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ちび丸とネネ

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 チェリーレッドとサマーレッド、どっちがいいと思う?

 ネネがおれの目の前にビンを持ってきて言う。おれに違いが分かるわけがない。

 チェリーだよねたぶん。

 ピンク色のふわふわしたカーペットの上で、ネネは足の爪を塗りはじめる。ネネはさみしいと爪を塗るんだ。おれは知ってるぞ。

「ねぇちび丸、あたしさぁ」

 ちび丸っていうのはおれだ。ちなみにそんなに丸くもないし、四十センチくらいあるからちびでもない。

「なんかね、またぜんぶどうでも良くなってきちゃった」

 あぁネネ。だめだ。たのむから元気だせ。

「ね、ちび丸はあたしの味方だよね。ずっとあたしを好きだもんね」

 当たり前だろ。おれはネネが小学生だったころからネネを知ってるんだぞ。おれよりネネのことを大好きなやつなんていないぞ。

「あたしがどんなでも許してくれるよね」

 おぅ。

「あたしがいなくなったらちび丸は悲しいかな」

 やめろよネネ。冗談でもそんなこと言うんじゃねぇ。
 
 おれがせめて動物ならよかったな。猫とか犬とか小鳥とかさ。
 そうすればおれはネネに近寄って、舐めたり鳴いたりして慰められるんだけどな。
 
 悔しいけどおれは動けないんだ。
 おれはペンギンの姿をした、ぬいぐるみだ。

       *

 ネネがおれを見つけたとき、ネネは丸くて大きい目でおれをじっと見て言ったんだ。

「この子がいい」

 おれは水族館の土産物コーナーにいた。その日はネネの八歳の誕生日で、ネネはママと二人でそこに来てたんだ。

「この子? あとでモールに行けばもっとかわいい子がいるんじゃないの?」

 余計なお世話だ。

「ううん、この子がいいの。ネネのちび丸」

 チビでもないしそんなに丸くもないけどな。とにかくネネは満面の笑顔でおれを選んで、その瞬間にわかったんだよ。おれはネネのもので、ネネに会うためだけにここにいるんだってことがさ。

 ネネは世界いち眩しくて、もしもおれが人間だったら泣いちまったかもしれない。おれはその瞬間からネネが大好きだった。ネネもおれが大好きで、だからおれたちはそれからずうっと一緒にいる。
 
 ネネはもう二十歳だ。ここはもうネネの子供部屋じゃなくて、わんえるでーけーのマンションだ。ネネはここにおれと住んでる。ネネは今、仕事はしてない。ネネはハヤセとかいう男に惚れてて、ネネの生活にかかるお金なんかはそのハヤセとかいう男が助けてる。   

 ハヤセは週に二回くらい来て、ネネと寝室にこもる。そのあいだおれはリビングのソファで、ネネが消えてった寝室のドアを見守ってる。

「ハヤセさんさ、いつ言うんだろうねあたしのこと」

 ネネは長い脚を投げ出して爪を乾かす。今度は手の爪に塗る色を選びはじめる。

「簡単にはいかないんだよっていつも言うけどさ。あたしはすごく簡単なことだと思うんだ」

 ハヤセはネネの他に結婚してる女がいるらしい。大人の関係ってやつになったあと、その女と別れてネネをお嫁さんにするって言ったくせに約束は守られてない。いやな感じだ。

「あたしさ、このままじゃ浮気相手じゃん、ハヤセさんの。そんなのさいあく」

 おれはネネといっぱい映画をみた。ネネは恋愛映画ってやつが大好きだから、ラブストーリーにはちょっと詳しい。だから浮気相手ってのが何なのかも知ってるぞ。

「ネネちゃんのこと本当に大切だから急ぎたくないって。なんかちょっと意味分かんないんだけど、あたしがバカだからかなぁ」

 違うぞネネ。バカはハヤセだ。

「ずうっとこのままだったらどうしよう。あたしオバサンになって人生終わっちゃう」

 ネネはオバサンになってもネネだし世界一可愛いぞ。だけど問題はそこじゃない。

「鬼ママみたいに捨てられたらどうしよう」

 あぁネネやめるんだ! ネネはそんな相手を選んじゃだめだ。一緒にいっぱい映画見ただろ。思い出せ。ハヤセみたいな男はたいがいロクデナシなんだぞ。

「でもさぁ」

 ビンがいっぱい入った箱。ネネはガチャガチャ音をたてて色を選ぶ。

「あたしにはハヤセさんしかいないんだよね」

 水色のと黄緑色の。銀色のとピンク色の。ネネはいくつも手にとって、また箱に戻す。

「ハヤセさんが世界のすべてなの。だからハヤセさんがいなくなっちゃったら生きてけるかわかんない」

       *

 ネネは写真を撮られる仕事をしてた。
 世界一ステキな女の子なんだからまぁ当然だ。
 ネネは中学生になった頃から背がぐぅんと伸びて、細くて長い脚には制服のスカートが短すぎて、それでよく鬼ママとケンカしてた。ちなみにネネには父親がいない。ネネが幼稚園の頃に出てったそうだ。ネネは自分のことはぜんぶおれに話してくれるんだ。
 
 さいあく。

 ネネはよくおれに言った。

 さいあくさいあく。なにもかもさいあく。

 ネネはおれの前以外ではあんまり笑わなくなった。それなのに高校生になったらカメラの前で笑うアルバイトをはじめて、鬼ママとシレツな闘いを繰り広げてた。

 鬼ママはネネが写真を撮られるのをやめさせたがって、未成年だったネネはその通りにするしかなかった。そして高校の卒業式。十八歳になってたネネはさっさと家をでた。荷物はスマホとお気に入りのパーカーとおれだけだった。
 
 ちび丸、行くよ!
 
 ネネは意気ようようと、鬼ママに短いメッセージだけ残して家を出た。そのあと引越したのがいま住んでるマンションで、ネネはまたカメラの前で笑う仕事をして、部屋とか食べるものとかおれのシャンプー石鹸とかのお金を払ってた。

 部屋を借りたり仕事をみつけたりするのを助けてくれたのがハヤセなんだ。ハヤセは最初にネネの写真を撮った男で、それからずっとネネの「いちばんの理解者」らしい。ネネはそう言ってる。

「ハヤセさんね、二十歳になったら僕のものになってって言うの」

 うっとりと語るネネが幸せそうだったから、おれもそれでいいんだと思ってた。

「すっごくやさしいの。あたしハヤセさんのためなら頑張るよ。水着とかだってハヤセさんのゲイジュツのためなら平気なんだ」

 ネネはおれに写真も見せてくれた。ハヤセが撮ったネネは寒そうな格好で、なんだか泣きそうな顔でこっちを見てた。これが「セクシーな顔」らしいんだけどおれには分からない。おれは甘いものとか食べて幸せ、って笑ってるネネの方が可愛いと思うけどな。

       *
                              
 ネネのスマホが鳴る。メッセージがきたみたいだ。

「あーーー」

 ハヤセじゃない! そのやる気のない反応はもしかして。

「そーいちろーだ」

 ビンゴ! 気のないネネとは逆におれは嬉しい。おれはそーいちろーが好きだ。

 ネネはスマホを放置する。なんでだよネネ! そーいちろーに返事しようぜ。

「うーーー」

 ネネがハヤセからの連絡を待ってるのは知ってる。だけどハヤセから連絡がきたあとのネネは最近あんまり楽しそうじゃなくて、そんなネネを見るのは悲しいんだよ。

「ドーナツとか太るし」

 ネネ、返事しろ。ドーナツ食え。

「なんだかなぁ」

 おれの気持ちが通じたのか、ネネがスマホを手に取る。きれいな指でさささっと返事を打つ。またスマホが鳴る。ネネは横目でそれをみて、おれに内容を教えてくれる。

「三十分くらいで来るってさ、そーいちろー。バイト先のドーナツ持って」

 イエース!

「あいつあたしに惚れてんの。バレバレ」

 知ってる。ネネに惚れないやつなんていないしそれは仕方ないじゃないか。

「好みじゃないっつの」

 でもおれはハヤセの野郎よりもそーいちろーの方が百億倍好きだぞ。そーいちろーにならおれの大事なネネを任せてやってもいいぞ。おれはそーいちろー推し!だぞ。
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