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いわく付きの部屋
しおりを挟む「娘、我と、契約せよ。」
私は布団を頭まで被り、息を潜めながら思った。
やっぱり来やがったか、と。
それは、このアパートに引っ越してきた夜のことだった。
私が今居る部屋は、所謂『いわく付き物件』で、幽霊が出るという噂の部屋だ。
ここで誰かが死んだ事実はないにも関わらず、怪奇現象が起こるらしい。
大分格安な家賃だが、入居した人は1週間も経たずにい音を上げこの部屋から去る。
不動産屋も内見を嫌がるほどの、そんな物件を契約したのは完全な下心からだった。
私は今、人生最大の片想いしている。
青山くん。
彼は偶然入ったカフェの店員で、一目惚れをしてしまった。
細身でシミ一つない白い肌を持ち、サラサラの黒髪に、黒ぶちメガネ、笑うと無くなる目、その草食系な見た目が、どストライクだった。
私は仕事の帰りや休日、暇さえあればカフェに通った。でもなかなか話しかけることも出来ず、彼にはただのコーヒー好きのお客さん程度にしか思われていない。
だってしょうがない。本人を目の前にすると、緊張して頭が真っ白になって、何も言えなくなってしまうのだ。
恋愛経験もそれなりにあるのに、彼を目の前にすると怖じ気づいてしまう。
多分、見た目が好きすぎるからだと思う。
お近づきになる勇気はなかったが、彼のことはどんなことでも知りたかった。
まずは彼の家の最寄り駅を調べるところから始めた。青山くんの勤務時間が終るのに合わせて尾行してみると、それはすぐにわかった。
その行為は彼と並んで歩いているわけではないのに、デート気分になれて楽しかった。
それから尾行がやみつきになった。
しかしそれだけでは物足りなくなり、部屋に飾るための写真が欲しくなった。
隠し撮りを何度もした。
彼が触った紙ナプキンが欲しくてカフェからこっそり持ち帰ったこともあった。
気がつけば私は彼の立派なストーカーになってしまったのだ。
いけないことをしている自覚はあるものの、一度その楽しさや充実感を味わってしまうと止めることはできなかった。
だからある日、青山くんの住むアパートに空きがあるのに気がついた時には一も二もなく飛び付いてしまった。
しかも隣の部屋だ。
契約をしようと思い、取り敢えずスマホで不動産屋のホームページを見てみた。築15年、1LDK、家具家電付きで4万円。立地を考えたらどう考えても安すぎる。
不審に思い、不動産屋に電話で尋ねると、"怪奇現象が起こる"と言われた。具体的なことを聞いても『とにかく出るんです』としか教えてくれなかった。
私は考えた。
家賃が安い上に青山くんの部屋のお隣、部屋がお隣ということは壁を一枚挟んで同居が出来るということだ。
彼の生活音も聞こえるかもしれない。そしてゆくゆくは、お隣のよしみで彼と仲良くなり、お付き合い、同棲、結婚……。
色々な妄想が止まらなくなり、幽霊くらいなんだ、どんと来いと思ってしまった。
私は今までそういうたぐいのものに遭遇したこともないし、お化け屋敷も得意な方だ。大体、実態のない幽霊が、私に何か攻撃してくるとも思えない。それに、多少何かあったとしても隣の部屋に青山くんがいれば耐えられるような気がした。
――気がしたんだけど……。
「娘、目を開けよ。」
やっぱり少し怖いかもしれない。
だって、せいぜい風呂場の鏡にチラッと映るとか、急に照明が消えるとか程度のものだと思っていたのに、直接話し掛けられるなんて想定外だ。
私は何も聞こえていません。だから早くいなくなってほしい。
その後も何度も呼び掛けられたけれど目を瞑ってひたすら無視をした。
「…寝てる、か。」
男の声は聞こえなくなった。
出るっていうのは本当だったんだ。あんなにはっきり声が聞こえるなんて、確かに、住人は一週間も経たずにこの部屋を逃げ出したくなるだろう。私だってまだ動悸が治まらない。
でも私は明日、お隣に引っ越しの挨拶をしに行く予定だ。初めて青山くんと、店員と客のやりとり以外の会話ができるのだ。こんなことで逃げ出すわけにはいかない。
そして荒れた肌で行くわけにはもっといかない。だから今のことは忘れて早く寝なければ。
次の日の夜もその声は聞こえてきた。
「娘、我と契約せよ。」
でも今日の私は幽霊なんかに構っている心理状況ではなかった。
とてもショックなことがあった。
今日は青山くんの部屋に引っ越しの挨拶に行ったのだけれど、彼はわたしのことを全然覚えていなかった。
こちらとしては『あら、偶然ですね』やら『勤め先が近いんです』と言葉を用意していたのに、彼は私と初めて会ったかのように対応した。さらっと『こちらこそ、よろしくお願いします』と事務的に挨拶をして部屋に戻ってしまったのだ。
コーヒー好きのお客さんどころか、私を認識さえしてくれていなかったのだ。
なんてことだ、半年も通ったのに。
「娘、目を開けよ。」
青山くんを目の前にすると、緊張してしまうので、話しかける内容を何度も頭の中でシミュレーションしてから行ったというのに、これじゃあ店員と客よりも会話がないじゃないか。
「娘、起きているのだろう?」
大体、この幽霊のことも話題として『昨日、声が聞こえたんですぅ』なんて言って彼の関心を引こうとしたのに、全く話し掛ける隙も無かった。
これでは、この先に考えていた『実家から果物が沢山届いちゃって』作戦も、『煮物、作り過ぎたのでどうぞ』作戦も出来ないではないか。
でも、逆にカフェに行った時に偶然をよそ――
「これ!娘、…んー、頼むから起きてよー。ねーってばー。」
「うるさいな!」
こっちは考え事をしているのに、横からごちゃごちゃと。
苛つきのあまり大きな声が出てしまった。
「ひっ。」
小さな悲鳴の後、暫しの沈黙があり、また話しかけられた。
「…あ、あの、よろしければちょっと、お話を聞いて頂けないでしょうか。」
その幽霊は、まるでセールスマンのような口調になった。
「嫌です。」
「そ、そんな…。」
あれ?私幽霊と会話しちゃってる?
人間の青山くんとは全然話が出来なかったのに、幽霊とはコミュニケーションが取れている。
なんだかその事実が可笑しくなってしまって、僅かに残っていた恐怖もすっかりなくなった。
私は目を開けてみた。
幽霊がどんな顔をしているのか見てやろと思ったのだ。
暗い部屋で目をこらしていると、ベットの横に立ち、こちらを見ている男がいるのがわかった。
初めに目についたのは、真っ赤なルビーのような二つの瞳だった。
薄暗い中でも光を放ち、本物の宝石のように美しかった。
好奇心が湧き、ベッドから起き上がりもっと近くて観察してみた。
幽霊の見た目は、イケメンと言って差し支えない容姿をしていた。
つやつやの黒髪、切れ長で憂いのある瞳。高く通った鼻筋に血のような赤い唇。
惜しげもなく晒されている上半身は、ほどよく筋肉がついている。足は長くぴっちりとしたレザーパンツのようなものを履いている。
スタイルも抜群だった。
けれどそれより特筆すべきものがあった。
彼は大きな羽を背負っていた。
黒く量の多い、カラスの羽のような質をした二枚のそれは、室内で風がないのにゆらゆらと揺れている。
「コスプレ幽霊!?」
幽霊と言えば白装束ではないのだろうか。こういったものにも流行り廃りがあり、時代によって移り変わっていくものなのか。
珍しいものが見れた気がする。
好奇心から、その羽を触ってみる。
つやつやと輝いているその羽は温かかった。
触り心地は抜群だった。
これを布団にして寝たらいい夢が見られそうだ。
……ん?
でも、実態あるのおかしいよね?彼、幽霊なんだもん。
私は羽を掴んだまま恐る恐る彼を見た。
「幽霊?そんなのと、一緒にするな。わ、我は、悪魔だ!」
長い前髪の間から覗く赤い瞳で睨まれる。
これは、…ヤバい。
確かに、幽霊じゃない。
だってこんなにはっきり私の手の中に羽の感触があるんだもの。
試しに羽をぐいっと引っ張ってみたら、『あ。ちょ、やめてよ』と言いながら男は体をふらつかせた。
――これは、私の部屋に勝手に忍び込んだ、本物のヤバい人だ。
いわく付き物件だからてっきり幽霊だと思ってしまったけれど、これは人間だ。
どうやって裸の背中に羽をくっつけているのかは分からない(し分かりたくもない)けれど、引っ張った時の感触から体の抵抗による重みも感じられた。
どうしよう。これは幽霊より厄介だ。
こういう時は刺激をしないように話を合わせ、隙を見て警察に電話をして助けてもらうしかない。
「お金でしたら、少ないですけど、そこに財布があります。出来れば中身だけでお願いします。」
「我は、泥棒などではない。悪魔だ。」
ですよねー。だって泥棒はこんな目立つ羽なんてつけて来ないもの。
「あの、悪魔さんは私に何のご用なのでしょうか。」
とにかく話を合わせるしかない。そして穏便に帰ってもらいたい。
「き、聞いてくれるか、娘よ。」
そのヤバい人は、ホッとした顔をして語りだした。
「あのね、僕…じゃなかった、…わ、我と、契約せよ。さすればお主の願いを叶えてやろう、その見返りとして、ぼ…我の、ふ、筆おろしをしてもらいたいのだ。」
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