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1話「7月9日」
しおりを挟むニューヨーク - 2029年7月9日 / 午前6:59
暗闇に赤く光る数字が浮かぶ。
デジタル時計のディスプレイが、静かに「6:59」を刻んでいた。
ピピピピ——
時計が 「7:00」に切り替わった。
ベッドの上で、カイト・セナは身じろぎした。
目蓋が重い。体がだるい。
「……もう朝か」
低く呟きながら、手を伸ばしてスマホを取る。
アラームを止め、ディスプレイを見る。
「2029年7月9日(月)」
カイトは息を吐き、頭を枕に沈めた。
窓のブラインドから、わずかに朝の光が差し込んでいる。
どこにでもある、ごく普通の朝だった。
カイト・セナ、27歳。
ニューヨークで働く、ただの会社員。
システムエンジニアとして働きながら、淡々と日常をこなす日々。
仕事はそれなりにできるが、特に野心もない。
少し前まで付き合っていた恋人とは、価値観の違いで別れた。
それからの生活は、ルーチンワークの繰り返しだった。
目覚め、会社へ行き、仕事をこなし、適当に酒を飲み、帰宅して眠る。
変わり映えのない日々。
「……今日も同じか」
カイトは重い体を起こし、ベッドの端に座った。
床には昨夜のピザの箱が転がっている。
空になった缶ビールが、その横で倒れていた。
「……片付けるのは夜でいいか」
そんな独り言を呟きながら、シャワーを浴びるためにバスルームへ向かった。
---
午前8:00 / 通勤の朝
ニューヨークの朝は、いつもの喧騒に包まれていた。
高層ビルの間を忙しなく行き交う人々。
クラクションの音、地下鉄のアナウンス、スマホを片手に歩くビジネスマンたち。
カイトは歩きながら、スマホを手に取り、ニュースの見出しを流し読みする。
「……世界経済の不安定化、か」
大して興味もない話題だったが、妙な既視感があった。
いや、気のせいか。
カイトはスマホをポケットにしまい、いつものカフェに向かう。
---
カフェ「GREEN POINT」
カフェのドアを開けると、コーヒーの香りが漂う。
木製のカウンターの向こうで、バリスタたちが忙しく立ち回っている。
カイトは列に並び、順番を待つ。
「ブラック、トールで」
「いつもありがとうございます!」
レジの女性が笑顔でカップにマーカーで「KAITO」と書く。
「支払いはこちらでお願いします」
カイトはスマホを取り出し、決済端末にかざした。
その瞬間、ふと画面に目が留まる。
【電子マネーの残高が表示される】
「……ん?」
決済が完了したはずなのに、昨日の残高と同じ金額な気がした。
「え?」
一瞬、バグか何かかと思い、画面を見つめる。
だが、アプリを再起動しても、表示は変わらない。
「昨日もここで払ったよな?」
「どうかしました?」
バリスタの女性が、カイトの様子を見て首をかしげる。
「いや、何でもない」
カイトはスマホをポケットにしまい、受け取ったコーヒーを片手に店を出た。
---
午前8:30 / 会社「NEO SYSTEMS」
オフィスビルのエレベーターが開くと、
すでに多くの社員がデスクに向かい、タイピングの音が響いていた。
カイトはデスクに座り、PCを立ち上げる。
その時、近くから聞き慣れた声が聞こえた。
「おい、聞いたか?」
同僚のレイが、隣のデスクで腕を組んでいる。
もう一人の同僚と話しながら、苦笑いを浮かべていた。
「クライアントがまた無茶振りしてきたらしいぞ」
カイトは何気なく顔を上げる。
「……お前、それ昨日も言ってなかったか?」
レイはキョトンとした顔をする。
「は? 何言ってんだよ、今日初めて聞いただろ?」
カイトは眉をひそめた。
「いや……昨日も、全く同じこと言ってた気がするんだが」
「デジャヴじゃね?」
レイは笑いながら肩をすくめた。
カイトは何となく腑に落ちないまま、PCの画面に目を落とした。
---
午前11:45 / 昼休み前
カイトはコーヒーを飲みながら、ふと自分のデスクを見た。
(昨日と全く同じデスクの配置?)
「……は?」
昨日、確かに動かしたはずのメモ帳が、
昨日と全く同じ位置に戻っている。
PCのディスプレイの角度、ペンの並び、書類の位置—
すべてが、昨日のまま。
「……いや、待て」
昨日、自分はこの書類を左側に寄せた。
それなのに、なぜ「元の場所に戻っている」?
カイトは、ゆっくりと背筋が寒くなるのを感じた。
「何かが、おかしい。」
カイトは無意識に、スマホのカレンダーを開いた。
画面に表示された日付は——
「2029年7月9日(月)」
心臓が、不快なリズムを刻み始める。
「……今日は、7月10日のはずだよな?」
カイトは深く息を吐き、ゆっくりと額を押さえた。
「これは……俺がおかしいのか?」
---
午後12:30 / 会社の屋上
カイトはビルの屋上にいた。
都会の喧騒が遠く、心地よい風が頬を撫でる。
昼休みだというのに、胃が重く、食欲は湧かなかった。
代わりに缶コーヒーを片手に、フェンスに寄りかかる。
「……おかしい」
カイトは小さく呟いた。
ここ数時間の出来事が、じわじわと脳裏にこびりついていた。
- 電子マネーの残高。
- 昨日と全く同じ会話をする同僚。
- 机の上の書類が昨日の状態と同じ。
どれも些細なことかもしれない。
だが、何かが引っかかる。
(俺は……昨日と同じ一日を過ごしているのか?)
考えすぎだろうか?
それとも、本当に何かがおかしいのか?
そう考えながら、彼は缶コーヒーを口に運んだ。
「気づいたの?」
突然、背後から声がした。
カイトは反射的に振り向く。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
黒いジャケットに、シンプルなパンツスタイル。
肩まで伸びた黒髪が、風に揺れている。
彼女は、ゆっくりとカイトを見つめていた。
「……どなた?」
「白崎ナオ」
カイトは眉をひそめた。
「どこかであったことが?」
ナオは微かに笑った。
「いいえ。でも、あなたは"私の探していた人"みたいね」
「……は?」
ナオは缶コーヒーを開け、一口飲むと、
視線を遠くのビル群へ向けた。
「あなた、今日が何日か分かる?」
カイトは戸惑いながら答える。
「……7月9日?だろ?」
ナオはゆっくりと頷いた。
「そう。"今日も"。」
カイトの全身に冷たいものが走る。
「……どういう意味だ?」
ナオはカイトの顔をじっと見つめる。
「あなた、もう気づいてるでしょう?」
「気づくって、何に?」
「"今日も同じ日"ってことに」
カイトは一瞬、息を飲んだ。
「……冗談だろ」
ナオは首を横に振る。
「信じられないなら、今日を覚えておいて。
明日の朝、あなたはまた7月9日を迎えるわ」
カイトは口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。
ナオは、静かに彼を見つめる。
「時間は、あなたを騙してるの」
そう言い残し、彼女は踵を返した。
「待て、どういうことだ?」
カイトは慌てて呼び止めようとしたが、
ナオは何も答えず、静かに屋上を後にした。
---
午後8:45 / 帰宅
カイトは、頭を抱えながらソファに倒れ込んでいた。
今日一日、ずっと考え続けていた。
俺は本当に同じ日を繰り返しているのか?
それとも、ただの思い込みか?
あの女は何者なのか? なぜ俺にそんなことを言った?
理屈では理解できない。
でも、胸の奥底で何かがざわついていた。
スマホを取り出し、カレンダーを開く。
「2029年7月9日(月)」
それを何度も眺める。
「明日になれば分かる」
カイトは、そう自分に言い聞かせた。
---
午前6:59
ピピピピ——
目覚ましのアラームが鳴る。
カイトはまぶたを開けた。
スマホを手に取り、ディスプレイを見る。
「2029年7月9日(月)」
「……冗談だろ」
時計が 「7:00」に切り替わった。
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