うちの化けぎつね

黒岩 姫

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じぃちゃんからの最後のクリスマスプレゼント

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 じぃちゃんは、鳥が好きだった。
 俺が幼稚園の時、俺はじぃちゃんの家に引き取られた。
そりゃそうだ。
俺は、愛されて育ってなんかいなかった。
じぃちゃんと、ばぁちゃんくらいしか、俺を世話しなかった。
母親も父親も、俺のことを置いて行った。
その日の夕方から、二人は帰って来ない。

お世話をしてくれた、ばぁちゃんが中学生で亡くなると、俺の反抗期は始まった。
それまで、苦労をかけさせたくないという俺のストッパーは、その時を堺に見事に粉々に砕けた。
じぃちゃんとの、二人暮らしには何一つ不満はなかったが、山を下りてすぐの、ド田舎にたたずむあの家は俺の反抗する材料には足りすぎるほどだった。
俺は、高校卒業と同時にさっさとじぃちゃんの住む家から出て行った。
従兄弟のねぇちゃんや、近所のおばちゃんは、俺を必死に止めようとしたが、もともと口数の少ないじぃちゃんは、何も言わなかった。
出て行く当日も、その後も。
東京の大学に入って、早三年。
俺を止めた従兄弟や、おばちゃんからは、「帰って来い。」という手紙が何通も届いたが、それを無視して今まで過ごしてきた。
 








 冬に入った頃。
あたりは寒くなり、山の方では、雪が降り始めただろうなどと考えていると、一通の手紙がポストに入っていた。
また、いつものか、と思いながらも、渋々手紙を開いた。
そこには、じぃちゃんの堅苦しい文字が並んでいた。
 俺はそれを一行読むと、あの古い古い家に帰るため財布を持って向かった。








 俺が向かっている途中俺の携帯が鳴り響いた。

 「おいハジロ。あんた今どこだい?」

 近所のおばちゃんの声だ。相当怒っているようだ。

 「じぃちゃんは?」
 「今さっきね。てか、質問に答えな。今どこいるんだいこのバカ。」
 「今向かっています。」
 「あぁ、そうかい。妹二人おいて、よくもまぁのこのこ帰ってこられるねぇ」

 こういう人だ。
昔から変わっていない。
この口の悪いおばちゃんに何度尻をひっぱたかれたか覚えてすらない。
何かとあればすぐにひっぱたかれていた。
優しいじいちゃんとは大違いだったのはよく覚えている。
おいていった妹二人が今頃俺についてくるなんて言うはずもないだろう。
俺はついに一人なんだなぁと、ぼうっと外を見るとだんだん見慣れた風景と変わっていった。
 





 じぃちゃんの葬式が終わると、従兄弟のねぇちゃんが俺の横で酒を飲みだした。

 「あんたずっと無視してたね?」
 「してない。」
 「嘘つけ、私は何度も連絡したわよ。おじぃちゃんの容態もしっかり教えていたわよね?」
 「あぁ。」
 「なんも言ってこないんだもの。少しくらい返事しなさいよ。おとこっていつもいつも……」
 「そんなんだから彼氏に振られんじゃん。」

 俺がぼそりとつぶやくと、ねぇちゃんはキーキーと奇声のような声で文句を言っていた。
その文句の単語は、俺の耳には一つも入ってくることはなかった。
妹二人も俺に声をかけない。
それもそうだと考えて、無視していると、ふと手紙の内容が気になった。
一行読んで出てきてしまったこともあり、最後のほうは何も見ていない。
部屋に手紙を置いてきたことを後悔しながら、俺は流れるような三日間を過ごした。











 四日目の朝、俺はうるさい近所のおばちゃんに起こされる前にかばんを持って、倉庫へと向かった。
じぃちゃんから最後に届いた手紙の一行目。それは、

 「じぃちゃんの家宝ともいえる宝物を守ってくれ。」

 ということだった。
まじめなように見えて全くそんなことのなかったじぃちゃんの家宝。
 それは、うん……。
 メイドのねぇちゃんや、看護師の衣装を着たねぇちゃんのビデオだ。
 俺も何度も見た。
 じぃちゃんとは、こっちの趣味だけはまるかぶりだったのだ。

 あのうるさい二人に見つかれば、その場で丸焼きにされるだろう。
 出ていくとき一番寂しかったのは、俺的にはこれを見ることができなくなることだった。
 俺はそれを持ったまま東京へ帰るつもりでいた。
それなのに、

 「お兄ちゃん」
 「お、おおおおう。な、なんだ?」
 「おじぃちゃんの遺品持って帰って。」

 妹のうちの一人に話しかけられるなど思ってもいなかった。
後ろめたいことがある中急に声をかけられると人間どうしてもしどろもどろになるものである。
隠しきれていないの承知で振り向くと、彼女は、ふすまを指さして言った。

 「あそこにいるから。連れて帰って。」

 いる?
 連れて帰る?
 変な物言いするな。
じぃちゃんは生き物飼うような人じゃなかったと思う。
いやきっと、生き物は飼わないだろう。
あの、じぃちゃんなら。
 俺だってじぃちゃんとの付き合いは長い。

「よぉ。ハジロ。」

ふすまを開けると、そこにいたのは従兄弟のねぇちゃんだった。

「ねぇちゃんを連れてけって?婚約者にいくら逃げられたからって…。」

はぁ、と大きなため息をあからさまに見せて帰ろうとすると、

「違う。馬鹿かお前は。」

と後ろからげんこつをくらった。

「こっちに決まってんだろ?」

ねぇちゃんが奥の方から連れてきたのは、黄色い着物の似合う、小さい女の子で……。

「ちょっ、まって。ねぇちゃん。こちらは?」
「見ての通り化けぎつねだが?」

当たり前のように言う。
いやいや、もっと焦ろうか。
普通に出てきて良いような部類ではない。

「はぁ?ば、化けぎつねって。ねぇちゃん。頭打った?」
「見て分からないの?」

煽ったらその十倍は煽られる。
昔からそうだ。

「分かった。百歩譲ろう。百歩譲って、こいつは化けぎつねだ。でも、俺のマンションはペット禁止だ。連れて行けねぇ。」
「ペットって、こんな可愛い女の子をペット扱いする気?」
「狐だろ!」
「あら、女の子でもあるわよ?」
「ひどぉーい!」

妹と、ねぇちゃんから責められる。

「いやいやだって!」

と言おうとしたところ、俺の服をその狐が引っ張った。
正直言って、可愛い。

「くっ…。」

下を向いて、そっと手を離そうとする狐を見て俺はついつい言ってしまった。

「分かった。連れて帰るよ。」
「そう来なくっちゃ。よろしくね。ハジロクン!」

そうして、俺は女の子(キツネ)と一緒に住むこととなった。











 「なぁ。」
 「……。」
 「お前、名前は?」
 「……。」
 「おい。」
 「……。」

 あまりにもガン無視で一言も発しないそれに俺はいらいらした。

 「下ばっか向いてないで何か言ったらどうだ?」 

 それは、肩を震わせていた。
 俺もイライラしていてどうかなりそうだったその時。
 グギュルル、とそいつはおなかを鳴らした。

 「腹減ってんのか?」

 そいつはこくんと小さく首を縦に振った。
 怖がっているのは一目同然だった。
 俺は、目の前にあるパン屋へと入った。
 昔からお世話になっているパン屋だ。
 俺が小さいころから夫婦で仲良くやっている。

 「おや、はじ坊。」
 「あんらぁ、大人になっちゃって。」
 「こんにちは。」

 小さいころからお世話になっているだけあって、軽い声掛けだ。
 俺はとりあえず、会釈をしてお目当てのものを見に行く。
 昔から思い入れのあるパンだ。

 「あら、子ぎつねちゃんも一緒かい。」
 「知ってんのか?」

 夫婦は気まずそうな顔をして「えぇ。」という。
 その反応から、あまり詮索はできないなと、判断した。
 あきらめてパンの代金を払う。

 「ほら、キツネ。」

 店から出てそいつにパンを渡すと、むっとされた。
 何むっとしてんだ?と俺は思ったが、何も言わないでおく。
 どうせ、無視されるだろうし。

 そいつは、クンクンとにおいをかいで、小さい手でパンをもふもふと握る。
甘いメロンパンの匂いだ。
ふわふわとした感触に、キツネが目を輝かせているのが見てわかる。
 小さい口を開けてほおばる姿は、人間の子供と同じだ。一口食べて、キツネは小さい声でぽそりと「おいしい。」とつぶやいた。
 もう一口食べると俺とメロンパンをちらちらと見比べてからもう一度言った。

 「ありがと……。ハ、ハジ……?」
 「ハジロでいい。」

 そっけなく言うと、キツネは嬉しそうにぱぁと笑顔で言った。

 「ハジロ!ハジロ、ありがとう!おいしい。」

 やっと心を開いたらしい。
 これは占めたと思い、俺はさっきと同じ質問をした。

 「お前は?名前あるのか?」

 キツネは、幼い笑顔のまま答えた。 

 「ヒガラだよ。ヒガラ、これ好き。」

 はしゃいでいるのは見てわかる。
 こいつは……、ヒガラは、世界の汚い部分なんて見てこなかったのだろうな。
 俺はその時そう思った。

 「あんまりはしゃぐと、」

 と言いかけると、案の定ヒガラはむせた。

 「んじゃ、もう帰るぞ。」

 俺は、ヒガラに水を渡しながら言った。
 とりあえずこの田舎町から早く出たい。

 「帰る!」

 とヒガラは嬉しそうに声を上げた。

 「あぁ、俺んちにな。」

 というと悲しそうに下を向いた。
 忙しい奴だな、と思いながらもヒガラのほうを見て確認する。
静かになったので不思議に思ったから見た。
隣のヒガラはやはりというか、泣いていた。
 その時自分のことしか考えられていなかった俺にとっては、思ってもいない反応だった。
ヒガラは細い声で、

 「おじいちゃんは?おじいちゃんのお家がいい。」

 と言う。
 泣いた幼女(キツネ)に俺が逆らえるわけもなく、もちろんその日はじぃちゃんの家に戻った。









 「あら、帰ってきたの?」
 「あぁ。」
 「ただいまぁ!」
 「そのまま東京に逃げたかと思ったのに。」

 もちろんそのつもりだった。
 ヒガラは近所のばぁちゃんたちに延々とメロンパンの自慢をしている。 

 「ハジロウがね、ハジロウがね、買ってくれたの。」

 嬉しそうに飛び跳ねたり駆けまわったりして、気持ちを表現しているのだろう。
 それは、何かに似ていた。

(なんだっけなぁ。昔なんかで見たな、こういうの。)

 ねぇちゃんたちが、「ハジロウ。」という言葉でチクチク刺してきたが、もう気にしなかった。

「で?ハジロウ君は、いつ帰るの?」
「明日。」

 俺はここの空気が嫌いだ。
 みんなで仲良くとか、家族でとか考えたくもない。
 だから俺は早く帰りたいんだ。
 誰がどう言おうとも、アイツがいくら悲しそうな顔をしようとも、俺はこの場所から早く抜け出したくて仕方がないのだ。
 俺は、そのまま自分の部屋に戻った。
  








 「あ、のぉ……。」

 おれが今朝持って来たじぃちゃんの遺品を整理していると、ヒガラが部屋に入ってきた。
 ヒガラは、そのまま正座して頭を地面につける。
 俺はびっくりして、止めることもできずにまじまじと見た。

 「ヒガラは、キツネにも子供にも、大人にもなれます。どうか、私を連れて行ってください。」

 どういうことだろうか。
 一人称が変わるとほぼ同時にヒガラの甲高い子供のような声が、少し低くなった。
 大人のような落ち着いた静かな話し方で、ゆっくりとしていて一言一言に重みがある。
 よく見ると、体のほうも大きく見える。
 自分とあまり変わらなさそうな年の女の子、何なら自分よりも落ち着いていて年上にも感じる。

 「つ、ついてくるなら勝手にしてください。」

 年上に見えたため俺は敬語で話してしまった。
 向こうも敬語だから、つられてしまったというのもある。
きれいな女性を見て格好づけたんだろ?と言われると、俺ははいそうです。
としか言えないほどに格好づけてしまった。

 「俺は明日、自分の住んでいる家に帰ります。」
 「わかりました。」

 ヒガラはおっとりとした声と話し方で返事をした。
 そしてそのままの口調で、一つだけと前置きをして話し出した。

 「おじぃさんからの遺言です。」

 そういってから、んっん。と咳払いをしてヒガラは続けた。

 「ハジロお前に俺の宝をすべて預ける。頼んだぞ。……らしいです。」

 俺は、わかってると心の中で思いながらヒガラに背を向けた。

 「なぜ、帰って来なかったのですか?」

 ヒガラは、息をするように聞いてきた。
 俺は、何も答えなかった。
 いや、答えられなかった。
 この質問が来ないとは思ってもいなかったわけではない。
何ならここに来るまでに返事も考えていた。

 「おじいさんはずっと待っていましたよ。」

 あぁ、こいつにも言われるのか。
 俺は、じぃちゃんが体調を崩しても帰ってこなかった。
最初は帰ろうと思ったりもしたが、どうしても今頃帰ったって、と思うと足が重くなってしまい、どんどん月日がたち、じぃちゃんからの手紙が来てやっとここへ来たのだ。

 「ハジロさんは優しいから、来れないのには理由がある。とおじいさんはずっとおっしゃっていました。もう一度聞きます。なぜ帰ってこなかったのですか?」

 知っている。
 じぃちゃんはそういう人だ。
 人の悪口なんてめったに言わない。
 一度だけ、ばぁちゃんの棺をたたきながらばぁちゃんの悪いところをぽつぽつと言っていたが、それ以外は見たことがない。
 俺は、それが苦しかった。
 じぃちゃんに反抗した日、近所の兄ちゃんと喧嘩した日、じぃちゃんはにこにことして笑うばかりで俺を責めなかった。
 それどころか、俺をかばったんだ。
 俺のせいで汚くなっていくじぃちゃんを見ているようで俺は苦しくなった。
 苦しくて、苦しくてたまらない。

 「ハジロさん。」

 もうそれ以上俺を苦しませないでくれ。
 もうそれ以上言わないでくれ。
 お願いだ。

 「おじいさんは、ずっと待っていましたよ。ハジロさん。」
 「やめろって!」

 俺はついに叫んでしまった。
 何人にこの声を聴かれただろうか。
 その時の俺は考えもしなかった。
 ただ、じぃちゃんの話を聞きたくなかった。
 これ以上は我慢できなかったのだ。
 少したってから頭にふわっとした感触がした。
 下を向いていた顔を上げると、ヒガラがニコッと笑いながら俺の頭をなでていた。

 「やっと、答えてくれましたね。」

 優しくヒガラは俺に言った。

 「ハジロさん。おじいさんはいつもあなたをかばっていました。それと同時にいつもあなたの話を私にしてくださいました。それはそれは嬉しそうに、あなたのことを自慢の孫だと。おじいさんはあなたのことを恨んではいません。最後まで、幸せそうにあなたをやさしくて良い奴だとおしゃっていました。」

 俺は驚いた。
 ずっと恨まれていると思っていた。
 東京へ出て行ったまま一度も音沙汰ない自分を恨まないわけがない。
 そう思っていたのだ。
 ヒガラは俺に穏やかにまた話し始めた。

 「あなたのことは、おじいさんから聞いています。ただ、おじいさんは自分のことは全く教えてはくれませんでした。なので、あなたに教えてほしいのです。おじいさんのことを、たくさん。」

 あんなに自分好きで自分の自慢話しかしていなかったじぃちゃんが、自分のことを語らなかったことにもびっくりした。
 俺は自分のことを親不孝な奴だと思っていた。
 今も思っている。
 じぃちゃんからよく思われていないだろうと思っていたが、違うようだ。
 勝手に家を出て、音信不通で、ここ三年ここへ帰ってこなかった。
 そんな自分が親不孝に感じて、立ち入れなかった。

 なぜ人間は戻らないものに思いを寄せ後悔してしまうのだろう。
 少なくとも、俺はそっち側の人間ではなかったのだと思っていた。
 だからこそ葬式で周りが全員泣いている中自分は涙一つでないのだと。

 でも、違ったらしい。

 ヒガラの言葉を聞いた瞬間、俺の目は糸が切れたように涙をこぼし始めた。
 ヒガラの言葉だけでなく、じぃちゃんの笑った顔が、怒った顔が、俺の脳内を埋め始めた。







 次の日の朝、ヒガラは元の子供の姿に戻って何もなかったかのように俺の腹の上で丸くなっていた。
 俺はあの後寝落ちてしまっていたが、何となく覚えているのはヒガラが俺の横に入ってきたくらいだ。
 俺は朝起きてヒガラの寝顔が俺の布団の中から出てきた瞬間に飛び上がった。

 大人の大きさになったヒガラがドストライクのタイプだったからというわけではない。
 断じてない。
 確かにかわいくてきれいだったが、別に俺は何もしていない。
 という風に俺がいいわけだけを心の中で考えていると、ヒガラが目を覚ました。

 「んん……。」
 「べ、別に俺は何もしていませんから。あの、その、あ、ありがとうございます。」

 自分でもおかしなことを言っているなぁ。と思った。

 「ハジロ、変。」

 寝起きの幼女(キツネ)に朝っぱらから突っ込まれた俺は何とも言えなかった。
 ヒガラはそれだけ言ってまた丸くなる。
 危機感のないきつねだな、と俺は思った。

 「ヒガラいつもおじいちゃんと寝てたから。」

 一人になり、寝られなくなっていたらしい。
 「久しぶりに寝っちゃった。」というヒガラはいまだに俺にまたがったままである。
 いや、さっさと降りろよ。

 ヒガラは、目が覚めたらしく目をこすりながらとことこと、歩いてどこかへ行く。
 どこへ行くのかと追いかけると、洗面台に向かっていた。
 誰が教えたのか、歯を磨いて、顔を洗っている。
 そして、くるりと回って自分の顔をじっと見て、ニコッと笑う。
 この行動で分かった。
 教えたのは、死んだじぃちゃんだ。
 ヒガラのその行動はどっからどう見てもじぃちゃんのモーニングルーティンだ。

 俺はそのまま見なかったことにして自分の寝ていた客間に戻った。
 この町は田舎なこともあり夕方にならないと駅までのバスが来ない。
 なのでこの家を出るのも夕方になる。
 昨日より帰りたいという欲求は減っていたが、大学もあるため帰らなければならない。









 夕方、ヒガラを連れた俺はバスに乗って駅まで行き、新幹線で帰る。
 ヒガラは昨日とは打って変わって、すごくご機嫌だった。

 「また来るんだよね?またここに帰るんだよね?」

 とずっと言っていたのを軽くあしらっていただけなのだが……。
 俺は窓の外を見ながら、次はいつここへ来るのだろうかと考えた。
 正直言うと来る必要は皆無に近い。
 妹二人がいるとはいえ、じぃちゃんのいないここへ立ち入ることはないだろう。
 そんなことを考えているうちに東京までついた。
 ヒガラは目を輝かせている。

 「わぁ!きれい。ハジロ、ハジロ!あれ何?」
 「イルミネーションだ。ちょ、ヒガラは走るな。」
 「いみみねちょ!」

 一つもあってはいないが訂正する元気もなかった。
 ヒガラは、あの田舎町を出る前にねぇちゃんや、ばぁちゃんからフードのついたパーカーを着せられていた。
耳と尻尾を隠すためらしい。

 「ハジロ!これ!これ何?」

 ヒガラは見るものすべてが本当に輝いて見えるらしい。
 幼女のヒガラは子供らしい子供だ。
 「すごい、すごい。」となんにでも感激している。
 俺ら兄妹にもこんな時期があったのだろうかとついつい考えてしまう。

 「大きいお家だぁ!」

 マンションを見てヒガラはぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 「ほら、ここだ。」
 「ここヒガラのお家?すごい、すごい!」
 「あぁ、今日からお前んちな。」

 俺は説明がうまくできないなと判断して脳死で答えた。
 キャッキャッとはしゃぐヒガラを見て、もういいかと思う。

 俺の借りているマンションは周りのマンションと変わらない普通のマンションだ。
 ヒガラにとったら、エレベーターも自動ドアも怖いものに見えるが同時にすごく興味を引き付けるものに見えるらしい。

 「わぁ!」
 「手洗ってそれ脱いでから寝転がれよ?」

 ヒガラは部屋に入ってからもはしゃいでいた。
 たったったった、という今までになかった生活音が部屋に響く。

 俺の借りているマンションの一室は、入ってから少しするとキッチンがある。
 キッチンの目の前は狭いリビングだ。
 俺がソファとテレビを置いているから狭いのかもしれないがとにかく広くはない。
ソファとテレビの間には全く使っていない小さい台を置いている。
 キッチン、リビング、寝室、バスルームと(トイレを除けば)四部屋しかないが、さぁ、この子供(キツネ)をどこへ押し込もうか。

 「ヒガラ、手洗って、歯磨いて寝るぞ?」

 返事はない。

 「ヒガラ?」

 猫や犬をはじめとしたペットは新しい家に来るとストレスを感じるらしい。
 キツネ(女の子)にもそういうことがあるのだろうかとソファの上を覗き見ると、寝息を立ててぐっすりと寝ているヒガラがいた。
 遠出してはしゃいで疲れてしまったのだろう。
 ここまで来るのに九割ははしゃいでいたから仕方がない。
 俺はじぃちゃんに幼いころ言われた言葉を思い出した。

 「ヒガラ、いい子にしないとサンタ来ないぞ。」
 「しゃんた?」
 「あぁ、プレゼント持ってきてくれる優しいおじさん。」

 まさか知らないとは思ってもいなかったが、ヒガラを動かすには十分だったようだ。

 「プレゼント,ほちぃ。」

 相当眠いのか言葉になっていない。

 「どしたらもらえる?」
 「いい子にしてる子のところに来るんだとよ。じぃちゃんが言ってたぞ。」
 「おじいさん、嘘つかない。」

 それだけ言ってヒガラは俺の布団へもぐりこんだ。
 いや、俺はどこに寝ればいいんだよ。
 すると。

 「ハジロ、早く!」

 俺が首をかしげると、ヒガラは怒ったように言う。

 「いい子しないとプレゼントもらえない!」

 じぃちゃんが俺の後からサンタについて語らなくなった原因が分かった。
 巻き込まれるからか。
 ヒガラは相変わらず俺の上で丸くなって寝る準備をしている。
 俺はそこまで体の幅が横に広いわけではない。
 ヒガラの小ささはこの時しっかりと理解した。









 次の日、俺は大学へと行くために起きた。
 ヒガラも目をこすりながら後をつけてきた。
 朝食を食べるのもずっとついてくる。
 人と一緒に朝食を食べることのないハジロは、少し懐かしく思いながら食べた。
 そしてそのまま家を出る準備を始めた。 

 「どこ行くの?」
 「大学、……あぁ、学校。いい子にして待ってろよ。バイトもあるし少し遅くなるかもだけど。」

 すると、ヒガラは急に大人の姿になった。

 「そうですか。わかりました。何かやっておくことなどございますか?」
 「べ、別に、何もしなくて大丈夫です。」

 いった瞬間ヒガラにジト目で見られた。
 びっくりしただけだ。
 何もおかしなことなんてないと俺は自分に言い聞かせた。

 「ハジロさんは……。」
 「ハジロでいい。」
 「ハジロはこの姿の私のことは嫌いですか?」

 半分呆れていてそれでもって悲しそうに言う。

 「い、いや、そんなことは……。」

 慌てて取り繕うとしたが何も言うことができなかった。

 「嫌いでも構いませんが、朝はこの姿になってお見送りします。」

 あの姿では迷惑かけるのでとヒガラは付け加える。
 ヒガラは姿によって口調も接し方も違う。
 本人がいうに、小さいときは大人の記憶がないが、大人になると小さいときの記憶があるらしい。
 そしてもう一人の自分の性格もわかっている。
 まぁ、俺からしたらキツネだということが周りにばれなければどうでもいいのだが。

 「と、とりあえず、今日は寄るところもあるし。よ、夜までには帰るから。」
 「わかりました。」

 いってらしゃいませと手を振るヒガラを見ていると、夫婦かと思ってしまう。











 ヒガラは、ハジロが行ったあとふぅと息をついた。
 絶対幼いほうのヒガラなら、待ってとか言ってハジロがいくのを止めてしまう。
 ヒガラは幼いほうに戻って一人で遊ぶ。
 幼いヒガラは好奇心旺盛な子だ。
 黒くて四角い板がどうしても気になった。
 朝ハジロはその四角い板で、棒を持った人を見ていた。
 傘のマークや雲のマークの説明をその人はしていた。
 何が面白いかというとその人は板の中にいるのだ。
 板の中で延々と話し続けている。
 急に風景が変わったり、写真が出てきてもお構いなしに話す。
 ヒガラは最初少し怖かった。
 ヒガラはどうしても急に動くものにびっくりしてしまう。
 おじいさんの家には急に動くものはなかったから。
 それでも慣れてくると興味が出た。
 今、四角い箱は真っ暗のまま動かない。
 その黒い板をコンコンと叩いてみる。
 横からも、真上からもたたいてみたがいくらたたいても動いてはくれない。
 何をしても(いくらたたいても)動かないのでヒガラはあきらめた。
 ハジロはヒガラに“お昼になったらご飯を食べてもいい”と教えてくれた。

 「お昼……。」

 お昼というのは、長い針と、短い針がおてんとうさまの方向を向いたときらしい。
 この長い針と、短い針がついたものはヒガラに意地悪をする。
 長い針も短い針も真横を向いたまま動いてはくれない。
 ヒガラの今着ている服は黄色い着物だ。
 大人も子供もほとんど変わらない。
 この格好では外へは出られない。
 つまり、ヒガラは暇だ。
 










「ヒガラただいま。」

 午後七時、俺が家に帰るとえらく散らかっていた。
 玄関の前は俺の服が散らかっていて、その真ん中に丸くなって寝ている少女がいた。
 他人の部屋かと思った。
それが俺の家に帰った時の感想だ。
 いや、かわいいけど。
 俺の服……。
 すごくかわいいけど。
 俺の……。

 「ひ、ヒガラ?」

 目じりのけいれんを抑えながら、俺は優しくヒガラに声をかける。
 すると、ヒガラはかぁーと大きな口を開けて寝返りを打った。

「ヒガラ!」

 俺が少し強く言うとヒガラはパチッと目を開けてこっちを向いた。

「ハジロ!お帰りなさい!ヒガラね、ヒガラね、いい子できた?」
「あぁ、いい子にしていてえらいな。」

 ほめるつもりはなかったのだが、その可愛さに押されてついつい言ってしまった。
 開けっ放しになったクローゼットからは数少ない俺の服が出てきている。
 ヒガラは、目を輝かせて俺に飛びついてきた。
 その姿を見ると世界中のどこを探しても、こいつのこの姿を見て怒れる人はいないだろうと思う。
 もし怒れる人がいるなら今すぐここに連れてきたいというのが本音だ。

「ヒガラね、待ってたの!足音がするたんびにね、ここにきてハジロかもって!」

 本当にずっと待っていたのだろう。
 あまりにも自然にいるから気づかなかったが、ヒガラは昨日ここへ来たばかりだ。
 ヒガラにとってここはまだ知らない家なのだ。
 そんな場所に一人でいるのはさぞ心細いことだろう。

「ヒガラ、お土産だ。」
「おみやげ!」
「そ、俺なんかが選んだ服でよければ、これ。」

 紙袋を渡されたヒガラは、目を輝かせた。
 ガサガサと中身を出している。

「ハジロ、これ何?これ!」
「絵本だ。」
「わぁ、可愛いお洋服!」

 本当に、こうやって見てたら普通の人間の女の子だ。俺は言葉には出さずに喜ぶヒガラを見た。

「あっ。」

 ヒガラは俺と目が合った瞬間にハッとしたように固まってしまった。
そして、大人の姿になり、さっきまでのはしゃぎようとは裏腹にしゅんとして下を向いてしまった。

「どうかしました?」
「はしゃぎすぎですよね。嬉しくてつい……。」
「いや、こんなのでいいのならいくらでも買ってきます。というか、喜んでもらった方が……。」

 俺はなぜこんなことを言っているのだろうと内心思った。
内心本当に喜んでもらって嬉しかったのだが、いくらでも買ってきますというのは、なんだか言葉を間違えている気がする。

「いえ、やはり申し訳ないです。ハジロは食べ物に好き嫌いなどございますか?」
「な、ないです……けど……。」
「では、今日の夜ご飯をつくらせてください。」
「え?……いや、悪いし……いいよ。俺作りますから。」
「いえ、こんなに買ってきてもらった上に何もしないのは申し訳ないので。私は、料理できますから。」

 私は、ということは、小さい方のヒガラはできないのだろう。
いや、確かに料理をするには幼すぎる気もするし妥当だ。

 ヒガラはとても手際良く料理をしていた。
 俺がやるよりもよっぽど早く、美味しそうだった。

「どうぞ。」
「あ,ありがとうございます……。」

 味噌汁、野菜炒め、白ごはんという,どこか懐かしさを感じるメニュー。
日本人らしいと言えば日本人らしい食事だ。

「ハジロ……どう,ですか?」
「うまいな。というか,懐かしい味だ。……あっ、す、すみません。美味しいです。」
「ハジロが笑った……。」
「え?」

 その後,ヒガラは何も言わずに夕飯を食べてさっさと片付けた。
 いや、笑ったって……と俺は思ったが、ヒガラの嬉しそうに言ったその一言でハッとした。
 ヒガラと会ってから俺はどれくらい笑っていただろう。
 可愛いなと心で思うだけで、表には全く出していなかったのではないか。











「ハジロ!これ読んで。コレ!」

 ヒガラ(幼女)が、先程俺が買ってきた絵本を抱えて寝室に来た。
寝る準備もバッチリだった俺はまだ寝られないのかと少しため息をつきたくなったが、また気を遣われても困るため読むことにした。
 人に読み聞かせるなど初めてだ。
じいちゃんに読み聞かせをしてもらったことはあるが、最初の何行かで寝落ちていたため内容の記憶はない。

 まぁ、キツネだし、多少下手でもいいかとヒガラを足の上に乗せて絵本を開く。
 ヒガラは興味津々ですごくウキウキしながら聞いているのが伝わってきた。

「……はい,おしまい。」

 俺が最後まで読み終わってヒガラを見ると,ヒガラは部屋を見渡すようにキョロキョロとしていた。

「ハジロ、このお家煙突ない。シャンタシャン来られない?」

 ヒガラはすごく真剣に俺の目を見て言った。
 確かにマンションに煙突などあるわけもない。

「あ、えーと……、ま、」
「窓から入って来るの?」
「そ、そうそう。」
「じゃあ,窓開けて寝ないと。」
「ま、まてまて!違う。魔法だ。魔法の力で中にプレゼントを置くんだ。」

 自分でも何言っているのかわからなかった。
 魔法の力ってなんだよと,自分でも突っ込みたくなる。
もう少しマシな言い訳をつくべきだった。

「そっかぁ。すごーい!シャンタシャン!」

 しかし、そんな下手な言い訳もヒガラには好評ですごく納得した様子だ。

「も,もう寝ないとサンタも来なくなるぞ。」
「あー!ほんとだ。早く寝ないと。ありがとう、ハジロ。」
「え?」
「本、読んでくれてありがとう。」

 ヒガラにお礼を言われて、いつもなかなかお礼を言われない俺は少しくすぐったかった。

「どういたしまして。」

 こうして、じいちゃんが残した最後のクリスマスプレゼントとの生活が始まった。
じいちゃんの残したプレゼントは、キツネで、幼女で、とても綺麗なお姉さんで、とても不思議なやつだ。
 でも、じいちゃんと一緒にいられなかったぶん、こいつを大切にしたい。
 じいちゃん、可愛いプレゼントをありがとう。
 
 
 
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