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7-14 建速勇人(3)
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「狙いますか?」
討ち取れるかどうか難しい所だ、と勇人は思った。
逃げていると言っても、まだ敵の全てが潰走した訳では無かった。ここで大将首を無理に追えば、殿として立ち塞がる敵が逆にそれでまとまりかねない。敵の方がまだずっと数は多いのだ。
戦の勝ち負けと言う事で言えば、ここまででも十分な勝ちではあった。
「微妙な所だな。あれでも一応は斯波家長に並ぶほどの血筋ではある。討てば関東の足利に与える衝撃は大きいだろうが、同時にもう少し生かしておいた方が逆に敵の足並みを乱してくれるのではないだろうかとも思う」
時家は討ち取れるかどうかよりも、討ち取る意味がどれほどあるかをまず考えているようだった。
当然ながらその思考はこの戦でどれほど無理をして上杉憲顕の首を狙うべきなのか、と言う思考にもなるだろう。
「顕家様に取ってもどちらでも良い程度の相手、なのでしょうね。だから討ち取れとも逃がせとも事前には言われなかった」
「この戦で陸奥守様が見ておられるのはあくまで斯波家長だからな」
小夜と和政からはまだ上杉憲顕との間の敵が多い。ここで自分達が追わなければ確実に逃げ切るだろう。
「自分勝手な理由だが一度ぐらいは名のある大将を討ち取る戦をしてみたいと言う思いもある。多少危険はあると思うが、付き合ってくれるか?」
さらに少しだけ悩んだ後、照れたような表情をこちらに向けて時家はそう言った。
この先、時行の下に行けば恐らく今以上に日陰者の身分に甘んじなければならなくなる事が良く分かっているのだろう。
「はい」
笑いを噛み殺しながら勇人は頷く。大将首にこだわるのも戦好きの故か。
そのまま朝雲を駆けさせた。率いる百騎は何の指図をしなくても付いてくる。
逃げる者は無視し、踏み止まろうとする五十人、百人単位の小集団に出会う度に、右、左と激しく方向を変えながら立て続けに打ち砕いて行った。先頭に立つ指揮官と思しき者を勇人が斬れば、後は後続の百騎が駆け込むだけでほとんどの敵は四散する。
殿として決死の覚悟で踏み止まる者が奮戦すれば、わずかの間にそこを中心に敵がまとまりを作ってしまう。だから中心になるような強い者をとにかく間を置く事無く倒して行くのがこう言った時は重要なのだ。
実際に追撃を始めてみれば、面白いように敵の抵抗は容易く砕けて行った。
勇人の騎馬隊が方向を変えながら、そして時家の徒はまっすぐに上杉憲顕を追う。
上杉憲顕は数百騎の旗本達に守られながら必死と言う様子で逃げている。しかしこちらの騎馬隊の方が速い。百騎で旗本達を突き崩して上杉憲顕に届くのは無理でも、頭を押さえて足を止めれば、その間に時家の徒が追い付けるはずだ。
京で足利直義を追った時の事を思い出していた。あの時はぎりぎりの所で届かなかったが、今の自分なら届く事が出来る。
上杉憲顕と並走するようにして駆け、追い抜くと回り込むようにしてその先頭にぶつかった。強くぶつかる事はせず、数騎を削り取るように馬上から叩き落とす。
それだけで敵は狼狽し、方向を大きく変えようとして速度を落とした。しかし方向を変えた先には時家の徒がいる。
これで討ち取れる。勇人がそう思った時、不意に時家が陣形を変えた。移動のための陣形になり、上杉憲顕を無視して勇人の側へと合流するように向かって来る。
「何を」
声に出した時、別方向から馬蹄の響きが聞こえた。何が起こっているのか理解するより早く全身の血の気が引く。馬蹄の響きとそのぞっとするような感覚だけを頼りに騎馬隊を動かした。
側面から襲って来た騎馬隊をすんでの所でかわした。かわした、いや、追いすがって来た敵に十数騎が馬上から落とされている。
咄嗟に朝雲を操り、勇人は向かって来る敵の先頭に横から単騎でぶつかった。一人一人が強い。一騎や二騎を斬り倒しても簡単に怯みも乱れもしない。大して先頭の勢いを止める事も出来ず、跳ね返されるように離脱する。
そのままこちらの騎馬隊が飲み込まれる。そう思った時には相手は方向を変えていた。
時家がそれ以上の相手の追撃を横から遮るように堅陣を組み、槍や薙刀を並べている。堅陣だが、前に進もうと思えばそのまま進める構えだ。
たった五百の兵とは言え、信じられないような迅速な陣替えだった。
その時家の堅陣と正面からぶつかり合う事を避けたのか、敵の騎馬隊はそのまま上杉憲顕を守るような動きをしながらこちらから距離を取る。
数は二千ほど。そして旗が上がっていた。斯波家長。
時家の動きが無ければ、二千騎の攻撃をもろに受けて全滅に近い損害を受けていただろう。
「大丈夫か」
時家が手勢を完全に合流させるとやって来た。
「斯波家長が」
「しっかりしろ。師行殿との戦では人知れず小高城にまで騎馬隊を移動させていた相手だぞ。関東での戦であれば、それこそどこに現れてもおかしくはない」
「予想されていたのですか。斯波家長がここで来ると」
「まさか。それなら口に出している。頭のどこかでいくつも想定していた起こるかもしれない事の中の一つにあった、と言うだけだ。恐らく陸奥守様もそうだろう。この戦は斯波家長がどう動くかを見るための戦でもあるのだからな。絶妙の機に現れた。それは俺に取っても想定外ではあったな」
そう言われて勇人は唇を噛んだ。時家の言う通り、小夜が何のためにこの戦をしているのか本当に分かっていたのなら、自分も最後まで斯波家長の介入を警戒したはずだ。予想するのは無理でも、時家の動きを見てすぐその意図を察する事も出来ただろう。
それが出来なかったせいで、無駄な犠牲を出した。上杉憲顕を討ち取る事にこだわって視野を狭くしていたのは、時家ではなく自分だったのかもしれない。
いや、この関東転戦に入って以来、戦場で騎馬隊を率いて果敢に戦い、戦果を挙げる自分に己惚れていた所がなかったか。
時家は上杉憲顕の首だけを目指しているように見えて、本当は常に勇人の騎馬隊の支援が出来る位置を見極めながら動いていたのだろう。
斯波家長はそのまま上杉憲顕の残兵と並ぶように陣を組んだ。並べてみると、上杉憲顕の軍勢とは比べ物にならない程その陣には隙が無く、兵に気力が充実しているのが見て取れる。
上杉憲顕を救いに来るのが目的で、たまたまこちらに隙が見えたから仕掛けてみた。そんな所だろう。犠牲を厭わないような攻め方を斯波家長がしてくれば、時家がいたとしても逃げ切れなかったはずだ。
小夜と和政も合流し、改めて敵と向かい合う事になった。敵は斯波家長の騎馬隊を合わせてまた九千ほどが集まっている。
「また心憎いほどの絶妙な機で現れたな、斯波家長は。上杉憲顕の出陣を聞いたと同時に騎馬隊だけで出る決断を下していなければ、この動きは出来ぬ。私が上杉憲顕を打ち破る所までは許せても、討ち取らせる訳にはいかない、と言う事か」
小夜が面の奥でわずかに笑いながら言った。時家と同じで、ここで斯波家長が現れた事に驚きはあっても動揺はしていないようだ。
ただ、斯波家長と向き合う陣には緊張がみなぎっている。
「申し訳ありません。不意を突かれ無駄な犠牲を出しました。いえ、向こうが仕掛けてくるだけの隙を晒してしまっていました」
まだ戦場である。動揺を見せないようにしながら口に出して頭を下げた。
「斯波家長がいつかは戦場に現れるかも知れぬ。頭の中でそう思いながら口に出してそう備えるようには命じていなかったのだから私にも非はあるかも知れぬ。しかし合戦で起こるかも知れぬ事全てに対して常に備えをしたまま戦は出来ぬ。それは分かるな」
まだ大した犠牲ではない。そう言い掛けた時家を遮り小夜が言った。和政は何も言おうとはしない。
「はい」
実戦の中では奇襲への備えはここ、と言う所でするしかない。つまり最後は現場で兵を指揮する者の判断しかなく、それは小夜の指揮を離れて自分で考えて動くのであれば当然の責任だった。
ほとんど無謬とも思える小夜の指揮の下で動いている事を自分の実力と勘違いしていた。そう言う事だろう。
「まだまだ師行のようになるには遠いな、勇人」
小夜が声を柔らかくして言った。
その一言で、気持ちが少し楽になった。しかしこんな様で戦場で小夜を守れるのか。
斯波家長はじっと陣を固めている。時間を掛ければもう少し散った兵が戻ってくるかもしれないが、それを待っている風でも無かった。
「動かぬな、やはり。そうかと言って向こうから退く気配もない」
「上杉憲顕を救いに来ただけでなく、何かを伝えに来たようには見えます」
気持ちを切り替えると、勇人は思った事を口に出した。
「もう、上洛はするな。そうすればいずれ日本は収まる。そう言われている気がするな」
「この戦で確かめたい事は、これで確かめられましたか?」
「全てではないが、ある程度は」
北条時行の見極め、斯波家長の肚の中、関東の武士達の動向。それ以外にも様々な事をこの戦で小夜は確かめただろう。あるいは勇人の力量も確かめる事の中に入っていたのかもしれない。
しばらく睨み合い、やがて奥州軍の方から退く構えを見せると斯波家長も上杉憲顕共々退いた。
斯波家長の騎馬隊の鋭さは間違いなく増していた。しかし同時に以前戦った時のようなどうあっても陸奥守を討ち取ると言う意志のような物が軍勢を通して伝わってくる事は最後までなかった。
斯波家長の中で何かが変わったのか。そう思ったが、口には出さなかった。
その後数日は戦は無く、関東から陸奥へと引き上げる時が来た。
それに合わせて、時家は奥州軍を離れ北条時行の下へと向かう。
「斯波家長との戦では、ありがとうございました。すんでの所で、命を拾いました」
兵を率い、奥州軍を離れる時家の見送る際に勇人は声を掛けた。これからわずか五百の兵でほぼ敵地と言っていい関東を移動する事になるが、この男なら難なく潜んで行くだろう。
「何、そもそも私が上杉憲顕の首にこだわったのだし、どちらにせよあそこで斯波家長が現れた時点で上杉憲顕を討ち取るのは無理だったろうからな。それにこれでようやく、多少の恩は返せた」
「恩?」
「あの夏の日、君と師行殿と楓に出会った。そして君達三人がただの賊に過ぎなかったような俺に進む道を示して陸奥守様に引き合わせてくれた。そう思っている」
「時家殿は、もしあの時私達と出会わなければ、今頃どうされていたと思われますか?」
「さて、あのまま陸奥でつまらない戦をし、どこかで死んでいたか、あるいは結局時行殿の下にまた戻る事になったか、どうなっただろうな」
もし時家が鎌倉を失った直後の時行の下に再び馳せ参じていたら、と勇人は考えた。
信濃以来自分を担いでいた臣下達の大半を失っていた時行相手なら、時家ほどの才覚があればその腹心になる事は難しくなかっただろう。その場合、時行の血統に集まって来る兵力を、時家が実質的な大将として率いる事になる。
そうなっていれば北条の残党は今よりはるかに強力な勢力になっていたはずだ。
「どうかしたか?」
ふと考え込んだ勇人に対し、時家が首を傾げた。
「いえ、何も」
自分が知る限りではこれほどの武将でありながら北条時家と言う男の歴史は残っていない。
未来から来た自分と出会ったせいで、あるいは時家は逆に歴史に名が残らない武将になってしまったのではないか。
頭の中にふと思い浮かんだその考えを勇人は振り払った。時家がこの先どんな風な戦いを見せるかは、まだ誰にも分からない事だ。
「まあ、あの奇襲の事はあまり気にするな。危ない所だったが、それでも切り抜けられた。戦は結果が全てでもあるのだ。生き残れたのなら、その経験を生かせばいい」
勇人の表情を違う風に取ったのか、時家はそう言った。勇人は頷いておく事にした。
勇人と時家の話が終わるのを待っていたように、小夜が馬を寄せて来た。
「お別れです、陸奥守様」
「思えば数奇な縁でお前は私に仕える事になった。今でも、その数奇さは変わっておらぬかもしれぬ。だが、お前はすでに我が揺ぎ無き郎党だ。例えどの土地でどのような務めを果たしていようとも、それは変わらぬ。また必ず戻ってまいれ」
「先の征西に加わる事は叶いませんでしたが、それでも陸奥守様の配下となって以降の戦はどれも心躍る物でした。いえ、それだけでなく奥州軍の一員になって初めて、それがしと配下達は本当の仲間を得たと言う思いがします」
時家はこの男にしては珍しく涼しげな表情を崩しながらそう言い、小夜と和政、そして勇人を順番に見回した。
「必ず、次の征西の折には、再び奥州軍として」
そう言い残し、時家は兵を率い奥州軍から離れて行った。五百の兵は、原野に溶け込むようにして姿を消して行く。
「やっぱり私は、人に恵まれているね」
時家が去って行った方を見やりながら、勇人だけに聞こえるような声で小夜は呟いた。
討ち取れるかどうか難しい所だ、と勇人は思った。
逃げていると言っても、まだ敵の全てが潰走した訳では無かった。ここで大将首を無理に追えば、殿として立ち塞がる敵が逆にそれでまとまりかねない。敵の方がまだずっと数は多いのだ。
戦の勝ち負けと言う事で言えば、ここまででも十分な勝ちではあった。
「微妙な所だな。あれでも一応は斯波家長に並ぶほどの血筋ではある。討てば関東の足利に与える衝撃は大きいだろうが、同時にもう少し生かしておいた方が逆に敵の足並みを乱してくれるのではないだろうかとも思う」
時家は討ち取れるかどうかよりも、討ち取る意味がどれほどあるかをまず考えているようだった。
当然ながらその思考はこの戦でどれほど無理をして上杉憲顕の首を狙うべきなのか、と言う思考にもなるだろう。
「顕家様に取ってもどちらでも良い程度の相手、なのでしょうね。だから討ち取れとも逃がせとも事前には言われなかった」
「この戦で陸奥守様が見ておられるのはあくまで斯波家長だからな」
小夜と和政からはまだ上杉憲顕との間の敵が多い。ここで自分達が追わなければ確実に逃げ切るだろう。
「自分勝手な理由だが一度ぐらいは名のある大将を討ち取る戦をしてみたいと言う思いもある。多少危険はあると思うが、付き合ってくれるか?」
さらに少しだけ悩んだ後、照れたような表情をこちらに向けて時家はそう言った。
この先、時行の下に行けば恐らく今以上に日陰者の身分に甘んじなければならなくなる事が良く分かっているのだろう。
「はい」
笑いを噛み殺しながら勇人は頷く。大将首にこだわるのも戦好きの故か。
そのまま朝雲を駆けさせた。率いる百騎は何の指図をしなくても付いてくる。
逃げる者は無視し、踏み止まろうとする五十人、百人単位の小集団に出会う度に、右、左と激しく方向を変えながら立て続けに打ち砕いて行った。先頭に立つ指揮官と思しき者を勇人が斬れば、後は後続の百騎が駆け込むだけでほとんどの敵は四散する。
殿として決死の覚悟で踏み止まる者が奮戦すれば、わずかの間にそこを中心に敵がまとまりを作ってしまう。だから中心になるような強い者をとにかく間を置く事無く倒して行くのがこう言った時は重要なのだ。
実際に追撃を始めてみれば、面白いように敵の抵抗は容易く砕けて行った。
勇人の騎馬隊が方向を変えながら、そして時家の徒はまっすぐに上杉憲顕を追う。
上杉憲顕は数百騎の旗本達に守られながら必死と言う様子で逃げている。しかしこちらの騎馬隊の方が速い。百騎で旗本達を突き崩して上杉憲顕に届くのは無理でも、頭を押さえて足を止めれば、その間に時家の徒が追い付けるはずだ。
京で足利直義を追った時の事を思い出していた。あの時はぎりぎりの所で届かなかったが、今の自分なら届く事が出来る。
上杉憲顕と並走するようにして駆け、追い抜くと回り込むようにしてその先頭にぶつかった。強くぶつかる事はせず、数騎を削り取るように馬上から叩き落とす。
それだけで敵は狼狽し、方向を大きく変えようとして速度を落とした。しかし方向を変えた先には時家の徒がいる。
これで討ち取れる。勇人がそう思った時、不意に時家が陣形を変えた。移動のための陣形になり、上杉憲顕を無視して勇人の側へと合流するように向かって来る。
「何を」
声に出した時、別方向から馬蹄の響きが聞こえた。何が起こっているのか理解するより早く全身の血の気が引く。馬蹄の響きとそのぞっとするような感覚だけを頼りに騎馬隊を動かした。
側面から襲って来た騎馬隊をすんでの所でかわした。かわした、いや、追いすがって来た敵に十数騎が馬上から落とされている。
咄嗟に朝雲を操り、勇人は向かって来る敵の先頭に横から単騎でぶつかった。一人一人が強い。一騎や二騎を斬り倒しても簡単に怯みも乱れもしない。大して先頭の勢いを止める事も出来ず、跳ね返されるように離脱する。
そのままこちらの騎馬隊が飲み込まれる。そう思った時には相手は方向を変えていた。
時家がそれ以上の相手の追撃を横から遮るように堅陣を組み、槍や薙刀を並べている。堅陣だが、前に進もうと思えばそのまま進める構えだ。
たった五百の兵とは言え、信じられないような迅速な陣替えだった。
その時家の堅陣と正面からぶつかり合う事を避けたのか、敵の騎馬隊はそのまま上杉憲顕を守るような動きをしながらこちらから距離を取る。
数は二千ほど。そして旗が上がっていた。斯波家長。
時家の動きが無ければ、二千騎の攻撃をもろに受けて全滅に近い損害を受けていただろう。
「大丈夫か」
時家が手勢を完全に合流させるとやって来た。
「斯波家長が」
「しっかりしろ。師行殿との戦では人知れず小高城にまで騎馬隊を移動させていた相手だぞ。関東での戦であれば、それこそどこに現れてもおかしくはない」
「予想されていたのですか。斯波家長がここで来ると」
「まさか。それなら口に出している。頭のどこかでいくつも想定していた起こるかもしれない事の中の一つにあった、と言うだけだ。恐らく陸奥守様もそうだろう。この戦は斯波家長がどう動くかを見るための戦でもあるのだからな。絶妙の機に現れた。それは俺に取っても想定外ではあったな」
そう言われて勇人は唇を噛んだ。時家の言う通り、小夜が何のためにこの戦をしているのか本当に分かっていたのなら、自分も最後まで斯波家長の介入を警戒したはずだ。予想するのは無理でも、時家の動きを見てすぐその意図を察する事も出来ただろう。
それが出来なかったせいで、無駄な犠牲を出した。上杉憲顕を討ち取る事にこだわって視野を狭くしていたのは、時家ではなく自分だったのかもしれない。
いや、この関東転戦に入って以来、戦場で騎馬隊を率いて果敢に戦い、戦果を挙げる自分に己惚れていた所がなかったか。
時家は上杉憲顕の首だけを目指しているように見えて、本当は常に勇人の騎馬隊の支援が出来る位置を見極めながら動いていたのだろう。
斯波家長はそのまま上杉憲顕の残兵と並ぶように陣を組んだ。並べてみると、上杉憲顕の軍勢とは比べ物にならない程その陣には隙が無く、兵に気力が充実しているのが見て取れる。
上杉憲顕を救いに来るのが目的で、たまたまこちらに隙が見えたから仕掛けてみた。そんな所だろう。犠牲を厭わないような攻め方を斯波家長がしてくれば、時家がいたとしても逃げ切れなかったはずだ。
小夜と和政も合流し、改めて敵と向かい合う事になった。敵は斯波家長の騎馬隊を合わせてまた九千ほどが集まっている。
「また心憎いほどの絶妙な機で現れたな、斯波家長は。上杉憲顕の出陣を聞いたと同時に騎馬隊だけで出る決断を下していなければ、この動きは出来ぬ。私が上杉憲顕を打ち破る所までは許せても、討ち取らせる訳にはいかない、と言う事か」
小夜が面の奥でわずかに笑いながら言った。時家と同じで、ここで斯波家長が現れた事に驚きはあっても動揺はしていないようだ。
ただ、斯波家長と向き合う陣には緊張がみなぎっている。
「申し訳ありません。不意を突かれ無駄な犠牲を出しました。いえ、向こうが仕掛けてくるだけの隙を晒してしまっていました」
まだ戦場である。動揺を見せないようにしながら口に出して頭を下げた。
「斯波家長がいつかは戦場に現れるかも知れぬ。頭の中でそう思いながら口に出してそう備えるようには命じていなかったのだから私にも非はあるかも知れぬ。しかし合戦で起こるかも知れぬ事全てに対して常に備えをしたまま戦は出来ぬ。それは分かるな」
まだ大した犠牲ではない。そう言い掛けた時家を遮り小夜が言った。和政は何も言おうとはしない。
「はい」
実戦の中では奇襲への備えはここ、と言う所でするしかない。つまり最後は現場で兵を指揮する者の判断しかなく、それは小夜の指揮を離れて自分で考えて動くのであれば当然の責任だった。
ほとんど無謬とも思える小夜の指揮の下で動いている事を自分の実力と勘違いしていた。そう言う事だろう。
「まだまだ師行のようになるには遠いな、勇人」
小夜が声を柔らかくして言った。
その一言で、気持ちが少し楽になった。しかしこんな様で戦場で小夜を守れるのか。
斯波家長はじっと陣を固めている。時間を掛ければもう少し散った兵が戻ってくるかもしれないが、それを待っている風でも無かった。
「動かぬな、やはり。そうかと言って向こうから退く気配もない」
「上杉憲顕を救いに来ただけでなく、何かを伝えに来たようには見えます」
気持ちを切り替えると、勇人は思った事を口に出した。
「もう、上洛はするな。そうすればいずれ日本は収まる。そう言われている気がするな」
「この戦で確かめたい事は、これで確かめられましたか?」
「全てではないが、ある程度は」
北条時行の見極め、斯波家長の肚の中、関東の武士達の動向。それ以外にも様々な事をこの戦で小夜は確かめただろう。あるいは勇人の力量も確かめる事の中に入っていたのかもしれない。
しばらく睨み合い、やがて奥州軍の方から退く構えを見せると斯波家長も上杉憲顕共々退いた。
斯波家長の騎馬隊の鋭さは間違いなく増していた。しかし同時に以前戦った時のようなどうあっても陸奥守を討ち取ると言う意志のような物が軍勢を通して伝わってくる事は最後までなかった。
斯波家長の中で何かが変わったのか。そう思ったが、口には出さなかった。
その後数日は戦は無く、関東から陸奥へと引き上げる時が来た。
それに合わせて、時家は奥州軍を離れ北条時行の下へと向かう。
「斯波家長との戦では、ありがとうございました。すんでの所で、命を拾いました」
兵を率い、奥州軍を離れる時家の見送る際に勇人は声を掛けた。これからわずか五百の兵でほぼ敵地と言っていい関東を移動する事になるが、この男なら難なく潜んで行くだろう。
「何、そもそも私が上杉憲顕の首にこだわったのだし、どちらにせよあそこで斯波家長が現れた時点で上杉憲顕を討ち取るのは無理だったろうからな。それにこれでようやく、多少の恩は返せた」
「恩?」
「あの夏の日、君と師行殿と楓に出会った。そして君達三人がただの賊に過ぎなかったような俺に進む道を示して陸奥守様に引き合わせてくれた。そう思っている」
「時家殿は、もしあの時私達と出会わなければ、今頃どうされていたと思われますか?」
「さて、あのまま陸奥でつまらない戦をし、どこかで死んでいたか、あるいは結局時行殿の下にまた戻る事になったか、どうなっただろうな」
もし時家が鎌倉を失った直後の時行の下に再び馳せ参じていたら、と勇人は考えた。
信濃以来自分を担いでいた臣下達の大半を失っていた時行相手なら、時家ほどの才覚があればその腹心になる事は難しくなかっただろう。その場合、時行の血統に集まって来る兵力を、時家が実質的な大将として率いる事になる。
そうなっていれば北条の残党は今よりはるかに強力な勢力になっていたはずだ。
「どうかしたか?」
ふと考え込んだ勇人に対し、時家が首を傾げた。
「いえ、何も」
自分が知る限りではこれほどの武将でありながら北条時家と言う男の歴史は残っていない。
未来から来た自分と出会ったせいで、あるいは時家は逆に歴史に名が残らない武将になってしまったのではないか。
頭の中にふと思い浮かんだその考えを勇人は振り払った。時家がこの先どんな風な戦いを見せるかは、まだ誰にも分からない事だ。
「まあ、あの奇襲の事はあまり気にするな。危ない所だったが、それでも切り抜けられた。戦は結果が全てでもあるのだ。生き残れたのなら、その経験を生かせばいい」
勇人の表情を違う風に取ったのか、時家はそう言った。勇人は頷いておく事にした。
勇人と時家の話が終わるのを待っていたように、小夜が馬を寄せて来た。
「お別れです、陸奥守様」
「思えば数奇な縁でお前は私に仕える事になった。今でも、その数奇さは変わっておらぬかもしれぬ。だが、お前はすでに我が揺ぎ無き郎党だ。例えどの土地でどのような務めを果たしていようとも、それは変わらぬ。また必ず戻ってまいれ」
「先の征西に加わる事は叶いませんでしたが、それでも陸奥守様の配下となって以降の戦はどれも心躍る物でした。いえ、それだけでなく奥州軍の一員になって初めて、それがしと配下達は本当の仲間を得たと言う思いがします」
時家はこの男にしては珍しく涼しげな表情を崩しながらそう言い、小夜と和政、そして勇人を順番に見回した。
「必ず、次の征西の折には、再び奥州軍として」
そう言い残し、時家は兵を率い奥州軍から離れて行った。五百の兵は、原野に溶け込むようにして姿を消して行く。
「やっぱり私は、人に恵まれているね」
時家が去って行った方を見やりながら、勇人だけに聞こえるような声で小夜は呟いた。
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