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壱、
しおりを挟む或る朝、眼が醒めると私はバカになっていた。今しがたのついさっき昨日の夜、書き終えたばかりの小説に登場する男の心理状態がこの体験に重なり合い少しだけ類しているだけなのかも知れない。しかし、その男は本当にバカであるのだろうか?それともバカではないのだろうか?その判断すら不可能な状態に陥っている。もしも、仮にバカだったと考えるとしてもまったくもって説明に窮したり窮さなかったりせねばならぬばずであるのだけれども、そんな事がまるでない。何にも考える事が全く出来ないのだ。ただただ、自らの存在さえ、さっきその実在性を初めて確認したばかりで、この感覚は表現の仕様もない。或る種、考え方次第によっては、この事実も受け入れることにより、総てがご破算になった訳であるからして気楽に考えてもいいのかも知れない。一旦、人生をリセットされたようなものだ。生活をリフレッシュしたようなものだ。しかし、矢張り、不安になってただ泣きたくなると云った所があるのだけれども、そのような解脱自体の意味がないようなことになり兼ねないのではないか?兎に角、一応、この状況に関しては納得し掛けている。また、こうも言えるのではないだろうか?バカになるという事はバカになれる才能があったことににほかならない。それは元の状態がバカでない以上、バカに成り得る資格を具えていなければならないのだから、当然の結果である。つまり、バカになれれば、その逆よりもよっぽどしあわせであるという意味にもなるからして、これはこれで意味はあるのかも知れない。またこんな事も言えない訳ではないだろうか。人間はもともと自然に生きているようで不自然な動物であり、それを是正する意味で、宗教などが生まれるのだと思われるのだけれども、人間は 元来 バカなものだからいくら信仰を説いたりしても総ての人類は救済されないものであり、しかし、或る不特定多数の人間にとってはなくてはならないものでもあるからして、これはやっぱり理窟に適っているのかも知れない。しかし、宗教なんてものがあってもなくても、バカにはなれるものなのだからバカにならなくてどうするのだ、それにバカになるとかなるまいとか考えなくたって生きていく事ができる。同じアホなら踊らにゃ損!損!ええじゃないか♪ええじゃないか♪の精神である。だから、宗教など必要ないのだ、阿呆蛇羅教ぐらいで充分こと足りるのである。など、知ったかぶりをしてこういうふうに論ずることも出来る。兎に角、私が、どうしてこんなことになってしまったのか?と訊かれると困ってしまうが、それについて私自身は、別段、弁解するつもりはない。何故ならば、それが私の本来の或るべき姿であり、それが私にとって必要なことだったからである。なるべくして私はバカになったのだ。例えば、私がもしも人に何かを強制されてそれに対して絶対的に服従することが出来ず頑なに反抗するとしたら私はその相手を殺すかも知れない。それは私にとっては絶対に必要な事なのだからだ。しかし、私はなぜその必要のある行為をわざわざしなければならなかったのか?と訊かれると、そこに従えない相手がいたからだとしか答えようがないのである。それは、最早、私の意志によるものではなく、何かほかの得体の知れない不吉な魂のようなもの、若しくは、神の声のようなものによる行為なのかも知れない。それは、私の意識に関係がなく、無意識とも無関係であり、異次元の話であったとしたら、私はやはり反発し抵抗したのではないかと考えられる。そして、私は、その行為に対して無自覚的であったのではないか?と想像される。つまり、その時、私の脳裡にあったものといえばそれは敵対心というよりも恐怖感だけだったろうと推察できるからである。しかも、その行為はなにかによって突き動かされるように狂信した私自身が望んでやったことでもなかったと思われる。何故ならば、その時の私は私自身以外の者の支配下にあったからである。つまり、支配をされたくないから必死に抵抗する必要があったのであるが、それは、私が、私でなくなるということにほかならなかったのである。だからといってそれが厭だったかというと決してそうではない。それは確かにつらく苦痛に充ち満ちたものであった。だが、それでもそれは私が自ら選んだものではなかったから、私はその選択の自由を奪われていた為に、仕方なく従わなければならなかったのだ。そして、それがどんなに恐ろしくつらくとも、それを選んだのは自分以外ではないのだけれども、自分にはそれを選ぶ資格がなかったのである。ところがそれを無理強いされた時点で、私は、もう絶対に拒否する事が出来なかったのである。何故なら、その選択肢は自らの外に存在していたからだ。それは私とは関係ないところに存在していたのである。従って、それは明らかに外部から強制されたものであると同時に、内部からも強制されていたのだといえるかも知れない。しかし、その外部というのは一体何処までなのだろうか?自らの内部だと思って安心していると、突然、外側に顕現したりする。それも外側の何処かにではなく、何気なく眼を動かした瞬間に不意に現われるのだ。そんな具合に、自らの内部にいながら外部でもあるような変な感覚に囚われそのような状況に常にあるものだから、外的世界が自らの内部であるかの如く錯覚してしまう。自他の境界線とは、果たして一体、どのあたりに引かれているのだろうか?そして、私が、内部だと思えば思う程、ますます外へ外へと拡大していく傾向があって、遂には自分自身さえが外部のような気がしてくるのである。この錯覚を自覚すると共に、人は自己の内部へ改めて立ち返ろうとするのだけれども、それは決して容易ではない。その時には既に内面的世界において自己の存在は外部になっているからである。従って、その人間が自らの存在を認める時は、いつでも外部からの干渉を受けている状態でなければならないのだ。ところが人間の脳髄はそのように出来ていないから、その状態を持続するのは困難であって、大概は自己の存在意識を爆発させながら、尚且つそれに抗しなければならない。しかし、そうなると人間は、常に苦しまねばならないのである。何故なら、自己の存在を確認しようとすれば、必ず他者が存在していなければならぬからで、その時にはすでに自我などは何処かに影を潜めてしまっているからである。自我が存在するにはまず他人を必要とする訳で、その事によってしか自我の成立しない。そのようにしてしか人は自己を確立する事ができない訳で、その人の考える処では、そうではない人間は結局のところ、なんの意味もないざんげの値打ちもない断罪される価値もない人間である。しかし、この理窟は実は正鵠を得ていると友人が言った事がある。つまり、人間は本来的に孤独なもので他人を必要としないのだという事を証明しているんだそうだ。しかし、そんな事を急に言われても、そんな、はい、そうですね?と簡単に納得できるものではない。人間はひとりで生まれて一でひとりで死んでゆく、というような永山則夫の殺し文句があるが、人は基本的にひとりでは生きていけないので、一人だけで生きる人間はすでに死んでいるのと同じだという事になってしまうおそれもある。そこで、人間は常に他人の中にいて初めて生きているのだと云う実感を感じるのはそういう意味じゃないのか?と訊ねたらそれは違うと彼は答えた。それは、人間本来の生き方ではないので人間として生きようとする限りは他人なしでは考えられないのだそうだ。だから人間は誰でも他人を必要としているので、それをしなくていい人間などはいない筈だということになる。しかし、これはおかしいと思う。誰も彼もが他人を必要としたら社会なんて成立しないじゃないか。人間なんてものがみんな個人主義で生きていたら、世の中なんていったいぜんたい成立しないじゃないか。何故なら、誰とも接触せずに生活する人間がいたっていい訳なんだから。けれども、現実には人間同士がお互いに助け合って初めて社会の方はちゃんと存在しているだろう。これは矛盾だ。どう考えたって納得のいく理窟はない。すると友人は、それは君の言う通りだと答えた上でこう説明してくれた。つまり人間の精神構造というものは、もともと社会的動物になるように出来ているのだというのだ。そして、その方が生活をいとなむ上で楽だからそうなっているのである。その証拠に、我々が他人と接する時に使う言語や感情表現なんかを考えてみたまえ。あれこそまさに社会的存在の証拠だ。我々は、誰かれの区別なしに何らかの方法で他の人とコミュニケーションを取りたがっている。それは我々の生存本能の中に刻み込まれているものだし、また、それなしでは生きられないような仕組みになっているのである。そのようにして、我々は、他人との情報を共有し合い、感動を分かち合い存在している。だから、もしキミがその例に倣おうとするのならば、他人との接触を避けて通ることはできないし、また、そのことによってのみ、自分の孤独を慰める事が出来るのである。何故ならば、それはキミにとって唯一の生きる手段だからである。だがそれは、非常に困難なことでもあるのだ。他の人とかかわりを持つことは、同時に他の人から影響を受けて影響を受け、時と場合によっては自分を殺さなければならない状況になることもあるからだ。それはある意味では自分の意志とは無関係に、自らの内部で何かが変化してしまうのである。それがどんな変化なのかは、誰にも判らないが、多分それは今までとは違う自分になるということである。新しい自分とはどんな自分なのか?それがどんな自分なのか?誰にも判らないしはっきりしたことは言えないのだけれども、兎に角、今迄の自分ではない新しい自分が誕生するに違いない。そうして、社会は進化してゆくのである。しかも、もしかしたらそれは決して自らにとって好ましいものではなくて寧ろ不愉快なものであるかも知れないのだ。だが、それは我々にとっては避けられない運命である。何故なら、それは自らの中から湧き起こる初期衝動による影響であり、自らの内部から生じてくる欲求であるからだ。それは自らの意志とは関係なく勝手に顕現したりする。そして、それは自らの意志に反して行動させられるものなので、自らとしては抵抗しようがないのである。だからといって、それに対して嫌悪感を抱いたとしてもそれは自分の所為ではない。何故なら、それは自らの内部にあるものであるものの自らが選択したものでないからだ。だから、自らの内部にあって自分の内部を支配しているもの総てを自らの力で無理矢理に抑えつけることは不可能だと考えられる。従って、それを自らの力では到底制御することはできない。しようとしてもそれは無駄な足掻きである。自らの意識とは関係のないところで、自動的に生成してしまうので、自らの意志で、自らの行動をコントロール出来ないのだから、自らの責任で自らの自由にならないのだから、それらは既に自らの問題ではなく、我々自身の問題である。自らの外の問題なのであり、自らだけでなく、誰にも解決しようのないものであるからして、自らではどうにもならないのである。外部から強制されたままの状態であって、その状態から抜け出すには自らの内部から変化を遂げなければならないのであって、それが、仮令、不可能だったとしてもその変化を超克する為の努力をしなくてはならないのだが、その努力は苦痛を伴うのもでそれは大変くるしいことでもある。そして、その苦しみを乗り越えて変化したものは、決して自らが望んで得たものではな必ずしも満足の行く結果にはならないかも知れない。自らの内部にあるものであるのにもかかわらず、明らかに否定し難いものであって、それを無理矢理に拒絶しようとすると必ず反動が起こる。その変化は悪い方向への変化であり、それを否定すると必ず良くない状況に陥ったりするので、結局は、諦めざるを得ないのだ。つまり、それは自らの内側からの働きかけによって引き起こされたものであって決して外部から強制されて生じたものではない。だからつまり、何を言いたいのか?というと私はバカである。バカなのである。私の本来のあるべき姿とはバカだったのだ。それが総てである。要するに、バカとはオレの本来の姿なのである。
※ 制作者;とりんさま!!!!!!
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