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「伝えたいこと」と「読まれること」 本気で小説を書いている人へ

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アルファポリスを始めたばかりのわたしは、ここ数年ずっと公募の文学賞に応募してきた。
そんな私がアルファポリスに投稿しはじめて気づいたことについて書いていきたい。

気づいた中で一番重要だと思えたことは「読まれる作品」と「書きたい内容」を別にするということ。

 書き手は常に自分のなかに書きたいものがあって、投稿していると思う。でなければ小説を書く意味はない。
 お金が目的ならこれほど効率の悪い仕事もそうそうないからだ。
 しかし、結果が目に見えるということは長く書いていく上で欠かせないことであることも事実。
 そこで作家は矛盾に板挟みにされる。
 自分はなんのために書いているのか? お金のため? 書きたいから? と。
 しかし、実際はそんなことで迷う必要はない。
 どちらか一方ではないということだ。
 
 作家が書きたい内容というのは、必須である。
 「読まれない」のは、「技術」が足りていないということ。
 私ははじめ、「重要な内容は評価される」と考えていた。しかしそれは単なる甘えでしかないことに気づいた。
 書籍化されている作家の小説は「おもしろい+内容がある」。
 そう考えると、面白さ=「読まれる作品」とはなにかを考えることは重要なことなのだ。

 本気で小説書いている人ほど勘違いしがちなのではないか?
 内容をおもしろく伝える技術を鍛えることも必要であるということを、特にこのネット投稿を通じて学んだ。
 そして、結果は自分の技量と内容のバランスを評価してくれる良い練習場を与えてくれている。
 読まれるには技術の鍛錬をするのみ。そう伝えておきたい。
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