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5章 脱走兵

第5話 ヤ・シェーネ説得

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 三咲に怒られて気まずいまま都庁を出たカオルは車の中でスミレにも呆れられつつ神卸市に帰った。

「それは皆が正しいですね。カオルさんが自分を大切にしている姿、私も見た事が無いですし」

 事情を根掘り葉掘り聞いたスミレがカオルに返した言葉がこれだ。
 無理矢理聞き出されたのにこの仕打ちとカオルが小さく溜息を吐くが返す言葉も無い。
 カオルも自分が自分を大切にするような言動をしていない事は自覚が有る。

「今回の脱走兵、もし相手が望むなら神卸市に受け入れられないか、とか考えてるんですか?」
「……はい」
「馬鹿ですか」
「……はい」
「自覚が有るなら構いません。ただ、それで無理をして身近な人に心配を掛けるなら、その分だけ怒られるのは覚悟してください」
「分かりました」
「ちなみに、私は滅茶苦茶に怒るので今の内に覚悟しておいてください」
「……スミレさん、怖いんですが」
「既に怒っていますので。あ、謝罪は受け付けませんよ」

 笑顔が怖いという経験は久しぶりだと思いながらカオルは先に謝罪を封じられて困った。
 そんな状態で雑談など出来るはずも無く、カオルは胃を痛めながら神卸市に到着した。

 『また学園で』と言って去って行くスミレを見送ってカオルは家に帰る。
 ヤ・シェーネにどんな風に話せば良いのかと悩みつつ自室に荷物を置いてリビングに行けば8時でもヤ・シェーネが起きていた。

「ただいま。今日は起きてるんだ?」
「お帰りなさい。課題提出が近いからね~」

 そう言ってヤ・シェーネは机に置いたタブレットを指差してみせる。
 通信制高校の課題の事だと理解してカオルはヤ・シェーネの前に座った。

「どうしたの?」
「その、新しい仕事を依頼されまして」
「また無茶するんだ」
「断言された」
「今までの事を考えればね」

 呆れたように溜息を吐くヤ・シェーネを見て怒られてばかりだとカオルも肩を落とす。

「で、何をするの?」
「米軍脱走兵の未帰還者を探してきます」
「馬鹿なの!?」

 間髪入れずに言い返されてカオルも気まずそうに顔を逸らす。
 流石に三咲とスミレに怒られればヤ・シェーネの反応も予想通りだ。ヒルトの一件で心配を掛けたのに1ヶ月も経たずにこの有様と考えれば妥当な反応と言える。

「もう良いけどさ、今度は殺し合いなんてしないよね?」
「はい、しません」
「カオルさんがしないつもりでも向こうは?」
「……」
「分かってて行くんだ?」

 段々とヤ・シェーネの視線が冷たくなるのを感じてカオルも気まずさに眉が垂れていく。

「迷惑掛けてる私が言うの嫌だけどさ、カオルさんて自分の事、大切にしないよね」
「すいません」
「謝って欲しくない」
「はい」
「カオルさんじゃないと駄目なの? そもそも、断れなかったの?」
「三咲には断ってくれって言われた」
「なのに受けたんだ?」
「うん」
「……ちゃんと帰って来て」
「ああ。それは約束する」
「男らしい事言ってる」
「男だって」

 盛大に溜息を吐いてヤ・シェーネは自分の頬を叩いた。
 驚いたカオルを正面から見て、一息吐いてから机に手を着いて立ち上がる。

「コーヒー淹れる。愚痴に付き合って」
「分かった」
「あ、晩御飯は?」
「まだ食べてない」
「じゃ適当にホットサンドでも作るわ」
「えっと、ありがと」
「部屋着に着替えちゃったら?」
「そうする。しかし、ヤ・シェーネは大人になってくね」
「子供だもん、成長は早いよ」
「それがもう大人の発言だよ」

 全部を納得しているとは言えないが話はできた。
 多少、強引だったのはカオルも認めるが三咲との約束も果たせたのでこれで脱走兵の調査ができる。

 着替えてリビングに戻りスマートフォンでアメリカから提供された写真と文字情報を見てみる。
 プレイヤーネーム:ユキムラ。ジョブ:侍、レベル64。
 レベルはカオルよりも低いが相手はアタッカーだ。もし戦闘に入れば防御を万全にする必要が有るし脱走兵という事は戦闘訓練も積んでいるだろう。ヒルトのような戦闘慣れしていない相手とは根本的に前提が違う。

 小さく溜息を吐いてユキムラの情報を閉じて天井を見上げた。
 悲しいがカオルは今回も戦闘に成ると思っている。相手は逃げ出した軍人、自分の力で悪い状況をどうにかしようと考えても可笑しくない相手だ。
 それに在日米軍がリヴァイアサンの危険性も考えずに戦闘ヘリを使用した事で相当に警戒しているだろう。カオルが敵ではないと言っても聞く耳を持たない可能性は高い。

……というか、自分が同じ立場だったら信用できない。

 そんな考えが表情に出ていたのだろう。
 カオルの前に皿を置いたヤ・シェーネが呆れた顔で見下ろしている。

「また戦う事考えてたんだ」
「いやぁ、戦いに成らない為にどう頑張ろうかなって」
「そんな顔してなかった」

 言い切られてしまえばカオルは何も言い返せない。
 席に着いたヤ・シェーネに合わせて頂きますと呟きホットサンドとコーヒーに手を伸ばす。

「相手は脱走兵なんでしょ。ジョブもレベルも知らないけどさ、精神的に追い詰められてて話も聞かずに戦闘、なんて普通に予想できない?」
「そうなんだよね。幸いレベルは少し低いけど侍らしい」
「うっわ、攻撃パターン多過ぎて余程のレベル差が無いと押し切られるよ」
「ね。よりによって戦闘訓練を積んだ軍人が選ばないで欲しい」

 侍は『構え』によって同じ攻撃スキルでも性質が変化するアタッカーだ。中段、上段、下段によってカウンター、一撃必殺、連撃と得意分野が切り替わる。
 物理崩壊によって物理攻撃系スキルの多くが使用不可に成ったが、構え変更スキルを使用せずに自分で構えを変える事で自由度が上ったジョブの1つだ。戦い慣れた者なら臨機応変に構えを切り替えて密度の高い攻撃を維持できるので防御する側には高い力量が求められる。

「相手が引き篭もりのゲーマーなら全然問題無かったろうけど訓練積んだ軍人でしょ。ディフェンダーとの相性は最悪って言って良いと思うけど?」

 ヤ・シェーネの指摘は全てカオルも理解している事なので視線を逸らしてしまう。
 何も言い返せないのは分かっていたのでヤ・シェーネも追撃はしない。肩を竦めて自分もホットサンドとコーヒーに手を伸ばす。

「約束、守ってよね」
「……ふふっ、そうだね」

 驚いてからつい笑ってしまう。
 約束を守ると決意しながらカオルはホットサンドに噛り付いた。
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