Left to do

トモハシ

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 とりあえずは自己紹介をしておこう。
 俺の名は高島浩介(たかしまこうすけ)。
 突然で何だが、俺は女にモテる。モテてモテてモテまくっていた。ルドルフ・ヴァレンチノを凌ぐほどスケこまし、そして、クラシックのピアニストのフランツ・リストが手袋を投げ捨てたら、淑女どもが狂喜乱舞してその手袋を奪い合うような、空前絶後のグッド・ルッキング・メン。それがこの高島浩介という男だ。そう、俺の女への魅力を発散させるポテンシャルは、抱いた女の夜空に煌く星の数ほど。例えはオッサン臭いが。だから色々な女に金を貢がせて買ったセダンを、首都高で百八十キロ以上ぶっ飛ばした挙句、カーブを曲がりきれず事故で死んじまったのは、まあ、自業自得だろうとは納得している。大学卒ニートながら女子高生からキャバ嬢、彼氏付きのOLや男日照りの主婦まで、どれだけの女をハート・ブレイクさせたかも分からないような、最低イケメンの俺だ。こいつはその天罰の賜物だろうと甘んじて受けましょう。一方で俺がジェームズ・ディーンばりに豪快に死んだ所で、というか自分的には壮絶死して肉片ゴロゴロ、脳ミソも散乱しまくったはずだ、と思っていたのだが、どうにも幸か不幸か意外とキレイな死体でやんの。直接の死因はフロントガラスに突っ込んだ果ての、さらにはアスファルトに直撃したがゆえの頭部の強打。確かに車も大破してなかったしなあ。いまいちバニシング不足だったか。俺としては四股炸裂のスプラッターなド派手な死に姿を望んでいたんだが……。って、話が少し逸れてしまった。要は悲しんで泣いてくれた過去の女は、どうやら見当たらなかったのは納得、という事を言いたかったわけ。
 だが、そんな俺でも泣いてくれた人間ってのも少しはいる。とりあえず両親は泣いてたかな。あと唯一の同性の友人であり、小学校からの付き合いがある草刈(くさかり)俊太郎(しゅんたろう)。
 そして、やはり幼馴染みの石田(いしだ)愛美(まなみ)。
 この愛美っていう女は俺というナイス・ガイが子供の頃から近くにいたっていうのに、全然俺になびかない。そう、異性では稀有な珍種だった。なかなかアイツに彼氏ができないから、友人として忖度した俺が何度か「仕方ねえな。じゃあ、俺がお前を抱いてやるよ」と言ってやったにも関わらず、その度に往復ビンタのラブ・コールで返してきやがるし。イヤよイヤよも好きのうちってのは分かっているのに、なかなか素直じゃない女だったな……ふ。兎にも角にも、あれだけ俺と長い時間、人生を共にしていたのに、俺に身を委ねなかった女はアイツ一人だった。
 そんな愛美の事が俺は死後になって、少し気にかかってるわけだ。この俺に内心惚れてるくせに、ずっと拒んできたような女だ。腰に手をかけたぐらいで強烈肩パンをして反撃してくるような、ハラスメントかつヴァイオレンスな娘だ。そんな気の強いアマゾネスのワンダーウーマンな愛美が、俺の葬式では号泣していて、俺の死後一ヶ月経った今でもどうにも立ち直っている感がない。流石に女に対してはサイテー野郎を自認している俺でも、つーか、愛美は俺からすれば女じゃないが、一友人としてはちったあ憂慮してしまうわけ。俺だって血も涙もないわけではないから。肉体は燃やされて文字通り血も涙もなくなっちゃったけど。それにやり残しというか、後始末したい事もあるっちゃあるし……。
 そこで俺はてっきり漫画の世界だけの存在だと思っていた死神が霊界にいたんで、ちょいと相談してみたわけよ。真っ黒いローブを着込んで鎌を片手に持った、黄金バットみたいに骸骨なヴィジュアルの、想像通りのそのまんまな死神様に。確かに俺はアンモラルで男として人として底辺な生き方をしてきましたけど、幾らなんでもこの若さで死んじまうのはどんなものか、と。あまりにも唐突な死にっぷりだったので、せめて死ぬ前に一度は早朝のゴミ拾いでもバアさんに電車に席を譲るのでも良いから、何か善業をしてから死にたかった、と。そしたら、あっさりと死神のヤツ、暫定的に俺を生き返らしてやる、とか言ってやんの。
 どうやら俺って本来なら死ぬのは首都高で事故る二週間後ぐらいだったらしく、中央道のパーキング・エリアでナンパ巡りの最中に、マッド・マックスばりにアナーキーかつクラッシャーな事故を起こして散華、という予定だったのだそう。だから、死んだのが早まった分、生死査問委員会がまだ俺を地獄送りにするか、天国送りにするか急遽審議中だってのこと。つーか、何だよ、生死査問委員会って。そんな手続き事は閻魔帳とかに書いとけっての。マイ・ナンバーのご時世に紙の記録媒体も何だが。
 ま、人間界の言葉で言えば、事務処理でのミスみたいなもんで、その俺の天国オア地獄の審議期間中なら、蘇りを許可してくれるんだと、特別措置で。一応はこの世に対して滅私奉公の行為をすべく理由を大義に。裏心としてはもっと女を抱きまくりたいという、個人的な意思を秘めたまま。
 という事で、俺はラッキーにも(仮)という形で黄泉がえりを果たす訳ね。あ、愛美には東京ばな奈かナボナでも渡してやれば元気になるだろ。いやはや、それよりも下界に戻るが故に、下(シモ)が疼くね、テヘヘ!
          *                   *
「へえ、そうなんだ」
 石田愛美は柔和な声で言葉を返す。その相好は崩れているようにも窺える。
 だが、何処か彼女の笑顔には陰りがある。
 草刈俊太郎は自らが先ほど喋った自分の会社の愚痴と仕事のミスの話を冗談交じりに諳んじた事が、石田愛美にとって逆に気を遣わしただけになったか、と思いがけなくそんな印象を受けた。
 仕事休みの土曜日の昼下がり。
 石田愛美と草刈俊太郎は都内でも有名なパスタ屋にいた。テレビにでも紹介された有名店だが、お上りさん気分もそこそこに草刈が何とか混雑する状況の中で予約を取って、友人の愛美を誘い長閑な午後を過ごしている。
 昼食も一通り終え二人は断続的に会話をする。愛美はジャスミン・ティーを片手に。草刈はエスプレッソを片手に。お互い何ら気を置く事なく、時に訪れる沈黙の時間も余裕すら感じるような、二人の距離にして関係。傍から見れば若い身空の二人。男女の長い友人関係の間柄か、それ以上の仲にも見て取れた。確かに二人は知り合ったのは幼少期。しかし、子供時代、仲良く友人として遊ぶようになったのは、高島浩介がその中にいたからだった。だから愛美にとって草刈は幼馴染の異性の親友。草刈もその気持ちは同じだった。そんな親友の愛美だからこそ、草刈は一点の曇りもない彼女の元気な笑顔を見たかった。いや、その破顔一笑を導き出そうとした。
 高島浩介が生きていた頃に見せていた、草刈の好きだった愛美の屈託のない喜色満面の微笑みを。
 まだ高島の事故死から立ち直れきれていないな。
 草刈は直感的にそう思う。長年の友人を突然失った事にショックを受けるのは当たり前の事である。それにまだ高島の死からはまだ二ヶ月を経たばかり。草刈の心象にも高島の遺影の残像は残っている。愛美にとってもそうであるが、高島浩介は草刈とっても幼馴染の親友であるのだから。
 女に対しては史上サイテーな奴だったけど。
 草刈は内心そう思い一人苦笑いをすると、その様子を見ていた愛美は不思議そうな顔をした。その愛美のリアクションにやはり気づいた草刈は、眦(まなじり)を決する覚悟、という程ではないが、勢いはそれに近いまま愛美に尋ねた。
「高島の事を考えているのか?」
 愛美は一瞬、驚いた表情をして肩をすくめると、
「な、何で私が浩介の事を考えているのよ」
「頬のチークが薄いから」
 そう草刈が答えると、愛美は薄らと笑い、
「普段から私はチークなんてしてないでしょ。ファウンデーションも頼っていませんからね」
 と言いながら何の細工も施してないネイルの指で、ジャスミン・ティーを飲んでいるストローをグラスの中でかき回した。草刈もエスプレッソのカップを揺らしながら、それに目を落とし愛美の視線を避けて言葉を紡ぐ。
「強がるなよ。まだアイツが逝っちまって間もないんだ。俺だって正直まだ高島が死んだっていう現実感がない」
「…………」
 黙り込んだ愛美は特に草刈の言葉に反応しないまま、ジャスミン・ティーを口に運んだ。そんな愛美の顔を見て草刈は思う。高島の事故死の後、愛美はセミロングだった髪をショートにした。本人は、何となくの気分転換よ、と淡白に言っていたが、草刈からすればその行為は高島を失ってからの一つのケジメにも映った。
 哀しみとの訣別のための。
 あくまで気丈に自分に対応する愛美。明るさを振る舞い、いちいちの所作も和やかな雰囲気を自分に与える愛美。だが、草刈はそんな愛美の姿に弱々しい笑みを覚える。陰りがある。高島の葬式の際に泣きじゃくっていた愛美の残像がよぎる。
 仕方ない。まだ親友の喪失感から癒えるには時間がかかる。いや、石田にとっては親友以上の存在だったはずの高島浩介の死は、俺が考えている以上に相当の長い時間が要するのかも知れないな。俺がどうこう言って彼女の気持ちに土足で入り込むのは、酷だしデリカシーにも欠ける行為だ。自重しないと。
 草刈は自分なりの気遣いをもって、愛美とは接するようにしようと、胸三寸にそう抱いた。
 すると愛美は大きく深呼吸をして、
「テンバーツ」
 と間の抜けた感のある声を発した。草刈は虚を突かれた表情になり、
「は?」
「浩介はこの世でたくさんの女の子を泣かせたから、天罰で若くして死んじゃったの。神様を怒らせた、多分、女神様の方を怒らせたんだと思うんだけど。それで懲らしめられちゃったのよ、きっと」
 愛美は冗談っぽくも、蠱惑(こわく)じみた声音で言った。草刈は顔を崩し、
「はは、確かに。アイツの女癖は酷かったからな。それに扱いもサイテー野郎だった。どれだけの女を騙してきたんだって話だよな」
「でしょ。だからジゴウジトーク」
 愛美はやはりからかうような口調で返すと、顔を綻ばせ草刈と一緒になって小声で笑った。
 高島浩介の女癖の悪さは周囲の知る所であり、高島も生前から認めている自他ともの公式の見解。だが、愛美と草刈は高島とは幼馴染み。高島の幼少期を知っている数少ない高島浩介の友人。だからこそ愛美と草刈はお互い口に出した事はないが、高島に対して共通認識がある。実は案外、イイ奴、なんだと。二人の中ではいつの間にか最低スケベ野郎と化した高島以前の、曖昧ではあるが根は悪人ではない、という所を暗黙知として分かっていた。勿論、幼馴染みゆえの贔屓目もあるが、それでも長い間友人関係を続けていたのは、どこか高島が二人を惹きつける部分があったから、と言える。
 アイツがただのクソ野郎だったら俺はたいして人を見る目がないからイイが、人を見極める慧眼がある石田が長い間一緒にいる訳ないからな。自分が納得いかない人間に対しては、損得関係なく、例え自分の立場が不利になっても、独りぼっちになったとしても、ガンガン口にも行動にも出しちゃうような人間が石田だ。気持ち良いぐらいに、スバっとスッキリと。まあ、その分気性はキツい部分があるけど。
 草刈はそんな思いを抱き、口角を上げ気味に、ふう、と息をした後、店の窓から街路にて過ぎ行く人々の景色を窺いながら、
「それにしても今日は実家の花屋の仕事は休んじゃって大丈夫だったのか。一応は石田が正式に引き継いで店長になっているんだろ。土日だったら客で混むんじゃないか?」
「大丈夫、大丈夫。今日のお仕事はお母さんとお父さんに任せているから。実はウチの両親は働きたがっているのよ。お父さんなんか自分の会社が休みの日なのに忙(せわ)しいのよ。そもそもお父さんって定年退職してるのね。それでも自分の会社でまだ働きたいから、嘱託社員として雇ってもらって、また働いているぐらいのヤル気マンマンっぷり。別にお金に困っている訳じゃないのに、我が家。大義名分としては、これからは年金の当てにならない時代だから、私の為に貯金してるんだって、なんて言ってたけど。むしろ感謝しなさい、みたいな感じで父親の威厳ビームを発して接してくるからイタいだけよ、私からすれば。それにお母さんも全然元気だし、お客さんと話すのが大好きだし、腕も腰もしっかりしてるし、持病もないからそれは動く動く。元々は、私が就活にグズグズしてたから、実家の花屋を両親は継がせようとしただけで、ウチの両親って本来は現役バリバリのいまだに働き盛りなのよね。お母さんとかは私の経営の仕方にもいちいち口を挟んでくる始末だもの。花屋はお母さんがやり始めたから、創業者面がスゴいの。まあ、私も一応は花屋の娘ですからね、子供の頃からお花は好きだし、その家業を継ぐ事に違和感はないけど、あれだけ店長の私を差し置いて、シャシャり出されると困っちゃうわよ」
「はは、典型的なワーカホリックって感じのご両親だけど、やはりある程度年齢がいっちゃうとヤル事なくなっちゃうから、そういう風にルーティン化した行動になっちゃうんじゃないかな。だけど好きでやっている事だろ。むしろ羨ましいよ。俺みたいにグレーな中小企業に勤める、組織の歯車若手サラリーマンからすれば。石田の両親は活き活きして働いていそうでさ。いや、労働ってよりも、もう趣味の領域なのかな」
「そうかもね。まあ、楽しそうに夫婦仲良くやっているけど」
 愛美は大学卒業後、特に就職活動はせず何の迷いもなく実家の花屋を継いだ。一方で草刈は人並みに就職活動をして、中小の商社に入社した。大学卒業後から一年半経ち、社会人としての落ち着きも出てきて、それぞれ適度に仕事の忙しさと普段の生活をエンジョイしていた。
 高島が事故死するまでは、本当に俺たち三人は何の波風もなく、普通の人生を送っていたな。
 若すぎる親友の死。所謂、何の波乱もなく育ってきた草刈からすれば、幼馴染みの突然の死は映画やドラマなどのフィクションの世界からやってきた戸惑いの産物。草刈はその現実を受け止めるにはまだ時間がかかりそうだ、と心構える。
 石田はもうある程度心の整理が着いたのか。葬儀の時の涙顔から今の表情を見れば、憔悴した感はあるものの、だいぶ顔つきは朗らかになっている。それに、葬式の際でも悲しみを堪えて、一輪の白い花を高島の柩に入れていて健気な一面は既にあったな。
 花の知識に関して疎い草刈には、愛美がそっと高島の柩に入れた花は分からなかった。その時に愛美が高島に落とした花はネリネ。ヒガンバナ科の花で見た目もヒガンバナに似ていて、花の先はカールがかって開き、花色は白以外に赤やピンクや紫などがある。また、花に光が当たると宝石のように輝くのでダイヤモンド・リリーとも呼ばれている。
 無論、花の種類すら分からない草刈にとっては、単に高島への手向けの花としてしか認知していなかった。それは今も変わらず。そのような草刈なのだから、ネリネの花言葉など知らないのは至極当然。
 ネリネの花言葉は、また会う日を待っています、である。
 その花言葉の由を知っていれば、はたして愛美の心情に察して然るべき考えを、草刈が出していたかは分からない。今になって、高島の柩に何の花を贈ったのかを聞くのは、野暮な事だと草刈は思っているので、もはやその愛美の行為は草刈の中では寝かせ続けている。実際、草刈本人にとっても既に気にする事案ではなくなっていた。
 今はお互い自分のペースで生活を送る事が良いのかも知れないな。
 我ながら殊勝な心懸けだな、と草刈が自画自賛気味に思っていると、愛美が草刈の顔をテーブル越しに覗き込むような姿勢をとり、
「それよりも俊太郎の方の仕事はどうなのよ。グレーな会社みたいな事を言っているけど、ちゃんとやっているの。疲れてない?」
「俺は大丈夫だよ。体は頑丈な方だし、メンタル面もタフだと思っているから」
「そうやって妙に自信満々の人の方が、イザという時に心がポキっと折れちゃうのよ。自己管理って意外と難しいんだから。案外、自分の事って自分では分かってない部分がたくさんあるものよ」
 自分では自分の事を分かっていない。何気なく愛美が発したその台詞に、草刈の脳裏に一つの疑問がよぎった。
 石田の高島への想いは、石田自身はどう理解しているのだろう? と。
 だが、すぐに草刈はその疑念を振り払い愛美との会話を続けた。
「偉そうに言ってくれるな、石田。まるで私は若くして人生を達観しましたよっていう感じの意見だな」
「そんな居丈高に言っているつもりはないわよ。ただ心配なの。私は呑気に実家の花屋を継いで好き勝手に仕事しているけど、俊太郎は会社で働く勤め人でしょ。まあ、ほとんどの人は会社員やOLな訳だけど、私は所謂、自営業だからあんまり社内の人間関係とかの苦労とか知らないし、残業のストレスとかも分からないからさ」
「はは、残業のストレスとか、ね。ま、サービス残業は多少あるけど、ブラック企業が叩かれるこのご時世だから、そこまでハードなノルマは課せられていないよ。社畜のように扱われたら、直ぐにネットで黒い噂がその社内の人間から発せられて、さらに拡散されたりして会社のイメージが悪くなったりするし、それこそ労働基準監督署なんかに睨まれたら大ダメージだからね。俺の会社としては飴と鞭をうまく使い分けられて働かされているって感じだな。元気だよ」
「本当? 過労自殺とかしない?」
 草刈は冗談のように今の愛美の台詞を受け取ったが、愛美の表情が思いのほか真顔だったので、ゴホン、と一つ咳をして笑みを漏らす事なく、
「だ、大丈夫だよ。石田は大袈裟に考えすぎなんだって」
「でも最近多いでしょ、若者の過労自殺とか。だから心配なのよ。それに俊太郎は大学卒業したら一人暮らし始めたじゃない。健康面や食事の栄養面とかちゃんと管理できているのかな、とか。別に俊太郎の会社って実家から十分通える距離じゃない。わざわざ一人暮らしする必要ないんでしょ?」
「石田は俺の母さんかよ。イイ歳こいた独身男が、いつまでも両親と一緒に暮らしているのはキモいっての、世間体的に。それに俺自身も実家詰めは息苦しいわ」
「でも、俊太郎にはカノジョとか今いなじゃない」
「何でそんな話になるんだよ」
「だって話の取り方によっては一人暮らしして、誰か女の子を引っ張って来る、みたいな感じだったから」
「それこそまるで高島みたいな発想じゃないか。石田は拡大解釈しすぎだよ」
「じゃあ、好きな人ぐらいはいるの?」
「え?」
 草刈は一瞬、声を詰まらせた。だが、愛美はその草刈の様子に気づく事はなく、草刈は直ぐに声色を戻して平静を装いつつ、
「べ、別にいないよ。社会人になるとそんな出会いとか多くないし」
「ふうん。そんなものなのかしら」
「そんなもんだよ。それより……」
「うん?」
「石田の方はいないのかよ。そういった男は?」
 草刈は俯き加減に愛美とは目を合わさず、口ごもった感じで愛美に尋ねた。愛美は大きくため息を吐くと、
「私だって出会いなんてないわよお。自営業って忙しいし、友達のほとんどは社会人だから、休みの日が合わなくて、お友達関係すら危ういぐらい。でも、大学卒業後そんなこんなで他の友達は意外と結婚しちゃっているし。俊太郎は社会人になったら出会いがないとか言っているけど、私の周りは職場結婚が多いわよ。私はこのままだと晦日前の結婚も黄色信号ね」
 仏頂面のままジャスミン・ティーのストローを愛美は勢いよく吸いながら、愚痴り気味に喋る。草刈はジョーク半分に、嫁ぎ遅れたら俺がもらってやるよ、言いかけたが、愛美が間髪入れず話題を切り返してきて、その台詞は言えなかった。調子が乗ってきたのか、愛美の饒舌っぷりが増してきた。そんな愛美の無邪気な一つ一つの言葉を、草刈は笑顔を絶やさず耳を傾けていた。この時間が少しでも長く続けば、明日の仕事も頑張れそうだな、と胸に秘めながら。
 そして、愛美の笑みが曇りがかっているのは似合わない。願わくは愛美に見える僅かな陰鬱の残影が消えてほしい、とも。草刈はそんな祈りにも近い切なる思いを抱いた。その折には自分は何の協力も惜しまない。草刈はさらに心底からそう強く誓う。
 
 だが、しばらく後、そんな草刈の思いとは別に、愛美の身に不審な事柄が起こり始めた。少なくとも草刈には不審や不安として受け取り、愛美に対して危惧する事項になっていた。つまり、草刈にとっては心配事になり得る案件であった。
                   * 
 男の名前は浅倉巧(あさくらたくみ)。
 愛美は夜の十時を回った、とある夜に草刈とスマホで電話している最中、そんな男の名を呟いた。その頃、草刈は仕事帰りの夕食後のビール一杯の宴の時を一人暮らしの自分のアパートの部屋で堪能中。だが、ほろ酔い気分に浸っていたものの、ビール缶を片手に、スマホを片手に、愛美の話の内容に驚きと当惑の思いが交差して、直ぐに仕事終わりの癒しの酩酊感が消え失せてしまった。
 素敵なお客さんがお得意さんになった、と愛美は言い草刈にまず話を切り出した。
 
「ガーベラの花って、これですか?」
 スーツ姿の長身の男は、休日、愛美の営む花屋にやって来て、何の前触れもなく薄ピンク色の花を指差して愛美に尋ねてきた。
 愛美は愛想の良い笑顔で、
「はい。そうですよ」
 と男に対応した。男はエアリーホワイトでセットした黒髪の頭を軽く掻き上げると、
「コスモスやブバルディアやサフランなどもガーベラも同じの誕生月の花ですよね」
「ええ、そうです。お客様、お花に詳しいんですね」
「いや、僕のカノジョがその月の誕生日でね。それでカノジョに花でもプレゼントしようと思ってちょっと勉強したんですよ。たまにはキザに攻めていこうと」
 愛美は、クスリ、と小声で笑った。男は続けて話し、
「でも、今まで花なんて買いに来るようなタイプの人間ではなかったんですが、まさか今年に入ってから二回も花屋を訪れるとは思ってなかったですよ」
「最初はどうして来られたんですか?」
「実は半年前に母を亡くしまして、その墓前に添える花を買いに来たんです」
 愛美は微妙に顔を曇らせると、
「まあ、そうでしたか。すみません、余計な事を聞いてしまいまして……」
 と軽く頭を下げて言葉を返した。男は手を横に振りながら、
「あ、気にしないで下さい。気持ちの整理はとっくについていますから。それにその墓前に添える花を買ったお陰で、罰当たりにもカノジョへのプレゼントが浮かんだんですから」
 とにこやかな笑顔で応えた。
 愛美も幼馴染みの高島を亡くしたばかり。親しい人との別れの辛さは分かっている。愛美は内心、この人も私と今は一緒の境遇なんだな、と密かに共感を抱いた。
「という事で、そうだな。じゃあ、ガーベラとコスモスをミックスして、適当に花束にして貰えませんか」
 男は心離れていた愛美にそう注文をした。愛美は直ぐに我に返ると快活に、
「あ、はい。分かりました」
 と受け答えそれぞれの花を揃えて、男に手渡した。すると男は料金を支払う際にこう言った。
「あの、これからちょっと花に詳しくなりたいんで、たまにこのお店に顔を出してもイイですか?」
「ええ、もちろんどうぞ。こちらこそお待ちしております」
 そして、見た目の年齢の感じも愛美と近い清潔感ある痩せ身の男は、
「良かった。あ、僕の名前は浅倉巧と言います。よろしく」
「私は石田愛美と言います。今後もご贔屓にお願いします」
 といたずらっぽい笑顔で愛美は答えた。

 ……というような話を草刈は、嬌声すら覚える声音の愛美から聞いた。明らかに喜々とした口調。草刈はどうにかその愛美のノリに合わせて会話を続けようとした。
「そうなんだ。男で花の勉強をしたいなんて変わった奴だな」
「そうかもね。でも実際に二日に一回はお店に寄ってくれるようになって。仕事帰りかな。だけど意外と雑談とかもしているけど、あんまり自分の事を話してくれないのよ。仕事は外資関係をしているとかで、何か曖昧な言い方の感じだし、住んでいる所とかも都内にいる程度の事しか教えてくれないし。そう、どこかミステリアスなキャラね。見た目もスマートで塩系イケメンだし、女の子にモテそう。そりゃカノジョもいるわよねって納得しちゃう」
 相手の男は付き合っている女がいる。とは言っても愛美の声が上気しているのは明らかだった。草刈は、浅倉という男に少なからずの好意を石田は持っている、と察した。そんな草刈の思惑を愛美は知らずに話し続ける。
「それにスゴいのよ、浅倉さん。愛美さんはスイートピーが似合う顔だね、なんて言うのよ。だから私がどうしてですか? って聞いたら、愛美さんの誕生花じゃないかと思ってって言うの。もうビックリしちゃった。本当に当たっているんだもの! 私は自分の誕生日なんて教えた事ないのに」
「何か逆に怖いな。実は今まで石田の事をストーキングしてたんじゃないか」
「そんな事あるわけないじゃない。やっぱりミステリアスな感じが、そんなミステリアスな能力を身に付けちゃっているのよ。多分、生まれつきに」
「何だよ、その根拠のない分析は」
「うーん、でも何て言うか、ミステリアスとかを別にしても、どこか雰囲気が浩介に似ている感じが……」
「え?」
「あ……」
 一瞬、互いに沈黙が走ったが、直ぐに愛美は興奮気味だった声色を抑えて、
「ま、まあ、まあ。それはそれとして、今度の休みに俊太郎会えない? お店はお母さんに任せちゃうから」
「え? あ、いや、今度の休みは会社の同僚と泊まりがけで温泉に行くんだよ」
「あ、そうなんだ……」
「ご、ごめんな」
「ううん、イイよ。じゃ、もう遅いからオヤスミね」
「ああ、おやすみ」
 草刈はそう言うと、愛美がスマホを切るまで待って、その後に自分のスマホを切った。そして、しばらく自分のスマホを見つめた。
 嘘をついてしまった。
 実は休日に温泉に行くという予定などなかった。ただ今の状況、というか状態で自分がうまく石田愛美と対応ができるか自信が、草刈にはなかった。おそらく話題の俎上に載せるのは、その男になるであろう。そうなると会話を普通に楽しめるか。素直に聞けるか。いや、むしろ不可解な言動をとってしまうのではないか、など。そう考えると草刈は杞憂の感は否めないものの、リラックスした気分で愛美と会う事は躊躇された。
 だが、一方で一つの疑念が浮かんでいた。
 浅倉巧という男の存在である。
 石田から話を聞く分には、この男、あまりにも高島臭が強すぎる。今時、花を介在して女と懇意になる手法を使うのは、高島ぐらいだと思っていたが、高島の言い分としては、何だかんだ言っても女は花を贈ると喜ぶんだよって座右の銘のごとく言っていたな。花を贈るという行為自体が古典的であるが故にどこか素朴さを与える。これが第一印象としては老若問わず好意的にとられるのさ、なんてほくそ笑んで上段から語っていたからな。詰まる所、女に対するクソ野郎っぷりのポテンシャルは浅倉に感じられる。
 高島臭とはつまり、女癖の悪さや女好きっぷりかつ扱いの悪さがヒドい、サイテーなジゴロであった高島浩介を臭わせる男を意味する事である。
 高島に馴れている愛美が、そんなヤツに手のひらで躍らせられる訳はない。だけど、実際に石田はポロっと浅倉が高島に似ていると言っていた。という事は逆につまり、石田は妙な親近感を持ってしまうような恐れがある。しかし、女に対してゲス野郎の高島のスペックを石田の捉え方、というより、石田の高島の生前中に対する想いというのは……。
 奇妙な懊悩をする草刈。
 兎に角、草刈の脳裏には一抹の不安がよぎっていた。
                   
 そして、案の定、間もなくしてその悪い予感は的中した
                   *
 草刈は走っていた。会社を早退してまで走っていた。夜の地元の街を。愛美が草刈のスマホの留守電に残した、「今夜の九時に……友坂(ともさか)公園で浅倉さんと会うの」という言葉のために。そのような短文メッセージ。だが、愛美が発したその音吐(おんと)は震えていた。今にも泣き出しそうな声にも聞こえた。SOSにも受け取られた。だから草刈はメロスのように走る。
 クソ! 兆しはあったんだ。俺がもっと警戒していれば。
 草刈は肚裏(とり)で自分に叱咤する。
 愛美と浅倉が知り合って以来、幾分愛美と距離を置くようになった草刈。だが、その間にもスマホを通じてやりとりはしていた。つい最近のやりとりではデパートの屋上で開催されていた、花の展示会の写メが送られてきた。その写メにはたくさんの花をバックにピース・サインをする愛美の姿が写っていた。そこから窺える愛美の笑顔は天真爛漫だった。久しぶりに見た、そう、高島浩介がまだ存命中に見せていた、懐かしい晴れ晴れとした笑みだった。もしかしたら浅倉という男と一緒に出かけていて、浅倉がこの写メを撮ったのかも知れない、と草刈は慮っていた。だから、何だかんだ言っても愛美と浅倉の関係は良好なんだろうと草刈は推し量っていた。
 だが、徐々に愛美から聞く浅倉に関する話がきな臭くなってきた。浅倉の死んだ母親が実は多額の借金をしていて、その負債を返すために資金繰りに浅倉が困窮している、と。だからしばしば愛美に金の無心をするようになってきた、とも。そして、度々浅倉に資金援助をしているのだという。
 賢い普段の石田ならそんなチープな男の詐欺に騙される訳ないのに。いや、浅倉が石田にとってはタダの男ではなかったのがマズかったか。高島に似ている感じがする、なんて言っていたからな。変な親しみというか、情というか、いや、それ以上に……畜生! 今はそんな事はどうでもイイことだろう。兎に角、浅倉に金を渡すことを石田が拒否したら、お互いの繋がりが切れる事を恐れて石田は妄信的にも貢いでしまったんだな。だけどその反面、石田は怯えているんだ。そんな事分かっていたのに、俺は馬鹿だ。
 草刈は運動不足の身体を鞭打って、息を切らしながら走り思う。ヘタに愛美に浅倉に関して箴言(しんげん)したら自分との関係が崩れてしまうと危惧し、何も愛美に対して注意喚起を促さなかった己に後悔しつつ。
 それにしても高島の奴。お前は大人になったら最低のスケベ野郎になっちまったけど、子供の頃は石田を守ってやっていただろ。石田は実直で媚びない性格だから、よくクラスの女王様キャラとその一味と対立して、イヂメの対象になっていたけど、そんな所を見たらいつも率先して俺も巻き込ませて石田を庇っていたのはお前だったじゃないか。それに実際に腕っ節の強いお前は、変な不良に口説かれ絡まれていた石田を助けた事もあったろうに。今まさに高島臭マンマンの悪い男の前に、石田は窮地に立たされているんだぞ。なのに死んでからは石田をしっかり見守ってくれないのかよ!
 現実性のない苛立ちを覚える草刈。それは単に早世した高島浩介への八つ当たりなのか。それとも自分に対しての不甲斐なさからなのか。
 仕事鞄を小脇に抱え汗もかきかき、全力疾走している草刈に分かる由ではなかった。
 
「な、何ですか。急に大事な話があるなんて」
 愛美は人気のない公園にて、何とか落ち着いた態度をとって目前の男、浅倉巧に対して尋ねた。浅倉はデパートで配られるぐらいの大きさの紙袋を片手に持ちながら、
「あ、まずはそこのベンチに座って」
 と薄明かりの公園灯が照らすベンチへの着席を愛美に促した。愛美はそう言われると素直に座って周りを見渡した。夜の公園。自分の通っていた小学校の近場の友坂公園だが訪れたのは久しぶり。よく子供の頃は浩介や俊太郎と遊んだっけ、と僅かな時間、愛美の意識は浅倉への警戒心から離れ、幼き日の郷愁に胸が温まった。
 多少、心に余裕ができた愛美は、
「でも何でこの公園で会おうなんて言ったんですか?」
「え? あ、いや、特別な意味はないけど……ま、前にこの公園を見つけて、それで夜の公園なら邪魔されず話ができると思ってね」
 どうしてか焦れた感のある浅倉の口調だったが、愛美は特に気にする事もなく、
「そうですか。この公園って私が子供の頃によく遊んでいた公園なんですよ。だから少し懐かしくなっちゃって」
「……ふうん、そうなんですか」
 浅倉は少し間を置いて、どうしてか何やら寂しげにそう言うと、持っていた紙袋をベンチの側に置いて自分も愛美の横に座った。愛美はいざ浅倉が隣りに座ると、背中に緊張感が走るのを感じた。反射的に愛美は口を開く。
「そ、それで大事な話って何ですか?」
「早速だけど単刀直入に言うよ。やはり母親の借金が苦しくてどうしても愛美さんに資金面で協力してほしいんだ」
「で、ですけど、あの、前から思っていたんですが、浅倉さんってカノジョさんがいますよね。そうだったらまずカノジョさんに相談するのが、その、筋っていうか信頼というか……」
「カノジョとはもう別れた」
「え?」
「君一人を愛するために。君を一途に想うために」
 浅倉の突然の告白に自失する愛美。さらに追い討ちをかけるように浅倉は愛美の両手を握って迫る。
「だから愛美さんも僕を想ってほしい。ワガママで強引な話かも知れないが、僕は君を命懸けで愛するから、愛美さんも僕を見つめてほしい」
「そ、そ、そんなだっていきなり、そ、そ、そんな事を言われても、わ、わ、私……」
「僕が無茶な事を言っている事は自覚している。だけど毎日のごとく借金取りがきて、会社にも返済の催促が電話で来るような状況に陥っている。だからどうしても愛美さんの助けが必要なんだ。何、お金の稼ぎ方は大丈夫。僕の知り合いで夜の仕事に詳しい奴がいてね、そいつに愛美さんを預けて、愛美さんは指示に従って働いてくれればイイだけなんだ。あとは向こうがやりくりしてくれるから。信用のある人間だから心配しなくてイイんだよ」
「そ、そんなこと、き、急に言われても……」
 愛美はやはり唐突な浅倉の脅しにも近い頼みに泣き出しそうになった。いや、実際に既に涙を零していた。だが、浅倉は尻込みする愛美の態度も関係なしに、手を愛美の頭にやって自らの顔を接近させてくる。拒みきれない。そんな思いが愛美の頭によぎった時だった。
「やめろ、これ以上石田にちょっかいを出すんじゃねえ!」
 息も切れ切れに全身汗びっしょりの草刈俊太郎が仁王立ちしていた。草刈は浅倉を初見した瞬間に直感した。コイツは高島とは違うタイプの男前だが、高島臭のプンプンさは十分伝わってくる、と。
「し、俊太郎!」
 思わず叫ぶ愛美。浅倉は懇願するような目線を愛美が草刈に送っているのに気づき、
「よくは分からないが、この女の知り合いらしいな。だけど今話し合っているのは、二人の問題だ。第三者は消えてもらおうか。じゃないと痛い目に遭うぞ」
 と言いながら浅倉は上着のスーツを脱いだ。一方、草刈は仕事鞄を投げ捨てた。状況を察した愛美は、
「ち、ちょっと、私、人を呼んでくる!」
 と言ったが、すぐに草刈が愛美の行動を遮り、
「必要ない! 見てるんだ、石田。俺だってお前を守れるって事を証明してやる!」
「俊太郎……」
 唖然とする愛美を他所に草刈は玉砕覚悟に浅倉に向かった。だが、浅倉は闘牛士が牛をフラッグで捌くかのごとくスルリと草刈のタックルをかわし、草刈の腹に一撃した後にさらに右頬に一発を食らわした。嗚咽とともに唇から血を流す草刈。その後ももはや一方的に草刈は浅倉にのされていく。しかし、草刈は倒れては立ち上がり、浅倉に攻撃を仕掛ける。
 チックショウ! 高島の奴め。お前が死んじまったからこんな事になってしまったんだぞ。責任を取りやがれ!
 どうにも理不尽で的外れな死者へのやっかみではあるが、草刈は痛みと焦燥とともにそんな思いを巡らす。
 側にいる愛美は、もうやめて! と強く何度も叫ぶが、草刈は無我夢中になって、俺が石田を守るんだ! と言って浅倉に立ち向かう。そして、その執拗かつしつこい草刈の攻め具合によって、浅倉の額に汗が溜まる頃、浅倉は徐々に冷静さをなくし、頭に血がのぼり始めた。
「クソ!」
 浅倉は思わず苛立ちの一言を発した。その時だった。乾坤一擲の草刈の右ストレートの一撃がカウンターで浅倉の顔面にヒットした。思わず腰を落とし倒れる浅倉。草刈の方もゼイゼイと息を切らしながら信じられない表情をしている。愛美も目に涙を溜めながら両手で口をおさえている。放心状態で屹立している草刈を前にして、ようやく立ち上がった浅倉。浅倉の頬は赤く腫れ、口から出血している。
「ああ、畜生! もう馬鹿馬鹿しい俺は帰る。こんな下手な三文芝居に付き合ってられるか」
 浅倉は怒鳴るように言うと、背広を拾いその場から去ろうとした。だが、しばらく歩くと急に思い出したようにベンチの方に戻り、持ってきた紙袋を手にして早足で公園から出ようとした。その際に草刈は、浅倉の背に向かって、
「もう二度と石田には近づくなよ!」
 と声を張り上げた。浅倉は、
「こっちから願い下げだ!」
 と負け犬の遠吠えのように、後ろを振り向かず姿を消した。それを見送った草刈は一件落着の安堵の思いからかその場に倒れてしまった。すると直ぐに愛美が駆け寄り草刈を抱えた。愛美は涙声、否、涙を流しながら草刈に話しかける。
「俊太郎……」
「見ていたかよ、俺の恰好良い姿を……」
 服は泥だらけ。顔は痣と切れた唇から流れる血で染まっている。愛美はハンカチを取り出して、草刈の顔を拭きながら言った。
「馬鹿。全然、恰好良くないよ。ムチャしすぎだよ。傷つきすぎだよ。弱すぎだよ。心配させすぎだよ……大好きだよ、俊太郎」
 と愛美は言って、草刈をキツく抱きしめ顔を草刈の胸に埋(うず)めた。そして、草刈はただ一言だけ漏らした。
「……愛美」
 それは星空の中に十六夜(いざよい)が輝く、雲一つない、とある夜の出来事であった。

「イテテ……我ながら本当にとんだ茶番だったぜ」
 人気のない夜道を、頬を摩りながら一人歩く浅倉。片手には紙袋を持って。すると弱い街灯が照らすその道の遠目に、二メートルをゆうに超える黒いローブを全身に被り大鎌を持った、いかにも怪しい直立不動の人影が浅倉の目に映った。
「よう、死神じゃねえか。イイのかよそんな目立つ姿で、夜道とはいえ堂々と人前に現れてよ」
 浅倉は表情を変えることなく目前の死神に話しかける。一方の死神も表情を変える事なく、というより顔自体がガイコツなので、顔色以前の問題であった。
 死神は髑髏(しゃれこうべ)の全く動かぬ顔面をして、
「貴様以外に我輩を認知できる者はいない」
「やれやれ他の人間には見えないってか。都合の良いシチュエーションだな」
「それにしても、イイ面構えになったものだな、高島浩介」
「は、一部始終は天界(うえ)で見ていたのかよ。アリーナ席でゆったり観覧してましたか」
「全てはお前のシナリオ通りにいったのか」
「おおよそはな。想定外だったのは草刈の奴から一撃をお見舞いされた事だ。あの野郎、手加減なしできやがって。ま、死神からすればお見通しの結末だったって事か、俺の一連の戯れ事の類いは」
「戯れ事だったのか」
「俺にとってはただのドッキリみたいなもんだ。遊びだよ、お遊び」
「…………」
 浅倉巧ならず、高島浩介と死神から呼ばれた男、それ即ち、かつて車両事故で爆死した、高島浩介。つまり、浅倉巧その人が高島浩介ということ。
 生前とは姿形が変わった高島は頭を掻き掻き、
「いや、でも死神には感謝してるよ。俺ほどではないが、そこそこのハンサム面な奴で蘇らせてくれたし、生きている期間中は、まあまあなホテル住まいで良くしてもらったからな」
「元々は我々のミスで貴様の死亡期日を間違えたのだからな。それぐらいの特別待遇は許可できた」
「なるほど。で、なんの用だよ」
「貴様に悪い話と善い話を報告しに来た。どちらを先に聞きたい」
「何やらどこかで読んだアメリカ小説みたいな台詞だな。じゃあ、悪い話から聞かしてもらおうか」
「生死査問委員会の結果が決定した。そういう事で下界での滞在は終わりだ」
「だと思ったよ。お前さんが現れた時点で、この世でのお戯れは名残惜しくもお別れって事ぐらいわな。んで、善い方の話ってのは何なんだ」
「貴様は天国逝きになった」
「ほう、てっきり俺は地獄逝きになると予想していたんだけどな。今生の頃は善き事などした記憶はなかったもんで」
「不貞行為に対しては見逃せる所以ではなかったが、現世での違法行為という点ではギリギリ許容範囲だった。運が良かったものだな」
「早死にして運がイイもクソもねえと思うけど」
 人の少ない夜道とはいえ、高島の横を通り過ぎていく幾人かが、ブツブツと一人言をしている高島を一瞥しながら去っていく。無論、高島が存外の者と話しているとは知らずに。
 死神は尋ねる。
「もう、お前のやり残しとやらは終わったのか?」
「え? ああ、いや、別にやり残しなんて事は何も……そうだ。まだ何もやってねえよ。少し時間をくれよ、死神。すぐ終わるからさ」
 高島は少し照れたような口ごもった最初の口調の感じから、語尾の方ははっきりとした言葉で発した。
 死神はスケルトンの無表情にして再び尋ねる。
「何をするんだ?」
「コイツだよ、コイツ。この紙袋の中身を渡すんだよ、愛美に」
「中身は」
「東京ばな奈とナボナ。それとコレだわ」
 そう言うと高島は赤色の一輪の花を紙袋から取り出した。
 死神は髑髏面をやや傾けると、
「何の花だ?」
「花の名はスイートピー」
「花言葉は?」
「はは、死神。なかなかおセンチな事を聞くじゃねえかよ。スイートピーの花言葉は……」
「…………」
「内緒だ。ネットでググって調べるんだな」
 そう言うと高島は死神の横を通り過ぎ、
「コイツらを渡す事が俺の最期の仕事なんだよ。これだけさ。たったこれだけ。愛美の家の門前にそっと置いてくるからよ、ちょっとだけあの世に逝くまでの時間を待ってくれ。それに早く行かないと愛美とバッタリ出くわしてバツが悪い事になっちまうかも知れないからな」
「そんなモノをあの娘への土産にした所で、玄関先に置いたモノなど不気味がって持ち帰るとは思わんぞ」
「黙って置いて渡す事に意義があるんだよ。やり残しってのはそれだけさ。ただそれだけが後始末って事なんだよ」
 死神に背を向けて高島は、そんな言葉を強がるように返した。
 そして、高島は紙袋を片手に、血豆で膨れた口周りをしきりに一方の片手で撫でながら、ゆっくりと歩を愛美の花屋の実家へと進める。
 まだ月の明かりは眩い。
 その光は高島の風姿(ふうし)を象りながら、薄明かりの夜道の上で影法師となり、それが彼の歩みとともに、ゆっくりと引き延ばされていった。

   

                 了
   

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