常闇紳士と月光夫人

園村マリノ

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第二章

02 〈花と樹の世界〉②

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 カ・ランは、舞織が何年も前にテレビで観たヨーロッパの小さな街── どの国だったかはすっかり忘れてしまった──を彷彿とさせた。二、三階建ての古い外観の民家が多く、個人商店もちらほらと見受けられる。
 常闇紳士に連れられ向かった街の南にあるメイン広場は、多くの人間で賑わい、飲食物の屋台に列を作っていた。街の外の広大な花畑だけでは飽き足らないのか花壇もあり、キチンと手入れがされている。舞織の目を引いたのは、広場のど真ん中にそびえ立つ、ブロッコリーを連想させる太くて大きな木だった。優に三〇メートルは超えており、生い茂る葉が日差し避けに充分な大きさの木陰を造り出している。

「もしかして、これが世界の名前の由来その2?」

「いいや、これじゃない。こんなものじゃない」

「そうなの?」

「ああ。後で街を出て見に行こう。ちなみに、大きな花畑だって、さっき通って来た所だけじゃない。この〈花と樹の世界〉は、君の世界や〈永遠の夜の世界〉に比べれば圧倒的に小さく、その約四分の一が自然の花畑で出来ている。逆に山や川は少なく海は狭い」

「本当に?」自分の世界との大きな違いに、舞織は驚いた。「食糧資源どうしてるのかしら……まあ、人口も少ないんだろうけど……」

「ところで舞織、暑くはないか?」

 常闇紳士に聞かれて初めて、背中にじんわりと汗を掻いている事に気付いた舞織だったが、あまり不快感はなかった。自分に好意を寄せてくれる異性──自分自身も満更ではない──と二人、手を繋いで花畑の小道を歩くという行為は、常にもやもやとしたものを抱え込んですっかり冷えていた舞織の心を、温かくしてくれた。

「特別暑くはないけど、そういえば喉が渇いたわ」

「せっかくだから、何か飲もう」

「そうね」舞織は頷いた。「こんな時にはよく冷えた酒を──」

「メイン広場の先にあるカフェで紅茶でもと思ったんだけれど……」常闇紳士は何とも言い難い表情を浮かべている。「ほら、この世界はまだ日中だから」

「だよねー!」

 二人が訪れたカフェは、レンガ造りの外壁に蔦の這う、周囲の建物より一際大きく古めかしい洋風建築だ。黒いドアを開くと吊るされたベルがカランカランと鳴り響き、近くにいた紫髪と褐色肌の若い女性店員が爽やかに挨拶した。広い店内は客でいっぱいだったが、幸いにも奥の方の窓際に、二人掛けのテーブル席が空いていた。
 常闇紳士はテーブルの端から焦茶色の表紙のメニューブックを取り出して開くと、舞織が見やすいように置いた。

「私はローズヒップティーにする。舞織はゆっくり選んで」

 舞織は記載されているメニューを順番に指差しながら、

「ダージリン、アッサム、アールグレイ……わたしの世界と同じね! ああほら、コーヒーだって」

「多分、君の世界とこの世界の距離が、そんなに離れていないからだと思う」

「距離?」

「ああ。様々な世界を渡り歩くうちに気付いたのだけれど、どうやら、異世界同士の距離が近ければ近い程、共通点や類似点が多いみたいなんだ」

「へえ! それじゃあ、人間が存在しないし名前そのままな〈永遠の夜の世界〉って、わたしの世界ともこの世界とも、結構離れてたりする?」

「その通り」

 舞織はアッサムのアイスティーを注文した。聞いた事のない花を使用した紅茶も気になったのだが、口に合わなかった事を考えるとためらわれた。シンプルなグラスに入って運ばれてきたアッサムは、色も味も香りも元の世界のものと何ら変わらず、それは常闇紳士が一口くれたローズヒップも同様だった。

「こうしていると、元の世界とあんま変わらない気がするー……」

 舞織は窓の外をぼんやり眺めた。金髪で雪のように白い肌の小さな男児二人が、じゃれ合いながら走り去ってゆく。

「まあ、日本っぽくはないけどね。ヨーロッパの何処か」

「かえって退屈だったかい?」

「ううん、全然」舞織は常闇紳士に視線を戻すと、慌ててかぶりを振った。「楽しいわ」

「そうかい? なら良かった」

 常闇紳士がホッとしたように笑みを零すと、舞織も微笑み返した。退屈しないのは、一人ではないからだ。


 ティータイムの後、舞織と常闇紳士は南側からカ・ランを出ると、観光用の二頭立て馬車に乗った。目的地は〈花と樹の世界〉の名前の元になっている巨大な精霊樹を肉眼で見る事の出来る市街地、カ・ティーだ。
 夜魔の常闇紳士には飛行能力があり、本来そちらの方が速いのだが、この世界の人間は舞織の世界の人間と同様に、生身での飛行が当たり前ではないため、大きな騒ぎになる恐れがあり断念せざるを得なかった。
 馬車は広い石畳を進んだ。石畳の両端には、最初に舞織と常闇紳士が歩いて来たような花畑が広がっており、所々に民家や店が点在している。
 禿頭で体格のいい男性の御者は、御者台から様々な質問や雑談を口にした。何処から来たの? 観光? 今日もいい天気で良かったよねえ!
 舞織と常闇紳士は、遠方からやって来てあちこちを見て回っている観光客、という設定で、無難に答えていた。

「お客さんたちは恋人同士? 夫婦?」

 いずれ聞かれるだろうと予想していた質問が実際に飛び出し、言葉を詰まらせかけた舞織だったが、常闇紳士はためらわずに、

「つい昨夜、私からプロポーズしたんだけれど、返事は保留中なんだ」

 ──そこは正直に言うのね……。

「へえ、そうなんだ! え、何、お嬢さんどうなのよ? 今のところその気は?」

「え……えーと……あー……」

 舞織は更に返答に困った。全くその気がないわけではないし、むしろ常闇紳士に対し、少しずつ好意を抱き始めている事には自分でも気付いている。しかし、すぐさま伴侶に──〝月光夫人げっこうふじん〟になれるかどうかは、また別問題だ。

 ──そんなデリケートな事まで聞かないでよね……。

「承諾してもらうためには、今回の観光でいいところを見せなくてはと思っているよ」

 常闇紳士は気分を害した様子もなく、舞織の代わりに陽気に答えた。

「そうか、そうか! 頑張ってな! 応援しているよ!」

「有難う」

 舞織は常闇紳士を見る事が出来ず、色とりどりの花畑に助けを求めた。
 舞織にとって気まずい会話の後は、御者自身のプライベートを中心とした雑談──主に愛妻と、自分の命よりも大事で目に入れても痛くない孫娘の自慢話──が続いた。

「いやあ、やっぱり結婚はいいものだよ、うん!」

 御者の言葉は本心で間違いなさそうだが、恐らく半分は舞織に向けられていた。


 まもなくカ・ティーに到着するという頃、常闇紳士が舞織の名前を呼んだ。

「ほら、見えてきた」

「え? ……あ!」

 前方遠くに驚きの光景があった。雲の上に頭を出す超巨大な樹木がそびえ立っているではないか。

「あ、あれが精霊樹!?」

「ああ。あれを君に見せたかったんだ」

「凄い! まるで東京タカイツリーね!」舞織は興奮を隠せなかった。「きっと六〇〇メートル以上はあるわよ、あの木! 何であんなにデカいわけ!?」 

「トウキョウタカイツリー? お嬢さん、何だいそりゃ」

「あ、えーと……わたしが好きな小説に出て来る塔の名前です」

「本当は精霊樹まで行きたかったんだけれど、辿り着くにはまだまだかなりの距離があって、流石に時間が掛かり過ぎてしまう」常闇紳士は真剣な表情で舞織に向き直った。「もし舞織さえ良ければ……後日改めてどうかな」

「そうね……もう一度来たいわ」舞織ははっきりとした口調で答えた。「また連れて来てちょうだい」

「ああ。約束だ」

 二人は見つめ合い、同時に微笑んだ。

「へへっ、そりゃあもう承諾したも同然じゃないかい、お嬢さん」御者がチラリと振り向き、ニッと笑った。

「え……そ、そうですかねえ?」

「そうだとも。今、すっかり二人の世界に入ってたよ、ガハハハハ!」

 舞織は顔を赤くして俯いた。
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