまいました。
自分の耳を疑います。何か今、とんでもない聞き違いをしたみたいで。
「…え…ご冗談、ですか……?」
困惑して訊ねますが、仁雷さまのお顔に冗談の色は微塵もありません。
小さい子どもに言い聞かせるように、ゆっくり教えてくださいます。
「本当だよ。早苗さんが巡礼を達成した時点で、それは決まっていた。あちらに鎮座している山犬は確かに狗神だが、此度の“祝言”をもって、代を替わる。俺が、次の狗神を襲名するんだ」
仁雷さまの言葉は、さらにわたしを困惑させました。
だって、何もかも初耳なのですもの。
その困惑はわたしだけでなく、その場に集まっていた山犬達にも伝染していました。
狼狽の声が左右から雪崩のように巻き起こる…。そんな中でも、仁雷さまの声はハッキリと耳に届くのです。
「……し、祝言…? どなた、の……?」
「早苗さんと、俺の祝言だよ」
わたしはとうとう、素っ頓狂な声さえも上げられなくなりました。頭がちっとも追いつかないのです。今聞いた言葉は、今見えている光景は、真実? それとも、狗神様の生霊が見せている夢…? だって、夢を優に超えているのだもの。
「……え、祝言? でも、わたし…生贄に…。い、命を捧げるために……」
わたしは必死に頭を回し、犬居の娘の使命を思い出します。
それは狗神様の生贄となること。その身と、命を捧げること。そう幼い頃から教えられ、皆当たり前のことと認識していました。そう認識してきたはず…。
答えが知りたくて、わたしは仁雷さまのお顔を、穴が開きそうなほど見つめてしまいます。
「…早苗さん。歴代の犬居の娘達は、皆一つの目的のために、狗神に捧げられたんだ。それは、“狗神の子を産む”ことだ」
「………い、狗神様の、お子…?」
「そう。つまりは嫁入りのため。…けれど人の身では、山犬の“多産”には耐えられない。娘達は皆一様に、十年も経たずして亡くなってしまったんだ…」
わたしはようやく理解します。だから狗神様は、十年毎に娘を欲していたのです。
神様が子孫を望むなんて、わたしは考えたこともありませんでした。ただ漠然と、娘達の命を…文字通り“喰らって”いたのではないかと、そんな無礼な考えが頭を過ぎったことも、一度や二度ではなかったのです。
わたしの顔は、己の大変な思い違いによる後悔で、ひどく歪んだことでしょう。その胸中を、仁雷さまは察してくださいました。
「…早苗さんが怯えるのも無理のないことだよ。人の身からすれば、山犬は恐ろしい。考えなど読めないのが自然だ。“神”と呼ばれていても、その実、長い年月を経て力を蓄えた“あやかし”に過ぎないのだから。……しかし、」
仁雷さまの握る手に、一層力が込められました。
「これだけは信じて。狗神も、山犬達も、決して奥方を虐げたりはしなかった。人の世を追われてしまった彼女達の拠り所になれるよう、山犬族一丸となって、彼女達を護り続けたつもりだ。…それでも、彼女達の身体を利用した挙句、死なせてしまったことは紛れもない事実。そんな理不尽を嫁入りなどとは呼べない。生贄と同義だ」
あんなに落ち着いて優しげだった仁雷さまのお顔が、苦しげに歪められました。
そのお顔からは、仁雷さまや皆様が、どれほど憐れな娘達を想っていたか。彼女達の死をどれほど悔やんでいるかが、痛いほど伝わってきたのです。
もう話さないで…。そう胸の内で願えども、仁雷さまは己の使命を全うするため、わたしにすべてを打ち明けてくださいました。
「ーーーそんな悲しい風習を辞めさせたくて、俺は狗神と約束をした。今回の犬居の娘が巡礼を達成したら…その方を初めての奥方として娶り、俺が狗神の名を引き継ぐ。…生贄の連鎖を断ち切るためとは言え、貴女を危険に巻き込んで、今までずっと黙っていて…ごめん。……そして、俺を信じて来てくれて、本当にありがとう…」
優しく微笑むそのお顔は、わたしの知る、本来の仁雷さまのものでした。
ずっと理解の追いつかないままだったわたしの頭が、次第に明瞭に形を持って、
「………わたし、は、」
胸が一杯になって、自然と目から涙が溢れたのです。
「わたしは、生きて良いのですか…? 生きて、仁雷さまの…おそばにいて良いのですか……?」
「…むしろこっちが願い上げるよ。早苗さん、どうか、俺と夫婦になってほしい」
夢なのではと錯覚してしまう。
夢にまで見た仁雷さまのお言葉を断る理由が、一体どこにありましょうか。
わたしは嗚咽混じりの声で、胸一杯の幸福感を抱えて、小さく小さく「はい」と答えたのでした。
突然のことに、あまりに素っ頓狂な声を漏らしてしまいました。
自分の耳を疑います。何か今、とんでもない聞き違いをしたみたいで。
「…え…ご冗談、ですか……?」
困惑して訊ねますが、仁雷さまのお顔に冗談の色は微塵もありません。
小さい子どもに言い聞かせるように、ゆっくり教えてくださいます。
「本当だよ。早苗さんが巡礼を達成した時点で、それは決まっていた。あちらに鎮座している山犬は確かに狗神だが、此度の“祝言”をもって、代を替わる。俺が、次の狗神を襲名するんだ」
仁雷さまの言葉は、さらにわたしを困惑させました。
だって、何もかも初耳なのですもの。
その困惑はわたしだけでなく、その場に集まっていた山犬達にも伝染していました。
狼狽の声が左右から雪崩のように巻き起こる…。そんな中でも、仁雷さまの声はハッキリと耳に届くのです。
「……し、祝言…? どなた、の……?」
「早苗さんと、俺の祝言だよ」
わたしはとうとう、素っ頓狂な声さえも上げられなくなりました。頭がちっとも追いつかないのです。今聞いた言葉は、今見えている光景は、真実? それとも、狗神様の生霊が見せている夢…? だって、夢を優に超えているのだもの。
「……え、祝言? でも、わたし…生贄に…。い、命を捧げるために……」
わたしは必死に頭を回し、犬居の娘の使命を思い出します。
それは狗神様の生贄となること。その身と、命を捧げること。そう幼い頃から教えられ、皆当たり前のことと認識していました。そう認識してきたはず…。
答えが知りたくて、わたしは仁雷さまのお顔を、穴が開きそうなほど見つめてしまいます。
「…早苗さん。歴代の犬居の娘達は、皆一つの目的のために、狗神に捧げられたんだ。それは、“狗神の子を産む”ことだ」
「………い、狗神様の、お子…?」
「そう。つまりは嫁入りのため。…けれど人の身では、山犬の“多産”には耐えられない。娘達は皆一様に、十年も経たずして亡くなってしまったんだ…」
わたしはようやく理解します。だから狗神様は、十年毎に娘を欲していたのです。
神様が子孫を望むなんて、わたしは考えたこともありませんでした。ただ漠然と、娘達の命を…文字通り“喰らって”いたのではないかと、そんな無礼な考えが頭を過ぎったことも、一度や二度ではなかったのです。
わたしの顔は、己の大変な思い違いによる後悔で、ひどく歪んだことでしょう。その胸中を、仁雷さまは察してくださいました。
「…早苗さんが怯えるのも無理のないことだよ。人の身からすれば、山犬は恐ろしい。考えなど読めないのが自然だ。“神”と呼ばれていても、その実、長い年月を経て力を蓄えた“あやかし”に過ぎないのだから。……しかし、」
仁雷さまの握る手に、一層力が込められました。
「これだけは信じて。狗神も、山犬達も、決して奥方を虐げたりはしなかった。人の世を追われてしまった彼女達の拠り所になれるよう、山犬族一丸となって、彼女達を護り続けたつもりだ。…それでも、彼女達の身体を利用した挙句、死なせてしまったことは紛れもない事実。そんな理不尽を嫁入りなどとは呼べない。生贄と同義だ」
あんなに落ち着いて優しげだった仁雷さまのお顔が、苦しげに歪められました。
そのお顔からは、仁雷さまや皆様が、どれほど憐れな娘達を想っていたか。彼女達の死をどれほど悔やんでいるかが、痛いほど伝わってきたのです。
もう話さないで…。そう胸の内で願えども、仁雷さまは己の使命を全うするため、わたしにすべてを打ち明けてくださいました。
「ーーーそんな悲しい風習を辞めさせたくて、俺は狗神と約束をした。今回の犬居の娘が巡礼を達成したら…その方を初めての奥方として娶り、俺が狗神の名を引き継ぐ。…生贄の連鎖を断ち切るためとは言え、貴女を危険に巻き込んで、今までずっと黙っていて…ごめん。……そして、俺を信じて来てくれて、本当にありがとう…」
優しく微笑むそのお顔は、わたしの知る、本来の仁雷さまのものでした。
ずっと理解の追いつかないままだったわたしの頭が、次第に明瞭に形を持って、
「………わたし、は、」
胸が一杯になって、自然と目から涙が溢れたのです。
「わたしは、生きて良いのですか…? 生きて、仁雷さまの…おそばにいて良いのですか……?」
「…むしろこっちが願い上げるよ。早苗さん、どうか、俺と夫婦になってほしい」
夢なのではと錯覚してしまう。
夢にまで見た仁雷さまのお言葉を断る理由が、一体どこにありましょうか。
わたしは嗚咽混じりの声で、胸一杯の幸福感を抱えて、小さく小さく「はい」と答えたのでした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
身体だけの関係です‐原田巴について‐
みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子)
彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。
ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。
その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。
毎日19時ごろ更新予定
「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。
良ければそちらもお読みください。
身体だけの関係です‐三崎早月について‐
https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる