銀杖のティスタ

マー

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4 力と向き合う事

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 ティスタ先生との出会いから1ヵ月。

 僕は魔術を学びながら、先生の営む便利屋のお手伝いをしている。今の僕に出来るのは、散らかった事務所の片付けくらいだけれど。

「……ティスタ先生、またお酒を……?」

 事務所の床に転がる大量の空ビール缶をゴミ袋に入れながら、ソファで寝息を立てるティスタ先生へと視線を向ける。

 寝顔はとても可愛らしいのだけれど、相変わらず私生活は荒れ気味の様子。こんな酒浸りの生活を続けていたら、いつか身体を壊してしまいそうで心配だ。

「ん、んぅぅ……うぅ~……」

 ティスタ先生はこうなってしまうとしばらく起きないので、僕は黙々と汚れた事務所の掃除を行う。その途中、ティスタ先生の仕事机の上にある写真立ての存在に気付いた。

 写真が見えないように倒されたままの写真立て。勝手に見るのは失礼だと思いながらも、僕は好奇心を抑えられずにそっと写真を見てみる。

 写真には、ティスタ先生と同じような白い外套に身を包んだ人達が笑顔で写り込んでいた。その笑顔の人々の中心には、長い金髪に美しい碧眼の美しい少女。

「……その真ん中にいる魔術師が私の師匠です」

 微笑ましい写真に見惚れていた僕の背後から声が聞こえてきた。眠そうに目を擦りながら、ティスタ先生は写真の詳細を教えてくれた。

「それと、周りにいるのはかつての同僚達です。撮影したのも結構昔の事ですね」

「すみません。勝手に見てしまって」

「構いませんよ。別に見られて困るものでもありませんから。ただ――」

 ティスタ先生は立ち上がって、僕が手に持っていた写真立てを見ながら寂しそうに呟く。

「今の私の醜態を見て、みんなどう思うんだろうなぁと思ったら……この写真、普段から見えるように置くのが辛かったんです。だからといって捨てる事も出来なかったんですけれどね」

 ティスタ先生は僕の手から写真立てを受け取って、それを机の上にそっと伏せて置いた。その表情は、どこか寂し気に見えた。



 ……………



 いつものように魔術の練習に付き合ってもらった後、僕はティスタ先生から夕飯を御馳走になる事になった。事務所のあるビルの1階にある中華料理屋は、この辺では大変美味しいと評判なんだとか。

「ここの街中華は本当に美味しいんですよ! あの場所に事務所を構えてから、もう何度も通っているんです」

 テーブルの上に大量に並べられた料理の数々、こんなに食べきれるのだろうか不安だったけれど、魔術の練習の後だった事もあって僕はペロリとそれらを平らげる事が出来た。

 今まで魔力を積極的に使った事が無かったので知らなかったけれど、どうやら魔力を使うという事は相当なカロリーを消費するらしい。

 先生行きつけの美味しい中華料理店で夕飯を食べ終わった後、先生は僕の今後について話そうと言った。

「念の為に確認しておきたいのですが……トーヤ君、キミは魔術を覚えた後にどうしますか?」

「どうする、というのは?」

「キミは「自分を守る力をつける為に魔術を学びたい」と言っていました。今はどうでしょうか。心のどこかに「自分をいじめていた連中に仕返しをしてやりたい」なんて気持ちがあるのではないですか?」

「そ、そんな――」

 そんな事は無い、とはっきり言う事が出来なかった。僕だって心のある生き物だ。今まで半魔族の自分を蔑んできた人間達への復讐心が無いと言ったら、それは嘘になる。

「正直、また人間に酷い目に合わされるような事があったら……仕返しをしてしまうかもしれません」

「そう思う自分を、キミ自身はどう思いますか?」

「怖い、です……」

 俯きながら、僕は正直にティスタ先生にそう言った。僕にここまで魔術を教えてくれた先生に嘘をつきたくなかったから。ここで嘘をつけば、心に何かモヤモヤを抱えてしまうような気がしたから。

 そんな事では魔術師失格だとティスタ先生に怒られるだろうと思っていたけれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「そう、それでいいのです。それが普通なのですから。自分の魔術がヒトを傷付けるモノだと理解が出来ているのなら、キミはきっと無闇に魔術で暴力を振るったりしませんよ。これから先、その理性と情を忘れないでください。大きな力を手にしても、決して理性と情を失ってはいけません」
 
 ティスタ先生は笑顔でそう言って、テーブルを挟んで向かいに座る僕へと手を伸ばして、頭を優しく撫でてくれた。憧れの女性から頭を撫でられて、僕は赤面しながら固まってしまった。

「魔術に限らず、刃物や銃器、自分の武器となるモノを手に入れた時に気が大きくなるのは当然の事なのです。大事なのは、その力を手に入れた後にどうコントロールするか。大きな力を使えるようになったからといって、思考を放棄してはいけないし、感情を捨ててはいけません。笑って、泣いて、怒って、喜んで、時には痛い目にもあって、そんな多くの経験の先に魔術の到達点があります」

 先生は窓の外へと視線を移して、寂しそうな表情をしながら呟く。

「私は、それが嫌になって出来なくなってしまいました。苦しい事を避けて、悲しい事から目を逸らして、辛い事を無かった事にしたくてお酒やギャンブルに逃げてしまった臆病者です。だから、私を反面教師にして、色んな事を経験して学んでくださいね。私のようなダメな魔術師になってはいけませんよ」

 そう言った先生の碧い瞳は、光を失って濁っていた。こんな言い方、自分の人生を諦めてしまったようにも思える。

 僕はまだ、ティスタ先生の事を何も知らない。でも――

「僕はティスタ先生がダメな魔術師だなんて思いません」

 あの日、いじめられていた僕を救ってくれた彼女は、間違いなく立派な魔術師で、今は尊敬する先生で、素敵な女性だ。

「先生のおかげで、やりがいのある魔術の勉強をする事が出来るようになりました。半魔族の自分にとって、先生に魔術を教えてもらっている時間は本当に楽しくて、自分の生活に足りなかったものがようやく手に入った感覚で……先生に会えて良かったって思ってるんです。だから、自分の事をそんな風に言わないでください」

 僕の言葉を聞いて、濁っていたティスタ先生の瞳にほんの少しだけ光が灯る。

 彼女がどんな理由で、どれほどの苦労をしてきたのか、今の僕にはわからない。でも、目の前にいる僕の感謝の気持ちは本物だ。それだけは伝えておきたかったから。

「そう、ですか……ありがとう」

 ティスタ先生は儚げな笑みを浮かべた後、ゆっくりと手を上にあげた。

 そして、中華料理店の厨房に向けて元気に注文を入れた。 

「うひひひ、褒められて気分が良くなってきたので、ちょっと飲みましょうかねぇ!! すみませーん、瓶ビールの追加お願いしまーす!!」

「えぇー……昨日もあんなに飲んでたのに……」

 先生の過去も気になるけれど、今は先生の肝臓の方が心配だ……。
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