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第21話〜

第26話 定番のアレ

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 今日も今日とて〈シルフィーネ〉は暇過ぎるので、咲良とセルミアは、レジ奥の小部屋に引っ込んで、それぞれ異なる漫画に集中していた。
 咲良が読んでいるのは、今魔界で人気沸騰中のアクション&コメディ作品『ドン引きの子』最新刊だ。

 ──へえ~なるほど、そう来たか!

 人間界のとある王国の第七王女、レーナことツンデレーナ・ツンケンスキーが、マクスター・シルバーという偽名でアイドルグループ[B小ビーコマッチョ]に加入して華々しいデビューを飾り、一躍大スターとなるものの、謎の組織に命を狙われるようになる。
 無駄に早口言葉が得意な老人の暗殺者に追い詰められ絶体絶命のレーナを助けたのは、未来からやって来たレーナの子孫を自称する、謎の双子の兄妹だった。
 つい先日発売された最新刊では、双子がレーナの元にやって来た本当の理由が明かされたが、ファンの間では賛否両論で、魔界のSNSで毎日のように議論が交わされている。

「そういえば店長、結局新しいバイトは雇わないんですか?」

 キリのいいところまで読み終えた咲良が顔を上げて尋ねると、セルミアもホラー&グルメ漫画『蠱毒のグルメ』から顔を上げた。

「うーん、もう何人も面接してるんだけどね、何かいまいち……ね」

「この間来たダークエルフのイケメン、感じ良さそうだったのに。筋肉は少なそうだったけど」

「ああ、あの子は普段全然本を読まなくて、バイト出来れば何でもいいって感じだったの。まあ別に、ちゃんと仕事やってくれればいいのかもしれないけど、何か引っ掛かって」

「ほえ~なるへそ」

 ──そういうところは、ちゃんとこだわるんだ。

「ところで話変わるけど、この近くでまた出たらしいわよ、あの入れ替わらせ魔が。これで何件目かしら」

「入れ替わらせ魔? 何ですか、それ」

「あら、知らなかった? 今問題になっている傍迷惑なクソガキ。なかなか高等な魔術を使えるのは凄い事だけど、流石に度が過ぎてるわ」

「あー……もしかしてそれって、定番のアレですか!?」

 咲良は『ドン引きの子』を完全に閉じた。両目の奥で無数の星々がキラキラと輝いている。

「定番の……他人同士の中身が入れ替わっちゃうアレですかっっ!?」



 金色の月が昇り始めたものの、幾重もの雲に隠されてしまっている宵の口。
〈シルフィーネ〉からそう離れていない小さな街の路地裏の一角で、青いメッシュを入れた銀髪と赤紫色の目を持つ青年が、苛立ちを隠し切れない様子で舌打ちした。

 ──迂闊だった……。

 不発に終わった仕事の帰り道、青年は大学の友人たちと遊んだ帰りだという親友と、偶然出くわした。久し振りに二人で夕食を食べに行こうという話になり、繁華街に向かっていると、前方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

「あ~っそこのおにーちゃんたち! 助けて!」

 角を曲がって現れたのは、頭部のてっぺんに一本角を生やした、カラフルな全身タイツ姿の男児だった。

「助けて! 助けて!」

「ぼく、どうしたの!?」

 男児は飛び込むようにして青年の親友に抱き付くと、ゆっくり顔を上げた。

「暇過ぎて死にそうなんだ」

「え?」

「だからちょっと遊んでよ」

 嫌な予感に、青年は咄嗟に親友から男児を引き剥がしたが、僅かに遅かった。意識が遠のきかけ、何とか堪えたかと思えば、どういうわけか

「わひゃひゃ~い引っ掛かった引っ掛かったー!! あっかんべぇぇ~!」

 男児は指で下瞼を引き下げ舌を出す、いかにも子供らしい侮蔑の仕草をしてみせると、元来た道を一目散に逃走した。

「え、え、ボクが目の前に!? あれ、声が違うぞ!! ど、どうなってるの!?」
 
 自分がパニックを起こしている姿を客観的に見るのは何とも奇妙で、耐え難い羞恥を覚えずにはいられなかったが、とりあえず宥めると青年は冷静に語った──恐らくあの子供は、最近巷を悪い意味で騒がせている、他人同士の中身を入れ替えてしまう悪ガキだろう、と。

「あー、ボクもその話聞いた事がある! え~っ、どうしよう!?」

 二手に分かれて探す事を提案し、不安がりながらも了承した親友には繁華街を中心に探させ、青年はその周辺の街を当たる事にした。何度も聞き込みをしながらあちこちを探し回っているが、一向に見付かる気配がなく、親友からも連絡はない。長期戦を覚悟していたとはいえ、時間ばかりが過ぎてゆく現状に焦燥感と苛立ちが募る。
 
 ──何としてでも今日中には元に戻らねば……。

 親友のこの貧弱な体のまま、明日からまた仕事をこなしてゆくのは難しいだろう。それに、帰宅しなければ親友の家族を心配させる事になる。
 恥を忍んで他の友人や仕事仲間に助けを求めるべきだろうか、と考え始めたところで、青年の脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。最強の魔術師を自称する彼女なら、何とかしてくれるのではないかという気がしないでもない。
 親友のスマホを取り出し、連絡先リストから少女のフルネームを見付け出す。

 ──……。

 登録されている電話番号を押せばすぐに発信される。にも関わらず、自分のものとは似ても似つかない綺麗な親友の人差し指は動こうとしなかった。あの少女にだけは自分の弱みを見せたくないと、本能が訴えていた。その理由は、青年自身にもよくわからなかった。
 青年は少女のページを閉じると、もう一人の親友の名前が出て来るまでリストをスクロールした。最近新しい仕事に就いたばかりらしいので余裕はないかもしれないが、少女以外に最も頼れるのは彼だ。

「あー、ファヴィー君だ!」

 反射的に、青年のスマホを持つ手に力が入った。

「やっほー元気ぃ~?」

 顔を上げると、よりによって自称最強魔術師の少女が、大通りの方から駆け寄って来るところだった。少女はぶつかる手前で急停止したが反動でつんのめり、青年が咄嗟に腕を伸ばして受け止めた。

「……気を付けろ」

「わはは、ごめんごめーん!」

 全く悪びれる様子もなくそう答えた弓削ゆげ咲良は、ふと何かに気付いたように小首を傾げた。

「ファヴィー君、何かいつもと雰囲気が違うような気がするんだけど、何かあった?」

「いや……気のせいだ」

「本当? 喋り方もいつもと違う気が──」

「気のせい、だよ」

「何か棒読みじゃない?」

 青年は咲良に背を向けると、眉間に皺を寄せ、溜め息が漏れないよう何とか口の中で留めて飲み込み、己の運の悪さを呪った。

「ファヴィー君今学校の帰り?」

「ああ……うん」

「わたしも仕事帰りなんだー。お客さん全然来なくていつもより早く閉めちゃったから、ちょっと寄り道してたの。ねえ、夕飯食べた?」

「いや、まだ……だよ」

「じゃあ一緒に何処かで夕飯食べて帰らない? わたし腹ペコでさ~」

 言われてみれば腹が減ってきてはいるが、今の青年にそんな余裕はなかった。夕食よりも何よりも先に、あの厄介な全身タイツのクソガキを探し出し、元の姿に戻らねばならない。
 すまないが、用事があるので帰る──そう答えようと口を開きかけた青年よりも先に、咲良がいたずらっぽい笑顔で、

「あ、そういえばさっき〈くろがね〉ってレストランの前で、ティト君が順番待ちしてるのを見たんだ!」

 青年は目を閉じると眉間を押さえた。この脱力感は空腹と疲労だけが原因ではないはずだ。

 ──あの能天気が。

「ファヴィー君大丈夫?」

「……気にするな」

「そう言われても、ちょっと心配だなぁ、マブダチとして」

 青年はゆっくり目を開くと、咲良に向き直った。

「お──ボクは親友、なのか?」

「え? うん、そう思ってるよ! あはは、何か改めて言うとちょっと照れるな~」

「レイもか?」

「うん、レモン君もね!」

「じゃあ……ティトは」

「言わずもがなでしょ。まあ、ティト君はそう思ってないだろうけどさ~」

 大通りの方が騒がしくなってきた。仕事帰りの通行人が増えたのだろう。

「大丈夫だ」

 青年が穏やかに言うと、咲良は目をパチクリさせた。

「あいつもそう思っているよ」

「本当?」

「本当だ」

 咲良の反応は敢えて見ずに、ティト・グレイアは大通りの方へと目をやった。

「何処で食べたい?」

「うーん、今の気分は〈ハルピュイア亭〉のスープパスタかな。あ、でも〈くろがね〉に行けばティト君が──」

「いや〈ハルピュイア亭〉にしよう。俺もそっちの気分だ」

「よしきた!」

 二人は並んで繁華街の方へと歩き出した。

「今日のファヴィー君、いつもよりクールっていうか、渋くない?」

「……気のせい、だよ」
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