放っておけない 〜とあるお人好しの恐怖体験〜

園村マリノ

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エピローグ

放っておけない

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 ある所に、それなりに不幸な少年がいた。

「アンタ、元夫アイツそっくりの顔しててムカつくんだよね。全然可愛くないし」

 父親が家にいた時は優しかった母親には、いつの間にか嫌われていた。

「何だぁその目は……生意気なんだよ!!」

 母親が連れ込んでいた男にはもっと嫌われていた。灰皿で殴られた額の傷痕は、時が経っても完全には消えなかった。

「おにいちゃん、だいじょうぶ? リオ、おにいちゃんだいすきだよ!」

 母親似の顔立ちをした妹のリオだけは、唯一の味方だった。

 年齢が二桁になる頃、少年は妹と共に児童養護施設に入れられた。男と別れ、自暴自棄からアルコール中毒になった母親に、子供二人を育てるのは不可能だったからだ。
 少年はどうにも施設に馴染めず、他の子供たちや職員との間に隔てられた壁が崩れる事はなかったが、妹さえいればそれで良かった。

「お兄ちゃんには、リオがついてるからね!」

 半年後、母親が交通事故で死んだ。酔ったまま、新しく出来た男の車を勝手に乗り回したらしい。
 その次の年、妹が施設からやや遠方で暮らす夫婦に引き取られていった。夫婦は、最初のうちこそ定期的に面会をして妹と会わせてくれていたが、徐々に疎かになっていった。

「今度仕事の都合でアメリカへ引っ越さなくっちゃならないんだ。君には悪いけど、あの子と会えるのは最後だと覚悟してもらいたい」

 最後に面会をした時、妹のいない場で、妹の養父が沈痛な面持ちでそう言った。養母の方は、時折ハンカチで涙を拭いながら相槌を打ち、二言三言少年を気遣うような言葉を掛けてきた──後から思えばどちらもわざとらしかったのだが、当時の少年にはショックが大き過ぎて、二人の真意を読み取る余裕などなかった。

 中学生になった少年は、すぐに不登校となった。徐々に荒れてゆき、脱走を繰り返すようになり、施設内外で問題を起こした。子供たちからは怖がって避けられ、職員たちからは毎日のように陰口を叩かれた。馴染めないままだった周囲から更に孤立していった。

 そんな少年に転機が訪れたのは、一六歳になったばかりの頃だった。母方の遠縁の親戚だという四〇代の男が名乗り出て、少年を引き取ったのだ。

「いい歳したオッサンと二人暮らしで悪いけど、まあ、よろしくな。お父さんと呼ぶのは嫌だろうから、おじさんとでも呼んでくれ」

 当初は反発していた少年だったが、ちょっとやそっとでは動じず、能天気とも言える程大らかなおじに、次第に心を開いていった。
 おじは様々な事を教えてくれた。中学校から高校までの勉強全般、ちょっした護身術、世の中の常識、料理などの家事、コーヒーの美味しさ、そして他者への無償の思いやりと愛情。小さなアパート暮らしの、決して裕福な生活ではなかったが、少年は幸せだった。

「いつか、お前の妹も探し出してやるからな。約束する」

 とっくに諦めた事だったが、おじならきっと叶えてくれるだろうという気がした。

 一八歳の誕生日を迎えてしばらくが経過した頃、少年の体に異変が生じ始めた。頭痛、動悸、眩暈、倦怠感などといった症状が、最初は数日に一回、時が経つにつれてほぼ毎日現れるようになった。風邪を引いてもいないのに微熱が出る時もあった。
 おじには一切を黙っていた。自分を養うために夜遅くまで働いて疲れているだろうに、余計な心配と迷惑を掛けたくなかったのだ。
 しかしある日、とうとうおじの目の前で倒れ、病院に運ばれた。検査の結果判明したのは、世界でも極稀な難病だった。

「バ~カ、そんな心配なんてしてんじゃねえよ。お前は一日も早く治す事に専念しな!」

 費用が掛かる事を謝罪すると、おじは笑い飛ばすように言い切った。
 少年も笑って応えたが、本能は察していた──自分の命が長くはない事を。

 入院生活が三箇月目に突入したある日の夕方、少年は病室から脱走した。治療は辛く、見ず知らずの人間と同じ部屋で過ごすのは施設時代と同じくらい苦痛だった。何よりも、ここのところ更に体調が悪化しているので、せめて死ぬ前に一度は自宅に戻りたかったのだ。
 おじのお下がりである、背中に蜘蛛の巣と骸骨が刺繍されている黒色のジャンパーとネイビーのダメージジーンズを纏い、履き潰したスニーカーで帰路を駆けた。途中で疲れると早歩きに変えたが、珍しく調子は良かった。このまま無事に帰宅してもおじは怒るだろうし、結局また病院に連れ戻されてしまうのはわかっていても、心は晴れ晴れとしていた。

 運命の女神は、不幸な星を持って生まれた少年にはとことん冷酷だった。
 交通量と人通りの多い大通りを過ぎた辺りで、少年は激しい眩暈と動悸に見舞われた。咄嗟に関係のない脇道に入り、小さな駐車場の前に力なく座り込む。
 どれくらいそうしていただろうか。ようやく動悸が治まり、眩暈も落ち着いた頃、足音が近付いてきた。

「あの、大丈夫ですか?」

 ゆっくり顔を上げると、髪の短い若い女が小首を傾げて自分を見下ろしていた。

「具合が悪そうです……何だか顔色も良くないですし」

「……うるせえ」

 少年の口をついて出たのは、荒れていたあの頃のような乱暴な言葉だった。本当は縋りたいくらいだったのに、恥ずかしさとプライドが邪魔をした。

「見てんじゃねえ……失せろ」

 髪を派手に染めた若い女が慌てたように走って来て、声を掛けてきた女の腕を引っ張った。

理世りよ、行こう」

「でもモカ、この人──」

「いいってば。早く行こ!」

「あの……お大事に」

 リヨ──生き別れた妹と似た名前の女は、途中で一度、心底心配そうに振り返りながらも、連れと去っていった。
 ややあってから、少年は再び歩き出した。頭の中では、おじと今後の入院生活と、先程のお節介な女がぐるぐると回り続けていた。
 約一時間後、少年は帰宅した。これ以上ない程驚いた様子を見せるおじの顔が、何だか滑稽で愛しくて、思わず笑いながらその腕の中に倒れ込んだ──……。
 
 次に気付いた時、少年は散らかった居間の隅にいた。壁際には今までなかったはずの仏壇が設置されており、そこに飾られているのは、枯れた花がそのままの花瓶と、少年の肖像画だった。
 とうとう自分は死んだのかと冷静に納得している少年の後ろで、襖が開いた。姿を現したのは、別人のようにやつれたおじだった。
 少年はおじに何度も呼び掛けたが、声は届かず、姿も見えていなかった。改めて自分の死を自覚させられていると、おじが正座して仏壇に手を合わせた。

「しばらく実家で親と暮らす事にするよ。ここにいると、お前との生活を思い出して辛くなっちまうんだ」

 おじは枯れた花を片付けると、簡単に身支度を済ませて家を出て行った。少年は後を追い掛けたが、アパートを出てすぐの所で、見えない壁のようなものに阻まれ、前へ進めなくなってしまった。回り込もうとしても、壊そうとしても変化はなく、どんどん遠ざかってゆくおじを何度も呼び続ける事しか出来ない。

「あんた、死んで間もないのか?」

 声がした方に振り向くと、アパートの壁に寄り掛かるようにして立つ、妙に顔色の悪い中年の男が一人。少年は一目で男がだと理解した。

「あんたに教えてやるよ。幽霊ってのは基本、自力での長距離移動は出来ないもんなんだよ」

 じゃあどうすればいいのかと問うと、男は続けた。

「どうしてもあちこち動き回りたいんなら、人間でも物でも、何かしらに取り憑くんだな。ただ、相性というか波長の合う合わないもあるし、かなりチカラを消耗するから、やり過ぎは気を付けな」

 話が終わる頃には、おじの姿は見えなくなっていた。

 様々な人間、時には野良猫や野鳥などにも憑依しながら磨陣市内をあてどなく彷徨いつつ、おじの帰りを待ち続けていた少年は、夏のある日、日張ひばり駅の改札から出て来る集団の中に、見覚えのある若い女の姿を捉えた。
 
〝あの……お大事に〟

 自分が死ぬ少し前、心配して声を掛けてきた女──理世だと気付くと、少年は自然と後を追っていた。大して進まないうちに、前方からスマホに夢中で前を見ていない、学ラン姿の若い男が現れた。

「わ、わっ──」

 避け切れず、理世は学ランとぶつかった。

 ──グズ女。

 少年は僅かに苛立ちを覚えた。

「ごめんなさい!」

 自分は悪くないのに謝罪の言葉を口にする理世に、少年はもっとはっきりとした苛立ちを覚えた。学ランの方はというと、理世をチラリと見やっただけで何も言わずに去っていった。少年は久し振りの殺意を覚えた。
 その後はカラスに憑依して興味本位で理世を追った。観察しているうちに、この自分と年頃が変わらないであろう女が、いかにグズで無駄にお人好しなのかがわかり、少年の苛立ちは募る一方だった。
 しかし、嫌いにはなれなかった。この女からは、リオやおじと同じ〝温かいもの〟が感じられた。何となく、放っておけなかった。
 少年はカラスを解放すると、理世との接触を試みた。今までのどんな人間や生き物よりも波長が合っていた。



「ねえ! ところであなたの名前もまだ聞いてなかったよね。いつまでも〝憑依霊さん〟呼びって何か……。下の名前だけでいいから教えて!」

「嫌なこった」

「え~、意地悪!」




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