かつての輩

小桜千夜

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かつての輩

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 八月に入った昼間の喫茶店は、値段やコンセプトもあって静かなものだ。スーツ姿の営業マンが多いこの店内に一人、柄シャツにチノパンとスニーカーを履いた若い男がいた。
「よう、ミヤ」
 静かな店内に、荒い言葉を使う可愛らしい声がする。声の主は小学生ほどの少女だった。金色の星の模様が目をひく、薄紫のオフショルダーワンピースを着て、同系色のミニリュックを背負っている。手には脱いだ帽子を持っていた。
「久しぶりだね。タリア、でいいのかい」
「ややこしくなるからな。あたしもミヤって呼ぶ」
「分かった」
 返答を聞きながら少女は向かいの席に座った。体格は子どもだが、言葉遣いはおよそ子どものそれとは思えない。しかしそれを奇異とは全く思わなかった。
 少女は座りながら口を開く。
「お前、いくつで死んだ?」
「七十二歳。養子をとってね、その子の孫もいた」
「大往生じゃねぇか」
 頑張ったな、そういって少女は無作法にも机の上に乗り上げ、男の頭を撫でた。男はそれを咎めない。いや、咎められなかった。
「三十一年ぶりになるのか」
「三十一年と二十四年、だよ。もう僕は二十四歳になった」
「あたしは十歳。干支が一周以上しちまったな」
「僕は明日海優純あすみういと。きみは?」
和白那なごみしろな。あ、あたし、レモネードで」
 気を取り直そうとメニュー表を手に取ったミヤの言葉に答えながら、タリアはそう告げ、席に座り直した。二人が、出会うのはこれで二回目だ。いや、この言い方は正確ではない。明日海優純と和白那が会うのは一度目だが、ミヤとタリアが出会うのはこれで二回目というのが正しい。なぜなら、二人は別世界の記憶を共有している。
 俗に言う、前世の記憶だ。
 二人は前世で、戦争に身を投じていた。今生きているこの日本によく似た、しかしどこか違う世界である。パソコンを使えるほどには近代で、日本でいうところの昭和後期くらいを生きていた。それぞれ始まりと結末は違うが、どこか似たところのある、全く難儀な人生だった。
 和白那は陸軍に育てられた女性兵士、大空晴朝おおぞらはるとも。明日海優純は徴兵された青年兵士、叶雅成かのうまさなり。二人は同じ軍の同僚で、常にコードネームの『タリア』『ミヤ』と呼び合っていた。関係性はというと、タリアはミヤの教育係だった。一人前になった後も、集会で迷いもなく隣に座る程度の仲ではあった。そして、ミヤはタリアの最期の言葉を知っている。
「ずいぶんと、かわいい服だね」
 タリアの分のお冷を持ってきた店員にレモネードを注文したのち、出されたお冷を飲みながら、ミヤはタリアを見た。
「だろ?」
 タリアはふふん、と自信のある嬉しそうな顔をした。この顔は大空晴朝がついぞすることのなかった表情だ。
「お前は…………そのセンスはどうなんだ? アロハシャツみたいな柄モノって…………」
「そうかい? こういう派手なの着てると絡まれないから便利だよ」
「お前昔からそういうとこあるよな」
 ミヤの着ている柄シャツはアロハシャツをモノクロにしたような派手な模様のもので、それに黒のチノパンと紫のスニーカーを合わせている。ミヤの髪が黒髪に紫のメッシュが入っていることもあって、色味だけで言えばそれなりにまとまっていた。顔がやや外国的で顔立ちがはっきりしているのもあるのだろう。
 タリアはこの、甘やかで柔らかい顔に似合わず変なところで合理的な文系男が、前世も今世も変わらないことに安堵と呆れを同時に感じ、ため息で吐き出した。そして、話を変えようと口を開く。
「お前、ちゃんと先生になれたんだな」
「二重の意味でね」
 『叶雅成』は国語の教師を目指していた。古典作品にも親しみ、多くの言葉を知っていた。学校に行ったことのない『大空晴朝』に国語の授業をしたこともある。その甲斐あってか、大空晴朝は有名な文学作品の序章部分を暗唱できるようになった。それだけ教える力がありながら、なぜその才能を活かさず、軍人として生きたのか。
 答えは簡単。戦争である。『文学に生産性はない』という政府の意向により、叶雅成は十七歳で徴兵された。その後は人生の四半世紀、つまりは二十五年間を戦争で潰し、教育係であり同僚であり友人だった兵士、大空晴朝を弔った。
「なぁ、戦争はいつ終わったんだ?」
 タリアの質問に、息が止まるかと思った。答えるべきか、流すべきか。しかし嘘をつくこともない。ミヤは少し言葉に迷いながら口を開いた。
「――――きみが死んでから、一年後。他国を仲介した和平交渉が成立した。あまりに、呆気ない終わりだったよ」
 大空晴朝は戦死した。あれは、忘れもしない二月。真冬の、雪が降るような寒い日だった。戦場の最前線で、地雷を踏んでのことだった。叶雅成だけが、哀れにも左半身が吹っ飛びながら即死できなかった大空晴朝の近くにいたのである。
 遺言でも恨み言でもない。独り言のような彼女の最期の言葉を聞き、復讐心すら抱いていた。なのに、一年後の春、あっさりと戦争は終わりを告げた。あまりの唐突さに、復讐心を落っことすどころか呆然として、まるで浦島太郎にでもなったかのような気分になったのを、ミヤはよく覚えている。
「――――なんだ、案外すぐに終わったんだな。………………それで? そのあとはどう生きた? お前、そこから三十一年も生きたんだろ」
 タリアは目を閉じてミヤの言葉を噛みしめたあと、頬杖をついた。興味津々な少女の顔をしているタリアの目の奥には、僅かな失望と怒りがある。
「あぁ、裁判官になったよ。終戦後の動乱がひどくて、犯罪が横行したんだ。他の生き残った仲間は政界に入ったり、警察機構に入ったり。農業に目覚めたのもいた。とにかく、みんながみんな、生きようと必死になっていたよ。――――――なんだか、すまないね。きみは、きみの生命は、あそこで終わったのに」
 タリアの目の奥に宿るものに気付かないほど、平和ボケはしていない。気まずさからミヤは目をそらした。終戦から幾年かして、あの忌まわしい四十五年の地獄が『雪解けの戦』なんてずいぶんと風流でおきれいな名前で呼ばれるようになったことは、黙っておこう。
「別にお前に怒ってるわけじゃねぇさ。強いて言うなら、あたしを殺した政府連中。あとは、地雷ごときで死んだあたしの肉体」
 目をそらした理由を察し、タリアは席の背もたれに背を預けて目を閉じた。机に置いたお冷の氷がコロン、と動く。
「あたしさ、なんか安心したんだよ。四十五年の戦争をお前が生き伸びて、一度は死んだけど、今世でずっとやりたがってたことができてるって知れてさ」
 ミヤは今世で社会人向けの国語教師をしている。主に古典作品や文学作品の解説を行う、教養講座のようなものだ。そのため、しっかりとした授業をしているわけではない。その傍らで、『叶雅成』を使って小説を書いている。切ない恋心を描くラブストーリー、波乱万丈で平和な日々を描く日常系、命のあり方を豪快な描写で問う戦争もの。ゴーストライターを使っているのではと噂されるほど、ミヤの実力は高かった。
 幼くしてインターネットに通じていたタリアは手慰みにしていたネットサーフィンで叶雅成の名前を見つけ、著作を読んだ。不審に思われるのは癪で面倒のため、わざわざ隣町の図書館で叶雅成の作品をある程度読み漁り、自分の記憶と合致する部分を多く見つけ、疑問が確信へと変化した。そして、一か八かでコンタクトを取った。タリアの知る『叶雅成』であるなら確実に手に取るだろう『大空晴朝』を差出人にして、少々の、しかし叶雅成の記憶があるなら絶対に分かる暗号を使って、ファンレターもどきの手紙を書いた。
「元気そうで、安心した」
 およそ十歳の子どもとは思えない、かつての姿が重なってしまいそうな、あたたかな声がした。
「なかなかの賭けに出たよな。記憶があるやつなんて、自分以外にいないかもしれないのに」
「自己満足だよ。むしろ、きみが見つけてくれるなんて思わなかった。せめて、自分の記憶にあるものを、形のして、誰かに残したかったんだ。そしたらきみがいた」
「なんだあたしはオマケ扱いか」
「そんなことはないさ。………………きみは、かわいい服を着られる環境に生まれられたんだね」
 ミヤは泣きそうな声で、たまらないという表情をした。見たことのない表情を初めて見たタリアは目に見えて驚いた様子を見せたが、すぐに笑った。
「あぁ、和白那はパン屋の娘だよ。軍隊や戦争育ちの頃の記憶が出てきてもいい感じに誤解して愛してくれる」
 『大空晴朝』は一歳ほどの頃に、空襲の被災地で陸軍兵士に保護された。年齢はもちろん、名前も正確な出自も不明で、下の名前は拾われた土地に縁のある歴史上の人物、苗字は当時のよく晴れた空からつけられた。無骨な陸軍兵士に持ち回りで世話をされて育ち、幼女兵から女性兵士となり、四十二歳で戦死した。
 そんな彼女の、血生臭い戦場での趣味は絵画と音楽だった。どちらも、日頃から硬い鉄の塊を掴む傷だらけの手から生み出されるとは考えられない、柔らかく穏やかな、癒しとなるものばかりだ。
「絵と音楽は?」
 ミヤは、タリアがわずかばかりの休戦期間に上官から習ったのだという絵を描く様子をよく後ろで眺め、死んでいった仲間たちから教わったというギターや歌を、でたらめな楽譜に残して手慰めに興じる音をよく聞いていた。
「今も続けてる。両親が寛容でさ、こういうのもやってんだ」
 タリアはスマホを取り出した。ミヤが少し驚くとタリアは
「今は小学生でも持ってんよ」
 と言って動画投稿サイトのマイページを見せた。
「きみボカロPなんてやってるのかい。その歳で」
「年上のいとこがデジタルの使い方教えてくれてさ。自分でイラスト描いて、曲作って、ネットに上げて小遣い稼ぎ」
 画面に映っているのは投稿者としての一覧。投稿作品やフォロワー数を見る限り、まだはじめて少ししか経っていないようだが、それなりに注目されているようだ。
「両親は許したのかい?」
「まだこれと言って利益が出てねぇから分かんねぇな。でも、ネットに自作の曲を投稿することに関しては怒られてない。まぁ、どうせ入っても数百円から数千程度だろうし」
「いや、許可が下りてるなら僕は何も言わないけどさ。というかきみスマホ持ってるならline交換しようよ」
 ミヤはスマホを出してお互いの連絡先を交換した。本来なら真っ先にすることなのだろうが、戦場を生きた記憶のある二人はどうにも現代に染まりきれずにいる。
 二人がlineを交換していると、二人分のレモネードが届いた。
「今は小学生でも、いや、十歳でもスマホを持つのか」
 ミヤは時代の流れに圧倒された様子で、ようやく届いたレモネードを飲んだ。
「都内だと一年生でも持ってるだろ。ま、あたしの周りは主に習い事してるから持ってるってことが多いけどな。キッズケータイのやつもいるし」
「あぁ、キッズケータイなら僕も持ってたよ。じゃあ何か稽古事してるの?」
「殺陣」
「渋いな」
「なんか昔の動きができないのが落ち着かなくてさ。動画に撮って見返すことも多いからスマホになった。そしたら親戚のおじさんから誕生日に模造刀もらったんだよな」
「ガチ勢」
「あたしはいいんだよ。お前は? 何やってたんだ?」
「塾だよ。小学校から中学校まで通って高校生のときに事務方でバイトして、大学生で講師のバイトした」
「プロじゃん」
 人のこと言えないぞ、という顔をしながらタリアもレモネードを飲む。子どもならではの体温と外の熱が残って火照っていた幼い体が、ツーンと冷えていった。
「いいご両親に恵まれたね」
「本当にな。こういう服も、殺陣も、金かかるのにさ、いいよって言ってくれる。優しい両親だよ」
 心の底から安心した調子のミヤの言葉に、タリアは両親の優しさを静かにかみしめた。
 タリアは前世も今世も、かわいいものが大好きだ。フリルやレース、リボンやパステルカラー、俗に幼女趣味や少女趣味などと呼ばれるファンシーで甘さのあるものを好む。しかし、大空晴朝はそういうものには一切触れないまま生涯を終えた。状況がそれを許さなかったのだ。休戦期間中や他国へ渡ったときに、かわいらしい服を着て、着せ替え人形やぬいぐるみで遊ぶ幼女、少女たちをよく見ていた。羨ましくもどこか遠い世界のように眺める目の哀しさを、ミヤは知っている。
「きみは先輩だけど教え子のようなものだから、心配してたんだ」
「後輩のくせによく言うよ。機関銃が重くて持てないってぐずってたくせに」
「いつの話だい。だいたい大の男三人が協力しないと持てない武器を雑談交じりに一人で持っていくのがおかしいんだよ」
「使おうとした斧が折れたからって敵全員タコ殴りにして敵地から帰ってきたやつに言われたかねぇな」
 昔話に笑いが出た。ミヤが地雷の撤去作業中に古代の遺跡を発見したこと、2人して寝坊した翌日のモーニングコールは上官の怒号ではなく爆撃の音だったこと、タリアが描いた絵を同僚が酒の勢いで敵国のオークションに出したら高値で落札されたこと、夜の巡回中に警備隊(軍に代わって国内の取り締まりを行う機関)と遭遇し、鳴き声で軍からの無線が聞こえなくなる、と言って犬を殺そうとしていたのを「犬の鳴き声ごときで聞こえなくなるヤワな声と設備はしていない」と庇ったこと、ミヤが惚れていた人のこと。気づけば鮮明に思い出を語り合っていた。
 周囲の客がどのくらい他人の話に聞き耳を立てる趣味があるのかは知らないが、一見して他人の話を許可もなくSNSに上げるような非常識な人間はいなさそうだ。
「なぁ、今世はどうなんだよ。色恋沙汰」
「ちょ、なんてこと聞くんだい」
「いいじゃねぇか。こちとらガキのなかで生活してんだ。キッツいぜ」
 ミヤはタリアの年齢を思い出した。享年は四十二だが、そう言えばさらにそこから十年ほどの積み重ねがあるのだった。
「うん…………。ちょっとキツいね」
 ミヤはもし自分だったら、そして自分のときはどうだったかと思い出した。この二人、物心つく頃には記憶を取り戻していたため、乳児期による羞恥プレイは避けられたが、なんとなく居心地の悪さのようなものは感じていた。
「だろ。学校でも家でも子どもやってんだ。たまには大人の会話させろ」
「大人っていうか下世話だけどね」
 ほっとけ、とばかりに息をつく。子どもらしからぬ言葉遣いや思考回路など、要素だけ見ればミヤが子どもの頃からある某少年探偵のように見えた。
「で、どうなんだよ」
 話が一周して戻ってきた。
「そうだね…………いるよ」
「ほう」
 典型的な女の子のように、タリアは興味を示した。
「どんなやつだ? 男か? 女か? 前世の趣味があれだったし、まったく別のタイプかな」
「いいや。まったく一緒。それどころか、あの人の生まれ変わりだろうね」
 ミヤには前世、惚れた人がいた。気持ちを伝えることはなかったが、その人を一目見るだけで、幸せな気持ちになる。安上がりで結構なことだとタリアにはからかいのように言われたがそれでも満足だった。外国の情緒を感じる、オリエンタルなその人。レトロな息吹を感じるものが好きなミヤがよく行っていた、その人がいるからというのも含めて好んでいた雑貨屋。そこでその人は働いていた。最後には、市街地に向けられた大空襲で、亡くなってしまった、その人。
 ミヤは終戦後、その日はたまたま郊外の山奥に住む叔母を訪ねていたために難を逃れた店長から事の顛末を聞いた。

「ずいぶんと入れ込んでいたから」

 と、見透かされたように言われことよりも、徴兵ではあったが軍人でありながら、大切な人を守れなかった己の無力さに絶望した。友人、タリアの死から日が経っていなかったこともあり、この出来事はミヤの心に大きな傷を作った。そんな経験もあり、ミヤは生涯独身を貫いていた。無学ではあるが法に馴染みのあったタリアが終戦後に目指していた裁判官になり、店長からもらった、唯一残ったのだという歪んだ指輪にチェーンを通して、自らの経験と知識と教訓を後世に繋ぐために養子をとった。
「だろうってことは、似てるのか?」
 無邪気にタリアが聞いてくる。地雷で死んだタリアは知らないのだろう。残された自分が、どれだけ苦しい思いをしたのか。どれだけ生き残りであることを罵倒され、政府の犬だとなじられたのか。心の支えになるものが死者との思い出だけなのが辛いものであるかを。
 そうは思うものの、なぜだか人生が終わる頃には晴れやかな気持ちだった。それも覚えている。そのためか、不思議とタリアとはあの頃のまま、何もかも違うけれど不思議と気の合う、自然体な友人のままでいられた。
「多少姿が変わってはいるが、概ね同じだ。ただ、記憶はないから言っても無駄だろうね」
 タリアはあぁ~、と相槌のような落胆を顕にした。さすがにそう都合よくは行かないらしい。
「まぁ、そりゃそうだよな」
「当初は僕もへこんだけどね。まぁ、前世のあの人を好きになったから今世でもあの人を好きになるのかは、分からないし」
「複雑なこと言うな、お前」
「小説家だからね。前世も好きだったから今世も、とはいかないだろう。それに精神年齢的には僕のほうがそこらの人間よりうんと年上だ。こちらとしては、生きていてくれれば万々歳だね」
「七十二年と二十四年は勝てねぇな。足すと九十六か」
 そりゃそうだ、とタリアも笑う。ミヤの本心は、きっと伝わっていない。好きなものはあるが、好きな人がいる感覚は、タリアには分からないからだ。両親と祖父母と弟に囲まれていたミヤと違い、タリアは人の入れ替わりの激しい軍で生活していたからだ。
「今更だけど、小説家が読者と会って平気なのかよ。しかも小学生」
 タリアが思い出したとばかりにミヤに尋ねた。一か八かの賭けで手紙を送って互いに記憶があることに安堵し、その勢いで会う約束を取り付けたものの、冷静になって考えてみれば本来は好ましくないことだ。特にこの現代では事案に間違われかねない。
「顔出しなしで活動してるし、本業は講師だからなぁ。まぁ、聞かれたら親戚の子とでも言っておけばいいさ。あとは知り合いの子とか取材とか」
「口が回ることで」
「文系だからね。きみこそ、こんなところを学校の子やファンに見られたら、変な噂が立ったりしないのかい」
 小学生、まして女子の情報網は怖いものだ。自分も前世と今世、二つの学生時代でそれを色々な意味で理解しているために、やや鳥肌が立った。
「心配ご無用。学校ではミステリアスで度胸がある姉御キャラでやってるから。そもそもこの周辺に同級生いねぇし。ファン、というかネットでは小学生だってことすら言ってねぇよ」
「小学生詐欺だなぁ。あ、そうそう。『シロナ』ってどう書くの?」
「色の白に那覇市の那。由来は星からだって」
 タリアが空書きをしながら説明した。地球の外にある小惑星帯の中に小惑星の『シロナ』がある。天文学を専攻していた父親が、そこからつけたのだと言っていた。
「タリアといい、白那といい、皮肉なもんだよ」
 タリアは机の上に顔を伏せた。
 シロナ、とはケルト神話の女神の名前だ。泉と天文の女神であり、生命や医療を司ると言われることもある。
 また、タリアというコードネームは、白那と同じく小惑星帯にある小惑星にちなんでつけられたものだが、元はギリシャ神話の女神、タレイアだ。タレイアは豊かさと開花を司る女神でアフロディーテの侍女とされている。
「なんだ、きみ、タリアから逃げられてないんだね」
 からかい交じりの言葉に、タリアはムッと眉を寄せた。
「そういうミヤはどうなんだよ。『ウイト』ってどう書くんだ」
「優しいに純粋の純」
「お前もミヤから逃げられてねぇじゃん!」
 食って掛かるようにタリアが起き上がり若干の笑みを浮かべた。
 『優純』という名前は時に『まさずみ』と読むことがある。一方で、ミヤは『まさなり』の読みを変えたミヤがコードネームの由来である。
「僕たち案外、逃げられないもんだね。きみのアカウントだって『タレイア』だ」
 そこまで言われてようやくフォローされたことに気付いた。タリアは負けた気がして急に悔しくなり、レモネードのストローをガジガジと噛んだ。
「あ、こら。ストロー噛まない」
「別にいーだろ」
 口にしてようやくこのやり取りに覚えがあることを思い出した。ミヤとタリアは、二人揃って紅茶もコーヒーも飲めない。飲めるのは水とお茶とジュース類で、酒すら二人ともあまり飲めなかった。ミヤは下戸、タリアはアレルギー体質のためである。
 そんな二人はよくレモネードを飲んでいた。レモンサワーに似ているため酒の席で頼みやすく、あの世界にある喫茶店では定番メニューとしてよく置いてある飲み物だったからだ。
「――――よく、一緒に飲んだな」
 一緒に飲んではストローを噛み、ミヤに叱られた。何度も何度も、ほとんど癖になったストローを噛むという行為を、飽きもせずにミヤは注意した。
「そうだね。今世も、飲めるといいんだけど」
 お茶とジュースと水であれば飲めた。緑茶も麦茶も、レモネードもクリームソーダも、白湯も毒も。なんでも飲めた。しかし、紅茶、コーヒー、酒だけは二人とも克服することはなかった。大人の象徴のようなその印だけは、二人とも拒絶している。改めてそれと向き合ってみると、あんなに懸命に生きたのに、大人にはなれなかったのか。と言う虚無的な絶望に似た複雑な感情が顔を出した。
「何回でも飲めばいいじゃねぇの。少なくとも、戦争の魔の手は今のところあたしらには伸びてこないみたいだし」
 それをかき消すように、タリアが言った。
 世界平和を気取るこの世界でも、いまだに戦争は終わっていない。静かに、何処かで誰かが争っている。時には大々的にメディアが世間を沸き立たせるための道具てして、戦争を使う。
 そこに思うところがないわけではない。しかし、かつて二人が生きた世界とは違って、今のところ二人は一般人。徴兵の声がかかるまでは、大人しくかりそめの平和を享受したいところだ。
「そうだね。今のうちに、次を計画しようか」
 話が弾んだ。どこに行きたい、何を見たい、何をしたい。今までは願い的に口にすることもできなかったことばかりがあふれ出す。
 前世の記憶と、今世の思い出のどちらも内包した者同士の語り合い。気を遣うことのない気楽な再会は、無意識のうちに押し込めていた若干のいき苦しさから解放されるいい機会であった。今までどこをどれだけ探しても出会うことのできなかった相手にようやく出会えた安心感が確かにある。
「ねぇ、きみって昔は旅行好きだったよね?」
 互いに思い出話がひと段落すると、思い出したようにミヤが言った。
「あ? まぁ、遠出は嫌いじゃなかったぜ。今は学区外に一人じゃ出れねぇけど、散歩はするし」
 追加で注文したサンドイッチを頬張りながら、タリアが答えた。
「ならよかった。実は今日の朝、次回作の打ち合わせがあって、朝一番でやってきたんだけど」
 ミヤはカレーを食べながら、ふと思い出したように話題を切り出した。
「そうだったのか。仕事終わりに悪いな」
「いや、元々今日は休みにしてたんだ。だから急遽入ったやつ。先約があるからって手短に済ませたんだよ。それでね、こんなのをもらったんだ」
 ミヤはバッグの中からクリアファイルを取り出すと、チケットとチラシを机に置いてタリアに見せた。
「なんだこれ」
「新幹線の往復券と取材先のチラシ。ちょっとしたツテのやつで、同行者一人分は無料になるんだ。一人で行くのは寂しいから、ついてきてくれないかい?」
「別にいいけど、金と親の許可がなぁ」
「懸念事項がそれなら話は早い。説得に関しては、僕に任せて」
 自信満々のミヤの様子に首を傾げたタリアだが、すぐにミヤの異名を思い出した。
「『話術士』の異名も健在なのかよ」
「僕は国語教師で、小説家だからね」
 軍隊内での武力は平均、しかしミヤには話術があった。元から頭が回る方だというのもあってか、ミヤはリアルタイムで考えながらものを話すことができる。その能力のためか、ミヤは交渉の場に出ることも多かった。決定的な終戦の決定打にはならなかったが、一部の動乱と諍いの仲裁や和解はミヤの話術があって初めて成立したものだ。
「お前が敵じゃなくてよかったよ」
「きみが後ろにいてくれたことも大きいよ」
 タリアは滅多に交渉の場には出ない。タリアは最前線で戦ってこそ初めて真価を発揮できるからだ。しかしミヤの交渉の際、何度か護衛として後ろに立っていたことがある。
 何もせずにミヤの後ろで交渉の様子を眺めていただけだというのがタリアの主張。身綺麗な五体満足でありながら傷跡を数多抱える歴戦の女性兵士、その存在は少なからず貢献していた、というのがミヤの主張だ。
「コールセンターのバイトもしてたんだ、任せておくれよ」
「ブタ箱だけは勘弁してくれよ」
 かくして、ミヤとタリア、二十四歳成人男性と十歳の未成年女児の、一泊二日旅行が決定した。まったく、人生とは難儀で大層で結構なものである。
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