灰色の迷宮

浦原 風見

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 自分で物事を決められないのは嫌いだ。

 なにをいつやるのか、それを決めるのはいつだって自分でいたい。

 いつ寝て、いつ起きようと、学校に行きさえすれば良いじゃないか。

 夏休みの宿題を初日にまとめて終わらせようと、最終日にまとめて終わらせようと、提出が遅れなければ良いじゃないか。

 小学校の高学年になり、少しだけ大きくなった脳味噌で、俺は漠然と思った。

 俺は周囲に合わせることが出来ない。
 
 多分、一人で生きて、一人で死ぬのだろうと。

 それでも構わない。

 一人で過ごす時間は、これっぽっちも苦痛じゃない。

 苦痛なのは、誰かになにかを押し付けられ、強要されること。

 ゲームなどの話題で騒がしくなれる人たちや、拠り所を求めてすり寄ってくるおとなしい人たちと関わること。

 苦痛は、それらのことだ。

 だからだろうか。

 俺は、小学五年生くらいから、授業に出ず、図書館に入り浸っていた。

 図書館は入り組んでいたので、姿を隠すことも出来た。

 本を読むことが好きだったので、そこで興味を惹くタイトルの本ばかりを読んでいた。

 国語の授業は簡単すぎて逆になにか深淵な意味があるんじゃないかと思わされたけれど、結局その勘ぐりに対する納得の行く答えは得られなかった。

 算数や数学の授業は同じ公式を何度も繰り返しとくだけの作業。

 英語の授業は、単語と公式を記憶するだけの作業。

 学校は退屈だった。

 無為だと感じる時間もまた、苦痛だった。

 友達は必要ない。

 見下しているわけじゃない。

 ただ、なにを面白いと思うかとか、どういったことで心が満たされるかとか、なににワクワクするかとか、そういうことで、話題が合う子がいないのだ。

 一人でいると、寂しいだとかみじめだとか、そういうことを言われ、からかわれたけれど、ああいう人達はどうして見下せる相手を探したがるのか、疑問だった。

 それでも、やっぱり、そういうことを囁かれれば心がすり減るのは確かなので、俺は学校の中に数カ所、人気がないところを探し出しては、そこで昼休みを過ごすようになっていた。

 学校を抜け出して、図書館や公園や河原で本を読んで過ごしたりした時期もあったけれど、警察官や、そうでなければ、あまりまともとは言えないような雰囲気の人たちに声をかけられたりしたので、そういった過ごし方はしないようにした。

 誰と関わるかとか、なにをやるかとか、そういうことは自分で決めたい。

 でも、そうはいかないことだってある。

 中学卒業が迫れば、その後の進路について考えることになる。

 公立の高校に行って、そこでも苦痛を噛み締めながら三年間を過ごし、就職なり進学なりすれば、ブラック企業や学生同士の見栄の張り合いに巻き込まれる。

 俺が望む安息を得られるのは、定年退職後とか、そんなずっと先のことのように思える。

 自分のことは自分で決めたい。

 俺がそう言えば、きみは自分で決められるほどの人生経験を積んでいないからと、大人たちは言いなりにさせようとしてくる。

 実際、高校にいかなければあまり職業選択の自由はないだろう。

 大学や大学院を出れば、職業選択の幅は更に広がる。

 どんな仕事に就こうと、俺の自由だ。

 つまりは、どんな労働環境で、どんな労働をする奴隷になるのかを自由に選べるということだ。

 起業でもしようか。

 自由になりたい。

 自分の人生を、自分だけのものにしたい。

 なにかを押し付けられるのなんて、まっぴらだ。

 だから、俺は、目の前にそびえ立つ木の扉を見て、固まっていた。

 扉がノックされてから、五秒が経つ。

 扉の向こうにいる誰かは、もう立ち去ってしまっただろうか。

 のぞき穴がないのが残念だ。

 返事をするか、居留守を使うか。

 俺は今、選択を迫られていた。

 いや、俺は、自分がひねっている鉄製の取っ手を見た。

 取っ手がひねられているということは、つまり、その取っ手をひねっている者がいるということ。

 つまり、扉の向こうの誰かは、扉を挟んですぐの場所に俺がいることを知っている。

 どうしよう。

 具合が悪いからとでも言って、お引き取り願おうか。

「あ、はい……?」俺は、とりあえず声を出してみた。

「お邪魔しても良い?」

「あ、はい、どうぞ」

 俺は、扉の向こうから聴こえてきた声に、扉を開けた。

 そこにいたのは、金髪に淡い茶色の瞳をした、白人の女の子だった。



数分前 とある屋敷




「シチューが食べたいですわ」

 わたしは、自分に向けられた声を無視して、万年筆を走らせた。

 すぐそばには、小柄な十二歳の少女が座っている。

 彼女がわたしのなんなのかと聞かれれば、様々な言葉を返すことが出来る。

 友人、幼馴染、上司、ご主人様、お嬢様。

 手入れの行き届いた長いブロンド。

 豊かな金色のまつ毛に、眠そうなまぶた。

 ハニーブラウンの瞳には、シャンパンゴールド色の光輪がかかっている。

 小さな鼻の上にちょこんと載ったそばかす、柔らかいもちもちのほっぺ。

 あどけないながらも端正に整った顔立ち。

 思わず抱きしめたくなる愛らしいこのお方は、ヴィルヘルミーネお嬢様。

 わたしがいるこのお屋敷の主人であり、わたしの上司だ。

 わたしは、メイドとしてこの屋敷に住まわせてもらっている。

 学園での授業が終われば、ここに戻り、お嬢様の遊び相手や話相手になったり、お茶を淹れてあげたりする。

 衣食住はただで、冷蔵庫と食料庫の中のものは食べ放題飲み放題な上、いつの間にか補充されている。

 だだっ広い大浴場には古代ギリシャのような噴水や彫刻、その天井にはシスティーナ礼拝堂のような天井画。

 家具や食器の一つ一つは、それほど控えめながらも上品なデザインをしている上、実用性も高い。

 この屋敷にある椅子もベッドも、クッション性抜群で座り心地も最高。

 一生座ってられるし、一生眠っていられる。

 こんな屋敷を自分の家のように使わせてもらっている上、給料もかなり良い。

 最高の仕事だ。

 わたしが今いるここは、お嬢様のお気に入りの部屋。

 壁一面を占める大きな窓からは、灰色にくすんだ日差しが差し込んでいる。

 空を見上げれば、この地域には珍しい、雲一つない晴れ空。

 わたしは、毛の長いカーペットに座って、ローテーブルで宿題を片付けていた。

 一方、お嬢様はと言うと、日本から輸入したゲーム機で遊んでいた。

 年がら年中遊んでいる姿しか見せないお嬢様だけれど、屋敷のそばではきちんと公務に励んでいることを、わたしは知っている。

 わたしからの敬意はタダで得られるものではないし、金で買えるものでもない。

 割の良い給料をくれると言うだけで、自分の時間を誰かのために使おうというようなヤツではないのだ、わたしは。

 わたしは、教科書とノートを閉じ、万年筆を革のケースにしまった。

 まあ、そういうスタンスで生きていられるのは、わたしもまた恵まれているからかもしれない。

 あるいはただ、わたしが十五歳の一人っ子だからかも。

 守るものがあれば、敬意ややりがいがどうこうと言っていられない。

 少しでも割の良い仕事を見つけて、働くしかない。

 そういうものなのだ。 

「シチュー?」お嬢様がシチューを食べたいと申されるのなら、それを作る、それがわたしの仕事だ。「どんなのが良い?」

「クレアおばさんが良いですわ」

「クレアおばさんね」

 最近お嬢様がハマっている、日本のシチューだ。

 この間、九千キロメートルの彼方から直輸入された一生分のクレアおばさんが、業者の手によって食料庫に運び込まれているのを見かけた。

「にんじんは入れないで頂戴ね」

「別に良いけど、好き嫌いしたらセバスチャンに小言言われるよ。なんかあの人、この間、貴女の発育がどうのこうのって言ってたし」

「死刑ですわね。椅子に縛り付けて、あのスカした口ひげを一本一本引っこ抜いて差し上げますわ」そのようなことを楽しげに言うお嬢様。この子は、幼い頃からSっ気の片鱗をちょいちょいのぞかせていた。「だいたいあの者は最近無礼ですわ。わたくしのネットでの活動を監視しているようですのよ」

「ああ、それは、貴女が大人のサイトに入り浸っていないのかを確認してるんだよ」

「そのような勘ぐりも無礼ですわね。わたくしの人間性どころか、わたくしに教育を施した者たちの能力すらも冒涜していますわ。その上あの者と来たら」ヴィルヘルミーネの薄い肩がぷるぷると痙攣した。怒っているようだ。「わたくしがネットに上げている漫画を、勝手に各所の編集の方々に読ませてもいるようですわ。しかも自分の作品だと騙って。わたくしの作品で大物漫画家にでもなるおつもりなのですわ。善良とも清らかさとも程遠い、とんでもない下郎ですわ。自分で善良さや清らかさを自称しながら自分の拙さや傲慢から目を背けている、最もたちの悪いゲス野郎ですわ。罪悪感を知らずに生きているからあの者はああも厚顔無恥なんですわ」

 お嬢様の怒りはどこまでもエスカレートするとともに、彼女の被害妄想もまたどこまでも飛躍するのだった。「大丈夫だよ。わたしも読んだけど、期待の新人と呼ばれるにはまだまだ時間がかかるから」

「まったく。またペンネームを変えて一から書き直しですわ。というわけで、にんじんなんか食べている暇はありませんわ」

「なんでも食べなよ。一生食べずにいられるわけないんだから」

「にんじんを食べるくらいなら学園に行ったほうがマシですわ」

 わたしは頷いた。「にんじんは入れるから食べてみなよ。だめだったらわたしがもらうから」

「譲歩いたしますわ」

「うむ」わたしは頷いて、キッチンへ向かった。ついでだから、お嬢様の大好物のイワシのメンチカツににんじんを混ぜてみよう。黙って出せばバレないかもしれない。

 メイドだからといって、メイド服を着たりはしない。

 この広大なお屋敷にいるのは、お嬢様とわたしだけ。

 たまにセバスチャンという嘘みたいな名前をした執事長のおっさんが顔をのぞかせるくらいだ。

 お嬢様は、使用人が嫌いなのだ。

 わたしは、キッチンに隣接する食料庫のドアを開け、地下へ続く螺旋階段を降りた。

 クレアおばさんのシチューを取り、野菜や牛肉などの食材も取って、キッチンへ戻る。

 黒電話が鳴り響いたのは、もう少しでシチューが完成するというときだった。

 わたしは、受話器を取り、電話に出た。「はい、ティーナです」

『ティーナ?』

「ヴィーラ」電話の相手は、わたしの同僚だった。「久しぶり」

『うん』

「どうしたの?」

『ちょっと報告したいことがあって、今大丈夫?』

「うん。あ、手短にね。うちのちっちゃいお嬢様がお腹空かせてるから」

『あぁ、ヴィルヘルミーネ様ね』ヴィーラの声色が、弾んだものになった。こいつは可愛い存在が大好きなのだ。『そうね、手短に。灰色の迷宮で、自我を持った人間が現れた』

 わたしは、一瞬、これは夢かと、ほっぺをつねった。「ほう」

『記憶を探った。日本人の十五歳』

「学園の生徒?」

『ではないみたい。家出中で、警察に保護されてるみたい。で、その警察も魔法族みたい。魔女』

 わたしは日本国内における魔法族の情報をさらっと頭に思い浮かべた。

 日本は、ヨーロッパほど魔法族の人口は多くない。

 いくつかの由緒正しき魔法族の家系があるくらいで、日本生まれの魔法族はそのほとんどがそれらの家系にルーツを持つ。

「偶然かな。接触しても大丈夫だと思う?」

『人間だからね。なんか問題が起これば、あちらの記憶を消せば良いだけ。どちらにしても、遅かれ早かれ、わたしは接触しないといけないから、でも、その前にどうかなって』

「そうだねー、せっかくだし、行こうかな」

『いつ来れる?』

「三分後」

『いつもの場所ね』

「はーい」

 わたしは受話器を置いた。

 シチューを皿によそい、焼き立てのバゲットを添えて、お嬢様の元へ持って行く。

「ありがとう。まあ、美味しそうな香り。さすがクレアおばさんですわ。あら、大好物のイワシのメンチカツまで」お嬢様は、こちらを見て、小さくほくそ笑んだ。「先程のお電話は?」

「同僚」わたしは、お嬢様がイワシのメンチカツを頬張る姿を見ながら言った。にんじんのペーストを練り込んだのだけれど、気がついていないようだった。所詮は子どもだ。

「同僚……」ヴィルヘルミーネお嬢様は、こちらの考えていることなどつゆ知らず。幸せそうな顔でメンチカツを味わってから、水を一口飲むことで、次の料理のために口内をリフレッシュした。「ああ、学園の。なにか良い話だった?」

「うん。ちょっと灰色の迷宮に行きたいんだけど、一人にしても大丈夫?」

「平気ですわ。すぐ帰ってきてね」

「うん。ありがと」

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 わたしが手を振るうと、次の瞬間、お気に入りのロングコートが手の平に現れた。

 わたしはそれに腕を通してから、寝室に入り、ベッドに潜った。



現在



 扉の向こうに立っている少女は、俺に明るい笑顔を向けた。「はじめまして。わたしティーナ。入っても良い?」

 と、ティーナさんは、流暢な英語で言ったのだった。
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