Oasis

楽川楽

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完結編

芳哉視点

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 ピカピカに磨かれたショーウィンドウ。シルクのリボンで飾り付けられたその中で光る、色とりどりの装飾品。
 どう考えても恋人を隣に並べ歩くような、男だけで歩くには少々煌びやか過ぎる店が立ち並ぶその中を、俺はオーナーの背中を見ながら歩いていた。

「八島の所に行くからついて来い」

 たったそれだけ言われて連れ出されたのが、今日の朝。仕事が終わり寝付いたばかりだった俺は、オーナーのその言葉に眠りから引きずり出され、既に迎に来ていた八島組の車によってオーナーと共に連行された。
 と言っても、何故か俺は屋敷の外で待たされ、数時間後に出てきたオーナーと共に、今度は徒歩で帰ると言う謎の状況に置かれているのだけれど。
 何をしに八島組まで来たのか、何故俺を呼ぶ必要があったのかは全く分からず、只管待たされた事に一言くらい文句を言ってやるつもりでいた。だがそんな俺の決意は、屋敷から出てきたオーナーを見た途端あっと言う間に消え失せてしまった。


 目の前をゆったりと歩くオーナーの背中。
 それはいつだって目に見えない頑丈な鎖に縛られ、自由に動けぬよう雁字搦めにされていたものだった。
 肉に食い込むほど強く巻き付いた鎖と共に歩いた後には、必ず彼の流した血の跡が残る。
 そんな彼の体が八島の屋敷から出てきた直後から、幾分か軽くなった様に見えたのだ。

 俺とオーナーが出逢ったのは大学時代のこと。
 オーナーこと“数馬先輩”が母親ほど歳の離れた女性に飼われていると言う話は、俺が同じ大学に入った頃には噂と呼ぶには余りに知れ渡りすぎた事実だった。
 昔からあんな感じの人だから、噂のこともあり、余計に先輩を敬遠する人間は多かった。だが逆に、取り入りたいと近づく人間もまた多かった。
 私が飼ってあげようか? などと碌な甲斐性も持たずにしな垂れかかる女たちと、パトロンを持つ事実を勇者化して付き纏う妙な信者たち。唯の碌でなしだと罵り軽蔑の目を向ける、常識人ぶった輩。
 大学に横付けされる真っ赤なスポーツカーが、いつの間にか黒塗りの車に変わっても。乗り込むその背中を、いつだってそれぞれが勝手な想いで見送っていた。

 彼が抱えた深い闇や痛みなど、少しも知ろうとせずに…。





 目の前を歩いていた背中がピタリと止まった。そんな先輩を幾人かの女性が振り返る。

「ヨシ、ちょっと店の前で待ってろ」
「えっ」

 それだけ言って先輩は、あれ程場違いだと思っていた店の一つに姿を消した。そうして入っていった店があまりに先輩と不釣り合いで、俺は思わず店の入口を三度見する。だが何度確認してもその店はその店でしかなく…。
 外で待っていろと言われたにも関わらず、俺は好奇心に負けて同じ店の中へと飛び込んだ。

「待ってろと言っただろ」

 店の中に入って来た俺を見た先輩は、案の定嫌そうな、バツが悪そうな顔をした。だが俺はそれよりも、その先輩の掌に乗った小さな塊に釘付けになった。

「それって…」

 そう呟いた俺を無視して先輩が店員に何か指示を出すと、やがてその店員は小さな塊を手に奥へと消えて行った。その姿を追った視線の先で目が合った一人の女性。その女性は、驚いた顔をしながらもどこか期待を込めたような目で俺を見ていた。

「ん?」

 そうして気付く、妙な視線。
 気になり辺りを見回せば、そこら中からパートナーそっちのけでこちらを伺う女性たちの視線が俺に集中していた。
 漸くそこで、女性かカップルしかいないジュエリーショップに男二人で入店した事を思い出す。な、なんてこった…。

「俺、外で待ってますね!」

 そう言って店から飛び出した俺の後ろで、先輩が盛大な溜め息を吐いたのが分かった。


 思ったよりも早く店から出てきた先輩の手には、その店のロゴが入った小さな袋が下げられていた。

「先輩、それって…」
「…………」

 先輩は照れているのか返事をせず、そのまま再び帰路についた。

「そう言えば明日でしたっけ、糸の誕生日」

 糸が先輩に拾われてから、初めて迎える誕生日。
 クリスマスに何も頼まなかった糸に、『何かひとつくらい欲しいモンはねぇのかよ』と先輩がボヤいていた事を思い出す。
 元々“期待”なんて言葉を知らずに生きてきた子だ、誰かに物を強請るなんて意識すら無いのだろう。糸は、酷く物欲に欠けた子だった。

「それにしても、意外なものを欲しがりましたね」

 糸が何かを欲しがったとして、テレビだとか、ゲーム機だとか、もっと子供っぽい物なら何となく想像できるが、まさかアクセサリーの類を欲しがるとは思わなかった。どこか糸らしくないとさえ思えた。

「アイツがこんな物を欲しがると思うか?」
「いえ、全く思わないですね」
「だろうな。アイツが欲しい物はもっと別のモンだ。結局最後まで口にはしなかったけどな」

 そう言って先輩が苦笑する。

「糸が欲しい物、ですか」

 先輩が手にしている物の存在を忘れ、心を無にして考えてみる。
 糸が何よりも欲しがる物って一体何だろうか。そうして考えつくのは、矢張り俺の目の前を歩く男のことだけだった。
 そうしてその背中をジッと見ていると、突然先輩がとんでもないことを言い出した。

「今日八島組に行ったのは、“契約”を無しにして貰う為だ」
「なっ、それは本当ですか!?」
「ああ。これ以上カラダは差し出せないから、別の物に変えろと言いに行った。だから何かあった時の為にお前を連れて行ったんだ」
「だったらそうと言って下さいよ! 何かあってからじゃ遅いんですから!」

 裏稼業の重鎮相手に“契約を無しにしろ”だなんて、言おうと思っても言えることではない。それも普通とは余りにかけ離れた、異色の契約をしているのだから。
 冷や汗をかいて怒鳴る俺を振り向きもせず、先輩が可笑しそうに肩を震わせる。

「しかし…八島の意向に逆らうなんて、無謀な事をしましたね。命があって良かったです」
「いや、そうでも無い。元々取引なんて破綻してたからな」

 先輩の言葉に首を傾げると、先輩は漸く肩越しに俺を振り返った。

「もう暫く、俺は八島のオッサンを抱いてねぇ」
「えっ!?」

 驚いた俺に、先輩が悪い顔で笑って見せた。

「糸を拾ったあの日から、俺はもう、アイツ以外に勃たねぇんだよ」

 信じられない先輩の言葉に思わず噎せ返る。
 今でこそグチャグチャになるまで糸を抱き潰している先輩だが、始めからそうだった訳じゃない。寧ろそんな関係になるまで、先輩にしては随分と時間を掛けていたと思う。

「拾って、直ぐからですか」
「まぁ大体は…ってオイ、変態を見る目で見るんじゃねぇよ。一応成人してんだろうが」
「年齢はね。でも中身は子供そのものじゃないですか。多少は歳相応になってきましたが、先輩相手だと未だに犯罪臭いですよ」
「なにッ!?」
「しかし先輩、男は範疇外だったでしょう。何でですか?」

 八代の件があるからこそ、男同士に嫌悪を抱いても可笑しくない。その上相手はあの糸だ。相手に選ぶなら店に居る子の方が余程色気もあり唆られると、普通の男なら言うに違いない。
 そう思い尋ねれば、先輩は「俺が知りてぇよ」と言って態々戻って来てまで俺を蹴った。理不尽だ。

「八島が俺にオッサンを抱けと言ったのも、元々はアイツ等の痴情のもつれが原因だからな。案外さっさと片付いた」
「そっ、そんな裏があったんですか? それにしても急でしたね…急いで今日話をつける必要があったんですか?」

 俺を叩き起してまで…とちょっと恨みがましく言えば、先輩が進む足を止め振り向いた。

「アイツの誕生日だからだ」
「は?」
「これが“アイツの欲しい物”なんだよ!」

 それだけ言ったかと思うと、プイと前を向いて再び歩き出してしまう。だが、そんな先輩の言いたかった事の大半が、詳しく言わずとも俺にも分かっていた。

 糸の欲しい物。

 それはどの方向から考えても、結局最終的には“数馬さん”に行き着いてしまうのだ。
 先輩がマンションに来るといつも糸は『今日は八島組に行ったんですか?』と聞く。
 以前八島兄に連れられていった時、あそこで先輩が何をしているかを糸は知ってしまった。そんな糸がそれを聞くと言うことが何を示すのか。
 俺が気付くのに、先輩が気付かない訳が無かったのだ。

「じゃあ、先輩自身がプレゼントになるわけだ」
「………」
「だったら何でそれ、買ったんですか?」

 俺は未だ先輩の手元で揺れる小さな袋に目をやる。すると先輩は、その小さな袋を肩まで持ち上げ揺らした。

「これは虫除け兼、鎖。最近妙な虫が寄ってくるからな」

 不細工のくせに生意気な奴だ、と言って前を歩く先輩の耳が赤い。
 誰と付き合おうが、何を強請られようが、先輩が誰かに何かを貢ぐところなんて今まで一度も見たことが無かった。まして、誰かを所有する証となるモノなんて絶対に有り得ない。
 いや、これからは“有り得なかった”になるのだろう。

「『俺がプレゼントだ』とか言っちゃうんですか」
「うっせぇな! ンなこと言うか!」

 耳を赤くした先輩の歩いた後に、あれ程強く巻きついていたはずの鎖がバラバラに千切れて落ちていた。そうして軽くなった彼の背中は今、彼だけの“唯一”へと向かっている。
 その足取りは今まで見たどのそれよりも軽く、彼を前へと進ませていた。

『金も権力も友達も、家族も恋人も要らない。ただ俺は“数馬さんのモノ”であれば満足なんだ。あの人が俺を要らないって言うその時まで、側に居られればそれで良い。それだけで俺は幸せだ―』

 そう言ったあの時の糸は、人々を誘い込もうとするこの街のどんな光よりも強く輝いていた。闇に暮らす俺たちには些か強すぎる、純粋な光だった。
 そんな糸を手に入れた先輩を少しだけ羨ましく思う。

 八島も俺も、先輩も。
 きっとどこか似た闇を抱えていたはずなのだ。だからこそ俺たちは出会い、関わり、繋がっていた。そこから一抜けした先輩を羨むなという方が難しい。だからと言って、それを壊したいとも思えないから悔しいところだ。
 誰かが口を挟まずとも、きっとこれから先輩は嫌という程あの子の想いを知る事になる。そうして今以上に、先輩は変わっていくのだろう。
 そこにほんの少しの寂しさを感じながらも、彼が持ち帰るプレゼントに喜んで見せる糸の顔を思い浮かべれば、思わず俺まで微笑んでしまうのだ。

「先輩、体にリボン巻かなくて良いんですか」
「芳哉…テメェ良い加減殴るぞ」




 そうして翌日、左手の薬指に金色を光らせた糸とオーナーが出勤すると、それを見つけた売り子たちによって店の中は阿鼻叫喚の巷と化したのだった。




END
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