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7章 物理崩壊研究会

第5話 発見

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 三咲と笹貫が上林に指定されたポイントは7つ。
 移動と調査時間を考えれば2日は掛かる。

 3つのポイントを調査した1日目は空振り。
 行方不明者は居ないんじゃないかと思い始めた2日目の3ポイント目、閉鎖された薬品向上の調査中に三咲が足を止めた。

「先輩?」
「未帰還者かは分かんないけど、人は居るかも」

 三咲が目を細めて見ているのは救護室だ。
 笹貫も覗き込めば3つ設置されたベッドの内、1つだけがシーツが掛けられており掛布団も残っている。他2つのベッドには虫食いされた痕の有るマットだけが置かれている。
 慎重に室内へ先行した笹貫がベッドの下や棚の影へ細かく視線を向けながら三咲を手招きした。

「誰も居ませんね」
「未帰還者は、事前の準備次第だけど食器や食材みたいな生活の痕跡は出さない事も出来るわ。まあ、寝床は普通に必要だけどね」

 そう言って三咲が掛布団を軽く捲ってみれば真新しい皺と振るい皺が重なったシーツが見えた。

「……そうか、料理アイテムは食べれば食器が消滅する。ストレージで保存すれば劣化しないから冷凍庫以上に完璧」
「そうそう。もし、ここに居るのが未帰還者なら、食器を処分した痕は無いかもね。でも、アイテムストレージは限られてるし、どこかに料理用の食材を確保する為の簡単な畑とかが有るかも」
「……屋上とかどうでしょう?」
「廃工場の屋上なら、畑作業してても目立たない、か。うん、行ってみよう」

 笹貫の提案は未帰還者の特性を考慮すれば理に適っていると思った。
 人探しや現場に慣れていると感心しながら先導する笹貫に三咲が続く。
 3階建ての建物は電気が止まって業務用のエレベータは動かない。

 窓から離れて光が入らず足元が見辛い階段を登り、保有者から預かったマスターキーで屋上の扉を開く。
 周囲の木々に遮られずに太陽光が屋上を照らしている。
 白い柵に囲われ喫煙者用の灰皿が端に複数設置されている。
 そんな屋上に、複数のプランターが設置されておりトマトや茄子が栽培されていた。

「笹っちゃん流石」

 プランターにジョウロで水をやりながら、目を見開いて屋上の入口へ振り返る男が居た。
 人間ではない。
 身長は2メートル程で、ジークと同様に龍鱗族らしく額から後頭部に流れる2本の角が生えている。頬や捲られたシャツから見える腕に人外の鱗が有り、肌は青黒く筋肉質でスマートだ。

 笹貫、三咲を既に視認しており後腰にベルトで固定された2本のナイフのうち、片方を左手で掴んでいる。
 ジョウロの中の水が零れるのも構わず手放し、大きく跳び退いて左のナイフを抜いた。

「俺を捕まえに来たのか!?」

 直ぐに笹貫が両手を挙げて戦意が無い事を示す。

「勝手に入ってすみません。貴方を捕まえる意図は有りません」
「じゃあ、何でこんな所に来た!?」
「隔離都市に移住しなかった未帰還者が居ると聞いて、噂が本当か確認に来ました。見つかるとは思わなかったので、私たちはここまま帰ろうと思います」

 事前に話していた通りの内容を伝える笹貫の背後で三咲も同様に両手を挙げる。
 笹貫の身体で未帰還者からは見えないのを利用して手を挙げる時に胸ポケットのボールペンを押し、上林に緊急事態の信号は出した。

「お前たちが帰った後で、誰かが俺を捕まえに来るかもしれないよな?」
「はい。繰り返しになりますが、本当に居るとは思っていなかったので私も今後の展開は予想できません」
「俺が見つからなかったと言えば良いだろ」
「その通りですが、私たちを信じられるんですか?」
「……何だと?」
「私はダンジョンに入る為に何回も他の未帰還者の方々と話してきました。差別を受けている未帰還者が、私たち人類を信用する筈が無いと思っています」
「……ダンジョン? どういう事だ、物理崩壊で出現するように成ったのはモンスターだけじゃないのか?」
「少し前から世界中でダンジョンが出現するように成ったんです。調べたいならスマートフォンを貸しますが、どうしますか?」
「……要らない。どうせ、何か仕込みが有ったり嘘かもって思うだけだ」
「分かりました。私たちはこのまま帰りたいのですが、良いでしょうか?」

 笹貫の言葉に龍鱗族の男は視線を迷わせている。
 このまま帰せば追手が派遣されるかもしれない。
 帰さなければ異常を感じてより大人数が派遣されるだろう。
 帰す帰さないに関係無く、見つかった時点でリスクが発生したと分かっているようだ。

「貴方に本気で攻撃されれば、私たちに抵抗する術は有りません。死にたくないので、できれば穏便に済ませたいのです」
「お前たちは、いつまで調査の予定だったんだ?」
「今日までです。夜に上司に連絡しなければ怪しまれます」
「ちっ」

 もし調査が数日なら考える時間も有っただろうが今日の夜と言われれば焦りもする。

「お前たちの身分は?」
「私は自衛隊の隊員で、笹貫といいます」
「都庁職員の三咲よ」
「自衛隊と、都庁?」
「最寄りの隔離都市が神卸市だから、管轄の東京都から職員が選ばれたのよ」
「都庁の職員だけではホームレスや野生動物に襲われた時に対応できないですから、私が派遣されました」
「……」
「そういう貴方は、何て呼べば良いのかしら?」
「……ジンバ・ニーだ」

 戦闘態勢は無意味だと悟ったのかジンバ・ニーはナイフを納め、ジョウロを拾った。中を見て水がまだ少し残っている事を確認し、プランターに残った水を撒く。

「アンタたちは、隔離都市の未帰還者と話してるんだったか?」
「はい。私はダンジョンやモンスター討伐の時だけですが」
「私は神卸市でよく話すわ」
「なら、未帰還者がどんな扱いを受けているかも知ってるんだよな」
「……その言い方だと、私たちの認識と違いが有りそうね」
「はぁっ!? 何だよ、言い訳する気か!?」
「話が噛み合ってないわ。一応、神卸市の未帰還者は普通に生活しているわ。モンスター討伐の仕事で一部の人が実戦に出ているけど、他は大体普通の生活って言えるわよ」
「嘘言うな! 俺は見たんだ! 未帰還者やモンスターを切り刻むイカレたマッド野郎を!」
「……それ、場所は?」
「言うか馬鹿! 本当の事を言って、合ってればお前らに何されるか分からねえだろ!」

 ジンバ・ニーの言っている事は三咲にも笹貫にも分からない。
 そもそも彼女たちの知っている未帰還者で人間が拘束しておける者は居ない。知らない未帰還者でレベル1の者なら有り得るのかもしれないが、心当たりは無い。
 だがジンバ・ニーがそんな言葉を信じるとも思えない。

 どうしたものかと笹貫が振り返って三咲と目を合わせると、三咲も同様の事を考えているらしく笹貫を追い越して屋上に踏み出した。
 いきなり戦闘力の無さそうな都庁の職員が出て来て面食らったジンバ・ニーを相手に三咲は手を下げて普通に話し始めた。

「信用できないのは別に良いわ。とりあえず、帰るわ。貴方の事は、まあ見つけましたって報告しておくわ」
「なっ!」
「貴方も分かってるんでしょ。私たちみたいな若造は決定権を持ってない。私たちがここに残っても帰っても、結果は変わらないのよ」
「何なんだよ、お前は」
「神卸市には私の昔の同級生も居てね。アイツは未帰還者だけど、友達だし普通に生きてて欲しいのよ。信じられないのは別に良いわ。ただ、私たちの間では今後も関わらないって事にできない?」
「……人間が未帰還者を友達ってか。はっ、気持ち悪」
「貴方の気持ちは関係無い。これは、私とアイツの関係だから」
「誰だよ、その物好き」
「カオル」
「……はっ。英雄様かよ。下手糞な嘘吐きやがって」
「スマホに飲み会の写真が有るわ。信じろなんて言う気も無い。聞かれたから応えただけよ」

 冷たく突き放した三咲に何も言い返せないジンバ・ニーだったが、溜息を吐いて三咲と視線を合わせた。

「俺が見た研究所、何となくしか覚えてないけど地図で場所教えてやる。お前らが知らない未帰還者の扱い、見て来いよ」

 既にジンバ・ニーは戦闘態勢を解いている。
 三咲は信じてないのはお互い様と肩を竦めてジンバ・ニーに歩み寄ってスマートフォンを操作し地図を表示した。
 言っていた通りジンバ・ニーも細かい場所は覚えていないらしく茨木県の山間部を指差した。

「写真、見せてみろ」
「ん? はいはい」

 そもそもジンバ・ニーがカオルの顔を知らなければ見ても意味が無いと思った三咲だが別に隠す物では無い。
 言われるままに先日の飲み会の写真を表示して見せるとジンバ・ニーが舌打ちした。

「コイツが居なきゃ、未帰還者が隔離される事も無かったんだ」

 隔離都市が無ければ日本はより大きな混乱に見舞われ、未帰還者と人類で内戦に陥っていた可能性が有る。
 だがそんな事を言ってもジンバ・ニーには関係無いし、三咲もジンバ・ニーの納得など求めていない。
 ジンバ・ニーの事は頭から排除して三咲は笹貫を伴って薬品工場を後にした。
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