時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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1-1 建速勇人

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 白い光が、広がる。
 眩しい。それに、肌寒い。
 いつのまにか、眠っていたのだろうか。そう自覚するとともに、勇人はやとは自分の意識を現実へと引き起こした。かと言って夢から覚めるような感覚は無い。一瞬、気を失っていたと言う方が正しいのかも知れない。

「あれ…?」

 瞼を開くと同時に、勇人は間の抜けた声を上げた。目の前に、木々が広がっている。辺りを見渡せば森の中…いや、深い山中のようだ。自分は、大学へと向かうバスに乗っていたはずだ。自分が住んでいる街の近くに、こんな山があっただろうか。

「おかしいな、寝ぼけてるのかな」

 静かに、風が吹いていた。そして気温が驚くほど低い。春先とは思えない程だ。いや、本当にこれは春の山なのだろうか。秋の終わりのように紅葉が進んでいる。ひょっとしてまだこれは夢の中なのかもしれない。あるいは、記憶障害でも患ったのだろうか。
 自分の記憶が信用できない、と言うのは実際に経験してみると何ともぞっとする現象だ、と思いながら、勇人はポケットを探りスマートフォンを取り出した。圏外である。チッと舌打ちをする。
 人前ではいつでも行儀良くするようにしていた。不満や苛立ちがあっても、あまり表に出す事はしないように昔から自然と注意してきた。それが意図的にやっている事だと言う事は、恐らく周りの人間には気付かれてはいないと思う。
 そんな風に振る舞って来た事に特に意味はない。何となく、そうしていた方が損は少ない。いつの間にかそう思うようになっていただけだ。

「参ったなあ、これは」

 そうひとりごちると、勇人はとにかく山を下り始めた。辺りに人の気配は無い。
 そのまま、しばらく山中を歩き続けた。アテがある訳ではない。川でも流れていれば目印になるのだが、とにかく下に降って行けば山から出られる、と信じるしかなかった。
 ふと思い立って腕時計、そしてスマートフォンの時間を確認する。午前10時前。自分がバスに乗ってからさほど時間は経っていない。経っていないはずだ。しかしたまに木々の間から覗く太陽はすでに傾き始めていた。
 不安な気持ちと、どうにでもなれ、と思う気持ちがないまぜだった。
 地形に変化が起きたのは一時間ほども歩いてからだった。目の前がちょっとした崖になっている。そしてその下には広い道が広がっている。
 それだけでなく、大勢の人間がそこを移動している気配があった。その気配の正体を確かめようとさらに前に出ようとする。
 人の集団、いや、軍勢が移動していた。大河ドラマか映画の中でしか見る事が無いような武士の集団。旗も掲げられている。風林火山。武田家だろうか、と思ったが軍勢を構成する武士達の格好は、戦国期の物ではなかった。着ている鎧は恐らくそれよりもだいぶ前の物だ。
 人数が全部でどれほどなのかは、少し見当がつかない。百人や二百人では無かった。
 どこかでカメラが回っているのだろうか、と周囲を見回した。
 すぐに、自分と同じように崖の上からそれを見下ろしている男が見付かった。しかしカメラなどは持っておらず、その男も何だか毛皮で身を包んだ野武士のような姿で、しかも短い弓を構えている。
 やはり、何かの撮影だろうか。邪魔にならないように離れた方がいいのかもしれない。そう思った時、その男がこちらを向いた。
 顔だけでなく、弓もこちらへと向けている。

「いや、僕は」

 何か言わなくては。咄嗟にそう思い、その先に続ける言葉を思いつかないままそう口に出した時、すでに男は矢を放っていた。
 自分が鈍い方だと思った事は今まで一度も無かったが、何の反応も出来なかった。それなのに、自分に対して飛んでくる矢の輝きははっきり見える。
 当たる。
 そう思った時、頭上から何か黒い塊が降って来た。自分と矢の間の割り込むように。いや、ちょうど飛んでくる矢を空中で真上から踏み付けて叩き落としている。

「えっ」

 人間だった。小柄な人間。黒い衣装を身に付けている。後ろ姿で顔は良く見えないが、少女なのは見て取れた。
 彼女は何も言わず、振り向きもせず勇人をそのまま蹴り飛ばした。完全に虚を突かれ、勇人は勢いよく後ろに吹き飛ばされ、木に叩き付けられると同時に尻餅をつく。何を、と言おうとした時、勇人の頭上の木の幹に矢が突き立った。
 自分を伏せさせる事で飛んでくる矢から自分を守ったのだ、と少し遅れて勇人は気が付いた。
 少女が勇人を一顧だにせず駆け出す。右手にいつのまにか短刀を構えている。
 勇人に向けて矢を放ってきた男とその少女の他に数人の人間がその場に潜んでいたようで、少女の動きを皮切りにするように斬り合いが始まった。
 少女と、どうやらその味方と思しき若い男が一人。他は全てその二人の敵のようだったが、少女はその中をまるで新体操のように軽やかにゆっくりと動いている。いや、ゆっくりに見えるだけで本当はとても激しい動きなのだろう。若い男の方は対照的に地味で控えめな動きだ。
 そして少女が動くたびに白刃がきらめき、鮮血が舞っている。
 明らかに撮影などでは無かった。
 ほんの短い時間の戦いで、最初に勇人に向けて矢を放った人間も含めて数人の人間が地に伏せ、その場には少女と若い男、そして勇人が残った。少女一人でほとんどの相手を倒したようだ。
風に運ばれて生々しい血の匂いが漂って来る。思わず勇人は口に手をやった。

「この男、敵か?」

 若い男の方が鎖鎌らしき武器をしまいながら少女に尋ねた。厳しい表情だが、どこか人の良さを感じさせる声のような気がした。
 少女は答える事はせず、それどころか勇人にも若い男にも興味が無いように明後日の方向を見詰めている。先程までの鋭さが嘘のような上の空振りだった。

「何者なんだ、お前は。ちあめが助けたんだから敵じゃないのだろうが」

 若い男が困ったような顔で今度は勇人へ訪ねて来た。ちあめ、とは聞きなれない響きだが少女の方の名前だろうか。

「何者、と言われても」

 ドラマか映画の撮影で無ければまさか自分は過去にタイムスリップでもしたのだろうか、と勇人が思い当たり、同時に返答に窮した所で、騒ぎを聞きつけたかのように下から何人かの人間がやって来た。
 やはり全員が鎧を身に付け、武器を持った武士だ。

「おい、何の騒ぎだ。左近さこん

 先頭にいる眼付きの鋭い大柄な武士が訪ねた。こちらも若い男。そうは言っても恐らく勇人よりは年上だろうが、まだ三十にはなっていないだろう。
 左近と呼ばれた方は、恐らく勇人と同い年ぐらいか。

「これは、和政かずまさ殿。上から弓で軍勢を狙っていた者が何人かおりました。恐らく北条の手の者でしょう」

「片付いたようだな。その男は?」

 そんな会話をしながら、左近と呼ばれた若い男と新たにやって来た武士達は倒れている男達の息を確かめ、息がある者のとどめを刺して行く。
 その光景はさすがに生々しく、勇人は顔をそむけた。少女の方はとどめを刺す作業には加わる事無く、やはりぼんやりとした様子だ。

「さあ。騒ぎの中に混じっていましたが、敵では無いようです。妙な扮装をしていますが」

 左近が片手間に短刀でとどめを刺しながら首を傾げて答える。

「とにかく顕家あきいえ様の元へ連れて行く。お前達はこのまま斥候を続けていろ」

 和政と呼ばれた大柄な武士がそう言うと、それを合図にするように両側からそれぞれ二人の武士が有無を言わさぬ様子で勇人の腕を掴んだ。
 逆らっても無駄なようだ。そう思い肩を竦めると勇人は大人しくそれに従った。
 あの奇妙な少女には命を助けられたのかも知れなかったが、それに付いて礼を言う余裕も猶予も無かった。
そのまま命じられるままに歩かされ、山を降り切ると本陣らしき場所まで引き出された。

「何事だ?」

 本陣の奥で一人の武士が口を開いた。中年のやや背の低い武士である。そしてその隣で、小柄で華奢な、陣羽織を来た人間が床几に腰を掛けていた。その人間は木彫りの面を被っていて、表情や年齢どころか性別も判然としない。
陵王の面だった。

「山より、弓で軍勢を狙っている北条の武士達がおりました。それは左近とちあめが片付けましたが、その中にこの男も混ざっておりました。土地の者かと思いましたが、奇妙な扮装をしているので念のため捕えて参りました。左近は敵ではない、と言っておりましたが」

 和政がそう報告している。
 中年の武士がちらと横の面の人間を見やった。

「ふむ。あまり乱暴な事はするな。見た所武器も持っていないではないか」

 面の人間が声を発する。くぐもった声だったが、とても若かった。

「確かに奇妙な扮装だが、私を狙うのであればもう少し目立たないようにするだろう」

 面の人間はどこか面白がるようにそう言うと床几から立ち上がる。

陸奥守むつのかみ北畠きたばたけ顕家である。名を名乗れ。そしていかなる理由で我が軍勢を狙う者達と共にいた?」

 堂々としていた。しかし軍勢や付けている面の物々しさとは対照的に威圧するような雰囲気はなく、穏やかさを感じさせる声のトーンだった。
 北畠顕家の名に関する自分の知識を頭から引き出す前に、勇人は口を開いていた。

建速たてはや勇人、です。陸奥守様を狙う者達の仲間だった訳ではありません」

 状況の理解にはまるで頭は追い付いていなかった。悪い冗談だと思う一方で、ここで返答を誤れば死ぬかも知れない、と言うはっきりした恐怖も確かにあった。
 だがそれ以上に、この人を相手には嘘を吐いても無駄で、ただ真実を語って自分は敵ではないと言う事を信じてもらうしかないのだ、とはっきり勇人に感じさせるだけの大きさと深さが、目の前の北畠顕家を名乗る人間から発せられる言葉にはあった。

「ほう、建速、か」

「気が付いたら山の中にいて、ひとまず山を下っていたら戦いに巻き込まれてしまっていたんです」

「見慣れぬ姿だが、どこの者だ?」

「それがその、多分」

「どうした?」

 それでも一瞬言いよどんだが、勇人は顔を上げた。

「今から数百年先の未来から時を越えて迷い込んでしまったみたいなんです」

 和政と年かさの武士はそれぞれ束の間戸惑ったような顔をした。それから和政の方は色を成したように顔を赤くし、年かさの武士は反応に困るように苦笑を浮かべる。

「ほう、面白い事を言う」

 和政が怒鳴ろうとするのを制するように顕家は愉快そうに笑った。馬鹿にされているのだろうか、と思ったが悪意は感じず、むしろ好奇心と興味を抑えているかのような印象を勇人は受けた。

「顕家様、この男斬ってもよろしいでしょうか?」

「何故だ、和政?」

「顕家様に対してこのような妄言を吐くなど無礼極まりませぬ」

「あまり短気を起こすな、和政。それに中々面白い話ではないか」

 顕家は和政にそう言うと、視線を年かさの武士の方に向けた。

宗広むねひろ、この男の事はしばらくお主に預ける。多賀国府へ連れて参れ」

「はっ…」

 そう言われ、年かさの武士は小さく頷いた。どこか呆れているような顔をしている。

「勇人と言ったな」

「は、はい」

 名を呼ばれ、勇人は飛び上がるような思いで返事をした。

「数百年の先から来た、と言うのが本当であれば寄る辺も無かろう。しばらく宗広の厄介になるがいい」

「分かりました」

 ほとんど呆然としたまま、そう答えていた。目の前にいるだけで相手を引き込んでくるような人間、と言うのは本当にいるのだな、と勇人は思った。
 自分はとんでもない目にあっているのだ、と言う実感も、遅れてじわじわと迫って来ていた。
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