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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱
01 フリーマーケット
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「おっ、やってるやってるー」
「わあ、人がいっぱいだね!」
王鉄線青木駅から徒歩約二〇分、春田交通公園。敷地内には市街地と同じように道路、信号、交通標識などがあり、未就学児から小学生までの子供が、自転車や三輪車に乗って交通ルールを身に付ける事が出来る。
一〇月最初の土曜日、理世は母親とこの場所にやって来た。毎年同じくらいの時季にフリーマーケットが開催されており、久し振りに見に行きたいが一人じゃつまらない、もし暇なら一緒に行かないかと誘われたのだ。
「何年振りに来たかしら……」
「確かわたしが小学校二、三年生くらいの時に一緒に来たよね」
「そうそう! それじゃあもう一〇年くらい経ってる? そんな前だったかー……」
出店は正面出入口付近から公園の中心付近まで続いており、老若男女様々な客で賑わっている。
「あら、あの店の服、ちょっと見たいわ」
「何処?」
「向こうの角の。ああ、理世も他を見たかったら、そっち行ってていいわよ」
「じゃあわたし、こっちの方から見て回るから後でね」
母親と別れた理世は、出入口付近から一店ずつ目を通していった。特に何かを探しているわけではなかったが、思いがけない出逢いを期待してもいた。
──昔のゲームソフトとか、ゲームやアニメ系のサントラとか……。
結局、最後まで理想とする出逢いはないまま、出店のない所まで来てしまった。何か催し物があるのか、前方に仮説ステージがあり、並んだパイプ椅子のほとんどが客で埋まっている。
──あれ、そういえばお母さんに会わなかったな。
もう一度出店コーナーの方へ戻って探そうと身を翻しかけた理世だったが、視界の端にあるものを捕えて足を止めた。
──あんな所にも……?
公園奥、フェンス沿いの桜の木々の間に敷かれたブルーシートの上に商品が数点。恐らくめぼしいものは売っていないだろう。しかし理世は、何故か興味を惹かれた。
──ちょっと見たら、すぐ戻ろう。
出店者は高齢男性だった。痩せた色黒の顔は皺だらけで、少ない髪と口髭はほとんど白くなっている。身なりにはあまり気を遣っていないのか、日焼けした黒色のシャツとスラックス、指先に穴の開いたグレーの靴下という姿だ。ブルーシートの上で胡座を掻いてうとうとしていたが、理世に気付くと目を開けた。
「……いらっしゃい」
理世は小さく頭を下げると、数少ない商品を左から順番に目を通した。ボディが七色の万年筆、歯を剥き出しにした小さな猿の置物、白地に紅色で複雑な幾何学模様が描かれた皿、妙に艶々としている般若のお面……。
理世の目に留まったのは、一番右端に置かれている、青色の単行本だった。見たところ本体の状態は特別悪くなさそうだが、表紙にタイトルがないので、ソフトカバーは欠品しているのだろう。
──何の本かわからないけど……中身が凄く気になる……!
「手に取って見てごらん」
理世が顔を上げると、出品者はうっすら笑みを浮かべた。
「そうすりゃ、あんたを必要としている物かどうかわかる」
理世は再び小さく頭を下げると、しゃがんで両手で本を取り、表紙をめくった。若干黄色いシミが目立つ本扉に記載されたタイトルは『生者の苦痛、死者の憂鬱』。
──小説かな。
続けて本扉をめくった。
深町亜矢音にとっては、生者も死者も大差ない。どちらも自分勝手な奴が多いし、すぐ調子に乗る。要するに──……
──あれ、いきなり本編から始まってる?
「なるほどな」
理世は再び顔を上げた。
「その本はあんたを必要としている。あんただって、物語の続きが気になるんじゃないか?」
「あー……えっと……」
全く気にならないと言えば嘘になるが、購入してまで読みたいかと問われれば、答えはノーだった。
「気になるのなら読むべきだ。手元に置いておくべきだ」
出店者の口調には、有無を言わせない威圧感があった。
理世は強烈な違和感を覚えた。この老人はこんなに目付きが鋭く、歯並びが悪かっただろうか。髪が逆立っているのは静電気のせいだろうか。
「それに先程言っただろう、その本はあんたを必要としている、とな」
「えと……おいくらですか」理世はすっかり気圧されて尋ねた。
「無料でいい」
「え、それは流石に」
「通常価格は五〇万。現金のみ対応」
「そ、それも流石に!」
「じゃ、決まりだな」出店者は歯を見せてニヤリと笑った。「本も喜んでるよ」
「あ、理世いた!」
出入口の方へと戻る途中、理世は母親と再会した。
「お母さん。何処ら辺にいたの?」
「途中でトイレ行きたくなっちゃって。結構並んでたのよ。あら、その本は?」
「貰った」
「貰った?」
「うん……そろそろ撤収するから、残ってる物はタダでいいって」
理世は少々罪悪感を覚えながらも、半分嘘を吐いた。
「へえ、ラッキーだったじゃない。バッグに入らないの? 袋何か貸そうか」
「うん」
「お母さんは結局何も買わなかったわ。皆、古着なのに高過ぎなのよ。まだ見たいとこある?」
「ううん、もう平気」
「じゃ、そろそろ行こうか。この近くにファミレスあるから、そこでお昼にしない?」
「ごちそうさま!」
「出世払いでいいわよ」
公園を出る前に一度、理世は桜の木々の方へと振り返ってみたが、人混みに遮られ、奇妙な老人もブルーシートも見えなかった。
「わあ、人がいっぱいだね!」
王鉄線青木駅から徒歩約二〇分、春田交通公園。敷地内には市街地と同じように道路、信号、交通標識などがあり、未就学児から小学生までの子供が、自転車や三輪車に乗って交通ルールを身に付ける事が出来る。
一〇月最初の土曜日、理世は母親とこの場所にやって来た。毎年同じくらいの時季にフリーマーケットが開催されており、久し振りに見に行きたいが一人じゃつまらない、もし暇なら一緒に行かないかと誘われたのだ。
「何年振りに来たかしら……」
「確かわたしが小学校二、三年生くらいの時に一緒に来たよね」
「そうそう! それじゃあもう一〇年くらい経ってる? そんな前だったかー……」
出店は正面出入口付近から公園の中心付近まで続いており、老若男女様々な客で賑わっている。
「あら、あの店の服、ちょっと見たいわ」
「何処?」
「向こうの角の。ああ、理世も他を見たかったら、そっち行ってていいわよ」
「じゃあわたし、こっちの方から見て回るから後でね」
母親と別れた理世は、出入口付近から一店ずつ目を通していった。特に何かを探しているわけではなかったが、思いがけない出逢いを期待してもいた。
──昔のゲームソフトとか、ゲームやアニメ系のサントラとか……。
結局、最後まで理想とする出逢いはないまま、出店のない所まで来てしまった。何か催し物があるのか、前方に仮説ステージがあり、並んだパイプ椅子のほとんどが客で埋まっている。
──あれ、そういえばお母さんに会わなかったな。
もう一度出店コーナーの方へ戻って探そうと身を翻しかけた理世だったが、視界の端にあるものを捕えて足を止めた。
──あんな所にも……?
公園奥、フェンス沿いの桜の木々の間に敷かれたブルーシートの上に商品が数点。恐らくめぼしいものは売っていないだろう。しかし理世は、何故か興味を惹かれた。
──ちょっと見たら、すぐ戻ろう。
出店者は高齢男性だった。痩せた色黒の顔は皺だらけで、少ない髪と口髭はほとんど白くなっている。身なりにはあまり気を遣っていないのか、日焼けした黒色のシャツとスラックス、指先に穴の開いたグレーの靴下という姿だ。ブルーシートの上で胡座を掻いてうとうとしていたが、理世に気付くと目を開けた。
「……いらっしゃい」
理世は小さく頭を下げると、数少ない商品を左から順番に目を通した。ボディが七色の万年筆、歯を剥き出しにした小さな猿の置物、白地に紅色で複雑な幾何学模様が描かれた皿、妙に艶々としている般若のお面……。
理世の目に留まったのは、一番右端に置かれている、青色の単行本だった。見たところ本体の状態は特別悪くなさそうだが、表紙にタイトルがないので、ソフトカバーは欠品しているのだろう。
──何の本かわからないけど……中身が凄く気になる……!
「手に取って見てごらん」
理世が顔を上げると、出品者はうっすら笑みを浮かべた。
「そうすりゃ、あんたを必要としている物かどうかわかる」
理世は再び小さく頭を下げると、しゃがんで両手で本を取り、表紙をめくった。若干黄色いシミが目立つ本扉に記載されたタイトルは『生者の苦痛、死者の憂鬱』。
──小説かな。
続けて本扉をめくった。
深町亜矢音にとっては、生者も死者も大差ない。どちらも自分勝手な奴が多いし、すぐ調子に乗る。要するに──……
──あれ、いきなり本編から始まってる?
「なるほどな」
理世は再び顔を上げた。
「その本はあんたを必要としている。あんただって、物語の続きが気になるんじゃないか?」
「あー……えっと……」
全く気にならないと言えば嘘になるが、購入してまで読みたいかと問われれば、答えはノーだった。
「気になるのなら読むべきだ。手元に置いておくべきだ」
出店者の口調には、有無を言わせない威圧感があった。
理世は強烈な違和感を覚えた。この老人はこんなに目付きが鋭く、歯並びが悪かっただろうか。髪が逆立っているのは静電気のせいだろうか。
「それに先程言っただろう、その本はあんたを必要としている、とな」
「えと……おいくらですか」理世はすっかり気圧されて尋ねた。
「無料でいい」
「え、それは流石に」
「通常価格は五〇万。現金のみ対応」
「そ、それも流石に!」
「じゃ、決まりだな」出店者は歯を見せてニヤリと笑った。「本も喜んでるよ」
「あ、理世いた!」
出入口の方へと戻る途中、理世は母親と再会した。
「お母さん。何処ら辺にいたの?」
「途中でトイレ行きたくなっちゃって。結構並んでたのよ。あら、その本は?」
「貰った」
「貰った?」
「うん……そろそろ撤収するから、残ってる物はタダでいいって」
理世は少々罪悪感を覚えながらも、半分嘘を吐いた。
「へえ、ラッキーだったじゃない。バッグに入らないの? 袋何か貸そうか」
「うん」
「お母さんは結局何も買わなかったわ。皆、古着なのに高過ぎなのよ。まだ見たいとこある?」
「ううん、もう平気」
「じゃ、そろそろ行こうか。この近くにファミレスあるから、そこでお昼にしない?」
「ごちそうさま!」
「出世払いでいいわよ」
公園を出る前に一度、理世は桜の木々の方へと振り返ってみたが、人混みに遮られ、奇妙な老人もブルーシートも見えなかった。
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