よあけまえのキミへ

三咲ゆま

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一章 いずみ屋編

第二十九話 交渉

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 しばしの沈黙のあと、うずまく煙を掃きちらすような冷たい風が吹き抜けた。

 門前の包囲が途絶えた今、屋敷の中から敵が飛び出してくるのは時間の問題だ。


 私たちは姿を見せた敵をすぐさま迎撃できるように北門へと銃口を向け、静かに事態を見守っていた。

 ずらりと一列に並ぶ隊士さんの後ろには、横になったかすみさんと、その手当てをする長岡さん。

 私はその隣で、二人を守るべくぎゅっとピストールを握りしめる。



「やだ、こわぁい……物騒なもの持ち出してぇ」


 その声は突如、完全に死角だった後方から聞こえてきた。


「何者だ!!」


 振り返った中岡さんが声のするほうへ銃口を向けて、ぴたりと動きを止める。


「ひどぉい……すごい音がしたから、心配で見にきただけなのにぃ」


 くすんくすんと、幼子がべそをかく時のようなしぐさでしゃがみこむその人は、この場に似つかわしくないほどにきれいな娘さんだ。

 歳のころは私と同じか少し上くらいだろうか……。

 肩下ほどの長さでふわりと揺れる髪に、ぱっちりとしたつり目がちの瞳。

 身にまとう着物は派手で露出が多く、大胆に裾をなびかせながら歩く姿が印象的だ。

 夜中にこんなところにいるのはどう考えても場違いだけれど、一体何者なのだろう。


「……すまない、この付近に住む娘か?」


 中岡さんはやや銃口を下げながらも、まだ少し警戒している様子で一歩後退する。


「そうですぅ。ここの犬さんがすっごく可愛くってぇ、たまにいっしょに遊ぶんですぅ」


 娘さんは先ほどまでの弱々しい姿から一転してにっこりと華やかに微笑むと、跳ねるようにちょん、ちょんと数歩踏み出して一列にならぶ隊士さんたちの前に出た。

 ……さっきのは嘘泣きだったのか。



「あらあら、みなさんケガしちゃってぇ。大丈夫ですかぁ?」


「いや、あんた! 危ないから今夜は帰れよ」


 こんな状況でも臆した様子はなく、娘さんは怪我をした隊士さんの傷あとをそっと指でなぞりながらにんまりと笑みを浮かべる。


「そうだぁ、お水飲みますぅ? なんだかみなさん、疲れた顔だしぃ」


 媚びるように間延びしたその声色と、まるで警戒心のない態度に不信感がつのる。

 他の隊士さんはというと、ぽかんとして若干あっけにとられながらも、彼女を疑って強くとがめる人はいない。

 ただ一人中岡さんだけは、眉間にしわを寄せて静かに銃を構え直した。



(この人は、怪しい。あきらかに不審だ)


 こんな場所、知っていたとしても若い娘が夜中にふらりと訪れるようなところじゃない。

 そもそも、銃を構えた男たちが並ぶ物騒な現場にホイホイと出てくること自体普通なら考えられない。

 関係者でもないかぎり、そんなことはしないはずだ。


「遠慮なさらず、お水どうぞぉ」


 彼女が隊士さんに向けて差し出そうとする水筒を、私はその手から払いのけた。

 中の水をまきちらしながら、水筒は草むらを転がっていく。

 その場にいた誰もが言葉を失って目を見開く中、私はピストールの引き金に指をかけて叫んだ。


「あなた、矢生たちの仲間でしょう!?」


 その言葉にはじかれるように、隊士さんたちは女に銃口を向ける。



「……あーあ」


 女が気だるそうに目を伏せて口をひらいた。

 それからその体がまるごと視界から消えさるのと、私が引き金を引いたのはほとんど同時だった。

 銃弾は誰もいない空間を切り裂いて飛んでいく。



(外した! 相手はどこ……!?)


 こつぜんと姿を消した相手は一拍おいて私の背後へと着地し、寄り添うように体を密着させた。

 どうやら宙返りをして、そのままここに降り立ったようだ。

 なんという跳躍力だろう。


「思ったより早くバレちゃった。アンタ、ムカつくんだケドぉ」


 女は背後からの手刀で、私が握りしめていたピストールを地面に叩き落とし、すぐさまそれを蹴って足元から遠ざける。

 さらに、ぐっと腕をのばして私の体を抱き込むように拘束すると、片方の手で首もとに刃物をつきつけた。

 少しでも動くと突き刺さってしまいそうだ。


「お兄さん方ぁ、撃ったらこのブスに穴があいちゃうよ。動かないでねぇ」


「離して! やっぱり矢生の仲間だったんだ!!」


「……さっきから、あの人のコト気安く呼び捨てにしないでほしーんですケド」


 身をよじる私の耳元でドスのきいた声が響く。

 そして女は、首もとにつきつけていた刃物をわずかに引いて、器用に薄皮を裂いた。


「……いっ」


 ピリッとした刺激のある痛みが首筋に走る。

 だらりと一筋、血が流れ落ちた。

 そうしていくらか抵抗が弱まった私の体を盾にしながら、女はじりじりと後退する。



「要件はなーに? 盗まれたものを取り返すことぉ? だったらもう帰りなさいよ、お互いこれ以上無駄な消費したくないでしょ?」


「奪還に加えて、貴様らを捕えることが目的だ。矢生を出してもらおうか」


「だからぁ、呼び捨てにすんなって言ってんの」


 交渉めいたやりとりが始まったかと思えば、それは長続きせずにすぐさま決裂した。

 女はへそを曲げたように口をとがらせて地面を蹴る。

 跳ね上がった土が中岡さんの足元にふりそそいだ。



「では取り引きをしよう。ここに立つ全員が合図のあと銃を置く。同時にお前も、武器を捨ててその子を解放するんだ」


 聞き分けのない子供を諭すように。

 ゆっくりとした口調で、女の目を見ながら中岡さんはそう提案した。


「やぁよ。一対多数だし、どーせアンタたち、このブスが解放されたらすぐに撃ってくるんでしょお?」


「武器を捨てたあと、十数え終わるまでは銃を拾わないと約束しよう」


「うそよ! うそ! ぜぇったいうーそぉ! アンタ口先だけって顔してるもん! 人を言いくるめることばっか考えてる理屈屋ってカンジぃ! だいっきらい!」


「会ったばかりだというのに随分な言いぐさだな。ではこうしよう、銃は足元に捨てるのではなく、手の届かない場所まで投げる。そうすればすぐさま反撃には出られないだろ?」


「投げるなら、アタシの方に投げてもらわなきゃ」


「もちろん、そうしよう」


「……でもなー、これじゃまだアタシに不利だしぃ、人質まで捨てちゃったらここまで来たイミまるでないしぃ」


 女はわざとらしく身をくねらせながら不敵な笑みを向け、中岡さんから更なる譲歩を引き出そうとする。


「それはそうだな。おそらくお前に課せられた任務は、金品の奪還だろう? だとすれば、だ」


 中岡さんは銃口を下げて天井裏から持ち出してきた行李をあさり、中から小判の入った大きな袋を取り出すと、それを女の足元に投げた。

 袋は地に転がり、じゃらりと重みのある音を響かせる。


「取り引きに応じるのであれば、それを持ち帰ってもかまわない」


「あらら……ホントぉ? ソレは考えちゃうなぁ」


「こちらもできれば女は撃ちたくないものでな……特にお前のような美しい娘は」


「美しい? きゃはぁ! ありがとー! よく言われるぅ! そりゃ、こんなブスと並んじゃったらぁ、アタシの可愛さがよけい際立っちゃうかぁ」


 女は、機嫌よさげにきゃあきゃあと甲高い声ではしゃぎ出す。

 単純というかなんというか……人の言葉に左右されやすい人なんだろう。

 何はともあれ、中岡さんが話の流れをつかんでうまく誘導してくれている。

 この女が外面通りの単純思考なら、もう一押しでいける気がする。



「では、交渉成立ということでいいか?」


「いいよぉ! はい、まずアタシ武器捨てたぁ。そっちも銃を捨ててよ」


 女は、私の首筋に寄せていた刃物を後方へと投げ捨てる。

 それを見て中岡さんが合図を送ると、その場に立つ全員がいっせいに銃を放り投げた。


「ちゃんと十数えなさいよねぇ!」


 バラバラと音をたてて草むらに散らばる銃を見届けると、女は思い切り私の背を蹴って前方にはじきとばした。

 そうしてすぐさま足元の袋を拾い上げて、走り出す。



「いっ……たぁ!」


「天野、大丈夫か?」


 前のめりに倒れ込んだ私の体を支えつつ、中岡さんは林の中へと飛び込んだ女を睨み付けて、懐に手を入れた。

 そこから取り出したのは、ピストールだ。


「お嬢さんのお帰りだ! 全員、約束通り十数えて差し上げろ!」


「はいっ!!」


 逃亡する女の耳にも届くであろう大声で、その場にたつ全員が数を刻みはじめた。

 いまのところすべてが口約束の通りに進んでいる――。

 はた目にはそううつるかもしれないけれど、ただ一人中岡さんの行動だけは、事前の打ち合わせとは異なるものだった。


 器用に跳躍しながらあっという間に目の前の木へとかけのぼり、そして枝から枝へと慣れた足どりで飛びうつっていく女。

 彼女に狙いをさだめて、中岡さんは容赦なく引き金をひいた。

 ひときわ大きく響きわたる銃声のあと聞こえたのは、女が細枝をへし降りながら木から転がり落ちる音だった。



「中岡さん……! 今の、当たりました!?」


 仕留めたのかな。

 そう距離は離れていなかったけれど、一発で動く的に命中したのだとしたら、すごい腕前だ。


「どうだかな。くたばってはいないはずだが」


 中岡さんはそうつぶやくと、すぐさま林の中へと駆け込んで女が落ちたあたりの場所へ向かう。

 私もそれを追いかけようと踏み出したその時、横からぐっと袖を引かれた。


「美湖ちゃん、行くならこのピストル使って」


 長岡さんだ。

 懐から取り出したピストールをそっと私の手に握らせてくれる。


「ありがとうございます! あの、かすみさんをよろしくお願いしますね!!」


「まかせて! それ、美湖ちゃんが持ってたやつと同じ型だからさ。習ったとおりに撃てばいいよ」


「わかりました!!」


 林の中へと走りながら、撃鉄をおこす。

 生い茂る草をかき分けて息をきらしながら前へ進むと、やがて中岡さんの背中が見えてきた。

 彼の数歩前には、立派な大木をはさんで女が立っている。

 銃弾が足をかすめたのか、足首あたりから血を流してうらみがましい目でこちらをにらむ。


「やっぱアンタ、ムカつく! 撃たないって言ったくせに!!」


「捨てた武器を拾わないとは言ったが、撃たないと約束した覚えはないな」


「サイッテー!! なにそれ、ヘリクツー!! やっぱアンタきらい!! 死んじゃえ!! こえだめに落ちて死ねー!!」


「ご指摘通り、人を言いくるめるのは得意でな。さぁ、その袋をこちらに渡せ。そうすれば命だけは助けよう」


 悔しそうに地団駄をふむ女のほうへじりじりと間をつめる中岡さん。

 そのとなりに立ち、私もピストールをかまえながら彼女を追い詰める。


「あなたさ、どんな事情があるのか知らないけど、もうこんなことやめたほうがいいよ。このまま悪い人と付き合ってたら、よくないことに利用されちゃうよ」


「……はぁ?」


 私が少し説教じみた話をしたのがしゃくにさわったのか、女は露骨に顔をしかめながらこちらをにらんだ。


「人に迷惑をかけるようなことに加担するのは、やめたほうがいいってこと」


「アンタがアタシたちの何を知ってんのさ! アタシが誰と付き合うかはアタシが決めんの! 誰にも指図なんかさせない!!」


「それは……」


 ズキリと、心が痛んだ。

 少なからず共感できる言い分だったからだ。

 中岡さんたちと一緒にいると、その付き合いをよく周囲から咎められて。

 そしてそのたびに、私は憤ってきた。


『あの人たちは悪い人じゃない、私が誰と付き合うかは私自身が決めるんだ』と。


 世の中には、表向きの肩書きや身分だけで誤解されやすい人たちがいる。

 そんな人たちを無条件に非難して遠ざけようというような気持ちは、私にはない。


 ……だけど、さすがに盗人との付き合いというのはどうだろうか。

 金品を盗み、店に火をつけ、人をさらう。

 時には命まで狙ってくるような人たち。

 ……私の基準だと、その所業は悪に振り切れている。

 この子はいずみ屋では一度も見かけなかったし、中岡さんも初めて会ったと言っていた。

 そう考えると、いつも行動を共にしていた矢生たち三人との付き合いは、まだそんなに深くはないんじゃないだろうか――。



「知ったふうな顔して口出ししてくるやつ、アタシ一番キライなの! そうやって男にかくれてしゃしゃり出てくるブスも! 銃使いの軟弱者も、だいっきらい!!」


 女は頭に血がのぼった様子で叫ぶ。

 額に青筋がうかび、顔は真っ赤だ。

 そして血まみれの足を引きずってぜえぜえと荒く息を吐きながら、右手を懐に入れようとする。



 ズガァァァァァン!!


 銃声がふたつ、その場に響いた。

 威嚇を目的に私が放った弾丸は、女の耳の横をすり抜けて林の奥へと消えていく。

 いっぽう中岡さんが撃った弾は、女がぶら下げていた袋の口を裂き、その中身をジャラジャラと地面にあふれさせた。


「そうやって不満ばかりを口にする女というのは、可愛げがないものだな」


 中岡さんは冷たく吐き捨てるようにそう言い放つと、慣れた手つきで撃鉄を起こす。

 女はぼとりと袋を取り落とし、かたわらの木に崩れ落ちるように身をあずけた。


「そうよ、アタシはこの世の中キライなものばっか……人も、物も、何もかもつまんないもので溢れてて、いますぐぜんぶ目の前から消え失せればいいって思ってる」


「……」


 ふたたび左右から銃口を向けられた女は、それでもひるむことなく淡々としゃべり続ける。


「でも、一人だけ大切な人がいる。アタシにとってその人以外はどうでもいい、その人だけいてくれたらそれでいいの」


「その人って……」


「そうよ、アンタたちが追ってる――」


 女がその問いに答えるよりも先に。

 風をきる鋭い男とともに、眼前の木の上から何者かが降ってきた。

 落ち葉を蹴散らして綺麗に着地すると、謎の人影は顔を上げてこちらに深く一礼する。



「久しいですな、隊長どの」


 かすかに月に照らされたその相貌を見て、ぎょっとした。

 鋭くつり上がった目に、ツンと尖って高くつきだした鼻。

 頭のてっぺんからはピンと犬のような耳が立ち、三日月形に開かれた口からは、鋭い牙がのぞいている――。

 獣の顔だ。

 全体がやけにつるりとして光沢をはなち、ぞっと全身が粟立つほどに気味が悪い。


「趣味の悪い面だ。外してもらわねば知った顔か判断できんな」


 中岡さんはそう言って眉をひそめながら、不審な人物へと銃口を向ける。


 ……そうか、お面か。

 たしかによく目をこらして見れば、それは精巧な狐の面だ。


「失礼した……覚えておられるか?」


 おもむろに面を外し、脇の林道にそれを投げ捨てる。

 その男の素顔は、いたって平凡な――これといって特徴のない地味な顔立ちだった。

 目元はすずやかで鼻筋も通っているけれど、印象には残らない。

 お面のように整っているくせに、極端に薄い。

 そんな、どこか作り物じみた容貌だった。

 男は手にしていた傘をくるくると回してこちらに突きつけると、ゆるりと口をひらく。


「ぬしは、いずみ屋の居候娘殿か。それがしに戦意はない。銃をおさめてくださらんか?」


「どうして私を知って……」


「ほう、覚えておられぬか。その様子だと隊長どのもそうであろう」


「見覚えはないが……お前が矢生か?」


 中岡さんがいぶかしげに、けれどそれなりの確信をもった表情で問うた。

 男は、ふっと目元をやわらげる。

 うっすらとした笑みを崩さないその姿に、わずかばかり寒気を覚えた。

 銃口を向けられた人間がこんなにも悠々と、まるで客人をもてなすように丁寧な物腰でいられるだろうか。

 この余裕は、上にたつ人間特有のものだ。

 中岡さんや雨京さんの、いかなる時にも動じない芯の通ったたたずまいに似たものがある。


「いかにも、それがしは矢生廉十郎(しきれんじゅうろう)。此度は、停戦の申し出に参った」


 戦意はないということを強調したいのか、手にしていた傘を隣の木に立て掛けてかるく両手を広げてみせる。



(この人が矢生なんだ……)


 あらためてその顔を凝視する。

 ――しかし、いくら考えても目の前の人物がいずみ屋に来ていた記憶はない。

 おかしいな、あとの二人のことはよく覚えているのに。



「廉さま、ごめんない。アタシまたうまくできなくて……」


 力なく地べたに足をつけてへたりこんでいた女が、ここにきて口をひらいた。

 肩を落として伏し目がちに。

 先ほどの噛みつくような狂暴さが嘘のように抜け落ちた、しおらしい姿だ。


「よい。気にするな、りく」


 矢生はかすかに口元をゆるめて、女の頭にそっと手のひらをのせる。

 りくと呼ばれた女は、そうして優しく撫でられると幸せそうに目を細めた。


「そちらは停戦を望むそうだが、応じてやる義理はないな」


 こちらを無視して二人だけで会話をはじめた彼らへの苛立ちをにじませながら、中岡さんは語気を強めた。

 丸腰でたたずむ矢生とりくに対して、私たちはピストールをつきつけている。

 中岡さんが強気に出るのは当然のことだ。


「ここが戦場であれば、もっともな言であるな。されど、この場は単なる町はずれの林道。銃声と爆音が途切れなく続けば、捕り方がかぎつけて来よう」


「当然そんなことは折り込み済みで動いている。事前に取り決めた撤退の時刻まで、まだ多少の猶予がある」


 中岡さんは、懐から細かな鎖でつながれた丸い鏡のようなものを取り出した。

 てのひらにおさまるほどの大きさだ。

 その片面には輪を描くようにびっしりと文字が刻みこまれており、中央には三本の針が埋め込まれている。


 ――これはたぶん、時計だ。

 雨京さんも肌身離さず持ち歩いているから、なんとなくわかる。

 指し示す時刻の読み取り方までは知らないけれど、中岡さんの言葉を聞くかぎりまだ行動を続ける余裕はあるのだろう。



「ところが、こちらはすでに各所に向けて報せを走らせておる。ぬしらが到着して間もなくのことであるから、捕り方は今にもここにたどり着くであろうな」


「嘘を吐くな。終始張り込みを続けていたが、この屋敷から抜け出た人影などなかった」


「それはそう――ぬしらの目につく道は歩んでおらぬのでな」


「何だと?」


「屋敷の地下に張り巡らされた抜け道は、無数に外へとつながっておる」


「それで貴様ら……こんな場所に」


 なんとなく、合点がいった。

 いるはずもない場所からパッと姿を現すこの人たちは、抜け道を使って林道に出ていたのか。



 ――となると、もしかして。

 その道を抜けてきた矢生の仲間が、この林のどこからか急襲をしかけてくることもありえるってこと?

 そんな考えが頭をよぎり、私はざっと付近を見回してあやしい人影がないか確認する。



 すると、後方からこちらに迫る複数の影があった。

 思わずびくりと体をふるわせてピストールを構え直す。


「隊長! 天野サン! 無事スか!?」


「すみません遅くなって!」


 生い茂る草を踏み分けながら私たちの前に姿を現したのは、残してきた隊士さんたちだった。

 太田さんを含む三人。

 それぞれが銃を構えている。


「目の前の男が敵の頭だ、全員で迎え撃て!」


 人数が揃い、いくらか安全も確保されて。

 中岡さんは仕上げの段階に入るべく隊士さんたちをぐるりと矢生の周りに配置させた。


(よかった、味方で……)


 ほっと胸をなでおろした私は、追い付いてきた仲間の存在に気をとられて前方への注意が散漫になっていた。

 おそらくそれは中岡さんも同じで……。


 一瞬の油断のあと私たちが射撃の体勢をとると、その場にかすかな炸裂音が響いた。

 あまりにも唐突に。

 銃声でも爆発音でもない、小さく何かがはじけるような音。

 完全に虚をつかれて、私たちは足を止める。

 するとみるみるうちに、足元から噴き上がる大量の煙であたり一帯が埋め尽くされた。

 一寸先もろくに見えない。

 それどころか、すさまじい煙幕に目をあけていることすらままならない。



「煙玉だ、全員木陰に身をよせろ!」


 中岡さんは私の手を引いて脇の大木の陰に退避する。

 続けて、私の体がすっぽりと隠れるように頭から外套をかけてくれた。


「ちくしょう! どこ行きやがった、あいつ!!」


「撃つなよ、オイ! どこに味方がいるかわからねぇ!!」


 現場は、あっという間に混乱した。

 あちこちから声が乱れとび、ガサガサと林の中を駆け回る音が聞こえてくる。

 もはや、どちらが前でどちらが後ろなのかも判断がつかない。

 視界が奪われるというのは、こんなにも人の心をかき乱すものなのか。

 いつ目の前に現れるか分からない敵の姿におびえながら、私たちはただひたすらに息を殺して煙が晴れるのを待った。



「今宵はこれにて失礼するが、遠からず会うことになろう」


「どこにいる、貴様!!」


 どこからともなく、矢生の声が響く。

 隊士さんの誰かがその圧に耐えかねて、はじかれるように引き金を引いた。

 銃声のあと静けさが戻れば、いくらか散った煙幕の中で、その声はふたたび私たちの耳に届いた。



「隊長殿、その時はぬしの命をいただく」


 ――その言葉を最後に、場はふたたび静寂を取り戻した。

 だんだんと煙が消えて視界がはっきりとしてくると、一同は狐につままれたような顔をして中岡さんのもとに集結した。

 おそるおそる周囲を見渡してみる。

 もちろんあたりに矢生の姿はない。

 そして同じくりくも、こつぜんと消えていた。

 その場に残るのは、血だまりと血痕のみ。



「隊長、さっきの言葉……」


「あんな戯れ言は気にするな、やろうと思えばあの場でやれたはず。それより……」


 心配そうに表情をうかがう隊士さんの肩を叩いて、中岡さんはずかずかと前進する。

 そして身をかがめて何かをつまんで拾い上げた。


「金はほぼそのまま残っているようだな」


 中岡さんの指先におさまっているものは、小判だった。

 破れた袋と小判の山。

 先ほど銃撃して袋の口を裂き、中身をぶちまけて地面に転がっていたものだ。


「歩けないりくを運んで逃げたみたいですから、拾うひまはなかったんでしょうね」


 おぼろげながらもそう推察して小判のもとへ駆け寄ると、中岡さんは小さくうなずいてみせた。


「太田は、小判をかき集めて仲間のもとに戻れ。あとの二人は抜け道を探すぞ。近くにあるはずだ」


「了解ス!」


「はいっ!」


 太田さんは指示通り散らばった小判を拾い上げて袋につめなおし、やぶれた部分の布をつまんでそれを持ち上げた。


「では、のちほど合流する。頼んだぞ太田」


「よし、おれたちもさっさと見つけちまいましょう!」


「そうだ、隊長のぶんの長銃も持ってきたので使ってください」


「気がきくな、ありがとう」


 太田さんが袋を回収してきびすを返したのを見届けると、さくさくと会話をまじえながら中岡さんたちは林道を奥へ進んでいく。


「あの、中岡さん! 私もいっしょに……!」


 外套をかぶったまま、中岡さんの背中に追いつこうとして私は身を乗り出した。


「天野は太田について行け。女将のそばにいるといい」


「じゃあせめて、外套をお返しします」


「冷えてきたしな、しばらく貸しておこう。女将にかけてあげてくれ」


「分かりました……ありがとうございます。どうかお気をつけて!」


 前進しながらも小さくこちらに振り返ると、中岡さんは『心配ない』といったふうに片手をあげた。


(抜け道、見つかるといいな)


 矢生は怪我人をかかえながらも短時間で姿を消した。

 抜け道があるとすれば、この付近のはずだ。

 その正体は地下に張り巡らされたものだと言っていたから、手がかりは地面にあるんだろうけど……。



「天野サン、怪我ないスか?」


 あれこれと考えながらもと来た道を引き返していると、前を歩く太田さんがこちらに声をかけてきた。


「あ、はい! 中岡さんが守ってくれたので大丈夫です。太田さんは?」


「ジブンも無傷ス」


「そうですか! よかったぁ」


 あんなにも広範囲に煙幕を張られて、視界を奪われて。

 中岡さんが言った通り、それこそ『あの場でやる』こともできただろうに、矢生がそれをしなかったのは奇跡に近い。

 りくが負傷していなければ逃亡に手間取ることもなく、私たちは攻撃を加えられていたかもしれない。

 とにもかくにも、今こうして無事に歩いていられることに感謝だ。




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