雪降る夜はあなたに会いたい【本編・番外編完結】

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第一部

最悪の出会い 15

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 雑踏を逃げるように走っていた。

「――君、ちょっと、待って!」

誰かを呼び止める声がしたけれど、それが自分へのものだとは思わなかった。突然肩を掴まれて、その反動で身体が倒れそうになる。驚いて振り向いてみれば、どこかで見たことのある顔があった。

「戸川雪野、さん。でしょ?」
「あなたは――」

曖昧な記憶が形を成していく。あの人だ。初めて創介さんに会った日、あのパーティーで、創介さんの傍にいた男の人。一度しか会ったことはないけれど、その人に間違いない。

「木村と言います。創介のマンションで一度会ったよね。覚えてる?」

軽い口調に警戒しつつも、頷いた。

「――良かったよ。すれ違わなくて」
「え……?」

その言葉の意味が分からない。早く立ち去りたかったのに、思わず木村という人の顔を見上げてしまった。

「最近、バイトのシフト変わった? マンションに現れる時間が以前と違うんだもん」
「どうして、そんなこと……」

どうして、この人が私のアルバイトのシフトなんか気にするのだろうか。そもそも、この人は創介さんの知り合いだ。私とは何の関係もない。

「君と話をしようと思ってね。君と会うにはどうすればいいかなって考えてさ。創介に頼むわけにもいかないし? あいつのいないところで話したかったからさ」
「私には、創介さんのいないところで話すことなんてないので失礼します――」

これ以上、誰かから何かを聞かされる気力は残っていなかった。

「待てよ」

逃げたかったのに、さっきまでのへらへらとした口調ではない低い声と共にもう一度肩を強く掴まれる。

「君に会うのにどれだけ苦労したと思ってんの」
「それは、あなたが勝手に――」
「俺が話そうとしていること、君は聞くべきだ。そう思わない?」

口元は笑みを作っているのに、その目は全く笑っていなかった。

 半ば強引に、近くにあったカフェに連れて行かれた。都心のど真ん中、六本木なんて場所にあるカフェは、コーヒー一杯で千円近くしたりする。差し出されたメニューの中でさっと値段を見て、一番安いものを注文した。

 テーブルを挟んで向き合う。目の前にいる人も、きっと創介さんと同じ世界の人なのだろう。身に着けている物すべて、私ではどこで売っているのかさえも分からない。
 ほぼ初対面だと言っていい。それなのに、創介さんに強引にキスされたところを見られてもいる。こうして向き合っているのは気詰りだ。それに、私の心の中は、まだ動揺が消えたわけじゃない。

「そんなに緊張しなくてもいいよ。ああ、それとも、緊張したフリだったりする?」

その棘のある言い方に、目の前の人の顔を見る。

「控えめそうにして、本当はかなり貪欲なのかな。創介の前では”何も望んでません”みたいな顔して、実は虎視眈々とあいつの心の中に入り込もうとか?」

思わず言葉を返そうとして口を開きかけたけれどすぐに噤む。きっと、何を言っても意味なんてない。

「――ウソだよ」
「……え?」

ふっと笑って私を見る。

「俺ね、創介とはもう、ちっちゃいガキの頃からの付き合いなの。あいつの家族以外で、いや多分、家族以上に俺が一番創介という人間を知ってると思う。あいつが女の浅はかな演技に騙されるような男じゃないことは分かってるんだ」

一体、この人は何が言いたいのだろうか。意味深な目をして、私に顔を近付けて来る。

「創介は、誰のことも信じない」

そう言い終えると、木村さんは身体を椅子の背もたれに戻した。

「君がどこまで知っているのか分からないけど、創介のこと教えてあげるよ。ちゃんと聞いていて」

そして、木村さんは一方的に話し出した。

「あいつは、結婚相手を自分で選べるような家の生まれじゃない。物心ついた時からそう教えられているし、そんなもんだと思って生きてる。だから、女と本気で付き合ったりしない。全部、その場限りのこと。女に困ることもない。大抵の女はほいほいついて来るからね。金持ってるし、ステータスあるし。みんな、少しでもあいつに取り入りたいのよ」

咄嗟に耳を塞ぎたくなるけれど、そんなことをしてしまわないように膝の上できつく自分の手を握り合わせる。

「そりゃあ、そんな環境にあってもたった一人の女を見つけて大事にしたりする奴もいる。それは、ちゃんと心を持っている真っ当な男の場合だ。でも、あいつは違う。冷たいとか、そんなレベルじゃない。何も感じないんだ――」

木村さんは、私の心を射抜くかのように真っ直ぐに視線を向ける。

「創介は、小さい頃に母親が死んだ時、一緒に心もなくしたの。いろいろあの家は複雑だから。どんな酷いことも、顔色一つ変えずにできちゃう人間。ましてや、愛だの恋だのそんな感情持ち合わせてない。むしろ、女っていう存在自体を蔑んでいるかもしれない。女を見るあいつの目は、本当に冷たいから。男の俺でもゾッとすることがある」

初めて創介さんに会った日のことは鮮明に覚えている。

だから、ある程度は分かっているつもり――。

そう思いたいのに、創介さんが私を見つめてくれる目が蘇ってきて否定してしまいたくなる。

「あいつにとって女は、一度寝たらもうどうでもいいもの。飽きたらそれまで。分かった?  君のような子が関わる男じゃない――」
「……私は、最初から、分かってますから」

絞り出すようになんとかそう言う。これ以上、そんな話聞くたくない。でも、木村さんはやめてくれなかった。

「本当に分かってる? 今、俺の話を聞いて、思ったんじゃない? 私にはそんなことない。すごく優しくしてくれるって」

私を責めるように捲し立てる。

「どうして俺が、わざわざこんなことを君に言いに来たと思う?」

そんなこと、分かるはずがない。

「これまであいつが関わって来たのは、裕福な家の女だ。創介のことを心から好きというより『あわよくば』を狙っているような打算的な女たち。でも、君は違うでしょ? こう言っちゃなんだけど、ほんとに何も分かってない普通の子だよね?」

軽い口調とは裏腹に、木村さんの目は真剣で。

「君みたいな子があんな男にいいように遊ばれて捨てられたら、火傷どころじゃすまないよ? ボロボロになっちゃう。俺としては、真面目に生きて来た子が傷付くのをみすみす黙って見ていられないわけ。分かるでしょ?」

その言葉全てが私を貶めるものではないと分かるから、余計に胸が激しく痛む。

「――多分、君には創介も優しくしているんだろう。でもね、それは君がこれまで相手にしてきた女とは全然違うからだ。君と接することで、久しぶりに”心”なんてものを取り戻して、いい気分にでもなっているのかもしれない。だけど、それだけだ。あいつに『付き合おう』とか『好きだ』と言われたか?」

突きつけられる言葉が、私に逃げ道すら与えない。

「絶対に、言われていないはずだ。この先だって言われることはないだろう。いつか必ず、あっという間に簡単に捨てられる。どう天地がひっくり返っても君と創介とではどうにもならない。そういう世界をあいつは生きてる」

いつのまにか、冗談混じりの口調も消えていた。

「何も知らない君は、あいつに強引に迫られて創介の放つオーラみたいなものに圧倒されて、今は夢の中にいるのかもしれない。でも、傷付くのは君だ。君だけだ。あいつに絆されて流されても、行きつく結末は一つだ」

私は硬く目を閉じる。そうすると、余計な情報や感情がすっと消えて行く。結局、分かっていることは一つしかないのだ。何を聞いても、何を迷っても、何を躊躇っても、これしか、私に分かることはない。ゆっくりと顔を上げ、木村さんを真っ直ぐに見つめた。

「私は、あの人に絆されているわけでも流されているわけでもない。自分の意思であの人の傍にいるんです」
「……え?」

木村さんの目の色が変わる。

「あの人がどんな立場であろうと、どんな人間であろうと関係ない。私の気持ちは私だけのものです。誰に否定されるものでもない」

結局、私なんかに分かることは自分の気持ちしかない。あの人を好きだと思う気持ち。それだけだ。

「だから、ご心配いただく必要はないです。どんな結末でも、それは自分が選んだことの結果ですから後悔したりしません。全部、分かっています」
「へぇ……。見かけによらず、強いんだね」

それを強いと言うのか分からない。現に、ついさっきまでは逃げ出しそうになっていたのだから。
 ユリさんに会って、そして、木村さんに会って。耳を塞ぎたくなるようなことを聞かされて。動揺して傷付いて。それでも結局、私の気持ちは変わってくれないのだ。たった一つの想いにたどり着いただけ。

「木村さんはきっと、創介さんのことを心配して、こうして私に会いに来られたんですよね」

それ以外にこの人が私にわざわざ会いに来る理由なんてないだろう。小さい頃からの付き合いだと言っていた。二人には二人の繋がりがあってのこと。

「でも、安心してください。その時が来たら――。自分の立場も引き際もわきまえているつもりです。創介さんを困らせたりしません」

それは、私のちっぽけなプライドだろうか。

「……つまり、黙って見てろってことね」
「すみません」

私は頭を下げた。

あの人が私に会いたいと思ってくれる間は、傍にいさせてほしい。

「……分かったよ」

木村さんが呆れたように私を見た。

「もしかして、君って結構、気が強い?」

いつの間にか届いていたコーヒーカップを手にして、木村さんが笑う。

「……そう、かもしれません」

自分のことを特別そう意識したことはない。でも、こうして、ほとんど面識のない人を前にして自分の言いたいことを言ったり、雲の上のような人だと分かっても傍にいると決めたり。知らなかっただけで、私は結構頑固なのかもしれない。
 創介さんと出会って、知らなかった自分を知るようだ。

「それで、こんなことお願いできる立場にはないのかもしれませんが――」

一口お水を飲んで、もう一度木村さんに向き合った。

「今日、こうして木村さんとお話したこと、創介さんには黙っていてもらえませんか?」
「……え? むしろ、それは俺にとっては願ったりかなったりだけど。でも、どうして?」

コーヒーカップを手にしていた木村さんが、驚いたように私を見ている。

「創介さんは、自分がどういう家の人間か、私は知らないと思っているんです。ですから、これまで通り創介さんには知らないでいてほしいんです」

――俺のことを知らないのか。それならそれでいい。

出会って間もない頃、驚いたように、そしてどことなく嬉しそうにそう言っていた創介さんを思い出す。上流階級の世界のことはよく分からないけれど、家とか生まれとか、そういうしがらみを忘れられる瞬間がほしいのかもしれない。

「……なるほどね。まあいいよ。俺も、その方が都合がいいし」

何かを考えるような顔を見せた後、木村さんはにっこりと笑った。

「あいつに隠れて君に会ったと知ったら創介に殺されるだろうなって、それなりの覚悟をして来たつもりではあるんだけど。やっぱりまだ死にたくない。俺も創介には黙っているから、君も黙ってて」

その言い方に、私は思わず笑ってしまった。
 いつか、創介さんの口から聞くまで、私は知らないことにしておきたい。

「……まあ、創介も、俺たち仲間うちには君のことを隠しておきたいみたいだしね」

――隠しておきたい。

その言葉が、少し胸に刺さる。そして胸に刺さった自分の図々しさに自己嫌悪する。

 木村さんが、別れ際に、どこか遠くを見つめながら言った。

『俺さ、ずっと前に、普通の子を凄く傷つけてしまったことがあって。あの時の痛みは今でも思い出す。まあ、まだ子供で青かっただけなんだけどね。だからかな。なんとなく、思い出しちゃってね。余計なお節介、悪かったね』

――君の覚悟の健闘を祈るよ。

そう言って、木村さんは手を振った。

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