Moon Light Wolf

崎矢梨斗

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第2章 白き海賊船ルナティス

*17*

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 カシスは息を呑む。
 ブリッジは騒然として常にない慌ただしさに包み込まれていた。
「全員持ち場に戻れ」
「戦闘準備! 迎撃体勢をとり指示を待て」
 警報に負けじと、広いブリッジにがなり声が響く。
 ブリッジの四方の壁と天井は、今や巨大なスクリーンとなっている。そこに映し出されているのは数隻の艦船だ。
「帝国の船……」
 やはりと言うべきか。
 カシスの予想に違わず、帝国の船の姿がそこにある。どれも戦闘能力に秀でた大型の艦船だ。
 状況を判断すべくスクリーンをぐるりと見回したカシスは、とある一点で驚愕に眸を瞠った。
 ちりを含んだガスが円盤状に渦巻いている。互いに激しく衝突しあうガスは外側へ向け放出され、リングのように円を描き渦巻いていた。
 光輝く激流の中心には、黒々とした穴が口を開いている。
「ブラック……ホール」
 尾を引き渦を巻くガスが吸い込まれていく先は、間違いなくブラックホールだ。
 暗闇の宙空にあって、さらにどろりと闇を纏う暗がり。
 ひとたび入りこめば光すらも逃れることのできない地獄への扉。
 どんな物も引き寄せ飲み込み尽くす黒き穴が、海賊船の退路を阻むかのように不気味な姿を現している。
「こんな…………」
 いかな海賊船と言えども、この状況は絶望的だ。
 逃げ場はどこにもなく、帝国の艦船とまともにやりあえば致命的な損害をこうむることは眸に見えている。
「お出迎えにしちゃ物騒だな、王子さま」
 かけられた声にカシスは振り向く。
 ようやくブリッジに姿を見せたウルフが、悪戯な表情で笑っていた。
 強がるわざとらしさはどこにもない。軽口に彼の余裕が窺える。
「ルナ、警報を切れ。オーク、敵艦の数は?」
「巡視船1隻に大型艦船3隻、小型船が5隻。……今のところは」
 オークの返答に頷き、ウルフは声を張り上げた。
「ディック、レベル3で待機」
「アイアイサー。総員、レベル3で待機!」
 すぐさま副操縦席にいるディックの声が、スピーカーを通し船内に響き渡る。
 ウルフは軽く床を蹴り、他より数段高い位置にある操舵席へひらりと飛び移った。
 ウルフの余裕を反映してか、ブリッジには落ち着きが戻ってきている。
 正面のスクリーンに映る大型の艦船を眸にして、ウルフは不敵に唇の端を上げた。
「さて、尻尾を巻いて逃げ出すとしますか」
「え……?」
 思いも寄らない台詞にカシスは自分の耳を疑う。ウルフを凝視するが、彼は余裕の笑みを浮かべたままだ。
 下手をすれば先制攻撃を仕掛けるとでも言いかねないと思っていただけに、カシスにしてみればとんだ目論見外れとなる。
 しかし逃げるといっても簡単なことではない。
 見つめるカシスにウルフは意味深な眸を向けてくる。
「面白いものを見せてやるぜ、王子さま。滅多にない見世物だ。しっかりとその眸に焼付けな」
「…………」
 カシスがなにかを言う前に、ウルフはコンソール(制御盤)へと指を走らせキイ・ブレインの名を呼んだ。
「ルナ、ジャンプの用意」
『目標を捕捉。ジャンプまで残り1分。カウントダウンを開始します』
 船団の映るスクリーンの片隅にアラーム表示が浮かび上がる。
 奇妙な感覚にカシスはスクリーンを見つめ、すぐその理由に思い至った。
 海賊船がじりじりと後退しているのだ。
 後方にはブラックホールが、ぽっかりと口を開き待ち構えている。このまま後退していけば闇の中に引き込まれて2度と脱け出せない。
 帝国の艦船が攻撃を仕掛けてこないのも、それが理由だ。どこにも逃げ場はないとみて、海賊船の出方を窺っている。
 海賊船の後退を阻むものはなかった。
 だが、進む先にはブラックホールが口を開けている。
 カシスは緊張に、爪が食い込むほどきつく両の手を握り締めた。こめかみを冷たい汗が流れ落ちる。
 引き返すことのできるギリギリの位置まできても、船は後退をやめようとしない。
「ウルフ!?」
 彼はいったいなにを考えているのか。
 カシスが叫んだと同時にそれは起こった。
 ガスの流れとともに、海賊船は一気に加速を始める。逃げるのではない。流れに捕らわれてしまったせいだ。
 特異点と呼ばれるブラックホールの最下層へ、恐ろしい速さで引き込まれていく。
 光速を超える速さ。
 光すらも飲み込む闇の中へ落下していく。
 螺旋状に旋回しながら渦巻く激流に、最早成す術もなく引きずり込まれる。
『5、4、3、2、1、ジャンプ開始』
 ルナのカウントダウンを合図に、今までにない重圧がかかった。
「クッ……」
 立っていることができずに、カシスは膝を折る。
 懸命に顔を上げ見つめたスクリーンには、色とりどりの光が乱舞していた。
 次いで起こった白い閃光に、思わず手を翳し眸を庇う。
 唐突に光は消え去った。
 身体を床に叩きつけられるような重圧も、今はない。
 カシスが眸を向けたスクリーンには、見慣れた宇宙空間が拡がるばかりだ。帝国の艦隊の姿もブラックホールすらも、そこからは消え失せている。
「まさか……」
 カシスは震える声で呟いた。
「ワームホールを使った…………?」
 時空の虫食い穴。
 ブラックホールを別の空間へと繋ぐ、唯一の抜け道だ。
 しかしワームホールは存在がとても不安定で、潜り抜けることは不可能とされている。
 ブラックホールに引き込まれたが最後、通常であれば強い重力に耐え切れず砕け散るか、特異点に達したとしても素粒子レベルで粉々にされ消失してしまう。
 回転するブラックホールであれば特異点をすり抜けることは理論的に可能だが、安定したワームホールの存在が必要不可欠だ。そうでなければ特異点を越えた先に空間が存在しなくなってしまう。
 もしもこのワームホールを、意図的に造り出せるとしたら?
「さすがは帝国の王子だ。いい読みをしてるな」
 ウルフの言葉がカシスに確信をもたらす。
 この海賊船は―――ルナティスは、ワームホールを造り出すことすらできるというのだ。
「帝国では開発段階……いや、研究すらろくに進んじゃいないってトコだろう」
 床に跪いたまま呆気にとられ立つこともできないカシスへ、ウルフはからかうように言葉を続ける。
「王子を連れ去った海賊船がブラックホールに突っ込んだんだ。今頃帝国の連中は慌てふためいてるぜ」
「違いねーよ、キャプテン」
「そりゃあ、いい」
 ブリッジに豪快に響き渡った海賊たちの笑いに、カシスはただ呆然とスクリーンを見つめるしかできなかった。
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