その傘をはずして

みたらし

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第一章

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 病室に入ると、片山さんのベッドにカタクリコが腰掛けていた。彼女は珍しくゲームをしておらず、下を向いて待っていた。

「大丈夫だった?」

 彼女が心配そうに尋ねてきたので僕は、大丈夫、と言った。片山さんはついさっき僕らが買ってきた炭酸飲料とつまみを持って、別の病室の患者と談話しにいったらしい。もう今日退院すればいいのにと、僕は個人的に思った。

「月島くん」

 いつにない真剣なまなざしと声色で、カタクリコが僕を呼んだ。

 急に彼女のことを女性として意識してしまい、微かな背徳感が生まれた。開け放たれた窓から一陣の風が吹き、ベージュ色のカーテンを膨らませた。風に髪を掻き回されながら、彼女はまばたきをせずに僕をまっすぐに見ていた。

「座って」

「うん」

 僕らは並んでベッドに腰掛けた。そしてカタクリコは、おもむろに眼鏡をはずした。

「月島くんは、私のことどう思う?」

「どうって……」

 眼鏡をはずした彼女は、いつものゆるい愛嬌のある表情が払拭され、どこか理知的な雰囲気を醸し出していた。よく見ると、ゲームばかりしていたせいか日に焼けておらず、肌も女性らしい健康的な白さで、思春期に悩むような吹き出物なども一切ない。十分に魅力的な女性だ。

 当然そんなこと恥ずかしくて言えないので、少し考えて、「遊び人のような印象」だと言った。それは彼女に対する紛うことなきイメージだった。その僕の回答に、彼女は何故か嬉しそうだった。

「私さ、ずっと友達がいなかったんだ」

 毛づくろいをする猫のように前髪をつまみながら、カタクリコが言った。彼女は昔から人見知りが激しく、何度も学校もずる休みをしていたらしい。

「この髪も地毛なんだけど。中一の時、そんな髪の色なのに何でびくびくしてんだよって男子に言われたの。それがすごくショックで……」

 髪が明るかったせいか、快活なイメージに見えたのだろう。クラスメイトが気さくに話しかけてきてもうまく接することができず、その恐ろしいまでの温度差に友達ができなかったらしい。

「でも、そうは見えないけど」

「いおちゃんが助けてくれたからね」

 そう言ってカタクリコは、伊織のとの思い出を話し始めた。

 中学二年生の春、伊織とカタクリコは初めて同じクラスになった。しかしその当時からカタクリコはクラスに顔を出すことはなく、学校に来ても相談室のような別室で勉強していた。

 そのクラスに過去に自分のことを揶揄した男子生徒がいたので、なおさら教室には行くことができなかったのだ。それが先ほどの、井坂と重なったのだそうだ。

 クラスが編成されてから一週間後、学級委員をしていた伊織が特別教室へ顔を出すようになった。中学当時から、伊織はすでに完成された美しさを備えており、二、三会話をしただけで、落胆したのだそうだ。

「こんな美人な子と、私なんかが釣り合うはずないって思ったの」

 そんな感情があったせいか、彼女は同性の伊織の前でも満足に話すことができず、歯がゆい思いをしたらしい。でも、伊織は見捨てなかった。

「ある日ね、いおちゃんが授業中に抜け出して遊びに来たの。大事そうにビニール袋を持ってね」

 ビニール袋には銀紙に包まれたゆで卵が入っていた。伊織はそれを半分にしてカタクリコに渡した。

「自習だから大丈夫だって、二人で食べながら話していたの。まあ、いおちゃんが一方的に話していたのを私が聞いていただけなんだけど」

 その後先生が見回りに来て、教室に伊織がいないことが発覚し、別室に探しに来た先生に見つかって大目玉を食らったそうだ。ゆで卵も伊織が半分に割った時に黄身をぼろぼろこぼしたのでそのことでも怒られ、二人して反省文を書かされたらしい。

 そのことがきっかけで二人はすこしずつ親密になり、昼休みや放課後に一緒に勉強をするようになった。

「初めは私がいおちゃんに教えてもらってばっかりだったけど、申し訳なくて私も毎日勉強したの。ゲームの時間を割いてまでね」

 結果その一途な思いが伊織の学力を上回り、いつしかカタクリコが伊織に勉強を教える立場になったのだ。伊織と過ごす中でカタクリコは徐々に前向きになり、期末テスト前に教室に復帰したのだという。

「ずっと思ってたんだ。全部リセットして最初からやり直したいって。そしたら自分の世界に閉じこもることもなくて、違う私になれたんじゃないかって」

 そう言ってカタクリコはこぶしを握り、シュ、シュと言いながらパンチを繰り出した。人生をやり直せたとして、彼女は一体何になるつもりだろう。

「でも例えやり直せたとしても、私は同じことを繰り返していたと思う。だって、いおちゃんがいなかったら私、こうやって君と話すこともできなかっただろうし」

 そう言ってカタクリコは、僕の方に向き直った。こんなに至近距離で彼女の顔を見るのは初めてだった。

「君がさっき釣り合いの話をした時、昔の自分を見ているようだった。私にも、自分は誰とも釣り合わないって思っていた時期があったから……」

 その言葉を聞いて、カタクリコのことを遊び人のイメージだと言ったことに対して、彼女が嬉しそうにしていた理由が分かった気がした。 

「無理に属性を変えるんじゃなくて、その属性でどう生きるかを考えなくちゃ」

「ゲームみたいだね」

「教えてくれたのは、君だよ」

 そして、カタクリコは再び眼鏡をはめようとした。しかし、寸前のところで手を止めて膝の上に置いた。

「君は、自分で思っているほど弱くないよ」

 カタクリコが緩やかに口角を上げながら言った。

「私といて楽しいって言ってくれた時、すごく嬉しかった。私もあんな台詞が言えたら、もっと早く変わることができたのかなって思ったんだよ」

 そして、彼女は僕の手を握った。

「ありがとう。君は私の大切な友達だよ」

 柔らかい風になびく彼女の髪とその隙間から見える笑みを見て、やはりこの人はすごく魅力のある女性だと思った。
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