宵闇に連れ出して

かほ

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出会い

3.

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「僕を殺すの?」
「は?」

 そう尋ねると、男は間抜けな声を上げた。

「いいよ。やりなよ。体重を掛けたら一発だ」

 ヴィオラは嘲るようにそう言い捨てて身体の力を抜いた。正直、この男にはそこまでの度胸はないと思っている。そもそも、さくっと殺して懐をまさぐれば、財布を持っているかいないのかなんてのはすぐにわかるものを。この町のホンモノは大体がそうする。とはいえ、この男の激しやすさを見れば弾みで殺されてしまっても不思議ではない。それをわかっていながらも、ヴィオラは挑発を止められなかった。


 男の足は相も変わらずヴィオラの頭の上に乗っかっている。しかし、その圧は先ほどまでよりやや弱まっていた。

「なんだ。やらないんだ。散々吠えておいて、意気地のないやつ」
「なんだよお前…。気持ちが悪いんだよ」

 男は怒りより戸惑いが勝ったのか、とうとう足をどけてしまった。それに対するヴィオラの感情を何と説明すればいいものか。

「これだけ痛めつけておいて、殺しだけはできませんって言うお前のほうが気持ち悪いだろ。僕はお前の財布なんて知らないし、これ以上憂さ晴らしに付き合ってやる義理もない。やるならさっさとしろって」

 そんな言葉を口にしながら、やっとのことで身を起こし壁に背を預ける。男を睨みつけるように見上げると、男は不気味そうな目でヴィオラを見つめていた。

「ちっ。お前なんかで手を汚してたまるか。…本当にお前じゃないんだろうな」

 いらいらと靴を鳴らしながら男にそう問われ、首を縦にふる。男はそれを見るや否や、あっさりと地面に唾を吐きかけ踵を返していった。その切り替えの早さに、ヴィオラは呆れつつも、どこかむなしかった。ヴィオラは、男にとってはただの路傍の石ころでしかないのだ。足に当たれば多少不快かもしれないが、そのときは蹴飛ばすか跨いで通ればいいだけのこと。絡まれた原因の財布探しだって、どこまで本気なのか。なくせば惜しいだろうが、生活できなくなるほどの影響はないんじゃないだろうか。

 
 嵐は去った。身体の力がどっと抜け、じわじわと痛みが全身に広がるのを感じる。散々に罵ってはみたものの所詮は子供。男が去って安心したのだ。ヴィオラは壁にもたれかかりながら、それを実感していた。頭がだんだん冷えていく。冷静な思考が戻り、おのれの言動への後悔が押し寄せてくる。
 あの時は死んでもいいと心底思っていた。だからあんな風に散々挑発したのだけれど、生き残った今となっては相手を怒らせて得た一抹の快感すら無価値だ。生きていくには食べ物がいる。養い手のない、貯えもないガキが生きていくには身体が資本だ。こんな風にけがを負っては、ろくに動けもしない。

 つきりと胸の脇が傷んだ。どこか中の骨が折れているのかもしれない。身体は熱を持っているのにいやに寒い。ヴィオラは座っていられなくなって、横向きに倒れた。ぜいぜいと熱い吐息が口から洩れる。これはひょっとして、いやかなり、まずいのではないか。朦朧とした思考でそんなことを思ってみても、息を吸って吐く以外にどうしようもない。

 そんなときだった。

 不意に視界に影が差した。朦朧としていたとはいえ、目も見えているし耳も聞こえる。ヴィオラは思いもよらず近くに現れた人影に、全身をこわばらせた。影の持ち主はそんなヴィオラの様子には構いもせずにしゃがみ込むと、顔を近づけてじっとヴィオラの瞳を覗き込んだ。


「綺麗な目だ」

 
 独り言のようにそう漏らした人物は、まだほんの少年に見えた。ヴィオラよりかはいくらか歳上かもしれないが、つるりとして凹凸の少ない端正な顔立ちは、ともすればあどけなさすら感じる。しかし少年の表情がそれを許さなかった。感情を感じさせない漆黒の眼差しと薄く引き結ばれた唇が、少年の雰囲気を冷淡なものへと変えていた。
 
 突然のことに目を白黒とさせるヴィオラのことなど知ったことではない。そういった態度だった。少年は有無を言わせぬ手つきで顎をつかむと、まるで美術品でも品定めするような目つきでヴィオラの双眸を眺めた。首をいやいや振って逃れようとするが、弱った身体ではその抵抗はほとんど意味をなさなかった。

「っ!」

 それどころか少年の機嫌を逆なでしたらしく、つかまれていた顎がきしむように痛んだ。たかが2本の指に挟まれているだけなのに、万力に固定されているようにびくともしない

「動くな」

 鋭く告げられて、熱を持った身体が嘘のように凍えた。蛇に睨まれた蛙の心境とでも言うべき本能的な恐怖。当人にとっては窘める程度のことだったのかもしれないが、ヴィオラにとってはどんな言葉よりも重かった。しかしそれがどんなつもりであれ、今まで物としか見られていなかったヴィオラがはじめて動く人間であると認識してもらえた瞬間でもあった。
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