時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-6 建速勇人

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 賀茂河を挟んで大軍が睨み合っていた。両軍を分けている河は、岸から見ても分かるほどに浅くなっている。
 小夜が率いる奥州軍と新田義貞の軍勢が主力になり、楠木正成を始めとする武将達が側面を受け持つ形になっている。
 勇人は騎乗で小夜の旗本の中に混じっていた。陣中には風林火山の旗が揚がっている。
 旗本の数は五十騎のままだった。京の戦の中で失った兵は、和政が率いる騎馬隊の中から選ばれた者で補われていた。

「戦には馴れて来たか、勇人」

 宗広が馬を寄せて話し掛けてきた。

「自分でも意外に思ってはいますが」

 もっとも、意外と言えば京に着いて以降の宗広の様子の方が勇人には意外だった。多賀国府での宗広はどちらかと言えば控えめで、他の抑えに回る控えめな年長者としての印象が強かった。だが戦場では、他の若い武士達よりも遥かに巧みかつ果敢に戦っている。

「ここまでは無事生き残っているな。戦場に出せばお主はすぐ死ぬのではないか、と少しだけ憂慮しておったが」

「僕は顕家様の方の方が心配になってきましたよ」

 いい加減に変わった、と言われるのも少しうんざりしてきたので勇人は軽く言い返してみた。

「お主が死ねばその心配な顕家様を守る者が一人減る。そうも思えば簡単には死ねまい」

 自分程度が、と言いかけて勇人は思いとどまった。何しろ自分はあの南部師行の弟子なのだ。無理に卑下しては自分を鍛えた師行の名まで落とす。

「決戦の前に一つだけ訊きたいのだがな」

 宗広が少し言い辛そうに話を切り出した。

「何でしょうか」

「わしの息子、親光の事だが、お主は知っておったのか?あやつがいつ、どのように死ぬか」

「いえ。歴史を深く学んでいる人間なら知っている事だったのかもしれませんが、僕の記憶にはありませんでした」

 本当の事だった。南北朝時代は軽くその時代を扱った小説や解説の本を何冊か読んだだけだ。大まかな流れは知っていて、所々断片的に細かい所が頭に残っている事もあるが、結城親光に関しては辛うじて名前が頭に残っている程度だった。

「そうか。わしの息子にしては中々見事な死に方であったとは思ったが、まあ六百年先の世ではそんな物か」

「僕が不勉強なだけでしょう。ご子息の事、お救い出来ず申し訳ありません」

「いや、良い。お主を疑ったり、責めたかった訳ではないのだ。ただ、確かめたかった。戦の前に顕家様があやつの事を慮り、わしの言葉を伝えるようにも取り計らって下さったのだ。それでも止められなかったのであれば、元よりどうしようもない事だったのだろう」

 どうしようもない事だった、と言う宗広の言葉が少しだけ引っ掛かった。
 結城親光の死を止められなかったのは自分がそれを知らなかったからなのか。それとも、もし知っていて止めるために行動していたとしても、やはり無駄だったのか。

「さて、邪魔をしたな。とにかく戦場ではしっかり顕家様を守ってくれよ。和政などは必死に諫めておるが、それでも機と見れば自ら出て行かれる癖は治るまい。それ故にあの方は戦が強いのだが」

 そう言い残し宗広は自分の陣に戻って行ったため、勇人もそこでその思考を打ち切った。とにもかくにも、今は目の前の戦に勝ち、足利尊氏を討ち取る以外にない。宗広の言う通り、そのために自分の命を賭けてぎりぎりの戦をするであろう小夜を守るのが今の自分に出来る事だ。
 ただ死にたがっていた自分と違い、小夜はどこまでも勝利のために使える物の一つとして自分の命を使っている。それは命を粗末にしている、と言うよりも、やはり生まれついての戦をする人間の性なのだろう。
 太鼓が打たれ始めた。まずは矢合わせから始まり、それから両軍が進み始めた。この戦場は広く、京での戦のように奥州軍も何段にも分かれる事はしない。宗広、行朝、そして小夜自身が率いる軍勢が横に広がり、最初から全軍で足利尊氏自ら率いる軍勢とぶつかり合う。今日は和政は小夜が率いる軍勢の先陣を務めていた。
 以前から、強い、とは思っていたが、戦場で見せる和政の強さはやはり水際立ったものだった。
 一人際立って強い者がいれば、そこを中心に味方は勢い付き、敵は怯む。無論それで突出してしまえば敵中で孤立する事になるが、和政はどこまでも冷静に周囲を見ながら剣を振るっているようだ。和政が楔の先頭になるようにして足利軍の陣形に食い込んでいく。しかしそのまま進んで行けば、逆に両側から敵に挟まれるだろう。

「行くよ、勇人」

 横にいた小夜が面の奥で一言そう言うと軍配を振るい、後続の本隊を掛けさせた。勇人も彼女の周囲の旗本達と共に駆ける。朝雲は戦場でも怯える事は無かった。
 本隊がぶつかった。和政が切り開いた部分を、左右に押し広げるようにしてぶつかっている。どこまでも一点に突き進んで行こうとする和政と、正面から広く押して来る新たな圧力。敵は力を向ける方向に迷っているようだった。
 押し続ける。敵に動揺が広がって行く。このまま押し切れれば崩れる。そう思った時、先頭に立っていた和政の動きが不意に鈍くなった。同時に敵の動揺が収まって行き、押し返す力が増して来る。
 和政の前に毛色の違う騎馬隊と徒が出て来ている。それが和政の先陣を止めていた。

「足利尊氏」

 小夜が小さく呟くのが聞こえた。尊氏自身が前面に出て来たのか。京の中での合戦では常に後方からの指揮だったのだ。

「一度和政を退かせよ」

 鐘が打たれた。敵陣に深く食い込んでいた和政だったが、整然と下がってくる。敵もそれは深追いする気配は見せなかった。敵と味方が再び向き合う。次はどう攻めるのか。勇人がそう思った時、今度は尊氏の騎馬隊がこちらに突っ込んで来た。
 下がる和政とそれを受け入れる本隊の合流の隙を突かれた。そう思ったが、横の小夜の指揮は冷静だった。本隊の両翼が弧を描くように動いて合流し、陣形が和政隊を包み込むように方円陣になって敵の騎馬隊を跳ね返す。
 そのほんのわずかな駆け引きだけで勇人は冷や汗を掻いていた。戦には相手がいる。小夜が敵の虚を突こうとしているように、尊氏もまたこちらの虚を突こうとしている。当たり前の事だが、小夜の指揮ぶりにその事を一瞬失念してしまっていた。

「さすがは尊氏麾下の精鋭、と言った所か」

 小夜が呟いた。仮面の上からだが、彼女が笑みを浮かべているのが勇人には分かった。
 それを横目で見ながら自分ならどう動くか勇人は考えていた。敵に隙は見えない。こちらで最強のはずの和政隊で崩せない相手なら、後はやはり平押ししか無いのか。
 しかし小夜はほんのわずかな膠着状態も作らなかった。和政が再び駆ける。そしてそれに合わせて小夜も旗本と共に駆け出す。
 本気かよ、と口の中で呟きながら勇人も続いた。止める暇はない。止められる立場でもない。
 ぶつかる。今度は楔が二つ。対応する敵も今度は二つだった。尊氏自身はやはり和政の方に当たるようだ。こちらには足利直義。それ以上考える余裕は無い。勇人も剣を抜いた。
 直義麾下の兵達も強かった。兵一人一人が果敢なだけでなく、連携も良く取れている。迂闊な踏み込み方をすれば死ぬだろう。
 敵の中にも、数名から十数名の集団ごとに核になる者がいる。頭一つ抜けて強く細かな指揮をする者だ。元居た時代の言葉では小隊長と言った所だろうか。和政と同じ役目を、ずっと小さくやっている。
 勇人は朝雲を操り、そんな集団の一つに近付くと、一人、二人と斬り倒す。しかし深くは踏み込まない。三人目を斬りながらわざと隙を作る。自分の動きを鬱陶しいと感じたのか、指揮官はその誘いに乗って来た。死角からの斬撃。気配だけを頼りに、勇人は三人目を斬り倒した剣をそのまま無造作に引き戻し、その方向へ突きを放った。指揮官が倒れる。
 そんな事を数回繰り返すと、勇人の近くの敵の動きは悪くなり始めた。それを隙と見たのか、小夜が旗本を一丸にし、自らも共にそこへ突っ込ませる。敵が乱れ立った。

「押せ」

 小夜が叫んだ。それだけでなく自身が先頭に立とうとする。だから、とやはり口の中で呟きながら勇人も朝景を掛けさせた。守るには小夜より前に出続けるしかない。そしてそれは、旗本全員がそうだった。必死の兵が敵へと突き進み続ける事になる。
 立ち塞がってくる敵を斬る。力任せではなく、なるべく首だけを狙うように。
 敵の後方で、足利直義の旗とその周辺が動揺するのが見えた。逃げ出すのか。それならば一気に敵は崩れる。
 踏み出す。かわす。受ける。斬る。一歩踏み出す事にそこには死線があった。それほどに敵の兵は強い。だが、それは本当の死線ではない。本当の死線は、それよりもずっと先にある。師行にそう教えられたのだ。
 直義の元まで届く。届くはずだ。
 いきなり、敵が堅くなった。動揺が見えた直義が踏み止まり、兵達を叱咤しながら自らも剣を抜いているのが見える。何が直義を持ち直させたのか。勇人がその答えを出す前に、小夜が後退の合図を出した。横から、足利尊氏の騎馬隊が迫って来るのが見える。
 尊氏に側面を突かれる前に、小夜は直義隊から離れていた。尊氏との間に割り込むように、和政が合流してくる。

「申し訳ございません。突如として直義の元に向かい始めた尊氏を、止め損ないました」

 あちらもかなりの激戦だったのか、和政自身も細かい傷をいくつか負っていた。兵にもいくらか犠牲が出ているようだ。
 直義の元に小夜の軍が届き掛けているのを見て、咄嗟に尊氏は和政との戦場を捨て、弟の救援に走った。それに気付いて、直義は踏み止まった、と言う事か。

「いや、良い。和政を振り切るのは尊氏と言えども楽な事ではなかっただろう。兄がそれをやって見せると信じて直義が踏み止まり、実際に尊氏がそれを見事にやってのけたと言うだけの事だ」

「あのまま直義が逃げ出していれば、追い討てましたか?」

「さて。ひとまず勝てたとは思う。だが、身を挺して直義を守ろうとする兵もいくらでもいただろう。討てたかどうかは怪しい所だな」

 勇人の質問に小夜は首をかしげながら答えた。

「あまり相手を侮るなよ、勇人。足利直義と言う男、戦は兄ほど上手くないが、底の所で肚は据わっている。そして何より人望がある。目立たない物だがな。直義の代わりに死のうとする武士は、兄ほどではないにしても多くいる」

「心しておきます」

 小夜の口調はどこまでも楽しげだった。戦を愚かしい物、悲惨な物と見做しつつ、実際に戦を指揮すればそれを楽しんでしまうのも武人の性か。
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