当て馬の意地~女友達が大事なら、恋人をやめて私も友人になりましょう~

さかい 濱

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告白

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長谷川くんには、バレンタインの夜、一緒に過ごす女の人がいた。

きっと、恋人だ。

やっぱり、長谷川くんが私のことを好きだなんてことはあり得ないことだった。
いつもだったらこんな自惚れた考えをしないはずなのに、トルコ料理店で聞いた嘘の話が嬉しくて、舞い上がってしまってバカなことを考えてしまった。


何でもないのごめん、と私は長谷川くんに言おうとした。けれど喉がひりついて出た音はまるで嗚咽のような苦しげなものになってしまった。

せめて、この場から離れなくてはいけないのに足も動かない。

「真由、何で泣いてるの?」

相変わらずうつろな目の彼にそう言われて、自分が泣いているのだと気が付いた。

さっき彼氏と別れた時には一粒も出なかった涙が、パッキンが弛んでしまった蛇口みたいにだらだらととめどなく溢れていた。

「あの男と別れたことを後悔した?」

予想外のことを言われて咄嗟に否定の言葉を言おうとしたけれど、口を開くとまた嗚咽が漏れそうで返事が出来なかった。だから目で必死に『違う』と語りかけた。

そんな私を見て長谷川くんは頭を何度か掻き毟った後に、ため息を一つ吐いた。

「送っていく。着替えるから少し待ってて。」

目の前でパタンと玄関のドアが閉じて、私は真っ暗闇の世界に一人取り残された気分になった。

ここから逃げなくちゃ。
中から女の人の声が聞こえてくる前に。

長谷川くんが目の前に居なくなったことで金縛りにあっていた足は動くようになった。

私は走ってその場を去った。

土地勘の無い道をやみくもに走る。泣いている為に鼻が詰まりすぐに息が苦しくなり足が止まりそうになったけれど懸命に足を前に出す。

苦しい。
胸が、苦しい。

「真由っ、待って!」

後ろから私を呼ぶ声と足音が聞こえる。その声の主に私はあっと言う間に追い付かれて腕を掴まれた。

「っ、は、離、して。」
私がそう言うと手は離れていった。離してと言ったのは私なのに何故か傷ついてしまう自分がいた。

「勝手に触ってごめん。でも、そんな顔をしてる真由を放っておけないから。」

――放っておけないから。

それは何度も聞いてきた言葉だった。
そう言って亮介は三奈ちゃんを――女友達を――助けに行った。

胃がぎりぎりと痛い。

元恋人のことを思い出したからじゃない。

「っ、彼女っ、いたんじゃない。……何で、嘘吐いたのっ。……彼女がいるって知ってたら、長谷川くんに、当て馬なんて頼まなかった、のに。わ、私はっ、三奈ちゃんになりたくなかった!」

恋人のいる人にバレンタインに『付き合ってる』なんて嘘を吐かせた。私はまるっきり三奈ちゃんと同じだった。

「……泣いてる理由はそのことなの?」

違う。
でも違うなんて言えない。
泣いているのは、三奈ちゃんになってしまったことじゃない。でも本当のことなんて伝えられない。

私は友達としてじゃなくて、長谷川くんが好き。

一度は諦めたはずの想いだったけど、たった二日一緒にいただけで高校生の時の気持ちに逆戻りしてしまった。

「真由は、あの女とは違う。」

何も返事をしないことを肯定の意味に取った長谷川くんは、私を正面から見つめた。彼はもううつろな目はしていなかったけれど、少し悲しそうな顔をしていた。

「…同じ、だよ。」
「違う。俺には彼女なんていないから。」
「でも、ブーツが、あったじゃない。部屋の中に、女の人がいたんでしょ?」
「いない。あの部屋にいたのは俺だけだ。」
「だってブーツが……。同棲してるの?今、いないだけ?」
「同棲もしてない。あの部屋に女を入れたことなんてない。…ああ、違う。正確に言う。母親と桜花は引っ越したばかりの時に一度だけ部屋に入れた。母親は引っ越し作業の手伝いに来てくれて4時間くらい、桜花は高島と一緒に来て10分で帰った。」
「……だって、ブーツが。」
「……。」
「あのブーツって誰の?」
「……俺の。」
「???」

涙が止まり少しだけ冷静になった頭で考える。

彼女はいない、それどころか部屋に入れた特別な女の人もいない。
嘘を吐いているようには見えないけれど、ブーツのことはあまり語りたくないようだ。

「ブーツフェチ?」
「……違う。……とにかく俺には彼女はいない。だから真由は落ち込まなくていいから。…駅まで行こう、送ってくから。」

ほとんどいつもの調子に戻った優しい顔の長谷川くんに促され、私は彼の後ろを歩いた。背は180センチ近くあるけれど、少し細めですらりとした後ろ姿を見てふと思った。

…………ひょっとして、女装癖があるとか?

けれど、すぐさま否定する。あのブーツは一目見て女性ものだと分かるような華奢なものだった。彼の足が入るとは思えない。

深まる疑問に頭の中が占領されていたのだけれど、重要なことを思い出した。

長谷川くんは何故『俺って、バカだな』と言って私から逃げるように帰ってしまったのか。その疑問が解けていない。
彼女を待たせていて早く帰りたかったという理由でもないのなら、やはり私が原因のように思う。

またむくむくと自惚れた考えが湧き上がってきてしまって、困った。
これはもう、はっきりさせてこんな自分をバッサリと斬り捨ててしまうしかない。そして今後の戒めとして胸に刻んでおこう。

私は彼の横に並び、歩みを止めてもらうために腕を掴んだ。
長谷川くんは少し驚いたような顔をして足を止めた。

「ねぇ、長谷川くん、どうして今日タクシーで一人で帰ったの?私、変なこと言っちゃった?」
「…言ってないよ。……ただ、俺が勝手に勘違いして落ち込んだだけ。それだけだから、気にしないで。」

私を見つめる長谷川くんの目が悲しそうに揺らめいて、私の心臓はバクバクと爆音を鳴らしている。

「何の、勘違い?」

今一番勘違いをしているのは私かもしれない。でも確かめられずにはいられなかった。

「……本当に付き合おうって言われたんだと思った。よく考えたらそんなはずないよな、俺、真由に距離置かれてたのに。」

自嘲するようにして顔を歪ませた長谷川くんがまた歩き出そうとして、私の手は彼の腕から離れた。
一人、歩き出した彼の背中を見て、私はここで言わなければ多分一生自分の気持ちなど伝えられないだろうと思った。

私は走り彼に追い付くとその背中に抱きついた。驚き、少しだけふらついた長谷川くんは何も言わずにそのままの体勢で固まった。
彼の着ているコートの表面は少しだけ冷たくて火照った顔を冷やしてくれた。

「す、好き、好きなのっ。距離を置いてしまったのは、長谷川くんと一緒にいると、好き過ぎて自分の気持ちが勝手に溢れ出てきそうで怖くて、嫌われたくなくて、嫌われるくらいなら一緒にいない方がいいって思って、だから、…だから連絡が来なくなっても自分から連絡なんか出来なくて。」

支離滅裂、しかも今日恋人と別れたばかりだというのに告白、長谷川くんに何て思われているだろうと考えたら体が震える。でも、もうここまで言ってしまったのだから後戻りは出来ない。

「長谷川くん、よかったら私と付き合ってもらえませんか?こ、今度は嘘じゃなくて。」
「……嘘じゃ、なく?」
「うん。」

長谷川くんはしばらく黙った後、『うおおぉ』とも『うはぁえあ』とも聞こえる唸り声のような変な声を出した。びっくりして抱きついている手の力を緩めると、長谷川くんはくるりと私の方を振り返った。そしてガバッと私を抱き締めてくれた。
抱き締められる前に一瞬見えた顔は真っ赤で、目尻を下げ口角を上げ嬉しそうな表情に見えた。

「俺で、いいの?」
「長谷川くんが、いい。付き合ってくれる…?」
「付き合うっ、付き合うからっ、付き合わせて。」
「ふふふ。」

いつもと違う余裕のない受け答えが嬉しくて、思わず笑ってしまった。
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